ルシアの嘘
「陛下、少し時間よろしいですか?」
水色の瞳を持った金髪の女性が、あたしの執務室に入って来た。彼女はあたしの姉なのだが、父親が違うせいか、あたしと全然似ていない。あたしの髪は灰色、瞳は赤。
「セイディ姉、誰もいない所では、その呼び方は止めてって言ったでしょ。ルシアでいいよー。妹なんだし」
セイディ姉の頭の固さに少々イラっとした。シャロン姉の方が遥かに柔軟。あたしの要望通り、きちんと妹として扱ってくれる。
「では、ルシア。オールストレームに時間を与えるのを考え直して。あの国を舐めては駄目よ。先日のザカライアの時だって、ただの騎士にシャロンがのされてたじゃない。そんなこと以前では考えられなかった。ちゃくちゃくと戦力を整えているのよ。恐ろしい国だわ。今のうちに叩き潰しましょう。それが最善よ」
「セイディ姉はちょっと時間を与えたくらいで、あたしが負けると思ってるの? あたしは、パパやママよりも強いのよ」
頬を膨らませ不満顔を装った。あたしはドランケン様のような神々を除けば、この世界で最強だ。
「……それでも心配?」
セイディ姉は表情を曇らせた。
「心配よ、貴女を見ていると、以前の自分を見ているよう。二つ目の紋章をもらい、万能感に酔いしれ、この世には敵などいないと慢心していた自分をね。その慢心のせいで、あのオールストレームの小娘に、私はやられてしまった。貴女には私と同じ轍を踏んで欲しくはないの。ねえ、ルシア。お願いよ、考え直して」
セイディ姉もシャロン姉も、数カ月前に初めて会った私を、きちんと妹として見てくれている、愛しんでくれている。そのことには、とても感謝している。だから、彼女達のため、精一杯がんばろうと思っている。けれど……、
「こんなこと言いたくはないけれど、ドラゴンの眷属に過ぎないセイディ姉やシャロン姉とは違うの。あたしはドラゴンそのものなのよ。一緒にしないで」
「それはわかってる、ちゃんとわかっているわ。それでも心配なの。この前帰って来た時、貴女の左手、あんなに腫れあがっていたじゃない」
「あれは、かっこつけて素手で剣を受けちゃったの。もう、あんなバカな真似は絶対しない。これからは気を付けるよ」
アリスティアの持っていた剣が普通の剣ではないのは、わかってた(だって、神力でバチバチだったもの)。でも、所詮、人が扱える程度のもの、大したことは無いと判断した。迂闊だった。そして……、
幸運だった。
「そう、ルシアがきちんと考えて、注意深い行動をとってくれるなら、もう何も言わない。でも、オールストレームには本当に気を付けてね。貴女はもう、見捨てられ、隠されていた王女じゃない、エトレーゼ、五百万の民を率いる女王なの、私達の主なの、それを忘れないで」
あたしは、頷いた。忘れない、約束する。
でも、セイディ姉。お母様はあたしを見捨ててはいないよ。三日に一度は来てくれた。お話をして、寝台から動けないあたしを慰めてくれた。何度言ったらわかるの?
セイディ姉はあたしの返事に安心したのだろう。それなら良いわと、執務室から出て行った。セイディ姉も、本当はわかっているはずだ。あたしが下した判断が、エトレーゼの為政者として間違っていないということを。大体、今回のザカライアへの侵攻だって、あたしの意図したことではない。単なる偶発的な惨事に過ぎない。
エトレーゼは大陸諸国の中では大きい方だが、人口は約五百万、それに対し、オールストレームは六倍の約三千万。今、オールストレーム王朝を倒してしまったら、どうなるだろう? エトレーゼ王朝がその代替となりうるだろうか? 答えは当然、否。
エトレーゼに、そのようなことを出来る行政組織や治安組織、その他もろもろの人材など、全く存在してはいない。つまり、エトレーゼには巨大国家オールストレームを管理する能力などありはしない、真の意味で、オールストレーム王朝に取って代わることなど出来はしないのだ。
本当は今までのように鎖国が良いと思う。けれど、他の国はエトレーゼの異質さを許さなくなって来ているし、あたしが女王になる前に、「エトレーゼ、対、大陸諸国連合」という対立の流れは出来てしまっていた。もう、この流れは止められない。遅かれ早かれ、エトレーゼは全大陸諸国を敵に回して戦わざるを得ない。
エトレーゼにはドラゴンのあたしがいるので、勝つことは出来るだろう。でも、その後は……、あたしは休戦協定で三年間の猶予を作った。その間に、エトレーゼ勝利後の大陸を統治できる、国力を育てなければならない。出来るか?、
無理だろうな、絶対無理。エトレーゼは人材が少な過ぎる。他の国と違い、エトレーゼでは忠の民の半分、貴族の男性が機能していない、女性だけで回さなければならない。人材不足になるのも当然の帰結といえる。それでもやるしかない、憂鬱だ……。
どうしたら良いのか、わからなかったのでパパとママに聞いてみた。
ホワイトドラゴン曰く、
『ホウッテオケ。ヒトナンテ ドウナッテモヨイ』
ブラックドラゴン曰く、
『エトレーゼジン イガイ、ゼンブコロセバヨイ。コレデ モンダイカイケツ』
ドラゴン丸出しな意見、ありがとう。
パパ、ママ。どちらも好きだけど、あたしは人との融合体。そんな暴論には到底、賛同出来ません。
大きなため息が出た。あたしはまだ七歳の少女。どうしてこんなことで悩まなければいけないのだろう? もっと子供らしく振る舞いたい。無邪気に、そして、時に残酷に……。
『はぇ? どうして死なないの? まだ、立ってるの?』
アリスティアの前では、それが出来た。
『きゃー、正解! お姉ちゃん凄い、ほんと凄い! どうしてわかるの!』
年相応に、はしゃぎ、彼女の前を跳ねまわった。心が湧き立った。
何故、アリスティアを前にして心が湧き立ったのか? その理由がわかったのは、このすぐ後。新月の闇の中、夜空の中、彼女の渾身の一撃を左手で受け止めた時。
予想もしていなかった激痛が左腕全体に走った。思わず呻きそうになったけれど、必死でこらえて平静を装い、彼女の剣の刃先をがっちりと握り締めた。そして、歓喜が巻き起こった。
見つけたよ! 見つけた!
あたしと対等になれる存在!
最強のドラゴンを傷つけることが出来る存在を!
愛は対等でなくても与えることが出来る。(ドラゴンにとって、人なんて対等じゃない)でも、対等な者に与える愛は格別。嬉しさが違う、楽しさが違う。身体から生きる喜びが溢れ出てくる。
『アリスティア。あたし、貴女のことが好きよ。大好きになった』
言葉が薄い、あたしの気持ちはもっと強烈。愛してる!
彼女をまじまじと見た。長い銀の髪は、あたしの灰色の髪のようにくすんでおらず光り輝き、整いきった小顔は、とても愛らしく美しい。美の化身といっても言い過ぎではない。どうして、最初、会った時点で気付かなかったのだろう?
まあ、いいや。美しさなんて、あたしには二の次、三の次。でも、美しいに越したことはない。お世辞を言っておいた。
『だって、こんなに奇麗なんだもん。アリスティアみたいに超絶に奇麗な人、あたし見たことない』
彼女は、漸く見つけた奇跡のような存在。でも、まだまだ。力が足りない、素早さが足りない、気迫が足りない。もっともっと努力しないと、あたしと真の対等にはなれはしない。
アリスティア、頑張って強くなってよ。あたしのために。
あたしは貴女をめちゃめちゃにしてあげる。だから、貴女も、あたしをめちゃめちゃにして。二人で苦痛を分け合いましょ。
生まれつき、体が非常に弱く、日々体の不調、苦痛と闘っていたあたしはよく知っている。愛は苦痛の中でしか育たない。辛いからこそ、他者との関わりが光り輝く。あたしはよく高熱に浮かされた。そんな時、忙しいお母様が、頑張って時間を作り看病してくれた。嬉しかった、本当に嬉しかった。愛という存在を心から感じた。
でも、ドラゴンになった今、あたしの体は強靭過ぎる。健康過ぎる。苦痛なんて何もない。生きている実感がない。真の愛を感じ取れない。
アリスティア、貴女にとって、あたしは、ただただ、不気味なだけの少女かもしれない。
でも、それは今だけ。
将来、あたしと貴女は、自らの国を背負って戦うでしょう。そして多分、どちらかが死ぬ。でも、あたしが死ぬとしても、貴女が死ぬとしても、死ぬ間際には、貴女は気づいてくれるでしょう。
あたしが貴女をどんなに愛していたか、
どんなに渇望していたか、を……。
あたしは、あたしの愛で貴女を包みたい、そして、貴女の愛に包まれたい。
あたしの望みはそれだけ、それだけよ。
慕ってくれる人達はいる。セイディ姉、シャロン姉、そして家臣達。でも、彼女達は対等じゃない。彼女達は、あたしに逆らえない。真の愛を交わす者にはなりえない。
あたしは最強。それは本当、そして嘘。大嘘。
あたしは弱い、あたしの心は本当に弱い。
助けて、アリスティア……、
淋しいの、辛いの、悲しいの。
一人は嫌なの。
助けてよ、お願いだから! アリスティアお姉ちゃん!!