令嬢教育
2020/06/16 ラストの会話、少々変更しました。
2022/12/12 マルドフォード公爵家が、マイスネル公爵家になっていた誤記を修正。
「アリス姉様~」
エルシミリアが、部屋に入って来た。ノックも無し、いつもきちんとしているエルシーにしては、珍しい。
私は、ジョナスとマーゴット、ウォルシュ兄妹の絵コンテの添削をしている最中だった。
私のマンガ事業計画は、とてもゆっくりとした速度で進んでいた。エトレーゼ関連で、ごたごたしていたこともあるが、ウォルシュ兄妹による分家、新ウォルシュ家の創設に、かなりの時間を取られたせいだ。
陛下は私の請願通りに、新ウォルシュ家に準男爵位を与えてくれた。しかし、爵位だけでは貴族家は成り立たない。宮中伯などのように領地を持たない貴族もいるが、普通は、領地と領民を持ち、そこからの税収で財政を維持する。
新ウォルシュ家は本家とは違い、オルバリスに作られ、私の寄り子となる。準男爵家として成り立つ最低限の領地は私が与えねばならない。私は自分の資産(陛下から頂いた報奨金等)を取り崩し、ゲインズブラント家の寄り子達から購入した。これはとても大変だった。領地は貴族の生命線。少々の金を積んでもなかなか売ってくれない。予想の倍額かかった。
まあ、これも投資である。新ウォルシュ家は、ゲインズブラント家ではなく、私の寄り子、私、アリスティアの個人的家臣なのである。私が嫁いで、ゲインズブラント家を離れたとしても、ジョナスとマーゴットとの関係は変わりはない。稀有な才能を持つ二人を、私の下に繋ぎとめる最良の方法だと思っている。
私は、修正中のコンテを引き出しに片付けた。
「お帰り、エルシー。カインは?」
「私の部屋で、キャロライナやサンドラと盛り上がってます。先ほどの、お茶会であれだけ喋ったのに、よく疲れないものです」
「なんだか、お疲れね」
「はい、とっても疲れました。いえ、違いますね、自信を失くしました」
エルシミリアは私の机に両手をつき、ガクッと項垂れた。
「?」
今、エルシーにはカインの令嬢教育を頼んでいる。教育だけではなく、カインの服、ドレスの選定なども頼んでいる。さすがに令嬢がセーラー服では格好がつかない。エルシーのファッションセンスは飛び抜けて良いという訳ではないが、無難にまとめるのは本当に上手。彼女に任せておけば、恥をかくことなど有り得ない。
カインのドレス姿を初めて見た時は、びっくりした。カインの姿は前世の私、日本人の葛城 野乃の姿。こちらのドレスなど似合うのかしら? と少々危ぶんでいたのだが、エルシミリアの選んだ、黒のアフタヌーンドレスを身に纏い、それにあったハットを被ったカインはとても様になっていた。
とにかく、異国の令嬢と言われれば、そう思ってしまうレベル。まず、疑われることはないだろう。
「アリスティア様。私の装い、如何でございましょう、合格点を頂けますか?」
ドレスの裾を両手で少し持ち上げたカインが、とてもお淑やかな表情で聞いて来た。
「…………… 合格 ……」(小声)
「あら、聞こえませんでしたわ。もう少し大きな声でお願いいたします」
「合格よ、合格!」(大声)
くそ、こういうのも似合うのだったら、前世でもっと冒険すれば良かった。フェミニンなモノは、あまり似合わないと決めつけていた。バカ、バカ、バカ、前世の私のバカ!
私の返事を聞いたカインは、とても嬉しそうだった。頬を赤らめてさえいた。
何が、「コインに性別はありませ~~ん」よ。ちゃんと、女の子じゃない。よし、決めた。これからはカインを、女の子扱いしよう。そうすれば、私への態度ももう少しソフトになるだろう。
エルシーにマナーの基礎を叩きこまれたカインは、実践に向かうこととなった。お茶会。公爵家でのお茶会に招かれた。
もちろん、最初に招かれたのはエルシミリアだけ。「一緒に連れて行きたい友達がいるのですが……」で、カインの出席の了解を得た。
「いきなり公爵家! もっと地味な所から始めるべきでしょ」
「大丈夫ですよ、アリス姉様。ベアトリス様のところですから」
「あー、あのベアトリス様のところ」
ベアトリス・オールストレーム、マルドフォード公爵家の長女。王族。とってもさばけた性格。彼女ならマナーがどうこう、そんなに細かくは気にしないだろう。
ちなみに、ベアトリス様は、エルシーファンクラブの会長であり、かなりのやり手。
写真の如き、映像転写の魔術の使い手、ポーリーナ・フォン・フォトンを、すぐに囲い込んだ手腕は見事だった。私ももっと早く知っていれば……。勿体ないことをしたものだ。
机に両手をついたままのエルシミリアに、私は尋ねた。
「で、どうでした? お茶会でのカインの令嬢ぶりは。恥をかきませんでしたか?」
エルシーは大きく首を横に振った。もうダメ……という感じ。あー、これはかなりの恥をかいてしまったかー。まあ、仕方ないよね。元々令嬢でも何でもないカインが、初のお茶会だもの。失敗して当然。
「ごめんね、エルシー。でも、カインも失敗したくてした訳じゃないだろうから、許してやってね」
「失敗などしてません。その反対です」
「へ?」
「カインの令嬢ぶり、完璧なんです。非の打ち所がありません。最初のカーテシーから、お別れの挨拶まで素晴らしかったです。あれではオルコット先生でも文句はつけられません」
「嘘でしょ? カインは元々メダルよ。令嬢でもなんでもないのよ。それなのに、エルシーからちょっと教えて貰ったくらいで、完璧になれる訳ないでしょ! お願い、嘘だと言って嘘だと!」
懇願する私を、エルシミリアが悲しそうな目で見た。
「わたしもそう思いたいです、ですが、事実です。カインは、マナーだけでなく、ベアトリス様達との会話も完璧でした。とても話し上手で、ベアトリス様が話に夢中になるあまり、わたしの存在を一時忘れてました。あのベアトリス様がですよ」
そう言ったエルシミリアは、ふらふらっと私の寝台へ行き、バタンと突っ伏し沈黙の行に突入した。私も椅子の上で呆然とする。
私達は敗北感に打ちひしがれた。
私とエルシミリアはゲインズブラントの双珠と称えられ、令嬢として高い人気を誇っている。しかし、しかしだ。その私達でさえ、お茶会や社交に関する失敗は数々ある。どんなにマナーを学ぼうが、楽しい会話をするための話題のストックを貯めようが、想定されていない展開は必ず起こる(急に誰それの悪口大会が始まるとか)。それに対し適切に処するのは、ほんと難しい。私はともかく、私よりずっと頭の回転の速いエルシーだって難儀するのだ。
それなのに、それなのに、令嬢初心者のカインがあっさりこなしてしまうなんて……。これで敗北感を覚えなければ、何で覚えれば良いのだ。
「エルシー、私達の人生って何だったんでしょうね。オルコット先生に叱られまくって、なんとか、かんとか身につけたのにね」
「ですね。よく叱られました。あまりに叱られたので、腹が立って、先生の靴に……」
まさか、画鋲を! それはダメ、それは人としてやってはいけないことよ、エルシー!
「ナメクジをいれたことがあります」
「ナメクジ! それはダメ。それは人としてやってはいけないことよ、エルシー!」
「はい、反省しています。オルコット先生にお会いする機会があれば、謝ります」
「そうね、それが良いわ。私も一緒に謝ってあげる」
「お姉様……バカな妹で申し訳ありません」
「何を言ってるの。エルシーは私の半身、大事な大事な妹よ。バカだなんて絶対思わないわ」
「アリス姉様……」
「エルシー、私達はこの屈辱を乗り越える。乗り越えて、諸悪の根源、カインに目にものを見せてやるのよ」
「はい、アリスティアお姉様!」
「エルシミリア!」
ガシッ! 私達は抱き合った。
「うう、なんて素晴らしい姉妹愛でしょう。私なんか、姉達とはあんな関係なのに。尊い、尊過ぎます、アリス様、エルシミリア様! うう」
横で、最初から見ていたエメラインがもらい泣きをしている。
いや、エメライン。私もエルシーも真面目にやってる訳じゃないから、やけくそでコントもどきに突入しただけだから。シリアスじゃないから、こんなのまともにとっちゃだめ。
「わかりました。お二人の代わりに、私が諸悪の根源のカイン様に制裁を加えてきます。どうか、ここでお待ち下さいませ!」
そう言って、エメラインは部屋を飛び出して行った。あの子、もう取り返しがつかないかも。あんな子だったっけ? 誰のせい?
この後、エメラインは戻ってこなかった。
エルシミリアの部屋からは、カイン、キャロライナ、サンドラ、そしてエメラインの楽しそうな声、和気あいあいとした声が、聞こえていた。
「カイン様、アリス様のことをもっと教えて下さいませ。エメラインはアリス様の全てを知りとうございます!」
「エルシミリア様も、エルシミリア様のもお願いします! カイン様!」
「困りましたねー、では、これは二人が初めて喧嘩した時のこと」
彼女達の団欒は何時までも続いた。
アリスティア達が学院に行ってる間。侍女達は何をしているのでしょう? 結構優雅な生活かもしれません。