竜殺し
リッザには峻嶮な山々がいくつもある。その山の一つに通称火吹き竜の火山というのがある。古くから火竜が棲んでいる山とされ、人類と竜はお互い不可侵を暗黙の了解としている。
その火吹き竜の火山に登山者が現れた。火吹き竜など存在せず、なにか宝となるようなものがあるのを隠すための伝承だと考えた冒険者だった。
残念なことに、伝承は真実だった。火吹き竜は不可侵の了解を破ったものとして激怒し、山を降り近くの村を焼き払い始めた。
リッザは下位竜語を理解する魔術師を派遣、その怒りを鎮めようとしたものの返り討ちにあい、やむなく討伐を選択する。
軍人のマルティン・カウルスが謁見の間に出頭を命じられたのは日没後だった。通常、謁見は午前中に行われ、午後のケースはほぼない。ましてや日没というのは異例のことだ。
「マルティン・カウルス、只今到着しました」
謁見の間の門番に告げると巨大なドアが重い音を立てながら開いていく。畏まりつつ謁見の間へ進む。
リッザの王、リシャルト・リッザが呻くような声でマルティンに語りかける。
「すまぬ……国のために死んでくれ、と願う弱い王を、どうか許してくれ」
「……火吹き竜、ですね」
静かに頷くリッザの王を見て、マルティンは敬礼を返す。
「我らはその魂をリッザの玉座に捧げております。何の問題もありません。それがリッザの軍人というものです」
玉座からリシャルトが降り、マルティンの両肩に手を置く。
「マルティン、人員の選抜は任せる。討伐隊の長は、ファーレンを予定している」
「ファーレン様……ですか?」
驚き、王の顔をまじまじと見るマルティンに静かに頷く王。
「ならば、人員の選抜をなぜ私に……?」
「ファーレンは優しい男だからな。人員選抜には向かん。下手したら独りで討伐に飛び出しかねない。それは無駄死にだ」
マルティンは奔走し、人員の選抜と基本戦略の構築を行った。
その精鋭六百人が出陣を前に整列している。
「出撃準備完了しました」
「そうか……」
マルティンが告げると、偉丈夫がゆっくりと立ち上がる。彼こそがリッザの英雄ファーレン・メーヴィス。齢六十にして前線に踏みとどまる闘士。いい加減後進指導に行けと言われても「儂は儂の天分で闘っておるので後進の指導なぞできませぬな」の一言で未だ現役。
それ故本来は彼がやらなければならぬ軍務は周囲の人間が片付けてやる必要がでている。それでも恨まれず、むしろ慕われているのはその温厚な性格並びに確実に勝利をもたらす武力のためである。
今回の討伐任務、城の資料室に残された火吹き竜の記録を見るに、全滅する覚悟で臨まねばならぬ厳しい闘い。その闘いを前にしてもなお全軍の士気は高い。困難な戦闘のために選抜された栄誉に震える兵士たちへファーレンが訓示を行う。
「いいかお前ら!
ここにいる全員が揃うのはこれが最後だろう!
だが、忘れるな! 我らは家族だ!
同じ敵と戦う家族だ!
生き残れとは言わぬ! リッザの戦士として恥じぬよう戦え!
我らの後ろには、牙持たぬか弱い家族がいる!
我らの勝利がより多くの家族を救う!
勝つぞ‼」
ファーレンが右手を大きく突き上げると、全軍がその動きに従い、突き上げ、吠えた。
竜討伐という特殊性から、兵力の殆どは射撃装備を持つ。純粋な前衛装備はファーレンのみ。
ファーレンはおおよそ武に関してはすべてこなせる伝説の闘士ではあるが装備の切り替えで好機を失うことを恐れたマルティンが射撃装備をさせなかった。ファーレンはブツブツ文句を言ったもののそれに従う。ただし、大量の矢筒を持つことに関しては譲らなかった。
マルティンが急場しのぎで考えたプランは以下のようなものだ。
矢を大量に浴びせかけて翼膜を切り裂き、地上戦に引きずり込む。大雑把だが空を飛べぬ人類ではこれくらいしか手がない。
その上で大量の矢とそれを切れ目なく降らせるための戦術を兵士たちに短期間ながら叩き込んだ。
マルティンは兵士を三人一組とした小さなグループを構築した。
一の手がまず矢を射掛ける間、二の手が大楯で射手を守る。
一の手が矢を打ちきったら二の手が射手へ、三の手が大楯へ。
一の手は後ろに下がり矢を補給し、戻る。以降このサイクルを繰り返す。
もし誰かが竜の攻撃で無力化されたら残りの人員は一旦下がり、三人一組のセットを素早く組み直して前線に戻る。
矢が尽きるまでに翼膜を切り裂けなければ、リッザの負け。切り裂けたとしても古竜を相手にしなければならない。体力が残っていなければおそらく勝利は難しい、分の悪い戦い。それでもなお負けられぬ戦い。
隊列を組み、黙々と火吹き竜の火山を登る討伐軍。
『それがお前らの答えか、人間!』
火吹き竜は思考をそのまま領域の人間に投げ込む精神放送を使ってきた。
古竜はもともと潤沢な潜在魔力性能を持つ。その使い方は生来の機能である竜の息と飛翔で発露していた。だが火吹き竜は交渉に来た魔術師を喰らい、その知識を吸収したのだ。
空を飛び、火を吹き、魔術を行使する。悪夢のような怒りの塊。それがいまの火吹き竜の姿だった。
「急げ! 山道で仕掛けられたら我らに勝ち目はない! 中腹の広場まで駆け抜けろ!」
ファーレンが叫ぶのとほぼ同時に全員が一斉に駆け出す。その隊列は緩みながらも維持されており、見るものがいれば「流石はリッザの精鋭よ」と讃えたであろう動きだ。
残念ながらそれを見ていたのは上空を滑る火吹き竜のみ。
真紅の竜に追い立てられながら、中腹の広場へと駆け込む。
『馬鹿め! かかったな!』
火吹き竜は雄叫びを上げ、炎を吐き出す。山道で一切仕掛けず追い立てていたのは森が邪魔で炎を吐き出せなかったからだったのだ。
竜の炎は非常に強く、大きく、速かった。大楯が間に合わず何人かの兵士が焼かれ、倒れる。
「射て射て射て!」
号令がかかり一斉に矢が打ち上げられる。どうしても打ち上げのために貫通力は下がる。竜の体に当たった矢はその硬い鱗に弾かれてしまう。
それでも翼膜に何本か当たるが、薄い傷しか与えられない。しかしリッザの兵士はしぶとく粘り強く矢を打ち上げる。竜の炎に焼かれながらも愚直に矢を打ち上げ、翼膜を切り裂こうとする。
二十分ほど対空戦闘が続く。竜はジリジリと削られていっているもののまだまだ元気で、逆にリッザの兵士たちは炎に焼かれ徐々に数を減らしている。
矢の残りも気になるが、それよりも疲労で腕が上がらぬ兵士が徐々に出始めている。
「ファーレン様! 申し上げます」
マルティンがファーレンに報告を上げる。
「兵士の体力が限界に近づいております。我々はリッザの壁となるための決意をしております」
「マルティン! それは駄目だ!」
「このまま泥沼の持久戦を継続しても勝利はありませぬ。ただの無駄死にになります」
マルティンはファーレンを見据え、そして微笑む。
「伝説の闘士ファーレン・メーヴィス様と最期の闘いに望める。身に余る栄誉にございます」
マルティンは懐から笛を取り出すと長く大きく一吹きした。
矢の雨が止まる。首を傾げ、様子を伺う火吹き竜。
大量の魔法の矢が兵士たちから打ち上がる。翼膜を切り裂き、鱗の隙間に潜り込み、何枚もの鱗を吹き飛ばす。
激痛に咆哮する火吹き竜。バランスを崩し、墜落する。
ファーレンは歯を食いしばり唸りながらミスリルの両手剣を引っさげて落下点へ向かっていった。
兵士たちは笛を聞き、弓を捨てて胸に下げた黒水晶のペンダントを握りしめ、念じる。戦場において常人では発動できぬ潜在魔力性能を無理やり発動させる魔法具。
代償は様々。血の涙を流し、あるいは吐血し、あるいは昏倒する。四肢の一部が弾けるものもいれば、腸をぶちまけているものもいる。
『おのれおのれ人間め!』
不意を打たれた火吹き竜は防御もままならないまま落ちていく。兵士たちは魔法の矢だけではなく魔力流出も発動させていた。
自らの身体から抜けていく潜在魔力性能を感じギリギリと歯ぎしりをしながら自由落下していく。
ついに地面に落ちた火吹き竜。だがその巨体の割には全く衝撃が発生しない。ファーレンは警戒しながらも突っ込んでいく。
落下点には赤い色の竜人が立っていた。その手には赤い槍。
『許さぬぞ人間! 皆殺しだ!』
精神放送の波動は火吹き竜のもの。ファーレンは片眉を釣り上げたあと、あざ笑う。
「ふはははは! 竜でいるには潜在魔力性能がいるのか! 知らなかったぞ火吹き竜!」
ファーレンはミスリルの両手剣を構え、気合の息吹を吐く。
「さあ、皆殺しにしてみろ火吹き竜! やれるものならなあ!」
竜の突きを右へかわしつつ両手剣を横薙ぎに振り抜く。竜は後ろへ飛んで避ける。
ファーレンは左足をかなり前においたワイドスタンス。刃を体の右に置き、竜に対峙する。
竜は槍を右手で持ち、穂先を下にして構える。左足を前にワイドスタンス。
先に仕掛けるは竜。槍を振り穂先をファーレンの胴に当てようとする。バックステップするファーレン。
竜は前へ一歩踏み出し槍を突き出す。
バックステップしつつ左手を逆手持ちに切り替える。更に左手を突き上げて、体の前に幅広の両手剣を構える。右手を剣身に添えて突きをその剣身で受ける。穂先が剣身に彫られたフラーに沿って滑り上がり、柄で止まる。
「मिथ्रिल! धेरै शरारती!」
竜が叫ぶ。ファーレンは添えていた右手でそのまま剣身をかち上げ、左手を下げる。支えを失った穂先はファーレンのはるか頭上を突き刺し、竜は力をいなされ前に体勢を崩す。剣先を竜に向け、押し込むファーレン。尻尾を器用に使い体重を強制移動。槍を捨て地面に転がる竜。
「मलाई भूमिमा रोल गर्न यो असहनीय अपमान हो! मार्न!」
転がりながらなにかの悪態をつく竜。
竜は立ち上がり、手を振る。落ちていた赤い槍が消え、その手の中に現れる。
ファーレンは再び左足をかなり前に置いたワイドスタンスで対峙し、竜もまた左足を前にしたワイドスタンス。
ジリジリと間合いを詰めていく。
次に仕掛けるはファーレン。
ファーレンは右足で強く地面を蹴り前に踏み出しながら剣を担ぎ上げて叩きつける。
竜はそれを右へかわす。右足を前についたファーレンはそれを軸足に左ハイキックを放つ。クリーンヒットし、竜の頭が跳ね上がる。
ファーレンは足を振り抜く前に剣先を地につけた状態の両手剣の柄を上方に放り出し、回転。右バックブロー。竜はかわし切れずこれももらう。ファーレンが回転しきったところに重さで戻ってくる柄を握る。
柄に視線を切ったファーレンの隙を逃さず竜は口から何かを吐きつけた。折れた歯。ファーレンの左目に当たる。
「ぐっ」
ファーレンは呻きつつもスタンスをスイッチ、左足を前にしつつ両手剣を振り回す。吐きつけるために重心を前に置いていた竜は尻尾を使った重心移動も間に合わないと判断。槍の柄で受けることを選択した。
柄頭に仕込まれた黒水晶の力を使いミスリルの剣に潜在魔力性能を流し込むファーレン。剣は虹色の軌跡を描く。黒水晶の代償は、先程傷ついた左目。小さく爆ぜ、血涙を流す。
竜の槍とぶつかる両手剣。轟音を発し、槍を斬る。そのまま竜の胴を斬り裂いた。
『たかが、人間に……』
竜の最期の精神放送。
「すまぬな火吹き竜。お前の怒りは正当だったが……儂らにも柵というものがあるのだよ」
闘いの高揚が一瞬に冷めたのか、ファーレンはポツリとつぶやき、その後あたりを見回して、がっくりとしゃがみこんだ。
火吹き竜討伐は成功したものの、討伐隊の被害は甚大だった。隊長のファーレンは軽傷とはいえ左目を失い、副官のマルティンは黒水晶による潜在魔力性能強制発動の代償で死亡、隊員たちも戦死者二百五十二名、重傷三百十七名、軽傷三十一名と無傷のものはなく、重傷者のうち軍への復帰が難しいとされた者が百八十八名。
謁見の間で上記報告を淡々と述べるファーレン。リシャルトはその報告を聞きながら目を閉じ、悼む。
「兵士とその遺族たちには手厚い生活支援をお願い申し上げます」
報告の最後にファーレンが付け加えた一言。
「そのためならば私は如何様な処分でもお受けいたします」
リシャルトはしばらく考えた後、頷く。
「わかった。支援を約束しよう。そしてファーレン・メーヴィス、そなたにはヴァーデン駐留軍の司令をしてもらう。後進の指導にあたれ」
ファーレンは深々と頭を下げ、謁見の間を退出していった。