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信長公演義・桶狭間の合戦  作者: 酒井塞翁
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第六章 長良川の合戦

〈いずれ必ず、この織田上総介が成敗してくれる〉


 信長にとって斎藤道三は、大切な後ろ盾であった。織田家の背後に斎藤家が控えていたからこそ、今川家は、尾張への進出を本格化できずにいた。

 ところが、その斎藤家において内訌が生じていた。争いの原因は、当主の後継問題である。

 斎藤道三は、国主の権限を部分的に長男の斎藤新九郎義龍に委譲していた。僭主であるがゆえに敵が多く、全方位を警戒する必要があったので、最年長の子を共同統治者の立場に置いた。それ故、世間では新九郎義龍こそが道三の世継ぎであると認識していた。しかし、新九郎義龍の母は、道三の正室・小見の方ではなく側室・深芳野であった。

 通常、権門においては、正室の子が世継ぎに選ばれるものだった。鎌倉幕府の創業者・源頼朝は、正室の子であるがゆえに、三男でありながら源氏の正嫡とされた。弾正忠流において次子である信長が長男の三郎五郎信広を差し置いて世継ぎに選ばれたのも、正室の子だったからだ。

 正室に男子がいない場合は庶子が選ばれたが、小見の方には孫四郎龍重、喜平次龍定、新五郎利治という男子がいた。

 小見の方の実家は、可児郡・明智城を所領とする明智家である。明智一族は、旧国主・土岐家の一門衆であり、奉公衆でもあった。奉公衆は、将軍に直属する武官で守護の指揮下には属さなかった。この時の当主は、明智光安、仮名は兵庫頭。この時、五十七歳。

 彼は、庶子である新九郎義龍の権限が増している事に危機感を覚えていた。義龍の生母・深芳野の実家は、西美濃の有力な国衆・稲葉家である。ゆえに新九郎義龍が道三の後継ぎとなれば、明智家は稲葉家の下風に立たされる。

(何としても、新九郎殿を廃立せねばならぬ)

 しかし、それは容易な事ではなかった。新九郎義龍の正室の実家は、北近江の大名・浅井家であった。道三は、南近江の大名・六角家と敵対していたので、その対抗勢力である浅井家と婚姻による同盟を結んでいたのだ。よって、義龍を排除すれば、浅井家との同盟関係も壊れる。

 しかし、後ろ盾ならば明智家にもあった。何しろ奉公衆なので、足利将軍家とつながりがあった。

(将軍家と比べたならば、浅井家など物の数ではない)

 明智光安は、京都に一族の子弟を送り込み、将軍・足利義輝に仕えさせていた。その子弟の名は、明智光秀、仮名は十兵衛。明智光安は、十兵衛光秀を介して足利義輝と交渉し、小見の方の第二子である喜平次龍定を、義輝の側近である一色藤長の猶子にしてもらった。道三の子が、将軍の直臣という格式を得たのだ。

 道三は、これを一方ならず喜んだ。子が将軍の直参となったという事は、父である道三の美濃における支配権が公認されたと受け取れた。

 これにて、明智家は、道三にとって正室の実家であるだけでなく、将軍との伝手のもなった。そうした状況を作り出した上で、明智光安は道三に具申した。

「喜平次様が公方様の御供衆となり、孫四郎様が当国の守護職となられれば、御家の行く末は盤石とあいなりましょう」

 公方とは、元々は天皇の呼称であったが、この頃は征夷大将軍を指す言葉となっていた。 

 孫四郎龍重が美濃を統治し、喜平次龍定が中央の政権に参画し、自分が二人の息子の上位者として君臨するという未来図が、道三を興奮させた。

(面白し)

 そうなると、新九郎義龍の存在が邪魔となる。

(新九郎より権を奪い、押し込める他ない)

 特に失敗のない長子を政治的に殺す事は惨い処置であるが、道三は、

(家の大事なれば、詮無し)

 と、割り切った。彼は、ある人物を呼び寄せ、

「新九郎を廃嫡し、出家遁世させたい」

 と、意向を明かした。

 その人物とは、竹ノ鼻城主・長井道利、仮名・隼人正。道三の異母弟であった。彼は、道三の意向に対しては特に感想を述べず、

「承知致しました。事は隠密を要しますゆえ、この一件につきましては、それがしに御任せ下されますようお願い申し上げまする」

 と、言った。

 道三は、長井道利の手腕を信じていたので、

「よかろう」

 と、全てを彼に任せた。

 長井道利は、恭しく辞儀をして退出した。彼は、道三と接している間は無表情であったが、本丸館の門を通り抜ける時に、口元に笑みが浮かんだ。


 新九郎義龍は、明智光安の影響力が強まっている事に、危機感を覚えていた。そこへ、ある人物が、彼の屋敷を訪ねてくる。

「若殿に、申し上げたき儀、これあり」

 それは、道三から義龍の処置を一任されていたはずの長井道利であった。彼は、道三から与えらえた役目を全て義龍に打ち明けてしまった。

「大殿は、孫四郎様を御世継ぎと定めるために、若殿を押し込め、ゆくゆくは出家させる御所存にござりまする」

「何と⁈」

 義龍は、目眩を覚えてよろめく。

「確かに我は庶子であり、特に器量に秀でておるわけでもない。されど、これまで一身を賭して、父上を支えて参った。大功はないが、大過があるわけでもない。それを押し込めとは・・・・・・」

 長井道利は、

「活路はござりまする。上中下の三策」

 義龍を絶望の淵に突き落としておいて、希望の糸を垂らす。

「まずは、下策から申し上げましょう。率先して出家遁世し、野心の無き事を大殿に示すのでござりまする。さすれば、大殿も、若殿を押し込めは致しますまい。若殿は、時機を待つことができまする」

 それを聞いて、義龍は顔をしかめた。対策というよりも、無為無策としか思えなかったからだ。

「なるほど、それが下策でござるか。して、中策は?」

「近江・小谷の浅井家に身を寄せて、時節到来を待ちます」

「やはり、待つのでござるか」

 下策よりはましであるが、要は、妻の実家に逃げ込むという事である。

「されば、上策は?」

「国衆に決起を呼びかけ、兵を挙げるのでござりまする」

「それは、謀反ではござらぬか」

「甲斐の武田家においても、同じことがござりました。成就すれば、謀反も義挙とあいなりまする」

 そもそも、道三も、主君に謀反を起こして美濃の国主となった。

 しかし、義龍は、父と違って保守的な気質だったので怯んだ。

「されど、国衆が我の呼びかけに応ずるとは思えませぬが」

「孫四郎様が御世継ぎに決まれば、明智兵庫頭殿の権勢が強まりましょう。兵庫頭殿は、公方様の奉公衆なれば、当家は公方様と深く関わらざるを得なくなりましょう」

「それは、有り難き幸せとすべきことなのではござらぬか」

「名は得られましょうが、実を失いまする。公方様と関われば、当家は否応なしに三好家との争いに巻き込まれ、当家は三好家との争いに巻き込まれて疲弊し、国衆は思い負担に苦しむ事となりまする。それ故、国衆にとっては、若殿こそが頼みの綱であると申せましょう」

 実際、美濃衆の多くは、道三が京都への傾斜を強めている事を快く思っていなかった。

 この頃、畿内においては、将軍・足利義輝と三好長慶が、泥沼の抗争を繰り広げていた。三好長慶は、八箇国を領有する大名で、事実城の天下人であった。そのような大勢力と争えば、大きな損害を被ることは間違いない。美濃衆は、その事に危機感を強めていた。

「若殿が挙兵なされば、国衆は先を争って馳せ参ずるでありましょう」

「されど、我は何処にて兵を募れば良いのでござるか。父上は、我がこの城を出る事を御許しなさるまい」

「城の外に出るには及びませぬ」

 長井道利は、思わせぶりに笑った。

「それがしに一計あり。されど、それを行うに当たっては、相当な御覚悟を要しまする」

「覚悟か・・・・・・」

 義龍は、山寺に幽閉された自分自身の姿を想像してみる。それは、とても惨めな姿であった。

「覚悟ならばござる。このまま何事もなさずに虜となるつもりはござらぬ」

「御見事」

 長井道利は、口の両端を吊り上げる。

「されば、申し上げまする」


 長井道利は、これまで斎藤家における調略部門の担当者として働き、道三の美濃奪取に大きく貢献した。しかしながら、調略活動は水面下で行われる役目であるため、その功績が公然と賞賛されることはなかった。

 道三は、全くその事に配慮しなかった。

(あ奴は、陰気で人望がなく、武勇にも秀でておらぬゆえ、調略の他に使い道がない。それに、あ奴も目立ちたくはあるまい)

 それは間違いで、長井道利にも名誉欲はあった。その彼が羨望かつ嫉妬している相手が、明智光安であった。

 道三から新九郎義龍を幽閉する意向を示された時、彼は、強い怒りを覚えた。自分も、義龍と同じ庶子だったからだ。

(日陰者は、所詮日陰者という事か)

 彼は、決意した。

(日向を闊歩する者共に、日陰を歩む者共の無念を御もし知らせてくれる)


 程なくして、新九郎義龍は、病気と称して外出しなくなった。

 長井道利は、道三の前に罷り出て、

「新九郎様は、重い病に罹って、起居も儘ならぬ有り様にござりまする。されば、押し込めるまでもなく、周りから人を遠ざけておるのみにて事足りるかと存じまする」

と、具申した。

 道三は、長井道利の言葉を信じた。義龍は、体格こそ雄大であったが、血行が悪く、体調を崩す事が多かったからだ。

「然様か。事を荒立てずに済むのであれば、それに越したことはない」

 彼は、義龍を稲葉山城に隔離するために、侍衆を率いて城下の井ノ口にある別邸に移った。

 長井道利は、更に、

「新九郎様は、心身ともに弱り切っておられます。ここで孫四郎様と喜平次様が新九郎様を御見舞いなされたなら、新九郎様は感激なされて、孫四郎様の家督相続を御認めになるやもしれませぬ」

 と、述べた。

 道三は、

「なるほど」

 と、その勧めに従い、孫四郎龍重と喜平次龍定に、義龍を見舞うように命じた。

 命を受けて、孫四郎龍重と喜平次龍定は、長井道利に導かれて義龍の館を訪れた。しかし、館の内で彼等を待っていたのは、病床に臥せた兄ではなく、抜刀した侍大将であった。

 日根野弘就、仮名は備中守。義龍の側近で、卓越した武人であった。彼は、名刀・作手棒兼常を振るって孫四郎龍重と喜平次龍定に斬りつけた。孫四郎龍重と喜平次龍定は、佩刀を次の間に預けていたため、為す術なく斬り伏せられた。

 別室にて待機していた義龍は、弟二人の死を確認した後、手勢を率いて稲葉山城の本丸を占拠し、井ノ口に軍使を遣わして、道三に弟二人を殺害した事を告げた。宣戦布告である。

 道三は、現実を信じる事ができなかった。

(新九郎に、然様な事ができるはずがない。あ奴は生真面目で融通が利かず、謀が苦手であったはず)

 しかし、次の瞬間に思い出す。自分に義龍が重病である事を告げたのは、誰か。そして、孫四郎龍重と喜平次龍定を義龍の見舞いに行かせるように勧めたのは、誰か。

(長井隼人‼ 彼奴が仕組んだ事か⁈)

 道三は、直ちに兵を集めて稲葉山城本丸を攻めたが、自らが縄張りした堅牢な城郭を攻めあぐねた。

 彼は、心が乱れて、いつものように術策を巡らす事ができなかった。

(しばし考える猶予が欲しい)

 井ノ口の館は防御力が低く、奇襲を受ければ一たまりもないので、道三は館に火をかけて井ノ口より退き、長良川の北岸の大桑城に入った。この城は、先の国主・土岐頼芸の居城であった。道三は、そこから美濃各地に使者を遣わして国衆に召集をかけた。

稲葉山城の義龍もまた国衆に参陣を呼びかけた。

 これは、票ではなく兵を集める選挙であった。結果、明暗が分かれた。大桑城には数百の兵しか集まらなかったが、稲葉山城には数千の兵が集まったのである。

 道三は、井ノ口の放棄を戦略的撤退と考えていたが、美濃衆の大半は、これを敗走と見ていた。彼等の認識の中では、道三は既に落ち武者だったのである。

 日比野清実、長井衛安、竹腰尚光、安藤守就、氏家直光、稲葉良通らの諸大将も、道三を見限って義龍側に付いた。

 長男に背かれ、次男と三男を殺され、弟に騙され、国衆に見放された道三には、頼る相手は、もはや娘婿しかいなかった。彼は、清州へ使者を遣わし、信長に援軍を求めた。そして、尾張の兵と合流するために大桑城を出て南に移動し、鷺山城に入った。

 この動きを知った長井道利は、義龍に進言した。

「大殿は、尾張からの加勢を当てにしておいでのようです。織田の兵が駆けつける前に、鷺山を攻めるべきと存じまする。

 義龍は、その勧めに従い、井ノ口に集まっていた大軍を、鷺山へ向かって進撃させた。

 道三は、鷺山城の櫓から押し寄せてくる義龍方の大軍を観察して、自らの武運が尽きた事を悟った。

(もはや、これまでか。されど、このまま易々と敗れはせぬ。新九郎余、吾が最後の策略を受けてみよ)

 彼は、兵を率いて鷺山より出撃し、長良川の岸辺に陣取った。

 それを見て、義龍は、まず竹腰道塵を将とする六百余の兵を先手として繰り出した。竹腰道塵の部隊は、円形に密集して川を渡り、道三方の軍勢に攻めかかった。

「小癪な」

 道三も、旗本衆を進撃させ、双方の兵が入り乱れての激戦となる。道三の旗本衆は、生国を問わずに集められた手練れの侍を以て編成されており、その中には蜂須賀正勝、仮名・小六郎という尾張者もいた。

 旗本衆は、竹腰隊を突き崩して竹腰道塵を討ち取った。

「新九郎よ、見たか」

 道三は、哄笑する。但し、これが彼の言う「最後の策略」ではなかった。

 義龍は、未だ衰えぬ父の武力を目の当たりにして怯んだが、長井道利から、

「あれは、最期の悪あがき。勝敗は、既に決しておりまする」

 と、励まされ、気を取り直して全軍に進撃を命じ、長良川を押し渡った。

 暫しの間、距離を隔てて睨み合う両勢。やがて、義龍方の軍勢から長屋甚右衛門という侍が進み出て挑戦し、道三方からは柴田角内という侍が、それに応じて一騎打ちとなった。両者は、馬を馳せ違わせつつ長巻を振るって斬り結ぶ。長屋甚右衛門は、柴田角内の兜を強打する。柴田角内は、よろめいて長巻を取り落とすが、長屋甚右衛門に組み付いて下に落ちる。長屋甚右衛門は膂力に物を言わせて柴田角内を組み伏せ、相手の上に馬乗りになる。しかし、柴田角内は、脇差を抜いて相手の下腹部を刺し、のけぞるところを撥ね退け、その体を俯せにしてから馬乗りになり、髻を掴んで首を持ち上げ、喉を掻き切った。

 この一騎打ちを皮切りに、双方から次々と侍が名乗り出て斬り結び、そのまま集団戦へと雪崩れ込む。当初は道三方が押し気味であったが、その後は徐々に義龍方が押し返し始める。それを見て、道三は、

「怯むな。我に続け」

 と、太刀を抜いて自ら戦いに身を投じる。

 義龍方の長井忠左衛門という侍が、道三の姿を認めて駆け寄る。彼は、道三を討つつもりはなく、生け捕りにして義龍の前に連行するつもりだった。

「大殿様、長井忠左衛門が御迎えに参上いたしました。これより、若殿様の御前へ案内申し上げます」

「猪口才な」

 道三は、猛然と太刀を振るって長井忠左衛門に斬りつける.長井忠左衛門は、野太刀を上げて相手の一撃を止めつつ、間合いを詰めて鍔迫り合いに持ち込む。道三は、相手の力を脇に受け流そうとするが、長井忠左衛門は、踏み込んで相手の太刀を押し上げ、組み付こうとする。

 その時、小真木源太という義龍方の侍が、斬り結ぶ両者に駆け寄ってきた。彼の頭の中は、功名心で占められていた。

(大将首、大将首!)

 彼は、長巻で道三の脛を薙ぎ払った。道三は、痛手に耐えかねて転倒する。彼と刃を合わせていた長井忠左衛門も、それに引っ張られる形で倒れる。その間に、小真木源太は、道三を組み伏せ、脇差を抜いて首を掻いた。長井忠左衛門は、それを見て、

(功を奪われたか)

 と、歯ぎしりしつつ脇差を抜き、道三の首から鼻を削ぎ取った。自分も敵将を討ち取るのに貢献した事を示す証拠である。

 道三方の軍勢は潰滅し、鼻を削がれた道三の首は、義龍の前へと運ばれた。義龍は、息を呑んで絶句した。

 彼は、父を殺すつもりはなく、追放するか幽閉するつもりでいたのだ。

(何と言う事をしてくれたか)

 彼は、内心では長井と小真木を責めたが、表には出さず、

「両名とも、見事な働きぶりであった」

 と、二人の武功を称え、恩賞を約束した。これは合戦であり、長井・小真木の両名は敵の総大将を討ち取るという大功を立てたのだから、咎める事などできなかった。

 正に、これこそが、道三の「最後の経略」であった。彼は、討ち死にを遂げる事によって、義龍に「父殺し」の悪名を与えたのである。

 勝者であるのにも拘わらず、義龍の顔色は冴えなかった。

 その脇に控える長井道利もまた、浮かない顔をしていた。彼は、人生のある時期までは道三を支える事を、ある時期からは道三を滅ぼす事を目標として生きてきた。人生が、道三を軸として回っていたのだ。その軸が消滅した。それにより、彼の胸中から怨恨と屈辱の堆積は消えたが、その後に虚ろな隙間が残った。

 彼には、道三の嘲笑う声が聞こえてくるような気がした。

(所詮、汝は、吾が影に過ぎぬ。本体が消えれば、影もまた失せる)

 長井道利は、幻聴を振り払う。

(亡者は、黙っておれ)

 そこへ使い番が駆け込んできて、注進する。

「織田の兵が木曾川を渡りました」

 それを聞いて、長井道利の心に、活力が戻った。

(織田上総介か・・・・・・)

 道三が、己の子供よりも格上と評価した人間である。その人物を打ち負かせば、斎藤道三は人を見る目がなかった、と世間から評価される事となるであろう。死せる兄を、更に鞭打つことができるのだ。

 長井道利の心の隙間が、再び嫉妬と怨念で満たされる。

(大うつけが死地に入ったか)

 彼は、義龍に、

「尾張の兵は、それがしに御任せ下されませ」

 と、願い出て、千余の兵を率いて織田勢の迎撃に向かった。


 織田信長は、斎藤道三から援軍要請を受けると、直ちに数百の兵を率いて清州より出陣し、木曾川と飛騨川を船で渡って美濃に入り、大良郷の児島・東蔵坊という寺を拠点とした。そして、斥候を放って状況を探りつつ長良川に沿って兵を進めていたところ、長井道利の率いる部隊と遭遇した。

「かかれ」

 長井道利の号令一下、斎藤勢が織田勢に攻めかかる。それに対して、信長は、三間半柄の長槍を装備した足軽衆を前面に出す。織田の槍衆は、槍衾を作って斎藤の侍衆の騎馬突撃を食い止める。

 その時、斎藤勢から千石又一問う侍が、長巻を小脇に馬を乗り出し、

「織田の侍は、合戦の折には足軽衆の後ろに隠れるのが流儀と見える。ならば、何も生きた侍を率いてくることはない。案山子に鎧兜を纏わせて、馬の鞍に括り付けておけばよい」

 と、罵った。

 それを聞いて、信長は、

「おのれ小癪な」

 と、槍を取って進み出ようとするが、

「御待ち下されませ。あれしきの奴原相手に殿が御出ましになられては、我等家来衆の面目が立ちませぬ」

 と、一人の侍が、それを押しとどめた。森可成、仮名は三左衛門。織田家に仕える美濃侍であった。

「ここは、それがしに御任せあれ」

 彼は、十文字の槍を小脇に馬を乗り出し、

「斎藤の侍は、季節ごとに主君を取り換えるのが流儀であると見える。それならば、何も生きた主君に仕える事はない。木か金で主君の像を作って座敷に据えておけばよい」

 と、嘲笑った。やりこめられた千石又一は、満面に朱を注ぎ、

「口は達者であるが、武芸の程はいかばかりか、試してくれる」

 と、馬を馳せ、長巻を振るって森可成に斬りかかる。森可成も、

「いざ参れ」

 と、馬腹を蹴り、十文字槍を捻って迎え撃つ。千石又一は斬撃を放ち、森可成は刺突を繰り出す。長巻の刃と槍の鋒がぶつかり合って火花が散る。

 千石又一は、数合打ち合って、

(手強し)

 と、相手の力量に舌を巻き、負けた体を装って逃げる。すると森可成は、

「おのれ、口ほどにもない奴。返せ!戻せ!」

 と、その後を追う。千石又一は、森可成が近づいてくるのを待って、振り向き様に一刀を見舞う。その一撃は、森可成の脛の口に当たった。

 それを見た信長は、

「森三左衛門を討たすな。者共かかれ!」

 と、兵に下知し、長井道利も、

「かかれ、かかれ。織田上総介を討ち取れ!」

 と、部隊を進撃させ、両勢が激突する。斎藤勢は相当に強く、織田勢は苦戦を強いられ、山口取手介、土形彦三郎などの侍が討ち死にした。その間に、斥候が戻って来て、信長に、斎藤道三が既に討ち死にしている事を報告した。信長は、思わず天を仰ぐ。

 救援の対象が討たれてしまったからには、戦いを続ける意味はない。しかし、ここで退却すれば、追い討ちを受けて大きな損害を受けてしまう。

(戦いながら、少しずつ退く他ない)

 信長は、弓・鉄砲衆に斎藤勢を射撃させ、相手が怯んでいる間に兵を後退させる。それを見て長井道利は、

「まず、敵の射手を討つべし」

 と、配下の侍衆を織田の弓・鉄砲衆へ差し向けるが、信長は、槍衆を整列させて騎馬突撃を食い止め、弓・鉄砲衆を守る。織田勢は、そうやって敵の追撃を撃退しながら徐々に退却し、大きな損害を被ることなく東蔵坊の陣に入る事ができた。

 長井道利は、信長の巧みな用兵に舌を巻いた。

(織田上総介は、なかなかの戦上手である)

 それでも、彼には勝算があった。

「勝負は、これからよ。加納口の合戦の事を思い出すわい」

 加納口の合戦とは、信長の父・備後守信秀が、斎藤道三の守る稲葉山城を攻めて返り討ちに会い、千余の死者を出す惨敗を喫した戦いである。この時の織田方の死者の中には、織田与次郎信康や、織田因幡神達広などの城主級の将もいた。

 織田勢の損害が甚大となったのは、付近を流れる大小の河川に退路を遮られたからである。矢石や刀槍で討たれた者より、溺死者の方が多かったのだ。

 今回、信長は、木曾川と飛騨川を渡って美濃に入っている。当然、尾張に戻る時には、再び川を渡らなければならない。

(その時こそが、好機なり)

 長井道利は、そう考えて、織田勢が尾張に引き返すのを待った。

 やがて、織田勢が陣払いを開始する。ところが、彼等の退却の仕方は、長井道利の予想したものとは違っていた。通常このような場合は、まず総大将が退くものであったが、信長は、まず負傷者や小荷駄衆を船に乗せて渡河させ、自らは弓・鉄砲衆を率いて殿を務めた。

 長井道利は、嘲笑った。

「総大将が自ら殿を務めるなど、愚の骨頂である」

 そして、配下の士卒に、

「今こそ織田上総介を討ち取れ」

 と、下知した。

 信長目がけて殺到する斎藤勢。信長は、射手に弓・鉄砲をつるべ撃ちさせる。銃声と弦音が響き、矢弾が当たった美濃侍は馬から転落し、当たらなかった者達は手綱を引いて馬を止める。

 長井道利は、

「怯むな!千載一遇の好機なるぞ!」

 と、味方を叱咤激励するが、斎藤勢の侍衆は尻込みした。侍同士の戦いで命を落とすのは名誉とされたが、足軽に狙撃されて斃れるのは犬死にと考えたからだ。その間に、織田勢の小荷駄衆と侍衆は川を渡り終えた。

 然る後に、信長も、弓・鉄砲衆と共に船に乗った。

 長井道利は、苛立ち、自ら馬を馳せて川岸に迫り、船で遠ざかってゆく信長に呼びかける。

「織田上総介殿、敵に後ろを見せるとは卑怯でござるぞ。引き返して勝負なされよ」

 と、無駄を承知で呼びかけた。それを聞いて信長は、鉄砲をさすりつつ船上に立ち上がり、応答する。

「汝は誰か」

「我こそは、斎藤新九郎義龍が重臣・長井隼人正道利なり」

 と、名乗った。ところが、

「長井隼人正?然様な者は知らぬ」

 信長の言葉が弾丸のように飛んできて、長井道利の自尊心を貫通した。道利は、怒りの余り息が詰まり、束の間、言葉が発せられなくなった。信長は、更に追い討ちをかける。

「長井隼人とやら、よく聞くがよい。汝は我を卑怯者呼ばわりしたが、己の父を害した斎藤左兵衛は大逆無道の徒であり、それに仕える汝は佞人である。汝の方こそ、恥を知るがよい」

「おのれ憎さげな!」

 長井道利は、いきり立ち、馬を川の瀬まで乗り入れる。彼の近習が、

「隼人正様、然様に前に出られては危うし」

 と、制止するが、その手を振り払い、

「上総介殿は、御口は達者なようでいらせられるが、武勇の方はどうであろうかな。負けて逃げておるのは、どちらの方か」

 と、喚いた。それに対して信長は、鉄砲を長井道利の方に向けて構え、

「言葉のみにては不足であるか。ならば、吾が武勇の程を示してくれよう」

 と、引き金を絞る。

 長井道利は、最初は破裂音を、次いで風を切る音を聞いた。その直後、強烈な衝撃が脳天から爪先にまで走り抜け、視界が白金色に染まった。そして、体が一瞬浮き上がった後に落下し、意識もろとも暗黒の中に落下した。

 闇の中で、彼は、斎藤道三の幻影を見た。幻は、口を歪めて笑った。

(汝には勝てぬ)

 長井道利は怒り、言い返そうとするが、大量の水が器官に流れ込んできて、もがき苦しむ。

(死んではならぬ。生き長らえよ)

 道三の声が、意識内で響く。

(汝は、これまで吾が影であった。これより先は、織田上総介の影として生きるがよい)


 斎藤勢の誰しもが、長井道利は銃弾で眉間を撃ち抜かれて死んだものと思った。しかし、近習によって水中から引き上げられた彼は、水を吐き出し、噎せ返った。弾丸は、道利の眉間ではなく、兜の前立てに当たったのだ。

 近習から解放されている長井道利の耳に、信長の声が飛び込んでくる。

「長井隼人よ、生きて帰る機を与えてやるゆえ、主の斎藤新九郎に申し伝えるがよい。いずれ必ず、この織田上総介が成敗してくれる、とな」

 南外道利は、咳き込みつつ何とか立ち上がり、声を振り絞って叫ぶ。

「織田上総介‼ この遺恨は、必ず晴らすぞ‼」

 それに対する信長の答えは、高笑いであった。

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