第一章 4.『魔法使いとのしるし』
目が覚めるって、なんてこんなに気持ちのいいことなんだろう。まるで暗く不安げな場所から明るい未来へと連れて行ってくれるような感じ。そんな風な感覚だな、と俺は思う。瞼を開ければそこには明るい光が待っていて、眩しさに目を思わずこする。俺にとったら二度寝や三度寝は当たり前の方だから他者から見れば、寝起きは悪いってことになるんだろう。俺は起きるのは毎日昼すぎだったし、目を覚ましてすぐに意識が覚醒!っていうような体質ではなかった。
「・・・・う、ううん・・。」
急な眩しさに反射的にうねり声を上げる。まるで『まだ寝たい』とでも言っているかのような顔をしていた。体は暖かいし、寝心地も悪くはない。何て言い寝どこなんだろうと思いつつ、重い瞼をさすりながら上げた。
開けると飛び込んできたのは変わらない路地裏の景色。建物と建物の間にあるせいで日差しは全く当たらずどこもかしこも影になっている。
「・・・・寝てた・・のか?」
いや、確か俺の記憶上では少女と二人きりになってその後、意識をなくしてしまったんだっけ。
足も痛かったし少し貧血気味だったからな。そういえば、あの女の子はどこにいるんだろう?
「どっか行っちゃったのかな。」
辺りを見回しても周りには誰もいない。この路地裏にいるのはどうやら俺だけらしい。あの少女はどこかに行ってしまったのか、もうここにはいなかった。
そして、もう一度視点を真正面に合わせると
「やあ。目が覚めたかい?我がプレイヤー。」
「・・・・・・⁉」
俺の間近にあったのは一人の男の顔。それも嫉妬してしまうほどの美形。
いや、まずお前誰よ⁉
「ええええっ⁉」
驚きのあまりつい後ずさりしながら立ち上がる。すぐ後ろには終点を告げる壁があって、そこまで一気に離れた。
にこやかに笑みを浮かべる青年。
どこか俺とは違う次元に立っているかのような妙な雰囲気が匂っていた。髪を編み込み、右にびっちりと寄せる黒と金色の混じり合った髪型。理知的な瞳が射貫くようにこちらを見据える。柔らかな瞳、とは言い難い大きな目。手には分厚い一冊の本を抱えていた。
身長は俺を容易にぬかす百八十センチ後半ほどの大きな体。の割には少しやせ形のようだ。暗い茶と黒をベースとした至る所に縫い目が目立つ貧相な服装。だが、青年からは貧相なんて感じさせない異様なオーラがある。
やはり目立つのは右手に持つ分厚い一冊の本だ。それが青年をさらに魅力的にさせていた。
「な、なんなんだよお前!」
眠気なんて一気に覚めて、今では警戒心の強い猫のように声を上げている。
急に目の前に出てくるのには驚くし、なんか徐々にこっちに近づいてきてるし、まさかさっきの獣人たちに依頼されて殺しにきました。とかだったら全然シャレになんねぇよ⁉
「驚かせてしてしまったのは素直に謝罪する。すまなかったよ。」
右膝をついて頭を下げる。それとほぼ同時に前髪が垂れる。
高貴さを感じさせる謝罪の仕方に思わず絶句した。
俺たち一般ピープルが見せる土下座とはまた違う気品のある物。なんていうのか、逆に自分が悪いんじゃないのかな?っていう錯覚を起こしてしまいそうな感じのもの。
「あ、いや、別にそこまでしなくても。別に全然大丈夫だからさ。」
多少の後ろめたさに言葉を詰まらせた。
「そうか。だったらいいんだが。」
そう言って青年は頭を上げた。
その動作をついつい目で追ってしまう。はっきり言って超絶イケメン。プラスで超絶誠実そう。そんな彼を見て嫉妬というものよりも先に浮かんだのは、あまりにも場違いな俺の存在だった。
イケメンと凡人(実際にはひも人間)が面と向かって会話をしているだと。こんなの他者から見ればメダカと本マグロぐらいの差があるよ?
こんな人と俺が会話をするだなんて、何て恐れ多いことなのか。
「・・・で、一つ質問なんだけど、誰?」
「よくぞ聞いてくれた。我がプレイヤー。」
そのさっきから俺のことを『我がプレイヤー』っていうの、どういうこと?すんごい意味深発言なんだけども。
「が、今は頃合いではない。一つ先に我がプレイヤーに言わなくてはならないことがあってね。」
「それならそれでいいんだけどさ。さっきから言ってる『我がプレイヤー』っていうのはなに?俺、別にプレイヤーでも何でもないんだけど。」
そう言ったが刹那、青年は小さく笑った。それもなんか頭に引っかかるような気になる笑い方だ。
「何を言う?君はちゃんとプレイヤーだよ。ギャルゲをこよなく愛するイツキ・ミゾラよ。」
青年が両手を広げて言う。
・・・なんで俺のこと知ってんのこいつ。ギャルゲが好きとか一言も言ってなのに。この男の不敵な笑み、なんだか嫌な予感がプンプン感じるのは俺だけか?
「ちょっと待てちょっと待て。何を根拠にこの俺を『ギャルゲをこよなく愛する男』ってくくってるんだよ。」
そもそも何を根拠に青年が俺の前に現れたのかすら曖昧だし、ましてや言ってることはよくわかんないしで、もう頭の中がぐちゃぐちゃだよ。
この世界は推測するに、異世界ファンタジーど定番の世界。獣人もいれば元いた世界とは違う街並みが広がっている。それをすべて否定するかのように、青年は小さく口を開けた。
「なぜなら、ここはギャルゲの世界だからだ。」
・・・大きな丸が三つ。この場に沈黙という時間が訪れた。
青年からの先刻の一言が耳に聞こえたとき、何故か頭を金属バットで殴られたかのような感触が襲った。
「ほーん、そうなんだ。まあ言いたいことがそれなら・・って納得できるかぁ!」
あまりにも衝撃すぎる一言だったが故に、俺の思考回路は青年の一言に追いついていなかった。『この世界はギャルゲ』だ?んなの急に言われで納得できる奴はこの世のどこにもいないと思うぞ。
「何が納得できないというのだ?」
「全部だよ、全部。」
この世界が仮にこの青年が言うようにギャルゲだというのなら、何となくあり得そうな世界観は整っているような気がする。俺は最初に、よくある異世界ファンタジーものだと思っていた。だけど、それがゲームの世界観なら納得もいくような気がする。
じゃあこの世界は彼の言うようにギャルゲなんだ~、とはならないよね。
いまいち頭が追い付いていないしね。
「そもそも何を根拠にこの世界をギャルゲの世界と言うんだよ?」
「何を根拠に、と言われてもこう答えるしかない。」
俺はごくりと息を飲む。
「私がこのギャルゲの管理者だからだ。」
うん。これは、認めるしかないようだね。積んだ、完全に積んだよこれ。言い出した当の本人がそう言ってるんだから間違いないはずだ。
ゲームの管理者?何それ?意味わかんない。そうやって否定することも考えたけど、青年の顔はいたってまじめだった。明らかに本当のことを言っている顔がそこにはあった。
「よし、わかった。あなた様が言っていることは事実っていうことで百二十歩譲って認めることにする。だけどな、この世界がギャルゲっていうんなら何を根拠にそう言うんだよ。やっぱりこの風景を見ると異世界冒険の類のやつにしか感じられないけど?」
「異世界冒険とはまた違うだろう。現に獣人が存在したり、先刻のように闘う、なんてこともあって『それ』らしいものは匂うのだけれどもね。」
「なんだよそれ。それに、いまんとこギャルゲ要素なんてもっぱら感じねぇんだけど?」
この世界がギャルゲの世界というには説明不十分だ。っていうかこれがギャルゲの世界ならすぐにでもログアウトしたい気分だね。
ナンパから女の子を助けようとする→ 獣人に返り討ちに合う→ 女の子が一人で解決してかっこ悪いところを見せる→ 気を失って目覚めると女の子はいなくなってる。
何がギャルゲだ!とんだクソゲーじゃねぇか。
青年の言ってることなんて実はただの戯言なんじゃないのか?そもそもなんで彼が、俺がギャルゲ好きなことを知っているのかもまだはっきりしてないし。もしかしたらだけど、こいつが俺を召喚した張本人とか?
それだったら何となく説明がつく部分があるぞ。
「まさかだと思うけど、俺を召喚したのがあなた様だとかないよな・・・?」
「召喚?そんなちんけなことを私はしていないが?」
ならよかった。こういうのって美少女が異世界から助けを求めて召喚するってゆう展開だもんね。
「召喚というものに何かあるのかい?」
青年は疑問に感じたのかそう問うてくる。
「いや、別に何でもないよ。」
「そうか。」
青年はそう言っていざ本題、とばかりに喉を鳴らした。
「では、我がプレイヤーイツキ・ミゾラにこの世界でギャルゲをするにあたっての説明事項を読み上げさせてもらうよ。」
ん?なんか意味わかんないこと言ってなかった?
俺がこの世界でギャルゲをするとかなんだとか今言ってなかった?
「・・・はい?」
「我がっプレイヤー、イツキ・ミゾラはこの世界で今日よりギャルゲをすることとなった。今ここに誓いのしるしを!」
声を張って、気分よさげに言い切る。おまけに膝をついて手に持っていた本を広げているかと思うと、もう一方の方にはペンを握りしめている。まるでここにサインをしろ、とでも言っているかのように。いたってまじめな様子に思わず困惑。いや、まてまてまて!
「いや、『今ここに誓いのしるしを!』じゃないから。俺の予想をはるかに超えるようなことしてこないで。」
危うく素直に納得してしまうところだった。まだ聞きたいことがいっぱいあるんだから。いきなり意味わかんないことされたら頭がこんがらがって変に納得しそうだよ。
「俺さ、まだ何でこの世界をギャルゲと言い切る理由をしっかりときかされてないんだけど。そもそもこの世界に来たときはここがギャルゲの世界だとか思わなかったし、ってかここをギャルゲの世界だとか納得したくないし。」
いきなり現れた彼の言っていることを別に信じたくないってわけではない。どちらかというと信じたくないけど、ここは異世界なんだ。何があろうと不思議じゃない。彼がいうようにここがギャルゲの世界だというならそれはそれだ。まあ、ギャルゲ要素なんてこれっぽっちも感じないんだけどさ。
「何をためらう必要があるのだ、我がプレイヤー。そのようなことを訊いている暇があるのならば、さあっここに誓いのしるしを。」
「だからしないって。」
しつこく言い迫ってくる青年に断固拒否の声を上げる。ぐいぐい誓いのしるしを迫ってくる様子はまるで熟練のセールスマンのようだ。
「俺の質問にちゃんと答えて。答えてくれたら言ってる誓いのしるしっていうやつをやってあげるからさ。」
「我がプレイヤーがそう言うのならば、おおせのままに何なりと質問してください。」
この青年は自分のことをこのゲームの管理者だと称した。そのことが事実なのか、それは今片隅に置いておくことにして、聞きたいことは他にある。
「何を根拠にこの世界をギャルゲと言うんだ?」
俺はこの世界をよくある異世界召喚ものだと思っていた。獣人がいるし、髪の色もカラフルな人が多いし、何て言っても街並みがお決まりの中世風って感じだ。
全く異世界ファンタジーもののゲームをしたことはないがアニメとかで得た知識がある。だから、この世界をギャルゲだと言い切る理由が聞きたい。
「それは今から身をもって感じてみることだ、我がプレイヤー。この世界はギャルゲ、そして君が先刻までしていたメモリアルガールズのなれの果て、なのだから。」
「なんか、すんごい曖昧な言葉に隠された気がするんだけど?全く理由になってないじゃんか。」
しかも、異世界に召喚される前までやっていたギャルゲ、メモリアルガールズのなれの果てだとか言うし。いや、ちょっと待てよ?それだったらあの女の子が翌檜似だったのも理由が付くんじゃないのか。まさかだと思うけど、ほんとにギャルゲの世界なのか?
「曖昧な部分は君自身で導き出すんだ。私はそのためのただの協力者に過ぎないのだから。」
俺は少しやけになって
「あーもう!わかったよ。お前が言ってることでいいよ。」
「ならここに誓いのしるしを。」
催促の声がすぐさま聞こえる。
俺はやむ負えなく納得したっていうのに、この男は変わらないな。
結局は誓いのしるしっていうやつが一番大事なのかよ。
「なに、ここにサインでもすれば言いわけ?」
青年が改まって膝をつき直すと、俺は彼の持っていたペンを握りしめた。見下ろすとあるのは一冊の本のある一ページ。
「あぁ。ここにこのゲーム内での名前を記入してほしい。まぁ、そんなことを言っても大方名前は決まってるんだろう。」
「当たり前だろっ。」
ここがギャルゲの世界ならばその主人公はこの俺、樹美空。ギャルゲにおいて百戦錬磨の実績を持つ俺にとっての掟。それはギャルゲの主人公は現実の俺だっていうこと。架空の人物なんていらないなんだから。
「では、ここに名前を。」
「ああ。」
まるで料金請求に来た宅配業者にサインをしている感覚だった。引きこもりだからと言って誰とも接しないわけではない。どちらかというと宅配業者はお友達ぐらいの感覚だった。外に出たくないやつの唯一の秘技。ネットショッピング、魔の人差し指だ。
欲しいものはだいたいこの人差し指でポチってきたからな。
そんなことを思いつつ口を大きく開けた。
「俺の名前はイツキ・ミゾラ。空には羽ばたく美しき存在のことだ!」
痛々しい発言とともに誓いのしるしはここに記された。その後、青年がひとしきりに立ち上がりうれしそうな顔つきで声を張って言った。
「祝え!全世界のギャルゲプレイヤーよ。ここに今、最強にして完璧なるギャルゲの亡者が誕生した!この男に、祝福の賛美をっ!」
ギャルゲの亡者ってなんだよ、人をギャルゲしかできないやつみたいに言っちゃって。だけど、そこまで悪い気はしないな。急に大声出して独り言を言い始めたからちょっとびっくりしたけど。
こんなに人に言ってもらえるなんて、ほんと・・・いつ振りなんだろう。
『本当に樹君はいい人だね。毎日の放課後、本ばかり読んでいたひとりぼっちの私に色々なことを教えてくれて・・・・嬉しい。』
って、何思い出してんだろ俺。今はそんなこと気にしてる余裕なんて、ないっていうのに。
「なんかけなされてる気がするのは俺だけ?」
「褒めたたえているのだよ。そこだけは勘違いしないでくれ。」
さて、ここが彼の言うようにギャルゲの世界だということは確認した。現に誓いのしるしも済ませたし。ならば、ここがギャルゲの世界なら攻略相手がいるんじゃないのか?とびっきり可愛い美少女とかさ。
さっきこの世界はメモリアルガールズのなれの果てとか何とか言ってたし。
「それで、俺は誓いのしるしをさせられたわけだけど、この世界でギャルゲするっていうことでいいんだよな?」
「あぁ。この世界は念を押して言うがギャルゲの世界だ。それ相応の設定があることをお忘れなく。」
思い出したかのように言い出して。
「あ、だったら選択肢とかはどうなるんだよ。」
選択肢、それがギャルゲに置いての醍醐味だ。一つの選択肢が今後の展開にどのようなことを巻き起こしてくるのか、それが楽しくて(二次元美少女可愛すぎるし)ギャルゲを始めたんだから。
それなしに楽しめるわけもない。
「選択肢はここを使って考えてくれ。」
青年はそう言って自分の頭を指さす。
「頭を使えって・・・どういうことだ?」
開いていた本をパタンと閉めて口を開ける。
「このギャルゲはいわゆる体験型シュミレーションゲームと感じてくれればいい。つまり、本当の恋愛を我がプレイヤーにしてもらう。本当の恋愛はすべて君自身が考えて行動するものではないだろうか?」
本当の恋愛・・・ねぇ。ギャルゲに置いての経験値が百だとしたらマジの恋愛はほぼゼロに等しいな。今まで豆鉄砲を扱っていた兵士が戦車を急に扱い始めるかのような感覚。恋愛幼稚園児は高校生になってもそのまんまだったしな。
まぁ、マジの恋愛が一概に疎いってわけじゃないんだけど。
「選択肢は俺の頭にあるってか。だったらそもそもの話、俺は誰を攻略するんだよ?」
そう言ったが刹那、青年は少しほそく笑んで器用に路地裏の壁を蹴りながら身軽に壁のとっかかりをつかむと、あっという間に建物の上へと登りつめた。
「お、おい!どこ行くんだよ。」
「少しおしゃべりが過ぎたようだ。」
「はぁ?」
言っている言葉の意味が分からなくて必然と言葉が口から洩れる。そんな俺のことを見てか、彼は口を開ける。
「私の名はオズ。困ったことがあればいつでもお呼びしてくれたまえ。私はいつでも我がプレイヤーのところへと駆けつけよう。」
「それは嬉しいんだけどさ、俺の質問に対しての答えはなんなんだよ!」
距離が離れているが故に少し声を荒らげて言った。
「・・・どうやら、ヒロインのご帰還のようだ。」
オズは少し横目に、誰かを見下ろしているかのようにそう言った。
「ご帰還って、どういうことだよ!」
言い切って俺は返答を待った。
「ではまた。次は最悪の状況で会うことになりそうだが。」
とだけ呟いた最後の一文は俺には届くわけもなく小さな言葉だった。
俺の質問何て見向きもせず、オズはこの場を後にした。あっという間に彼の姿は消えて行った。
「っておい!」
もちろん俺の声が届くはずもなく、気が付くとこの場にいるのは俺だけになっていた。何て言うのか、また一人になると少し寂しいもんだなとこの状況に愚痴をこぼした。