我が家にて
私が、ユリア・フォン・ベイジルになってから三日経ちました。
ベイジル家の方々、義父様(宰相閣下)はもちろんですが、義母様、義兄様方も、異人種の私を暖かく迎え入れてくれました。
ベイジル家に来た時、これからどのようにやっていこうかと考えました。最初はカインだった時のようなノリも、フランクで良いかなとも思ったのですが、養女とはいえ、ベイジル家待望の娘なのです。男か女かわからないようでは、がっかりされることでしょう。ここはちゃんと令嬢らしくいきましょう。
『アリスティアさん。真の令嬢とは、ワタクシのような者のことなのです。格の違いに、ひれ伏されるがいいわ、オーホッホ! オーホッホ! オーホッホ!』
ダメです。こんなのは悪役令嬢です、婚約破棄され、国外追放です。普通に行きます、普通の令嬢が一番です。
私は、ふーっと息を吐くと、本を閉じて膝の上に置きました。
『マリアお母様、この詩集は素晴らしいですね。詩人の魂の躍動が、情感豊かな描写に乗せて心に響いてきます。まるで、ハイネを読んでいるかのようです。私、気に入りました」
「そう。そのハイネという詩人は知りませんが、ユリアちゃんが気にいってくれて良かったわ」
そう言って、マリアお母様は、ニコっと微笑まれました。
マリアお母様。マリア・フォン・ベイジル。42歳。
宰相閣下、バーソロミュー・フォン・ベイジルの第一夫人。第二以降はいない。息子が三人。
栗色の髪に灰色の目、少し地味だけれど、柔和な顔立ちの美人さん。性格も、容姿通りとっても穏やか。(このことには心底ほっとしました。初めて出来るお母様が、ヒステリータイプとかだったら、どうしようと内心、びくびくしていたのです)
「ユリアちゃん。そろそろ、お茶にしましょう」
「はい、お母様」
マリアお母様は、私、ユリアが本当の人ではないことを知っています。養女になる前、お父様、宰相閣下に、私のお母様になってくれる奥様には、私の正体を話しておいて欲しいと頼んだのです。
私には、最初から親はおりません。そして、親を持てるとも思っていませんでした。今、夢の中にいる気分です。ですから、義理とはいえ、母親になってくれる人に多くの嘘はつきたくないのです。どうしてもつかなければならない嘘はあります。でも、お父様についている嘘以上の嘘はつきたくないのです。
お父様は、私の気持ちをわかってくれました。マリアお母様も最初は驚いたようですが、最終的に、
『初めて持てる娘が、そのような珍しい子なんて、私達はとっても幸せね。色々お話を聞かせてもらいたいわ』
と、言ってくれたそうです。大きなお心をお持ちの御方です。そして、好奇心も……。
「まあ、そのような神がおられるの!」
「ええ、お母様。神、神々とおっしゃいましても、嫉妬深い方、ちゃらんぽらんな方、律儀な方、等色々です。皆それぞれです。そういう意味では人と同じなのです」
「そう、色々なの。私、十二の聖典を読み比べて、神々のお考えは、教会が言ってるほど、統一はされていないと思っていたの。間違っていなかったのですね。良かったわー」
お母様は両手を合わせて、喜びを表現されています。微笑ましいと思いつつも注意させてもらいました。
「お母様、これはここだけの秘密の話ですよ。教会の方々に聞かれたりしたら大変ですから」
「わかりました。誰にも喋りません。ああ、でも、とっても幸せな気分。うちは男ばかりだったでしょ、少し寂しかったの。可愛いユリアちゃんがうちに来てくれて、こうやってお茶出来て、親子で秘密を持てるなんて。なんて素晴らしい幸福なんでしょう。神々よ、感謝致します」
お母様が、神々に感謝の祈りを捧げられたので、私も捧げておきました。
神よ、バーソロミューお父様と、マリアお母様の娘にして下さり、ありがとうございます。いつまで、娘をしていられるかわかりませんが、誠心誠意、娘として尽くしたいと思います。
マリアお母様が、あまりに喜んで下さったので、サービスしてあげたくなりました。立てた人差し指を唇にあて、ウインクをします。
「お母様、これからお話することも絶対の秘密ですよ、将来のいつか、教皇様が発表なされます、それまで絶対漏らしてダメですからね」
マリアお母様のお顔が、喜色に輝かれました。
「神々は、十二柱ではありません。本当は十三柱なのです。その新たなる十三番目の神の名は、キャティ。流浪の神、キャティ神です」
以前、私は、キャティ神に眷属の紋章を下さいと、祈ったことがありました。アリスティアを守れる力が欲しかったからです。
力と言っても、眷属の紋章の力が欲しかった訳ではありません。紋章が紡ぐ術式など、私には不要です。私が欲しかったのは、紋章を貰うことにより出来るキャティ神との繋がりです。紋章はそれを与えた神と繋がっていいます。他の者には無理ですが、私ならその繋がりを辿ることが出来ます。
そうです、紋章をもらえば、キャティ神の居場所がわかります。直談判しに行けるのです。(最初はアリスティアの紋章から辿ろうとしましたが、無理でした。紋章は眷属でない私に、繋がりを辿らせてくれません)
キャティ神よ。私に差し出せるものであるなら、何でも差し出します。私にドラゴンに対抗出来る力を下さい。最愛の主、アリスティアを守れる力を……。
私は対神々用の結界を解除し、真摯に祈りました。でも、キャティ神は私の祈りに答えてくれませんでした。私の右手首の裏側は未だ奇麗なままです。
私の気持ちが、意志が、願いが、神に認められる程のものではないのでしょうか……。
悔しいです、とても悔しい。
夕方になり、お父様と、お兄様方がお戻りになられました。
今日で、家族全員で一緒にとる夕食も三回目、少し慣れて来ました。昼間は出かけられていて、会える時間の少ないお兄様方とは、まだぎこちない気もしますが、上手くやれそうな気がしています。
「ユリア、時間があったらで良いんだが、回復魔法を教えてもらえないか? どうしても第三段階で止まってしまうんだよ」
「いいですよ、マイルズお兄様。では、明日の午前中は如何でしょう。たしか王宮のお勤めは休みでしたよね」
「ああ、頼む。回復使えると使えないとでは、貴族として天と地の差がある。上手くなったら一生、食いっぱぐれはない。助かるよ」
「ちょ、マイルズ。お前、狡いぞ」
「そうですよ、マイルズ兄上、抜け駆けは止めて下さい」
「狡い? 抜け駆け? オスニエル兄上も、ニコラスも何を言ってるのか、わからないなー。せっかく魔術万能の可愛い妹ができたんだ。教えて貰わない手はない。勉強だよ、勉強。俺は向学心の塊なんだ」
「マイルズ兄上が、向学心!」
「ウソはもっと上手くつけ。可愛い妹って、下心がもろばれだ」
「し、下心とは聞き捨てにできない、兄上だってだな……」
この後、兄上方は、ああだ、こうだ、言い争っておられましたが、結局、三人に教えることになりました。まあ、その方が、一気に三人と親しくなれて良いかもしれません。そして……。
先ほどのマイルズお兄様の、お言葉は凄く嬉しいものでした。
可愛い妹……。殿方から、可愛いなどと言われたのは初めてです。例え、妹としての形容であっても、嬉しいことに変わりはありません。
それに、私の外見は、野乃。私は野乃の心から生まれたのです。その野乃を可愛いと思ってくれている……。私は、三人のお兄様が大好きになりました。
良い妹になろうと思います。お兄様方が、誇れる妹に。
夕食が終わった後、マリアお母様が仰られました。
「ユリアちゃん。今晩、私の部屋で眠らない? せっかく、親子になったのですから、一度くらいは一緒に寝てみたいわ」
「お母様がそうおっしゃってくれるのでしたら、是非。でも、私みたいな大きな娘でも良いのですか、私はもう十五ですよ」
私の言葉に、お母様は苦笑いされました。
「貴女も年をとるとわかるわ。十五なんて子供よ、子供なの」
私は、その晩、マリアお母様の寝室で、お母様と一緒に寝ました。よく考えると誰かと一緒に眠るのは初めてでした。アリスティアとはいつも一緒に眠っておりますが、500円玉の状態、携帯されているだけです。全然違います。
一緒に寝てわかったのですが、マリアお母様は着やせするタイプ。お母様の体は大変柔らかで、横に寝て、少し接しているだけでも、包み込まれるような感じを覚えました。
「ユリアちゃん、もっとこっちへいらっしゃい」
そう言って、お母様は、私の体を自分の方へ引き寄せられました。私はすっぽりとマリアお母様の胸の中におさまりました。私を引き寄せたマリアお母様の左手は私の頭にまわり、優しく髪を撫でてくれています。なんという安心感でしょう。この世界に来てこれほどの安心感を感じたことはありませんでした。嬉しかった、嬉しかったです。
「お母様、どうしてここまで優しくして頂けるのですか? 私は人でさえないのに」
「人であるとか、人でないとか、そんなことは関係ありませんよ。貴女が頑張っているから、必死に頑張っているから、優しくしてあげたいのです」
「私が頑張っている……?」
「ええ、バーソロミュー、あの人から聞きましたよ。貴女の寝顔は本当に苦しそうだって。神から使命を与えられているのですものね。苦しんで当然、私だったら、きっと、その重圧に耐えられない。貴女は偉いわ、ほんと偉い。そんな子が、自分の娘になってくれたのよ、優しくしないでいられる訳がないでしょ。ね、ユリア」
マリアお母様の手が、ぽん、ぽんと私の背中を優しく叩かれました。もう、我慢できませんでした。私は、お母様にしがみつきました。
「あらあら、さすが神の御使いですね。力の強いこと」
「お母様、私は良き娘になります! 貴女の良き娘に、絶対に、絶対にです!」
私の唐突な意思表明に、お母様は一瞬、驚かれていましたが、すぐにいつもの柔和な感じに戻られ、言ってくれました。
「ありがとう、ユリア。では、二人で頑張って、良き親子なりましょう。約束ですよ」
「はい、お母様。約束いたします」
この後、お母様と色々とお話した筈ですが、ちゃんと覚えておりません。ただ、お母様の手がいつまでも私を抱いていてくれたことは覚えています。
翌朝、私は、マリアお母様より先に目が覚めました。ゆっくりと上半身を起こし、寝ぼけた眼をこすろうと、右手を顔に持って来た瞬間、違和感を感じました。
私は右手を、右手首の裏をまじまじと見ました。
「うそでしょ、どうして今になって……」
そこには紋章が刻まれていました。アリスティア達と同じ、
キャティ神の眷属の紋章が。
カイン改め、ユリア。雰囲気が違い過ぎますが同一人物です。こっちの方が素です。