第26話 紫色の雷槌
ケイは、雷を纏った紫怨を構えながら、飛行能力を失い落下してくる暗黒龍を待っていた。
そして、暗黒龍が射程圏内に入ってきた所で、高く高く跳躍する。
闇の権現である暗黒龍と、雷を纏った刀を携えた少年が、遥か上空で激突した。
それはまるで、お伽噺に出てくる暗黒龍と勇者の対決そのものであった。
その日──。
レイザード王国の南の空で、紫色の巨雷が轟いた。
そこを飛行していたとされる暗黒龍は消息を絶ち、舞台の幕が開くかのように黒い雲が追いやられ、青い空が大地を照らした。
後にこの現象は、暗黒龍であっても抗えることのできない絶対的な自然の暴力≪紫色の雷槌≫と呼称されることになる。
これをひとりの少年が為したなど、想像の埒外であった。
暗黒龍をなんとか屠った僕は、リーザとエンリの元へ戻ってきた。
「ふたりとも、お待たせ。やっと終わっ──」
「ケーーーイ!」
僕の言葉を遮り、いつものように胸に飛び込んでくるリーザを受け止める……はずが、間に合わずに脇腹にクリーンヒットした。
──グフッ。
「……ご、ごめんね、遅くなって。心配したよね?」
「すっごい心配したけど、最後の方はここからでも見えたよ。格好良かった」
「ありがとね、リーザ」
そうして、さすがに疲れたのかと苦笑いしてリーザの頭を撫でていると、少し離れた場所で何かを洗っていた様子のエンリが近付いてきた。
「まさか本当にあの暗黒龍を倒すとは……。幻奧種ですよ?ケイ様はどんなことを為したか、わかってますか?」
「ん?」
それがどうかした?という感じで首を傾げると、エンリは盛大な溜め息をつき、「もういいです」と会話を打ち切った。
因みに幻奧種とは、太古の昔から生きる伝説の生物をまとめてそう呼んでいるらしい。
基本的にこいつらは、本当の意味で死ぬことはなく、たとえ死んでも幾百年の時を経てこの世に顕現する。
古い文献には、いくつかの幻奧種が確認され、いずれも国を滅ぼせる災害級モンスターばかりである、と書かれている。
「ところで、エンリ。……それは?」
さっきからエンリが手に持っていたそれが気になり尋ねると、エンリは「あ、これですか」と言って、手渡してくる。
僕にも見覚えのあるそれは、やはり冒険者ギルドカードだった。
「これ、ギルドカードだよね?」
「はい。向こうの草むらに落ちていて、凄く汚れていたので、洗っていました。そしたら、辛うじて文字が読めるようになりました」
「たしかに傷や汚れでほとんど読めないね。なになに、ラ……イノ?このカードの持ち主は、ライノさんってこと?」
「いえ。名前が書かれる場所は真ん中なので、それは名前ではありません。裏が青色のカードはギルド職員が持っているもので、隅に書かれている文字は、所属ギルドを表しています。そして、さっきからずっと見ていたのですが、恐らくこれは"ラメア"と書かれているのではないかと……」
スラスラとエンリは自分の考えを述べる。
さすがは国家の中枢でメイドとしての教育を受けてきただけあって、その知識は冒険者ギルドにまで及んでいる。
エンリが付いてきてくれてよかったと内心思いつつ。
「ラメア?」
「はい。ラメアとは、魔法技術が盛んな大国・レイザード王国にある都市の名前です。ギルドの職員が、他国に行くことは滅多にないので、恐らくここはレイ……地図で見た、あの大きな面積を持っている国だと思います」
僕の顔を見て途中で言い直すエンリ。
おかげで、ピンときた。
バーサス帝国とフィーリア王国の丁度真ん中にある国で、帝国の凡そ3分の1の面積を持っている。
と、いうことは、やっぱりフィーリア王国までは届かなかったということになる。
残念……。
◆◆◆◆◆
『紫の雷が、暗黒龍を喰った』
その知らせは、すぐにラメアの街中、いや、王国中に知れ渡った。
その情報伝達速度は異常なくらい速く、いかに暗黒龍が危険視されていたかを物語っていた。
これでは、世界中に知れ渡るのも時間の問題だろう。
その現場を、離れた場所から直視し、すぐさまその情報を王都へ投げた人物──リアンヌ・メーデンは今、思考を巡らせながらラメアの街を歩いていた。
(あれは一体……。紫色の雷が発生し、それが暗黒龍を呑み込むと、その出現の兆候であった闇色の空が晴れた。伝令にはこう伝えるように命令したが、実際私が見たものは異なる)
五感を強化させる魔法を用いて、リアンヌが捉えたのは──上空を飛行する暗黒龍へ、雷属性の魔法を纏わせた武器を振りかざす人影だった。
あれは間違いなく"人"だった。
だが──と、リアンヌの理性の部分がそれを否定する。
それは、あり得ないと。
超希少属性である雷を纏ったことは、百歩譲って認めている。
事実、リアンヌも"纏"は会得している。
しかし、如何なる方法で遥か上空へ到達したのか。
そしてなによりも、その人影が武器を薙いだ瞬間、あの≪紫色の雷槌≫が発生し、暗黒龍を呑み込んだのだ。
到底人間業ではない。
(こんなことを口にすれば、いくら私でも医者を薦められかねない。それほどに、突飛で常識はずれな話し。だがそれでも、いくらあり得ないと否定しても、私の直感はその事実が誠だと訴えてくる。現に、あの場には確かに激しい戦闘の痕跡があった)
人間、いや、人の形を持つ生物があの雷を生み出したという自分の目を信じるリアンヌ。
そして、その冷たい瞳に決意を宿し誓う。
「紫電の刀剣使い。必ず見つけ出し、その正体を暴く」
◆◆◆◆◆
「───ッッ!?」
暗黒が支配する真っ暗な宮殿内。
その一室で、静かに瞑想していた大男は突然集中を乱され、驚愕にその顔を歪めた。
普段ほとんど見せない主のその驚きようを見て、傍に控えていた人物は思わず声を掛ける。
「アゼルヴァイス様。どうされましたか?」
しかし、その問いには反応せず、驚愕を顔に張り付け唖然としていた。
その数秒後、眉間に皺が寄り始め、アゼルヴァイスの周囲を怒りの魔力が解き放たれる。
「バ、バカなッ!アンの反応が消えただとッ!一体どういうことだッ!」
やがて、魔力の渦が炎属性へ変換され、辺りを灼熱地獄へと誘う。
その余りの熱量に、側に控えていた魔族の従者は逃げることもできず、一瞬で溶かされ消滅する。
それもそのはず。
アゼルヴァイスの周りを蠢いている灼熱の渦は、摂氏10万℃を軽く越える。
到底生物が生存を許されない領域だ。
これこそが、"炎怒の魔王"たる所以である。
「あり得ん!アンに何かあったなどとッ!」
いまだに怒り狂っているアゼルヴァイスのいる部屋に、コツコツと足音を立てて入ってくる人物がいた。
その気配を捉え、辺りを漂っている灼熱の渦が殺到する──だが。
「ウィンド・ウォーターフォール」
そう口にした瞬間、滝のような分厚い水壁が現れ、強制的に蒸発させる。
回り込んで殺到してくる灼熱の渦は、水壁が纏っている強風により吸い寄せられこちらも只の温水と化す。
水と風属性を併せ持つ複合魔法であった。
しばらく強烈な水蒸気が視界を塞いでいたが、徐々にそれが晴れ、姿を見せたのは、以前アシッドたちを歯牙にもかけなかったあのダークエルフ、アンネスだった。
「アゼルヴァイス様、落ち着いてください。暗黒龍が何者かに倒されたのは間違いないようですわよ」
「アンネスか。アンが倒されるなど信じられん。帝国の奴らか?」
「帝国の人間に暗黒龍を倒せる者など、いるはずがありません。しかし、何者かはまだ……」
アンネスは、人間国家で暗黒龍を倒せる者にまったく心当たりがなかった。
限りなく低い可能性としては、2,3人思いつくが、それでも倒すには至らない。
他の五災魔王の魔王という可能性もあるが、『魔界』を出ればすぐに気付くし、幻奥種である暗黒龍を倒すメリットはあまりない。
五災魔王は、各々好き勝手に行動し互いに干渉しない為、アゼルヴァイスらの計画の邪魔をしようとすることもあり得ない。
人間国家では、自然現象≪紫色の雷槌≫と呼ばれているようだが、間違いなく何者かの仕業だとアンネスは確信していた。
「ならば、手の空いている連中も使っていい。すぐに突き止めろ!アンを倒してしまうようなのが近くにいれば、俺たちの計画に支障をきたす」
「かしこまりました。レイザードを中心に調べ上げ、これを排除しますわ」
そう言ったアンネスは、次の瞬間には既にこの場にはいなかった。
ひとりになったアゼルヴァイスは、両目に怒りの炎を宿らせ、誰もいないはずのその部屋で呟く。
「アンを倒したやつを殺せ。手段は問わん」
本来であれば独り言であろうその言葉は、背後からの底冷えするような低い返事で、命令となる。
「御意に」




