閑話 ・ 料理長ブルーノ
話としての座りが悪かったので、冒頭のアリスティアの脳内小芝居削除しました。
「 クー 」
私は館の廊下を一人で歩いている。
さきほどまで、エルシミリアと一緒にお母様の部屋にいた。話があると呼び出されたのだ。話は、侍女をそれぞれ、二人ずつ付けるというものだった。二人もなんて……貴族令嬢としての生活も大変だ。気楽な日本の庶民生活が少し懐かしくなった。
そして今は自分の部屋に戻る途中。エルシミリアはお母様に用事があったのを思い出したと言って、お母様の部屋へ戻っていった。
「 クー 」
先ほどから鳴っているのは私のお腹、お腹空いた。
この数日、気になっていることがある。この体、とにかくすぐお腹が減ってしまう。食べる量が少ないのかな? とも考えたけれど、アリスティアとしての記憶を辿ってみても以前と食べる量は変わってない。前は、こんなにお腹は空かなかった。以前と何かが違うのか?
もしかして、あれか!
私、アリスティアの魂の約半分は引き籠っ、もとい、眠っていた。その半分が目覚めて融合した今、魂の量は約二倍。そう、魂の量が多くなったから、カロリーがさらに必要となったのではないか? これは凄い発見かも。学会があれば発表したい。
『魂の総量の変動における、カロリー消費に関する一考察』 BY アリスティア・フォン・ゲインズブラント
「 クー 」
ああ、学会とか魂の総量とか、そんなのはどうでも良い。とにかくお腹が空いた。メイドさんに頼んで、何かお菓子でも持ってきてもらおうか…
「ん?」
良い匂いが漂ってくる。とても美味しそうで、懐かしい匂い。
「この匂いは、まさか!」
私は、その匂いに引き寄せられるまま、階下へ下り厨房へ向かった。
この世界では、厨房関係の人員の地位は高くない。料理長はさすがにある程度は尊重されるが、厨房メイドなどは、ダイニングや大広間に上がることさえ許されない。できた料理を主人達に供するのは、下僕などの別の者達。
そのような訳だから、私が厨房に顔を出すと、ちょっとした騒ぎが起こった。館の主のご令嬢が厨房に来るなど、まず有り得ない。
「アリスティアお嬢様、どうしてこのような所に」
料理長のブルーノが跳んで来た。南方系の血がはいっている色浅黒い、黒髪の男性。年は五十くらい、肝心の料理の腕は確か。後ろの方で、新人の厨房メイド達が話すのが聞こえる。
「あの方が、アリスティアお嬢様。話には聞いてましたが、なんてお美しく、なんて可憐な」
「まさに天使、どうすれば、あのようなお方がお生まれになるんでしょう」
「神々の恩寵を一身に受けられてるんですって、その証があるとか…… そんな話を聞いたことがあるわ」
うーん、お父様の敷いた箝口令、ちゃんと効いてないんじゃ…… まあ、「神契の印」とか個別名まで出てないからいいか、単なる証じゃ、凄いねーで終わることだしね。
満面の笑顔で返す。
「皆さん、ごきげんよう。いつも美味しいお料理、ありがとう。手を止めさせて、ごめんなさい。お仕事続けてくださいね。」
「……」
「……」
「……」
厨房全体がポカンとしている。しまった、またやってしまった。貴族の令嬢が厨房の使用人達にこのような態度をとることは、普通ありえない。
野乃だった頃、私は兄を手伝って一緒に、兄が東京に行ってからは、私一人で葛城家のご飯を作った。自分で作っていたのでよくわかる、食事は本当に『生活の基盤』なのだ。なのに、この世界の料理人の地位の低さはなんだろう。少々腹が立ってきた。これは改善しなければと思う。でも、改善策は後で考えよう。
とにかく先に、気になっている匂いの元を確かめたい。
「ブルーノ料理長、さきほどから漂う、この食欲をそそられる良い匂いは何ですか?」
私の声掛けに、我に戻ったブルーノ、後ろの大鍋を指さして答えた。
「これでごぜぇます、お嬢様」
「もしや、これは『カレー』ではございませんの?」
「『カレー』というのかどうかは分かりませんが、これは私の国のさらに南にある国の郷土料理であります。友人の船乗りが、レシピを持ち帰ってくれたので、試しに賄いに作ってみたんでごぜぇます。これがレシピです。見られますか」
私はブルーノから、レシピをもらって見た。材料は少々違っているが、これはまさにカレー! やった! この異世界でカレーが食べられる! 十五年も日本で生きていたのだ、日本人の国民食ともいえるカレーを食べずにおられようか! 神々よ、ありがとうございます! 私は異世界に来て初めて、この世界の神々に感謝した。
カレーと分かったからには、はやく実物を見たい。十歳の私の身長では高い位置にある大鍋の中は見えない。
「ブルーノ料理長、その料理をちゃんと見たいのです。私を持ち上げてくれませんか」
「へっ?」
ブルーノは躊躇した。地位の低い料理人の上、自分は男性の外国人。そんな自分が、主のご令嬢を自分の手で持ち上げて良いのか? あわてて、厨房メイドの一人に声をかける
「サリー、お嬢様を持ち上げてさしあげろ」
「料理長! あなたでかまいません! 早く!」
「は、はい!」
ブルーノが私の勢いに驚いて、私の両脇に手をいれ、持ち上げてくれる。視点が一気に高くなる。眼下で、大鍋がグツグツと煮立っている。
あー、ほんとにカレーだ。懐かしくて涙が出そう、見たところ、煮込み具合もばっちりだ。なんて美味しそうと思った瞬間、
私の口から、涎が一気にダラーと流れ出た。
厨房全体に爆笑が起こった。しかし、そんなことは気にしない、カレーがまた食べられる、そのことを前にしては些事にすぎない。
この件で、私、アリスティアは使用人達の間で、「涎天使」「涎お嬢様」の称号を賜ったが、気にしない。仰ぎ見られてるだけよりはずっと良い。そうそう、もう一つ、良かったことがある。私はブルーノと友達になった。
「アリスティアお嬢様! ついに市場で見つけましたよ! お米です! お米がありました!」
「なんと! 米が! ブルーノ! あなたは神か!」
「ふっ、いくらでも褒めてくだせぇ。今日は作りますよカレー、ご飯とカレーの合わせ技! きっとパンなんかめじゃないですぜ!」
「さすがは料理長、あなたは分かってる! 分かってますね!」
「アリスティアお嬢様!」
「ブルーノ料理長!」
見つめあう、ブルーノと私。
「 「 イエーイ! 」 」
大きな手と小さな手がパチン! と鳴った。
カレーは日本発祥ではないですが、もはや日本食と言っても良いですよね。日式カレーなんて言葉もありますし。