戻る日常
オークヘルム平原での対戦から、十日ほどたった。日常が少しずつ戻って来ている。
あの対戦では、セイディとシャロンには勝ったけれど、彼女達の援護に現れたドラゴン、黒竜に、けちょんけちょんにされたため、成果は殆ど得られなかった。得られないどころか、ドラゴンが敵にいるという、とんでもない恐怖が、オールストレームにのしかかって来ている。
しかし、救いはある。光の精霊アスカルトがこちら側にいるということだ。彼女は陛下の精霊石を棲家にしている。
ドラゴンは力、戦闘力ではアスカルトを含め私達を圧倒しているが、精神的に、アスカルトがとっても苦手なようだ。こちらにアスカルトがいる限り、簡単には攻めてこないだろう。光の精霊様には感謝したい。感謝はしたいが、
『アタシ、ブラックちゃんの黒歴史なんて、いっぱい知ってるもんね。イヒッヒヒヒヒ~』
「こんなのが、光の精霊って……」(小声)
耳ざといアスカルトが、睨んできた。
「アリスティア、今、アタシの悪口言わなかった?」
「滅相も無い。尊き光の精霊様に悪口なんて言いませんよ。言う訳無いじゃないですか。ねえ、エメライン」
目で合図を送った。『はい』と言って。
「はい、アリス様は仰ってません」
エメラインは私に対して、犬の如き従順さ。これではどちらが、王女様かわかったものではない。
「そっか、そんなら良いわ」
今、私達がいるのは、学院の寮。私とエメラインの二人部屋。
アスカルトは、この部屋によく遊びに来る。初対面時、アスカルトに「どブス」呼ばわりされた私であるが、何度かアスカルトと話すうちに、仲良くなった…… と言いたいところであるが、そうではない。私とアスカルトの仲は、未だに微妙。では、何故、アスカルトが私とエメラインの部屋によく来るのか?
アスカルトの目当ては、カイン。野乃の姿になったカインである。
アスカルトは、百七十年近く、オールストレーム初代王によって封印されていた。それを解放したのがカイン。そのことを知ったアスカルトは、カインに感謝した。
「アタシの精霊力でさえ解除できなかった、あの忌々しい封印を打ち破るなんて、なんて凄いの! なんて御礼を言ったら良いのかしら!」
そして、懐いた。
「カイン様は、アタシの恩人。これからは『カインお姉様』と呼ばせて頂きます。それにしても、カインお姉様は、お美しいです。アタシと並べる美しさです」
「そう? 照れちゃうなー。アスカルトちゃんは良い子だね」
「はい、カインお姉様。アスカルトは良い子です!」
初めて会った時の、アスカルトを知っているくせに、カインはあっさり攻略された。カインがこんなチョロインだったとは知らなかった。情けない。私の中で、カインの参謀として地位が、ガクンと下がった。その分、エルシミリアの評価が上がる。エルシー、頼りにしてるよ~。
アスカルトは、部屋に来るたび、カインの容姿を誉めそやした。あまりに何回もなので、少々腹が立って来た。
「ちょっと、アスカルト。どうしてカインは『お美しい』で、私が『どブス』なのよ。この評価の違いは何よ。ちゃんと説明してよ」
エメラインも援護してくれた。
「そうです。アスカルト様の目は節穴です。アリス様ほど、お美しくて麗しい見目の方はございません。私、一日中だって見続けていたいです。勿体ないので、瞬きだってしません!」
いや、エメライン。貴女いつも極端過ぎ。瞬きくらいしようよ。しないと目が充血するよ。血走った目で一日中こちらを見て来る女の子。はっきり言って怖いよ。これはもう、ホラーだよ。
エルシミリアにしろ、コレットにしろ、エメラインにしろ、どうして私の周りの娘は、こうなのか? MY神様。私何か悪いことしましたか?
「節穴? 千年を超える時を生きて来た、このアタシの審美眼に文句付ける訳? カインお姉様の希少的な美しさに比べれば、アリスティアみたいな、ありきたりなタイプはすぐ飽きるわ、飽きるものはダメなの! 見てなさい!」
アスカルトが私を見つめて来た。じー。
「ああ、もう飽きた、飽きちゃった。凡庸なるアリス、アタシの視界から消えて下さって結構よ」
「いくら光の精霊様とて許せません! 今の言葉、撤回してください! そうでないと実力行使に出ますよ!」
エメラインが怒りまくった。クローディア陛下の時並みに怒っている。そこまで、怒らなくても良いと思うのだが、それほど私のことを思ってくれているということか。じ~ん。少し感じ入る。エメラインは現在、国を追われている大変な状態でもあるし、彼女には、もっと優しくしてあげよう。
「い~や。誰が撤回なんてするもんですか。お尻、ぷー!」
お尻、ぷー! って子供か! まあ、アスカルトは見た目、六才くらいなんだけど、生きてる年数はとんでもない。この中では最高齢も、最高齢。それが、お尻、ぷー。
「きーっ!」
エメラインが、ついに実力行使に出た。アスカルトに一瞬で距離を詰めると、ヒシッと、ガシッと、アスカルトを抱きしめた。こ、これは!
窒息攻撃!
相手の顔を胸の谷間に押し込み、息を出来なくさせる。エリザベートお母様や、エメラインのように、豊満な胸を持つ者、選ばれし者だけが出来る高度な攻撃。
私、エルシミリア、コーデリア、ぺったんトリオには絶対出来ない……。
あー 羨ましい。エメライン、めっちゃ恵まれてるやん。優しくしようと思ったけど止めた。もう少し厳しくする方向で……。
「どうです、撤回しますか? 撤回すると言って下さい!」
「むが、もが、あぷ!」
いや、エメラインその状態じゃ撤回するも、何もあったもんじゃない。口きけないでしょ。
「まあ、まあ、エメライン殿下。そのへんにしといてあげてよ」
そろそろ助けねばと思っていたところ、カインが先にアスカルトを助けてくれた。
「エメラインのアホー! 殺す気かー! あんな死に方したら、末代までの大恥よ! 精霊界の笑いものになっちゃうじゃないの! スカポンタン!」
アスカルトは怒り心頭。でもエメラインの方は、すっきりとした顔。アスカルトにそれなりの罰を与えられたので満足したようだ。
「まあ、まあ。アスカルトちゃんも、そのへんで。僕と一緒に散歩でも行こうよ。今日は、とっても良い天気なのに部屋に籠ってるなんて勿体ない。絶対、外の方が楽しいよ」
うわ、あのカインが、面倒見の良い優しいお姉さんに見える。
そう言えば、野乃の頃、隣に、六つ下の女の子、紬ちゃんがいたな。あの子と遊んでる時の私って、こんな感じだったよなー。懐かしいなー。紬ちゃん、今どうしてるだろう?
『野乃お姉ちゃん。あたし、今、公爵令嬢やってるよ』
訳の分からない幻聴が聞こえた。最近、色々あったから、疲れがまだ残ってるのね。もう少し睡眠時間を増やそう。
「じゃ、アリスティア、エメライン殿下。出かけて来るねー」
「貴女達みたいな凶暴な方々とは一緒にいられません。アタシはカインお姉様と陽光の下、さわやかな散歩を楽しんできます。お二人はこの陰気な部屋で、どどめ色の青春をおくって下さいまし!」
えらい言われよう。それに、私まで凶暴扱い。窒息攻撃したのエメラインだよ、私は何もしてないよ。
「アスカルト、ちょっと待って! 羽根! 羽根! そのまま出てっちゃダメ」
「わかってますよ! ふん!」
アスカルトは、一瞬で背中から半透明の羽根を消し去った。器用なものだ。
カインとアスカルトが部屋から出て行き、私とエメラインが残された。部屋の中が急に静かになった。でも、どうせまたすぐ賑やかになる。後一時間ほどすれば、所用で使いに出している侍女達が帰ってくる。それまで、この静寂を楽しもうと思った。
しかし、すぐにエメラインが、話を振って来た。
「アリス様。カイン様とアスカルト様のことなんですけれど、お二人とも、あのままで良いのでしょうか?」
「良いのでしょうか? とは?」
「はい、寮内では、あのお二人は、かなり噂になっています。カイン様はあきらかに異人種。アスカルト様は六才くらいの女の子。どちらもこの寮では、目立ちます。目立ち過ぎです。寮監に、あの二人は誰なのか? との問い合わせも来ているとか。そろそろ、名目上だけでも、お二人の身分、身元を作ってあげるべきだと思うのです」
エメラインの心配はもっともだと思う。私も以前から、カインのためになんとかしないと、と思っていた。
「そうですね。確かになんとかするべきですね」
エメラインは優しいな。自分が不安定極まりない状況におかれているのに、周りの人達にちゃんと気を配っている。こういうところは、きちんと褒めよう、慰労しよう。
「エメライン、カイン達のことを考えてくれてありがとう。その優しい気持ちに対して、お礼をしたいのだけれど、何か希望はありませんか?」
「そんな。こんなことで御礼を頂くなんて、とんでもありません」
「遠慮せずに、私とエメラインの仲です。素直に言ってください」
「アリス様と私の仲……」
エメラインの顔が真っ赤になった。いや、そんな顔を火照らすような意味で言ったのでは……。
「では、魔力容量増加法をお願いしたいです……。コレットさんに聞いたんです」
魔力容量増加法! 懐かしい。
コーデがあまりにも簡単に魔力槽を譲渡したので、なんだかなーになり、放置ぎみだったけれど、あんなのはコーデにだけ出来ること。魔力容量増加法の価値は、全く損なわれてはいない。また、研究を再開してみようか。
「あれをやりたいんですか? とっても痛いですよ。それに、効果も保証できません。それで良いのなら、やらせて頂きますが」
「はい、結構です。是非、お願いいたします!」
即答だった。エメラインの意志は固いようだ。
まあ、これはエメラインのためにも良いことだと、私は考えた。今のエメラインはクローディア陛下の亡命政権を資金的に助けるため、学業の傍ら、必死になって魔術薬の生産に、励んでいる。魔力はあればあるだけ欲しいだろう。
「わかりました。では、今晩行いましょう」
「は、はひ。お風呂にはひって、全身きれい、きれいにしておきまっふ」
エメラインの返事は、噛みまくりだった。まあ、あれは相当痛いからね、緊張しているのだろう。
この後のエメラインは、何を話しても、上の空だった。私はエメラインとの会話を諦め、手紙を書き、陛下に瞬間転送した。面会希望、カインとアスカルトのことについての陛下と相談しなければ。
陛下からの返事は、すぐに届いた。三日後、登城するようにとのことだった。
その日の晩、エメラインに魔力増加法を行うため、彼女をロープで、きつく縛り上げた。ロープで縛る度、エメラインが声を出す。
エメラインはもしかして、痛みへの耐性が弱いのかもしれない。もし、そうなら、増加法実行中は、悲鳴をあげまくるだろう。私は、設置していた消音の魔術具を、さらなる強力なものに置き換えた。
しかし、その必要はなかった。エメラインは一声上げただけで気絶した。オリハルコンになった私が、加減を間違えたせい、少し魔力を送り込む力が強過ぎた。でも、容量増加法自体は成功した。ゴールドの上位だった、エメラインの魔力容量は、プラチナの下位にランクアップ。プラチナとゴールドの間には、果てしない壁がある。これは大成功、さぞや、エメラインは喜ぶかと思ったがそうではなかった。
「私のバカバカバカ! 天国の時間が! 天国の時間がー!」
と、悲嘆にくれている。コレットが横で慰めていた。
「お気持ちお察しします。なんて可哀そうな、エメライン殿下。ううう」
いや、慰めるのを通り越して、一緒に嘆いている。
なんだ、この二人。増加法は成功したんだよ、大成功なんだよ。それで、なんで悲しむの?
二人とも変だよ、変。
「アリス様、もう一度、もう一度お願いします!」
「私も、私もお願いです、アリスティア様!」
私の周りは、どうしてこんなのばかりなのか?
紬ちゃんは 短編『悪役公爵令嬢(七歳)、お姉様は恋敵?』の主人公です。是非。