赤い瞳
ルシアの件で、クローディア陛下を訪ねることにしました。
訪ねたのは三人。私、アリスティアとエメライン、そしてユンカー様。本当は、ことがことだけに、クローディア陛下に王宮に来てもらい、アレグザンター陛下の前で聴聞をするべきなのでしょうが、ユンカー様がお止めになりました。
「アレグよ、クローディア殿も一国の長とはいえ女だ。お主達、男の前では、話しにくいことも多かろう。ひとまず先に、私とアリスが話を聞いて来る。それでいいな」
「わかりました。お願いいたします、陛下」
オールストレームの真のトップはユンカー様。アレグ陛下が逆らうことはありません。
彼女が現在暮らしているのは、王国が貸与している第二離宮(元エルトレント大公邸)。ここにエトレーゼ亡命政権が立てられています。
離宮に到着し、彼女の執務室に入ると、そこには、クローディア陛下、王配フレドリック様、第一侍女のレイラ様が、待っておられ、ユンカー様の前に跪かれました。
「ユンカー陛下、私が王として不甲斐ないばかりに、オールストレームに多大なご迷惑をかけ続けております。伏してお詫び申し上げます。何卒、深き慈悲を、何卒……」
「母上……」
エメラインをそっと見ました。彼女は下を向いて歯を噛みしめています。かつてエトレーゼに女王として君臨していた母が、他国の王に跪く姿を見るのは、さぞ辛いことでしょう。
「クローディア殿。不甲斐ないのは王としてだけか? 女として、母としてもそうではないのか?」
「…………それは……」
クローディア陛下の顔面は蒼白でした。沢山の汗が額に浮かび滴っています。彼女の様子を見るに、ルシアが言ったことは……。
「母上、アリス様が昨日戦ったルシアという少女は、本当に母上の娘なのですか? 私の妹なのですか?」
堪えきれなくなったエメラインが、問いかけました。でも、クローディア陛下は下を向くばかり。
「答えて下さいませ、母上!」
エメラインの声は激しくなり、叫び声に近くなっていました。それを黙って見ていることが出来なかったのでしょう。第一侍女のレイラ様が、割って入られました。
「エメライン殿下、私がお答えします。ルシア殿下は陛下の娘です。確かに、貴女様の妹君です。殿下は、王宮の隠し部屋で育てられ、私の妹達が世話をしておりました」
ルシアが言ったことは本当でした。言質が取れました。
クローディア陛下は自分の娘にも頭を下げました。
「ごめんなさい、ごめんなさい、エメライン。愚かな母を許して下さい」
「母上、謝罪は後で結構です。どうしてルシアを、普通に王女として、私達の妹として育ててくれなかったのですか! どうしてです!」
クローディア陛下は泣き伏されて、エメラインの問いかけに答えることが出来ません。私はエメラインの肩に手を添えました。震えが、彼女の怒りが伝わって来ました。
「ねえ、エメライン。親に向かってそういう言い方は止めよ。止めようよ、ねっ」
「アリス様……」
エメラインの気持ちはわかります。母に、長年、謀られて来た、裏切られて来た、そう思うと悲しくて辛くてやりきれないのでしょう。でも、ここはグッと抑えて、抑えるのよ、エメライン。
私はクローディア陛下の方へ向き直りました。
「陛下、お辛いとは思いますが、事情をお話下さいませんか。これは国と国との大きな問題でもありますが、その前に、貴方達家族の問題であるのです。そろそろ、勇気を出されませ。エメライン殿下に全てを話して上げて下さい。お願いします」
クローディア陛下は顔を上げて下さいました。
「……わかりました。このような情けない様をお見せし、まことに申し訳ありませんでした」
情けなくはありませんよ、陛下。頭を上げ、前へ向かえる者は情けなくは無いのです。
クローディア陛下はエメラインの顔を、目を、しっかりと見つめられました。
「エメライン。ルシアは貴女が六歳の時に産んだ娘です。私のお腹が大きかったのは覚えているでしょう」
「六歳の時……、あの時は流産、死産だったと聞きました。そうではなかったのですね」
「ええ、死産などではありませんでした。ルシアはちゃんと生まれました。でも、あの子は、生まれた時から体が大変弱く。魔力も持っていませんでした。」
「体が弱く、魔力も無い……。それが、ルシアを隠した理由ですか? 母上」
エメラインの口調はかなり和らいでいましたが、まだ険がありました。
「それも理由です。でも、一番の理由は……、あの子の、ルシアの父親は、私の三人の王配のいずれでもありません。そして、エトレーゼ人でさえないのです」
「そんな、母上は、外国人と不義を……」
エメラインは母親の不倫に驚くと同時に、その相手が外国人だったことに、より驚いているようでした。何故に? 私の訝る気持ちが顔に出たのでしょう。クローディア陛下が説明を下さりました。
「アリスティア嬢、エトーレゼにはエトレーゼの女性はエトレーゼ男性としか契ってはならないという国是があります。私はエトレーゼの女王でありながら、自ら国の禁を破ってしまったのです」
どうしてそのような禁が……と思いましたが。直ぐに理解しました。要するにエトレーゼにおける女性優位を守る為でしょう。外国の男性の血を入れてしまうと、欠陥のあるものではなく、普通の正常な眷属の紋章を貰える男性が出る可能性があります。つまり、エトレーゼにおける女性優位が揺らぎかねないのです。だから、禁じた、国是としたのでしょう。どこでも同じです。既得権益を握った者は絶対手放そうとはしません。
「母上、ルシアの父親は誰ですか? どのような方なのですか?」
クローディア陛下は目を伏せ、顔を横に振られました。
「名前は知りません。今となっては顔さえも……。ただの行き摺りです。酒場で出会い、一夜を共にしただけの関係なのです」
「母上、どうしてそのようなことを……。恥ずかしくないのですか? 情けなくないのですか?」
私やエメラインのような思春期真っ只中の若者には、特有の潔癖感があります。愛の無い行為には如実に反発してしまいます。
自らの娘からの非難に、クローディア陛下は返す言葉が無く、俯き、眉間に皺をよせ、必死に耐えておられます。これは陛下自らの行いが招いたこと、仕方が無いこと。自業自得……。
でもね、エメライン。誰にだって過ちはある。貴女だって、出会った頃は、咎の無い侍女を、怒鳴りつけていたじゃない。もう忘れた? 忘れてしまったの?
「エメライン、もうそれ以上責めないでやってくれ。クローディアが、そのような間違いを犯すまで、追い詰めてしまったのは私だ。私が一番悪いんだよ」
今まで、黙っておられた王配のフレドリック様が、口を開かれました。
「父上が、一番悪い? それはどういう意味ですか?」
「私はクローディアの王配に選ばれる前から、エトレーゼの貴族男性の境遇を憂慮していた。とても腹を立てていたんだ。それ故、王配に選ばれ、クローディアと夫婦になり、彼女が男性への差別感情を殆ど持っていないと知った時、クローディアに訴えたんだ。男性の地位を、扱いをもう少しなんとかしてくれ、お願いだ……とな」
フレドリック様はクローディア陛下の肩を抱かれ、自らに引き寄せられました。
「クローディアは優しく聡明な女性だ。私の進言をきちんと聞いて、対処すると約束してくれた。あの時程、嬉しかったことはない」
陛下はフレドリック様の胸に顔を埋めてしまっています。こうなっては彼女に、エトレーゼに君臨した女王、絶対者としての姿はありません。そこにあるのは、か弱き女、一人の男性、夫を頼る妻の姿です。
でも、それでいいじゃないですか。彼女は今まで、誰にも甘えることが出来なかった。出来ない立場でした。それはどんなに辛いことだったでしょう。
「エメライン、母上が、男性用の爵位を作ろうとし、法案を提出したことは知っているだろう」
「ええ、知っています。でも、家臣達の猛反対で廃案になったと……、そう聞いています」
「クローディアは本当によくやってくれた。最後の最後まで家臣達を説得しようとしてくれたんだ。でも、私は馬鹿だった。彼女が素晴らしい魔力量を持った女王故、本当に絶対者だと思ってしまっていたんだ。だから、クローディアを、愛する妻を詰ってしまった……」
どうして、もっと努力しない! 誠意を尽くさないんだ!
「あの時のクローディアは本当に辛かった、悲しかったと思う。私と家臣達との板挟みだ。一時の過ちを犯してしまったとしても誰が責められるだろう。すまなかった、クローディア。悪いのは私だ、愚かで残酷だった私を許してくれ」
「あなた……」
エメラインは自らの父と母の姿をじっと見つめていました。目が少し潤んでいます。私はエメラインに尋ねました。
「何が悪いのかしら? 何が二人を追い詰めてしまったのかしら?」
「悪いのはエトレーゼの社会制度です、アリス様。余りにも行き過ぎた女性優位、それが諸悪の根源です」
エメラインは、はっきりと答えてくれました。もう彼女は大丈夫。
クローディア陛下の話で、一つ疑問に思うことがありました。重箱の隅かもしれませんが聞いておきましょう。残しておくと後後気になります。
「クローディア陛下。一つお聞きして良いですか?」
「ええ、何でしょう」
「陛下はルシア殿下を、外国人との間に出来た子供だから隠したと仰られていましたが、他の者から見て、ルシア殿下がどうしてそうだとわかるのです? 言わなければわからないじゃないですか」
陛下は答えをくれようとしましたが、ユンカー様が先に言ってくれました。
「それは私が答えよう。ルシアの目が赤いからだよ。他の国にはおるが、エトレーゼ人に赤い目のものはおらん。そういうことだ」
「へー、そうなのですか。ユンカー様は物知りですね」
「当たり前だ。だてに二百十数年も生きておらん」
自慢気にそっくり返るユンカー様。二百十数年生きても、謙虚さは学ばれなかったようです。でも、尊敬はしております。ユンカー様の視野は広く、私が見落としたものを、よく教えてくれます。はっとさせてくれます。
今回もそうでした。
「クローディア殿、セイディとシャロンが何故、そなたを拷問したのか教えてくれんか。ルシアと関係あるのだろう」
「陛下、慧眼おそれいりました。そうです、二人がルシアを見つけたからです。ルシアを見つけなければ、拷問まではしなかったでしょう」
「母上、私には話が見えません。どういうことですか?」
エメラインにはわからないようです。持つ者は持たざる者のコンプレックスには鈍感になるものです。
「セイディとシャロンは、ルシアに自分を重ねて考えたのです。『エメラインより魔力の少ない自分達は母に冷遇されて来た。そして、魔力が全く無いルシアにいたっては生まれなかったことにされ、隠し部屋に軟禁されてきた。自分達三人はなんて可哀そうなんだ。そして母上は、なんて酷い母親なんだ』と……」
「曲解もいいところです。姉上達は別に冷遇などされておりません。ルシアにしても母上は軟禁なんてされてないでしょう?」
「ええ、そんなつもりはありません。彼女の身の振り方はいろいろと模索していました。それに、ルシアがあの部屋にばかりいたのは寝台から出れる体力がなかったからです。少しでも体に負担がかかると体調がみるみる悪化しました。部屋で介護する以外どうしようもなかったのです」
「だったら、それを姉上達に言えば良かったじゃないですか」
「二人には何度もそう言いました。でも、言い訳をするなの一点張りで、聞く耳など持ってくれませんでした」
「そんな……、姉上達がそこまで愚かだったなんて……」
ユンカー様がエメラインを諭されました。
「エメライン、人は、見たいものしか見ないものだ。お前の姉達は、クローディア殿を悪だ、残酷な母親だと思ってしまった。もう、そうなっては、言葉は届かない。悪いようにしか考えないのだ。これは悲しい人の性。どうにもならん」
ユンカー様が言っていることは、本当にそうだと思います。人は見たいようにしか、ものを見ません。セイディとシャロンはもう駄目でしょう。母親を拷問するまでになってしまった者の心が解けるとは思えません。
でも、まだルシアの方は、望みがあるかも……、私との会話は殆ど噛み合いませんでしたが、彼女の口からは、母親、クローディア陛下に対する恨みごとなど一言も聞きませんでした。
クローディア陛下に向かって問いかけました。
「陛下、教えて下さいませ。ルシア殿下はどのようなお子様でしたか? 何を好み、何を望んでおられましたか?」