決着?
私は、セイディに向けて、拳を振り下ろそうとした。しかし、拳は動かなった。止められていた。カインが私の右手首を握っていた。なんて力、全く動かない。
「アリスティア、そんなことはするな」
私はカインの顔を見つめた。とっても真剣な顔、いつものおちゃらけたカインではない。
「何を言ってるの? カイン。それに、陛下の援護に向かったんじゃないの?」
「陛下は僕が助ける前に、シャロンを押さえ込んでいたよ。君は陛下をなめ過ぎ、大人の男だよ。剣の闘いで、シャロンのような小娘に負ける訳がない」
首を振って、後方を見た。カインの言う通り、陛下はシャロンを抑え込んでいた。シャロンの剣は少し離れたところに転がっている。陛下が打ち飛ばしたのだろう。
「放して。こいつは報いを受けるべきよ。それが駄目だって言うの?」
「報いは受けるべきさ」
「だったら……」
私にはカインの意図がわからなかった。人を罰するには色々な方法がある、私がやろうとしたことは、一番簡単な方法。でも、それをしてはいけない理由がわからない。セイディはそれだけのことをした、それだけのことをしたのよ、カイン。
「放せ! この糞ガキっ!」
カインの渾身のフックから、少し回復したのか、セイディが両の手で私に抗い、口を挟んできた。その瞬間、私の後ろにいたカインが動いた。私の右手から手を放すやいなや、素早く前方に位置をずらすと、奇麗な左ストレートをセイディの顔面に叩き込んだ。本当に奇麗なストレート。
カイン。先ほどのフックといい、今の左ストレートいい、何時ボクシングなんて覚えたの?
「うげっ!」
セイディは無様なうめき声と共に後方へ飛ばされた。セイディの髪を掴んでいた私は、彼女が飛ばされる瞬間、手を放したつもりだったが、かなりの数の髪が手に絡んでいた。毛根に血が付いている……。
カインが、セイディに向かって怒鳴った。
「僕の主を、糞ガキなんていうな! この馬鹿女が!」
私は、これほどまでに怒りを露わにしたカインを見たことがなかった。カインは普段とても冷静だ。話すことは冗談や皮肉ばかりだけれど、極端なことを言っているのを聞いたことがない。感情に任せて暴走しようとする私を、諫めてくれる、それがカインだ。
なのに、今のカインの怒りようは何だろう。
「アリスティア、こんな愚かな奴に君が手を汚す価値は無い。僕がやってやるよ」
カインは私の顔を見ずに、そう言うと、仰向けに倒れこんでいるセイディの襟を掴み、腕の力で無理やり引っ張り上げた。
「ひっ!」 セイディは、カインの力のあまりの強さに、小さな悲鳴をあげる。
「これは、クローディア陛下の分!」
カインは体勢を入れ替え、屈みこむようにしてセイディの体の下に潜り込むと、腰と腕の力を使って、セイディを前方へ一気に投げ落とした。今度は、柔道。背負い投げ。
ダン! 「ぐはっ!」
背中から地面に叩きつけられたセイディは、肺に衝撃を受けたのだろうか、上手く呼吸が出来ないよう、必死で口を開き酸素を吸おうと、のたうった。
「セイディお姉様に、なんてことを!」
シャロンが神力を発動した。神力を直接相手にぶつけるだけの、術も何もない一番シンプルな攻撃。うつ伏せで、後ろ手になった腕を陛下に決められ、完全に抑え込まれているのによく出せたものだ。あの決められ方、相当痛い筈。
しかし、何も起きなかった。シャロンの放った神力は、陛下の精霊石とカインが抑え込んだ、奇麗さっぱり霧散した。陛下が、シャロンに語りかける。
「シャロンとやら、どの神々にもらったかは知らんが、お前達の神力では、私達には勝てない。もう、勝負はあった。降参の意志を示せ」
それに対し、シャロンは答えない。悔し涙を流しながら、口を歪めている。
「セイディお姉様……」
シャロンはセイディを慕っているようだ。自分と考えが違うから、自分への待遇が不満だからと言って、親を拷問し、妹を殺そうとするような者でも、慕ってくれる者がいるとは、セイディにも、何か良いところがあるのだろう。しかし、それとこれとは別だ。別なのだ。許すわけにはいかない。
エトレーゼの騎士団の指揮官が声を上げた。
「オールストレームは卑怯者だ! ルールを破って第三者を出して来た。もはや、これは試合とは言えない! セイディ殿下とシャロン殿下をお救いするぞ! 続け!」
それに応える鬨の声が上がり、エトレーゼの騎士団が動き出そうとした時、その前に、一人の女性が瞬間移動で現れた。オールストレーム第一騎士団団長、オリアーナ・フォン・バイエンス。大叔母様。
「エトレーゼの騎士達よ、待たれよ。オールストレームはルールを破ってはいない。早計なことはなされるな」
オリアーナ大叔母様は、大勢のエトレーゼの騎士達の前に一人立ち、毅然と言い放った。なんてカッコイイ。なんて男前。さすが、オリアーナ大叔母様である。
エトレーゼ側が反駁した。
「この戦いは二人対二人。なのに、そこに三人目、黒髪の異人種女がいるではないか! これで、ルールを破っていないなどとよく言えたものだ!」
「あの者は人ではない。アリスティア嬢の使い魔だ。彼女が神々より頂いたもの、彼女の能力と言えるものだ。セイディ殿やシャロン殿が神力を使っているのと同じなのだ。だからルールは破っていない。不正ではない!」
カインは使い魔。私もエメラインへの説明の時、そう言ったことがある。今のところ、これ以上に、人を納得させやすい説明は無い。大叔母様、ナイスな言葉選びです。
「それに、先にルールを破ったのは貴殿達ではないか。貴殿らはセイディ殿やシャロン殿に、剣を渡した。試合が始まってからの補給は、完全なる約束違反だ。卑怯なのはそちらであろう!」
「くっ!」
エトレーゼ側の指揮官は、言葉を返せない。しかし、このまま大人しくなるだろうか? 眼の前では、彼女らの主人が、地面に這いつくばされ、惨めな姿をさらしている。騎士達はこれを捨て置くことは出来ないだろう。
「者ども……」
指揮官が、決断を下しそうになった時、何十人ものオールストレームの騎士達が瞬間移動して来た。ほんの数秒ほどの間に、大叔母様の両脇にずらっと、騎士達が並んだ。右側に第一騎士団、左側には近衛騎士団。一直線に並び、私達をエトレーゼの騎士団から守る壁となった。その中にはリーアムお兄様もいる。
「エトレーゼの騎士達よ、ここは引かれよ。我らの王とアリスティア嬢に害なさんとするならば、我らは全力を持って貴女達を殲滅する。死人や怪我人を出したくはない。よくお考えあれ」
大叔母様は最後通告を突きつけた。エトレーゼの騎士団の指揮官はこれを飲むしかない。何故なら、オールストレームの騎士団が、圧倒的な魔術力を見せつけたからだ。
魔術での瞬間移動では、どんなに近くであっても、目的の場所に完全な精度で移動するのは至難の業。どうしても少しのずれは出てしまう。私でさえ適当にやれば、数メートルのずれなどしょっちゅうある。それなのに、これほどの人数の騎士達が瞬間移動してきたのに、騎士達の列は全くぶれることなく一直線になった。
この練度は、私から見ても恐ろしい。どれほどの訓練を積み重ねれば、あのような奇跡を行えるのか。溜息が出る。
彼ら、彼女らは絶対強い。あの精度で瞬間移動できるのだ。他の魔術もとんでもなく向上しているに違いない。オリアーナ大叔母様が自慢しているだけのことはある。
素晴らしいです、騎士団の方々! 素晴らしいです、大叔母様、リーアムお兄様!
エトレーゼ側の指揮官は、相手の力と自分達の力を認識出来る者であったようだ。
「ここは一旦、引きましょう。殿下達の試合はまだ終わってはいない……」
エトレーゼの騎士達は全員、肩を落とした。自分達に出来ることは何も無いということが、わかったようだ。そして、自分達の認識が自国でしか通用しないことも。
彼女達が普段、馬鹿にしまくっている男性である、オールストレームの騎士達が、自分達より遥かに高いレベルで魔術を使っている。優越感は砕け散っただろう。
「そんな……」
呼吸困難から、なんとか脱していたセイディであったが、エトレーゼの騎士団が、彼女達の救出を諦めたのを見て、地面に転がったまま意識を失くしてしまった。最後の望みが断たれたのだ、仕方がないともいえる。
「まだ、エメラインとエメラインのお父さんの分が残ってるんだけどな。けっ! 根性の無い奴!」
カインは、セイディに向かって吐き捨てるように言った。でも、私は、ホッとしていた。
「カイン、ありがとう。カインはエメラインに、私が、抗う術が亡くなった者に暴力を振るうのを見せたくなかったんでしょう。だから、代わりに……。ほんとに、ありがとう。カイン」
「ちがうよ。僕は君に手を汚してもらいたくなかっただけ。それだけだよ。エメラインは良い娘だけど、二の次だよ。僕にとって一番大事なのは、君。君のためなら何だってするさ、世界を敵に回したっていい」
カインの言葉は衝撃だった。いつも私のことを揶揄してくるカインが、ここまで私のことを思ってくれているとは思っていなかった。これではカインもエルシミリアと同じではないか。
『わたしは、お姉様のためなら死ねます。死んで見せます。よく覚えておいて下さいね。これは、わたしの本心です。心からの言葉です』
なんて馬鹿なことを言う妹だろうと思った。私にそんな価値はない、エルシミリアはエルシミリア自身のために生きるべきだ、エルシーにはそう言った。
『お姉様のために死ぬのは、自分自身のためなのです。それが、わたしの願いなのです。ご理解下さいませ』
全然、理解できない。でもエルシーやカインの言葉を聞いていると、泣けて来る、胸が張り裂けそうになる。どうしてそこまで、人を愛せるのだろう。それも、よりにもよって私のような者を。
「アリスティア、人の想いが物に心を宿らせることは知っている?」
「心を宿らせる? 付喪神とかいうやつのこと?」
「まあ、少し違うけど、似たようなものかな。僕はね、君が葛城神社で、お賽銭として入れた五百円玉、知ってるよね」
うん、私は頷いた。
私が、返して! なんて悪態ついたから、MY神様が返してくれたのよね。
「あの時の君は、聖藤に合格した喜びに溢れていた。だから、賽銭箱に僕を入れる時、僕を握りしめていた君の心は感謝の気持ちでいっぱいだった。その時だよ僕が生まれたのは。生まれてすぐ思ったよ、なんて暖かい、心を持つってこんなに幸せなことなのかってね。だから、君には感謝してる」
私の心が、想いがカインを生み出した。そう思うと、嬉しいような、申し訳ないような、愛しいような、色々な思いが湧き起こってきて収拾がつかなくなる。でも、ひとつ言いたいことがある。聞きたいことが有る。
「じゃ、なんでカインはいつもあんな感じなの! 私の感謝の気持ちから生まれたとは思えないんだけど!」
半分以上、照れ隠し。カインの前だと、いまいち素直になれない。何でだろう?
「それは君が悪い。あの後すぐに死んじゃってさー、あの時の僕の絶望ったら、天国から地獄へまっさかさまだよ。これくらいの捻くれ、我慢してよ。君には我慢する義務があるよ」
「うっ、それは……申し訳ありません」
すべて私の不徳のいたすところでございます。善処いたします。
「アリスティア、話は終わったか? こちらはもう終わったぞ」
陛下の声に驚いて、その声の方を向くと、陛下と下を向き項垂れたシャロンが立っていた。
「へ? 終わったのですか?」
この対戦はどちらかの一人でも降参の意志を示した瞬間に終了することになっている。セイディは意識を失っている最中なので、それが出来るのは当然シャロンだけ。
「そなた達が訳の分からぬ話をしている間にな。あっさり降参してくれたよ。案外シャロン殿は、話が出来るかもしれん」
「あっさりではございません!」
陛下の上機嫌にシャロンが反駁した。
「大変悩んでの決断です。あのようなセイディお姉様を、これ以上戦わせることは出来ません……」
シャロンはセイディの方を心配げに見ている。今、気がついたが、ルーシャお姉様が来ていて、セイディの治療を始めている。
「ほっとけば良いのにね。あれくらいの打撲、治療なんていらないよ」
カインが耳うちしてきた。私も全くの同感だ。でも、セイディとシャロンのことは陛下達に任せよう。私には、話をしなければならない人がいる。
エメライン……。彼女は少し離れた所にエルシーと共に立っている。
エメラインには、見るのも辛い戦いだったと思う。だけど、こちらが勝った。エトレーゼはクローディア陛下の統治に戻る。そして次の女王はエメライン。エトレーゼが国として抱えている問題を思うと心が重くなるが、それでも頑張って欲しいと思う。エメラインなら出来るよ。私も精一杯手伝うよ。手伝うから……。
私とカインは、エメラインとエルシーに向かって歩き出したが、二人の表情がおかしいことに気付いた。二人は呆然と空を見上げている。私とカインは何かあるのかと、顔を上に向けた。
上空に黒い飛翔体が見えた。その飛翔体はもの凄いスピードで近づいて来る。あっと言う間に視界が真っ黒に覆いつくされた、着地の衝撃波が私達を襲ってきた。
ドガーン!
しかし、その衝撃波は被害を及ぼさなかった。コーデ、教皇猊下、枢機卿達が数多の神与の盾を瞬時に展開してくれたからだ。
コーデ達は最初の場所から動いていなかったので、飛翔体の真下にいた私達より、先に気づくことが出来た。とっても感謝している。あの衝撃波をまともにくらっていたら、どうなっていたことだろう。考えるだに恐ろしい。
エルシミリアが呆然として呟いた。
「ドラゴン……」
私達の前には、巨大な黒竜が、十数年以上、姿をみせたこともなかった神々の魔獣がいた。なんたる威容、なんたる力強さ、なんたる神力。
セイディやシャロンの使っていた神力などは、目の前のドラゴンから感じる神力から見れば、オモチャみたいなもの。
私はカインに聞いてみた。カイン、私達は勝てると思う?
「さあ、どうだろうね。死ぬ気でやれば、相打ちくらいなら……」
カインの言葉に私は絶望した。
カインはエルシーのことをどう思っているのでしょう。そして、その反対も。