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信長公演義・桶狭間の合戦  作者: 酒井塞翁
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第七章 稲生の合戦

〈覚えたか、逆臣〉


 長良川の合戦より暫く経った後、聞き捨てならない噂が信長の耳に入った。

「岩倉衆が、下津の正眼寺に砦を築こうとしている」

 大和守流と並立する存在だった岩倉城の伊勢守流・織田家。その当主・織田七兵衛信安は、これまでは信長に対して敵意を示さずにきたのだが、信長が斎藤道三を救援するために出陣すると、兵を出して清州城周辺の郷村を焼き討ちにした。

 信長は、怒り、直ちに岩倉城の周辺を焼き討ちにして報復した。

 七兵衛信安は、

「上総介の凄まじさよ」

 と、信長の反撃の速さに怖れを為し、一旦は軍事活動を中止したが、しばらく経ってから、清州の北に位置する下津郷の正眼寺を砦に改築して清洲攻略の拠点にしようと考えた。下津を選んだのは、周辺に藪が濃く生い茂っていたからだ。藪の樹木を刈り取って柵や逆茂木の材とすれば、迅速に砦を築く事ができる。

 しかしながら、この情報は事前に漏れ、風説となって清州に届いた。

 信長は、

(下津に拠点を置かれては、少々厄介である。ここは、先手を打って、下津の藪を刈り取ってしまうべき)

 と、考え、清州の城下町から人夫を数百人募集し、斧と竹槍を持たせて藪刈り組となし、彼等を八十余騎の侍と数百人の足軽衆で警固しつつ下津郷へと向かい、藪の刈り取りを開始した。兵力を絞ったのは、出来るだけ素早く行動するためであった。

 この動きは、すぐに岩倉城に伝わった。七兵衛信安は、

「先手を打たれたか」

 と、下津の北、丹原野に二千余の兵を遣わした。

 信長は、伊勢守流の軍勢が到来すると、侍衆と足軽衆を整列させ、その後ろに竹槍を持った藪刈り組を並ばせた。遠目にその様子を観察した伊勢守流の兵は、信長の兵が自分達と同等の規模であると勘違いし、

「藪を刈り取られてしまったからには、もはや下津を取っても詮無き事である」

 と、岩倉に引き揚げた。

 信長は、家来衆の前では、

「岩倉衆は、日和見に慣れて智が鈍ったと見える」

 と、岩倉衆を嘲笑って見せたが、実は、

(もし攻められておったら、危うかった)

 と、背中に冷や汗をかいていた。。


 この事件より少し経った後、再び不穏な噂が信長の耳に入った。

「末森の織田武蔵守と、那古野の林佐渡守とが結んで、清州に謀反を企てている」

 那古野城代・林秀貞は、以前から信長の人事に対して不満を抱いていた。

(他国者が多すぎる。特に美濃者が)

 信長は、蜂屋頼隆、金森長近、森可成などの美濃者や、近江者の滝川一益を重用していた。地縁の枠を超えた組織を構築したかったからだ。

 しかしながら、その地縁を強みとしている林秀貞としては、信長の方針は受け入れ難いものであった。

(殿が美濃衆を重く用いられるのは、斎藤家を頼みとなされておられるが故であろう。知多の村木を攻められた時も、斎藤家に加勢を求められた。されど、いかに岳父であるとは申せ、斎藤山城入道の如き食わせ者に気を許していては、いずれ足元をすくわれるであろう)

 そのように危惧していた折、斎藤道三が子息の義龍に殺害された。織田家にとっては痛手であったが、林秀貞は喜んだ。

(疫病神が去った)

 道三の死を喜ぶ者は、他にもいた。

(これにて兄の力は弱まった)

 末森城の武蔵守信勝は、これまで周囲から賞賛されてきた。それは、彼の行動の結果というよりも、兄・信長に対する非難・軽蔑の裏返しであった。信長が余りにも破天荒であるがゆえに、凡庸な武蔵守信勝が模範的な君主であるかのように見えたのだ。

 だから、信長の評判が悪ければ評価が高まるが、信長が活躍すると存在感が消えてしまう。本人も薄々その事に気付いていたので、次第に兄の不幸や失敗を望むようになっていた。

 林秀貞と武蔵守信勝。秀貞は組織上の、信勝は血統上の次席であり、共に上位者である信長を疎ましく感じている。

 これまで、二人には接点がなかった。林秀貞は那古野城在番であり、武蔵守信勝は末森城育ちだったからだ。ところが、ある人物が二人を結びつけた。

(那古野と末森が結べば、清州に勝てる)

 林通具、仮名は美作守。林秀貞の弟である。彼は、兄とは異なり、斎藤道三に対して羨望の念を抱いていた。

(元々は陪臣に過ぎなかった者が、国主にまで成り上がった。大丈夫たる者は、かくあるべき)

 そして、

(この尾張の正統なる国主は、斯波家である。されど斯波家は政務の実権を織田家に奪われ、その織田の本家も分家に打ち負かされた。ならば、林家が織田家に取って代わっても、悪くはあるまい)

 と、考えるに至った。

 斎藤道三は、土岐家の頼武・頼芸兄弟の争いに乗じて国主の座を乗っ取った。林通具は、それに習って信長・信勝兄弟を争わせようと考えた。

 そんな折、長良川の合戦で道三が敗死した。彼を尊敬していた林通具であるが、その死に対しては特に悲しみを感じなかった。

(負けてしまえば、それまでよ)

 彼は、寧ろ、これを計画を実行に移す好機であると考え、まず末森城を訪れて武蔵守信勝に、

「吾が兄・林佐渡守は、かねて武蔵守様こそが織田家の当主に相応しいと考えております」

 と、申し述べる一方、林秀貞に対しては、

「武蔵守様は、かねてより兄上こそが織田家の股肱の臣である御考えでいらせられます」

 と、告げた。

 これにより、武蔵守信勝は、

(林佐渡が味方に付くなら、兄に勝てる)

 と、野心を膨らませ、林秀貞も、

(武蔵守様が御当主となられれば、我は今以上に栄達できるのではないか)

 と、期待した。

 そして、武蔵守信勝と林秀貞とは頻繁に連絡を取り合うようになった。連絡役は、末森側は信勝の側近・津々木蔵人が、那古野側は林通具が務めた。

 この動きに、ある者が注意を喚起された。佐久間盛重、仮名は大学助。御器所城主で、末森城の家老を務めていた。彼は、林通具が城内において津々木蔵人と密談しているのを何度も見かけて不審に思った。

(何故、那古野城代の舎弟が、足繁く末森を訪れておるのか)

 武蔵守信勝に尋ねると、

「あの二人が親しくしておるだけであろう」

 としか言わず、朋輩の柴田勝家に訊くと、

「はて、何事であろうか」

 と、本当に何も知らない様子であった。

 そこで、廊下にて津々木蔵人を呼び止めて、

「和殿は、那古野の林美作と、何を密儀いたしておるのか」

 と、問い質した。

 津々木蔵人は、適当な事を言って誤魔化すべきであったろう。しかし、彼は、何事にもむきなる性格であった為、

「それがしは、殿の御諚を受けて動いておるのでござる。いかに佐久間大学殿であろうとも明かすわけには参らぬ」

 と、言ってしまった。これで、武蔵守信勝が、佐久間盛重に対して嘘をついていた事と、末森城と那古野城の間に密約が存在する事が、明らかになってしまった。

 この問答はは、衆人環視の中で行われたため、最初は城内において話題となり、更には城外に漏れ出で巷間の噂となり、清州にまで伝わった。

 信長は、この噂を信じなかった。

「然様な事があるはずがない」

 彼は、意外に御人好しであった。

「武蔵守は、吾が世継ぎではないか」

 この時、信長には子息がいなかったので、暫定的に武蔵守信勝が世継ぎとされていた。

「林佐渡にしても、先に吾が命に逆らった罪を不問にして那古野の城代に戻してやったのであるから、我を恨んでおるはずがない。恐らく、これは、敵方による君臣離間の計にやあらん。斎藤家の長井隼人あたりが怪しい」

 彼は、自分が流言飛語などに乗せられるような人間ではない事を、敵方に示すべきだと考えた。

「詐術を弄する者共の鼻を明かしてくれよう」

 彼は、庶弟で守山城主の安房守信時のみを供として、いきなり那古野城を訪れた。林秀貞に自分が信を置いている事を示し、外部に対して自分と林秀貞の関係が良好である事を示すためであった。

 林秀貞は、狼狽した。例の噂を気にして怯えていたところだったからだ。

(何故、急にお越しになられたのか。我を成敗する御所存なのか。否、それならば軍勢を率いて来られるはず。一体、殿は何を御考えなのか)

 一方、林通具は喜んだ。彼は、兄に、

「兄上、これは千載一遇の好機ではござりませぬか。兵を集めて上総介様と安房守様を押し込め参らせ、御腹を召していただけばよろしいかと存じます」

 と、進言した。

 林秀貞は、色を成し、

「たわけた事を申すでない」

 と、弟を叱りつけた。

「然様な挙に及べば、武蔵守様のみが得をして、我等のみが損をすることが分からぬか」

 信長が殺害されれば、武蔵守信勝が後を継ぐ。そうなったなら、武蔵守信勝は自らが暗殺とは無関係である事を示すために、林兄弟を誅殺するであろう。

「断じて許さぬ。軽挙は慎むべし」

 そう厳命されて通具は引き下がったが、納得してはいなかった。

 林秀貞は、動揺を抑えつつ信長と安房守信時を饗応した。信長は、もてなしを受けて、上機嫌で清州へと帰って行った。

 林通具は、悔しくてならなかった。

(あれほどの好機を生かせなかったとは、残念至極)

 しかし、ここで彼は、信長が帯同していた安房守信時に関するある噂を思い出した。

(安房守様は、家老の角田新五と不和であるらしい」

 信長が特に安房守信時を供としたのは、守山衆が重要な存在であるからだ。萱津の合戦や、村木砦の合戦は、守山衆の加勢なしでは勝てなかった。

(もし、守山において変事が起きれば、上総介様にとって相当な痛手となるであろうな)

 彼は、角田新五の屋敷を訪れて、

「末森の安房守様は、日頃、家来衆に対して、角田殿を手本とするよう仰せられております」

 と、告げた。ここのところ安房守信時から疎んじられていた角田新五は、喜び、武蔵守信勝に心を寄せるようになった。

 林通具は、更に末森城を訪れ、武蔵守信勝に、

「守山の家老・角田新五殿は、主の安房守様に蔑ろにされて苦しみ、安房守様を城主となされた上総介様を恨み、武蔵守様が御当主であらせられたなら、かような屈辱を受けずに済んだものを、と申されております」

と、言上した。

 武蔵守信勝は、上機嫌となり、

「もし、角田殿が守山を逐われるような事となれば、我が召し抱えるであろう」

 と、宣言した。林通具は、その言葉を、角田新五の耳に入れた。

 その直後、守山城において事件が起きる。


 安房守信時は、先の城主・孫十郎信次の重臣であった角田新五と坂井喜左衛門を家老としていたのだが、次第に坂井喜左衛門のみを重んずるようになった。坂井喜左衛門の子息・孫平次が男色の相手であるがゆえの依怙贔屓であった。

 当然、角田新五は、怒りを募らせていた。

(安房守様は、我が迎え入れたからこそ、部屋住みの身であったのが御城主となれたのではないか。士は己を知る者のために死すと申す。かかる主君に忠節を尽くす事などできぬ)

 彼は、やはり冷遇されていた丹羽氏勝という侍だ将と語らい、

「御城の塀を修繕いたす」

 と、称して城内に手勢を入れ、本丸を包囲して阿波の守信時を自害に追い込んだ。

 守山城内は、大混乱に陥る。

 信長は、凶報を受けて、

「何と験の悪い城か」

 と、顔をしかめた。

 かつて三河の雄・松平清康は守山城を攻めている時に家来に暗殺され、その当時の城主であった孫三郎信光も那古野城に移った後に家来に殺害され、その次の城主・孫十郎信次は家来の軽挙が原因で逐電した。そして、今回の安房守信時である。

(いい加減、このような事は終わらせねばならぬ)

 信長は、前の城主である孫十郎信次を探し出し、喜六郎秀孝殺害の罪を許して守山城主の座に復帰させた。

 守山衆は、喜んで旧主の復帰を受け入れた。ただ、角田新五と丹羽氏勝の二人は、

(このまま、ここにおっては、上総介様に処罰されるであろう)

 と、恐れ、手勢を率いて末森城へ逃れ、武蔵守信勝に庇護を求めた。信勝は、それを了承し、彼等を城内に匿った。

 それを伝え聞いた信長は、末森へ使者を遣わし、武蔵守信勝に角田新五と丹羽氏勝の引き渡しを要求した。しかし、信勝は、

「兄上は、喜六郎を害した孫十郎叔父を許されたではござりませぬか。されば、安房守を害した角田と丹羽も御赦免にならなければ筋が通りますまい」

 と、引き渡しを拒んだ。

 信長は、

(吾が命に従わぬばかりか、当てこすりまで申すとは)

 と、不愉快に思ったが、出来るだけ早くこの騒動を終息させたかったので、

(武蔵守は、喜六郎と特に親しくしておったゆえ、我が孫十郎叔父を許した事が気に食わぬのであろう。その気持ちは、分からぬでもない)

 と、無理に自分を納得させ、それ以上は追求しなかった。

 しかし、それから少し経った後、どう努力しても納得できない事件が起きる。武蔵守信勝が、兵を出して篠木三郷を占領したのである。篠木三郷は、清州の北東に位置する地域で、信長の直轄領であった。

「血迷ったか、武蔵守」

 信長の念頭に、武蔵守信勝と林秀貞が結託して謀反を企図しているという風説が蘇る。

(あの噂は、真であったのか)

 疑念は、一旦生ずると、燎原の火のように燃え広がる。

(もしかすると、武蔵守が、角田新五に安房守を討つように唆したのではあるまいか。現に、武蔵守は、角田新五を庇護しておる。守山城を乗っ取るつもりであったのではあるまいか)

 直後、末森城の家老・佐久間盛重が、武蔵守信勝を見限って致仕して清州城に来た。彼は、信長に、武蔵守信勝と林秀貞が以前から秘密裡に交渉を重ねていた事を報告した。

 ここに至って、信長は、自分が那古野城を訪れた際に、薄氷を踏んでいた事を知った。

(許せぬ)

 彼は、激怒したが、理性は失わなかった。

(末森を攻めることはできぬ)

 末森城には、母の土田御前が住んでいたからだ。

(武蔵守を城の外に引きずり出さねばならぬ)

 信長は、佐久間盛重に尋ねる。

「篠木三郷を押さえておる大将は、誰か」

 佐久間盛重は、

「津々木蔵人めにござります」

 と、忌々し気に答える。

「ああ、あ奴か」

 信長は、津々木蔵人が武蔵守信勝の男色の相手である事を知っていた。

「津々木蔵人が窮地に立たされれば、武蔵守は、さぞや慌てふためくであろうな」

 彼は、佐久間盛重に、手勢を率いて名塚村に入ることを命じた。この村は、篠木三郷と末森城の中間に位置していた。

「名塚に兵を置けば、篠木三郷の津々木蔵人は孤立する。武蔵守は、さぞや慌てふためくであろう」

 また、その役目、元々は末森城の家老であった佐久間盛重に遂行させることは、武蔵守信勝に対する挑発にもなっていた。

 佐久間盛重は、

「面白や!」

 と、勇躍し、手勢二百余を率いて名塚村に入った。

 この動きを知った武蔵守信勝は、信長の予想通り、津々木蔵人の身を案じ、且つ佐久間盛重の寝返りに怒り、柴田勝家、角田新五、丹羽氏勝の三将に名塚村の攻撃を命じた。

 柴田勝家は、

(今は、身内で争っておる時ではない)

 と、思ってはいたが、

(事ここに至っては、己の務めを果たすのみ)

 と、覚悟を決め、角田、丹羽の二将と共に千余の兵を率いて名塚村に向かった。

 武蔵守信勝は、更に、那古野城へ使者を遣わし、林秀貞に出兵を求めた。

 林秀貞は、難色を示す。

「話が急すぎる。前もって何の談合もなかった」

 林通具が、兄をたしなめる。

「兄上、今更迷われて何となされますか」

「迷ってなどおらぬ」

 林秀貞は、不承不承、林通具に七百余の兵を与えて出陣させた。林通具は、勇躍して名塚へ向かった。

 折も折、大雨が降って名塚村の背後を流れる於多井川が増水し、佐久間盛重の部隊が孤立してしまった。盛重は、水練が達者な者を数名選抜して使者に任じ、

「これは決死の役目であるが、成し遂げた暁の褒美は大きいぞ」

 と、励まして清州へと遣わした。使者達は、のたうつ大蛇と化した於多井川を泳いで渡り、清州へ走って信長に急を告げた。

 信長は、

「大儀であった」

 と、息も絶え絶えの使者たちをねぎらい、同朋衆に彼等の介抱を命ずる一方、

「陣貝を鳴らせ!」

 直ちに戦支度を整え、自ら八百余の兵を率いて出陣した。

 清州勢にとって最初の障害となったのは、増水した於多井川であった。

 信長は、またしても戦記物語の一場面を想起して発奮した。その場面とは、平家物語の橋合戦のくだりであった。

「宇治平等院の合戦の時、足利俊綱・忠綱父子は、馬筏を組んで急流を押し渡り、源三位頼政の兵打ち負かした。我等も、それに習うべき」

 清州勢は、騎馬の侍衆が密集して「馬筏」を組み、徒歩の兵は長槍の柄を利用して連結し、騎馬の衆が川上に徒歩の衆が川下に立つ形で川に足を踏み入れ、何とか急流を押し渡った。そして、名塚村から少し離れた藪の脇に陣を張った。佐久間盛重の部隊と合流しなかったのは、一ヶ所にまとまっては、末森勢と那古野勢に挟撃されると考えたからである。

 この時、柴田勝家が率いる末森勢は、名塚村東南の稲牴村に布陣し、林通具の率いる那古野勢は、名塚村南方の泥田に囲まれた場所に陣を置いた。

 兵力において清州勢は、末森・那古野連合軍の二分の一であり、かなりの劣勢であった。しかし、末森勢も那古野勢も、専ら同盟軍を戦わせて自分は漁夫の利を得る事を考えていたので、積極的には動かなかった。

 信長は、その様子を見て、

「謀反人どもの横着さよ」

 と、嘲笑い、佐々孫介と山田治部左衛門の二将に過半の兵を与えて末森勢へ差し向け、自らは本陣に残って那古野勢の動きに備えた。この時、清州勢の本陣には、織田造酒丞信房、織田勝左衛門、森可成などの侍大将たちと、槍持ちの中間衆四十人程度しか残っておらず、那古野勢に攻められたなら一たまりもない状態であった。

 清州勢の先手を務める佐々孫助は、小豆坂の七本槍の一人であり、孫三郎信光を殺害した坂井孫八郎を討った勇士であった。彼は、

(那古野勢が動く前に、末森勢を打ち負かさねばならぬ)

 と、勝負を急ぎ、突撃を敢行した。

 一方、末森勢を率いる柴田勝家は、

(上総介様が御自ら陣頭に立たれたならば、何としたものか)

 と、悩んでいたのだが、押し寄せてきた清州勢の中に信長の姿がなかったので安堵し、

「ならば、遠慮は無用」

 と、兵を進撃させ。

 激突する両勢。

 乱戦の中、清州勢の将・山田治部左衛門は、柴田勝家の姿を見かけて、

「不忠不義の徒・柴田勝家、覚悟せよ」

 と、叫びつつ、馬を馳せ、長巻を振るって斬りかかる。それに対して柴田勝家は、

「何を猪口才な」

 と、槍をしごいて迎え撃つ。

 両者は、馬を馳せ違わせつつ斬り結ぶ。

 山田治部左衛門の放った斬撃は、柴田勝家の兜の吹き返しを削り、柴田勝家の繰り出した刺突は、山田治部左衛門の喉元を捉えた。山田治部左衛門は、もんどりうって落馬し、柴田勝家は高々と槍をかざす。

 歓声を上げる末森勢と、声を失う清州勢。もう一人の将である佐々孫介は、味方を叱咤激励しつつ槍を振るって奮戦するも、勢いに乗る敵勢に押し包まれて討ち死にした。将を二人とも失った清州勢は、本陣に向かって潰走した。それを追って末森勢は、清州側の本陣に殺到する。

 鎧櫃の上に座って戦況を見守っていた信長は、胃を鷲摑みにされたような心地を味わう。

(負ける!)

 先手の兵を撃破され、将を二人も討ち取られてしまった。そして、本陣には寡少な兵しか残っていない。これは、どう考えても惨敗である。

 しかし、信長は、呼吸を保ちつつ自分自身に言い聞かせる。

(是非に及ばず)

 物事に対して余計な感想を持たず、為し得る事を為す。それが、彼の信条であった。

 彼は、立ち上がり、

「怯むな。押し戻せ」

 と、采配を振るって下知を飛ばす。

 それを受けて、造酒丞信房、織田勝左衛門、森可成らが敵勢に斬り入り、突き伏せ、薙ぎ倒し、駆け散らす。その間に、信長は、馬に跨って槍を取り、陣頭に進み出て、

「この謀反人どもが、恥を知れ‼」

 と、大喝した。信長の姿を見た末森勢は、さすがに気後れして動きを止める。

 この時、名塚村を守る佐久間盛重が兵を率いて出撃し、末森勢に斬り込んだ。不意討ちを受けた末森勢の隊列は、楔を打ち込まれた木材のように割れて、将の柴田勝家に向かって道が生ずる。その道を、佐久間盛重が、槍を小脇に馬を馳せて突き進む。

 柴田勝家は、佐久間盛重の姿を認めると、そちらの方へ馬首を向け、

「佐久間大学か。相手にとって不足はない」

 と、槍を構え、馬腹を蹴って迎え撃つ。

 馳せ違う両将。刺突が交差し、打撃が衝突する。そこへ、信長が駆け寄って怒号を放つ。

「柴田権六郎、我と勝負せよ」

 柴田勝家は、閉口し、馬首を返して逃げる。佐久間盛重は、その後を追わんとするが、橋本十蔵という末森方の侍が、

「佐久間大学殿、見参」 

 と、その前に立ちはだかった。

「推参なり」

 佐久間盛重の手より発した遠心力が、槍を介して橋本十蔵の兜に炸裂する。橋本十蔵は、衝撃に目が眩んで構えが崩れた。すかさず、盛重は、十蔵の内兜を突いて斃す。

 信長は、慌ただしく手綱を操って逃げてゆく柴田勝家の背中に言葉を投げつける。

「権六郎よ、武蔵守に申し伝えよ。当主の座を欲するならば、自ら出馬して我と槍を合わせよ、と」

 柴田勝家は、後も見ずに駆け去る。大将が逃げたので、今度は末森勢が潰走する。

 そんな中、末森勢の副将である角田新五は、呆然と辺りを見回していた。僚将の丹羽氏勝が、声をかける。

「角田氏、もはや巻き返す術はない。早々に退散すべき」

「退散とな」

 角田新五は、やるせなげに笑う。

「味方が敗れし今、末森に戻ったところで、降参の手土産として身柄を清州方に引き渡されるか、詰め腹を切らされるのみである。我等の活路は、後ろにはない」

 彼は、忙しく視線を動かし、信長の姿を見つける。

(敵の総大将を討ち取れば、全てが覆る。起死回生、乾坤一擲)

 彼は、槍を構え馬を馳せ、信長目がけて突き進む。

 丹羽氏勝は、

(付き合いきれぬ。捲土重来)

 と、馬首を返して逃亡する。

 信長は、他の事に気を取られて、角田新の接近に気付いていなかった。角田新五は、勝利を確信する。

(得たりや)

 しかし、次の瞬間、下方に強い衝撃を感じ、視線が中空に跳ね上がった。

(何事⁈)

 清州方の松浦亀介という侍が、角田新五が信長に迫っている事に気付き、馬から降り、

「この謀反人が!」

 と、槍の柄を取り延べて、角田の乗馬の脚を薙ぎ払ったのだ。馬は転倒し、角田は鞍から投げ出されて地面に叩きつけられた。松浦亀介は、それに駆け寄り、脇差を抜いて首を掻いた。

 信長は、初めて自分に危機が迫っていた事に気付き、

「亀介、天晴れであるぞ」

 と、松浦亀介を称えた。

 末森勢は、陣を放棄し、城に逃げ帰った。

 信長は、その後は追わず、今度は那古野勢の方へ馬首を向け、

「謀反人、林美作を討ち取れ」

 と、兵を進めた。

 那古野勢を率いる林通具は、信長が末森勢を追撃するものとばかり思っていたので、

(何と、こちらに来たか!)

 と、狼狽しつつ、配下の兵に迎撃を命ずる。

 那古野勢は、体力は温存できていたが、主君に背いた疚しさから士気は低かった。

 それに対して清州勢は、体力は消耗していたが、裏切り者たちに対する怒りから戦意は旺盛であり、猛然と那古野勢に襲い掛かった。

 両勢が入り乱れて戦う中、信長の馬廻である黒田半平という侍が、林通具の姿を認めて、

「腐った腸の臭いがする思ったら、汝であったか。謀反人め、覚悟せよ」

 と、馬を寄せて槍を繰り出す。

 林通具は、

「雀の分際で鷹に挑むか」

 と、長巻で槍先を払いのけて応戦する。両者が斬り結ぶ間、林通具の中間衆は主に加勢しようとし、黒田半平の中間衆は、それを妨げる。

 黒田半平は、勢いに任せて攻めまくる。それに対して林通具は守りに徹して相手の疲れを待った後、渾身の斬撃を放つ。その一撃は、黒田半平の手首に当たった.痛手を負った黒田半平は、槍を取り落とす。

 林通具は、更に斬りつけようとするが、黒田半平の中間衆が間に割って入って主を守る。林通具は、

「雑兵原が、邪魔なり」

 と、自らの中間衆を率いて攻めたてる。

 黒田半平の中間衆は、すぐ近くに味方の織田勝左衛門がいる事に気付いて、

「勝左衛門様、何とぞ御加勢を」

 と、助けを求めた。

 しかし、織田勝左衛門も別の敵と戦っていて手が離せなかったので、自らの小者の一人に、

「杉若、そなたは黒田半平の加勢をせよ」

 と、命じた。

 口中杉若と呼ばれる、その小者は、

「心得申した」

 と、馬の鼻捻棒を振り回しつつ突進し、林通具の中間衆を次々と薙ぎ倒し、追い散らした。

 林通具は、

「おのれ、身の程知らずが」

 と、怒り、長巻を振り上げて杉若に迫る。しかし、杉若は、怯まずに鼻捻棒で林通具の乗馬を一撃する。馬は、棹立ちとなり、林通具は、もんどりうって落馬する。杉若は、それに駆け寄って棒を見舞おうとするが、通具の中間衆に阻止される。林通具は、その間に立ち上がって腰の太刀を抜き、

「下郎が」

 と、杉若に斬りつける。杉若は、跳びすさって斬撃を躱すも、着地に失敗して転倒する。林通具は、駆け寄り、

「思い知れ」

 と、太刀を振りかぶる。杉若は、思わず叫ぶ。

「南無三宝!」

 次の瞬間、横合いから繰り出された槍が、林通具の一刀を受け止めた。

「おのれ何奴!」

 槍の方を見た林通具は、目を見開いて体を硬直させる。

「か・・・・・・上総介様‼」

 信長は、

「この不埒者が!」

 と、大喝一声、突きを放つ。繰り出された槍の穂先は、林通具の首筋を貫いた。林通具は、声にならない叫びを放ち、首筋に手をやる。

 信長は、

「覚えたか逆臣」

 と、一気に槍を引き抜く。その刹那、赤い霞がかかり、林通具は、槍先を追うようにして前のめりに倒れる。すかさず、口中杉若が、脇差を抜いて林通具の体に覆いかぶさり、首級をあげた。

 信長は、血塗られた槍を振りかざして叫ぶ。

「逆臣・林通具は、織田上総介が討ち取ったぞ。皆、謀反人の末路を見よや」

 大将を失った那古野勢は、雪崩をうって潰走する。

 信長は、口中杉若の功を称え、刀を与えて士分に取り立てて、杉若左衛門と名乗らせた。


 末森城の武蔵守信勝は、末森勢が逃げ戻ってくると、

「よもや敗れるとは!」

 と、肝を潰し、城門を閉ざして城の守りを固めた。

 那古野条の林秀貞も、味方の敗北と弟の討ち死にを知ると、

「上総介様が、御自ら美作を討ち取られたのか‼」

 と、肝を潰し、籠城の構えを取った。

 武蔵守信勝と林秀貞が連携すれば、なおも信長に抵抗できたはずであったが、武蔵守信勝は、

「緒戦において末森勢が日和見を決め込んでおったゆえに、戦に敗れた」

 と、那古野側を恨み、林秀貞も、

「上総介様は、柴田権六郎は御見逃しになられたるに、吾が弟は容赦なく討ち果たされた。やはり、血を分けた御兄弟と、ただの家臣とでは扱いが異なるのか。このような企てに加わるのではなかった」

 と、後悔していたため、力を合わせるどころではなかった。

 彼等は、戦意を失ってはいたが、降参する覚悟も持てず、ただ城に籠って徒に時を過ごした。

 信長も、また困っていた。末森、那古野の両城を同時に攻められるだけの余力がなかったのだ。彼は、両城の周辺において焼き討ちを行い、暗に降服を迫った。結局それは尾張の国力を低下させる自傷行為でしかないのだが、信長としては、造反者を簡単に許してしまっては内外から侮りを受けるので、厳しい姿勢を示しておく必要があった。

 武蔵守信勝と林秀貞は、戦うに戦えず、降るに降れない。信長は、攻めるに攻められず、許すに許せない。

 この膠着状態を見かねて、ある人物が動いた。

「このままにては、御家が滅ぶ」

 信長と武蔵守信勝の生母・土田御前である。彼女は、清州城の奉行である村井貞勝と島田秀満を介して、信長に、武蔵守信勝、林秀貞、柴田勝家、丹羽氏勝らの助命を嘆願した。

 信長は、母に感謝した。振り上げた拳を下ろす口実を、与えてくれたからだ。

(これにて、謀反人一味を許しても、弱腰とは見られまい)

 彼は、

「本来ならば、厳罰に処さねばならぬ者共にござりますが、母上に免じて、此度のみは許しましょう」

 と、土田御前に約束した。

 それを受けて、土田御前は、武蔵守信勝、柴田勝家、丹羽氏勝らに降参するように説き、彼等が承知すると那古野城へ使者を遣わし、林秀貞にも降服を勧めた。

 林秀貞は、

(我のみが罰せられるような事になっては堪らぬ)

 と、考えて、承諾した。

 かくして、武蔵守信勝、林秀貞、柴田勝家、丹羽氏勝らは、髻を切り、墨染めの僧衣を纏い、土田御前に伴われて清州城へ行き、信長の前に額づいて謝罪した。

 信長は、感情を殺して彼等を赦免した。

 林秀貞、柴田勝家、丹羽氏勝の三名は、許されたことを素直に喜んだ。

 しかし、武蔵守信勝は、違った。人生において初めて敗北を経験した彼は、屈辱にまみれ、復讐を誓った。

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