2/承 - 中1
この作品は「オチなし」「ストーリーなし」の作品です。ただ、文字が羅列してあるだけです。
これは、ゲームセンターに青春を捧げた男の、ちょっと頭の悪い妄想劇
―――数十年前
ひとは、自分よりと違うものを恐れる生き物である。
宗教などと云う複雑なものじゃくていい。肌の色などの見た目や、言語でたやすく、他人を区別し、迫害する生き物だ。
それをひとは仕方がないと言っていた。
だが、少年にそれを許容するのは、あまりにも酷な話であった。
少年はごく普通の家系に生まれた。裕福でもないが、極まって貧乏と云うわけでもない。父親は、近所の工場に勤めており、母親も生活を支えるために仕事に出向く日々であった。
幼少期は、孤独で過ごした。家に帰ってくれば、当然出迎えてくれるはずの母親はおらず、ひとりで過ごす。一七時を超えると、母親は家に戻ってくる。
家に友人を招くこともあったが、それも、小学生までの話。
少年は成長し、中学生になる。
知らないうちだった。
少年は、孤立していた。
特になにかをしたわけでもない。他人に危害を加えたことも、他人に対して悪口を言ったわけでもない。他人と突出して違いがあったわけでもないし、ごく普通の少年であったことは確かだ。
子供たちが「イジメ」を始めるのに、理由など存在するはずがない。
それに気づくのに、かなりの時間を要した。
最初は、単なる遊びだと思っていた。
次は、そもそも口すら利いてもらえなくなった。
陰口をたたかれるようになった。
ついには、直接危害を加えられるようになった。
小学時代に友人だった存在は平気で少年を裏切った。友は、かつての友へと格下げされ、さらには最初から友人ではないと云うところまで落ちることになる。
彼らに悪気はない。それが性質が悪い。彼らは自分の身を守るためにそうしたのだと、口を揃えて言うだろう。
「ふざけるんじゃねぇ!」
振るったのは、拳。
それは最後から二度目の手段。
振るった拳は、それまで再三自らに対して迫害を仕掛けてきた、云わば主導者と言っても過言でもない。その人物の頬に、少年の振るわれた拳が直撃する。
周りの声や音はなにひとつ聴こえなくなる。振るった拳をそのままに、少年は周りの生徒や先生に引きずられて、別室へと向かうことになる。
―――先に手を出したのは、相手だ。
だというのに、世間はあとから拳を振るったほうを悪だと断罪する。
なぜ、我慢できなかったのか。なぜ、嫌だと言わなかったのか。
「ふざけるな! 最初から言っても信じなかったくせに! 誰も味方にならなかったくせに! 誰も……助けてくれなかったくせに!」
少年の言葉は校舎の廊下に響く。
哀れな少年な声。悲痛な叫び。初めて口にした「辛い」「助けて」と云う言葉。どれだけ連ねたとしても、それを真に理解してくれた人間はいなかった。
なにせ、誰も味方ではなかったのだから。皆、正義や正論を語るだけで、少年の気持ちなど、ひとつも汲んでくれなかったのだから。
「お前の気持ちは解るよ」「いまは謝っておけって」「明日からテストだぞ」「部活、どうするんだ?」
大人は勝手だ。
少年は子供ながらに、そう思った。これ以上、面倒なことに関わりたくないからだ。子供の家族になにかを言われるのが嫌なのだと。穏便に、穏便に済ませようとする。
イジメなんてものは最初からなかった。そんなものは存在しなかった。だから安心してください。
「ふざけるんじゃねぇよ」
だが、少年の怒りが、悲しみが、収まることも、報われることも、理解されることもとうとうなかった。
少年の青春は壊れてしまった。子供ながらに想像していた、中学生、高校生のイメージは崩れ去り、そこにあるのはひたすら残酷な現実だけであると、理解してしまったのだ。一四歳と云う、早すぎる時期であった。
「ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなッ!」
◇
少年は様々なものを諦めた。
子供のころから夢見ていた野球選手も、楽しい青春の日々も、すべて、諦めた。
味方なのは母親だけだったが、それを嬉しいとは思わなかった。両親が味方だったとしても意味がない。なぜなら、いつか少年は大人になり、彼らの元から旅立たなければならないのだから。いつまでも、彼らが味方とは限らないのだ。
授業に出ることはなかった。また、同じような目に合うのはごめんだった。一度、反撃をしたと云う事実だけは広がっており、彼になにかをすれば殴られる、とでも思ったのか、登校すると途端に空気が悪くなった。
ゆえに、少年はすぐに授業に出なくなった。登校はしていたが、彼は、学校の二階に存在している空き教室で時間をつぶすようになった。
時間の流れは残酷なものだ。時期は既に、夏一歩手前。
少年、仲代工大は既に中学二年生であるが、その実、授業に出ているのは半分も満たなかった。テストだけは別室で受けており、また、その成績もそこそこであったために、特になにかを言われることはなかった。
登校すると、彼に目をくれる人間も少なくなった。授業には出ていないが、学校自体には土日以外毎日来ていることもあって、見慣れた人間も居るのだろう。それに、創作物に出てくるような非行行為に走っているわけでもない。ただ、別室でひきこもっている。生徒からすれば、無害なほうだ。
今日も、空き教室の扉を開く。冷房など高級な機器が田舎の学校であるこの場所にあるわけもなく、申し訳程度に扇風機が設置されている。
「ちーっす」
一言、工大は口にする。その部屋にいる人間に。
「おう」
返答がある。
この空き教室は、工大の貸し切りではない。部屋にはもうひとり、巨体の男が座っていた。
名を、所芽大介と言う。彼こそが、本来、この空き教室を使っていた人物である。
工大の体格のひと回りも、ふた回りも大きな彼は、部屋の端の床に置かれたPCの前を定位置にしている。カリカリ、と音を立てているPCの電源は入っており、最近流行の「ホームページ」―――Web上の個人運営のサイト―――が開かれている。
「暑いな」
「だな」
ふたりは特段、仲が良いわけではない。共に、この空間で過ごしている同志でもあるが、それ以上の存在ではない。平日以外会うこともないし、ここにいる理由も違う。他愛のない会話はするが、それだけだ。だが、それでも充分に「友人」と呼べるのではないのだろうかと、工大は思うのであった。
工大がここにいる理由は、もう居場所がないからだ。この学校のどこにいても、とにかく、怖いのだ。これ以上ないぐらいに、居場所がない。またいつ、迫害の対象になるのかが解らないのだから。結果、こんなところに来るしかなかった。相談室は、相談をしたらすぐに教室に戻れ、と言われるばかりで解決にはならない。
一方の、大介は、また違った内容である。彼も居場所がないことは同一であるが、その理由は、彼の性格にある。彼はとにかく、短気で、しかもそれを暴力と云う形で他人に振るってしまう。結果、彼はここにいるのだ。他人に迷惑を掛けないために。無論、それだけではなく、彼は「この学校の教師が気に入らない」などとこぼしていたのを、工大は覚えている。
教室ではこれと言ってやることはない。なにせ、なにもないのだから。PCは基本的に大介が独占しているので、工大はこの教室で座っているだけだ。あとは、寝るぐらいしかない。PCが使えるのは、大介が休みの日か、彼がもう本当にやることを終えたときだけだ。
楽なのは良いことだ。なにせ、他人が授業を受けている横で、堂々とサボることができるのだから。皆、もう彼に対して言う言葉はないだろうし、言ったとしても逆効果だと云うことを解ってしまった。
「最近どうよ? 3チャン、見てる?」
昼休み。保健室に向かう途中に、工大を呼びとめたのは、山県岳人であった。
スキンヘッドに、眼鏡をかけており、小太り。笑っている姿はとてもひとのよさそうに見える中年男性は、この学校の理科・化学の教師である。
「……いえ、家にはPCないんで……」
「あらそう。あそこは面白いよぉ、色んなひとがいるからねぇ」
彼とは一年生のときに世話になったことがあり、こうして廊下を歩いていると、声を掛けられて何気ない会話を楽しむ。良い教師だと、思っている。生徒からの人気も高く、その授業もユーモアに溢れている。堅苦しい授業を一時間続ける教師よりもモチベーションを保ちやすい。
「どうなの? 最近。なんか面白いことあった?」
「いや、特には。部活も辞めましたし」
「そっか。ま、なにかひとつ、趣味でも見つけると良いよ。嫌なことを忘れるのは、それが一番だ。
いますぐ授業に戻ってこいとは言わないよ。いまはゆっくり、休みなさい。あ、これ、今週のノートね。テストはちゃんと得点とってね。それだけ取れてれば、卒業はできるって」
要件を呼べて、ノートを工大に渡すと「じゃあね」と手を振って教務室のほうへと歩いて行った。最後の最後まで、彼は笑みを絶やすことはなかった。
ため息をひとつ吐く。特に疲れたわけでも、彼に対して嫌悪を抱いているわけでもないのだが、ため息はふとしたときに出てしまうものだ。
〝趣味、ねぇ〟
ないわけではない。昔から、ゲームは好きだし、最近流行のトレーディングカードゲームは嗜んでいるのであるが、例の事件以来、かつての友人と関わることもなくなってしまい、カードゲームから離れて久しかった。対戦ゲームは対戦相手がいなければ成り立たない。友人が居なくなってしまった工大には、ハードルの高い趣味と化してしまった。
「趣味ってあるか?」
空き教室に戻ってきた工大は、ふと、PCをいじっている大介にそう問いかけた。
しばらく解答はなかったが、すぐに、こちらに視線を向けてくると「そうだな」と口にする。
「特にねェな」
「カードゲームとか、ポケットゲームとか流行ってんじゃん。やらないの?」
「好きならここでやってるだろ」
それもそうだ。
工大は壁に背中を預けて、窓から外を見る。良い天気だ、今日は夜も晴れるらしいとは、朝のニュースで言っていた。
「なんか始めたほうがいいんかねぇ……」
「さぁな」
趣味とは強制されるものではない。ただ、やりたいからやる。本来であれば、そのようなものなのだ。
⇔
一ヶ月が過ぎた。
世間は夏本番である。外に出れば、セミは大合唱で、学校のグラウンドを見れば、朝から練習にいそしむ野球部の姿が見える。
八月の頭。夏休みに突入してから一週間が経過した。学校は、朝から部活動が占拠しており、前述ままにグラウンドには野球部が、小さなテニスコートにはソフトテニス部が、学校内の廊下を歩けば吹奏楽部が練習をしている。それだけではない、教室のなかを覗けば科学部、合唱部、書道部、ダンス研究会。体育館にはバスケットボール、卓球―――様々だ。
この学校は、部活動に参加することが義務になっている。生徒はどれかの部活に所属しなければならず、夏休みと言えども、学校は騒がしいのだ。
工大―――もちろん、大介も―――は例外的に部活に所属していない。状況が状況だけに、岳人教師の計らいによって、表向きは科学部に席を置きつつも、実際はどこにも所属していないと云う特殊な状態になっているのである。
しかし、工大は、一週間に三度は学校に足を運ぶ。いつもの空き教室―――ではなく、本来自分が座るはずの席、教室に入っていた。
補習と云うわけだ。普段、授業を受けていない工大は、ここで、特別授業を夏休み期間中は受けなければならない。とはいえ、勉強をまったくしていないわけではない。小テストも、夏休み前の中間テストも受けているし、合格ラインは超えている。だが、世の中には、それだけではどうしようもないこともあるのだ。
「はー……」
面白みのない授業を永遠と受けなければならないのは精神的に地獄である。が、普通の生徒たちは毎日この時間を過ごしているのだから、工大だけが、と云うわけではない。むしろ、休みの日を一週間に設けてもらっている分、ましなほうだろう。
―――昼も過ぎて、既に時刻は一四時を回っている。そろそろ、最後の授業も終わる頃合いだ。
「お疲れさん」
岳人教師が教室に顔を出す。右手に凍ったスポーツドリンクを、左手に団扇を持っている。
「差し入れ」
いつもの笑顔で、右手の凍ったスポーツドリンクを工大に渡す。
「ありがとうございます。先生は、仕事ですか?」
「そうそう。先生はね、夏休みなんてないから」
彼らは夏休み、生徒が居なかったとしても仕事がなくなることはない。詳しい内容は工大も知らないが、夏休み明けの予定を組み立てたり、講習を受けたり、こうして補習を受けにくる生徒たちの指導と、日々やっていることと特に変わりはないとのことだ。
「それでも、キミたちが居ない分、楽なもんだよ。変なことも起こらないしね」
それは皮肉のつもりか、笑いながら、岳人教師はそう冗談を口にする。
それもそうだろう。いつもなにかをするのは生徒たちと相場が決まっている。近年では、教師の体罰が云々と言われているが、その行為はさておき、生徒たちがなにかをしでかすのもまた事実である。
「今日はもう帰るん?」
団扇で工大を仰ぎながら、岳人教師は問いかける。
「そうですね。暑いですし……」
とは言ったものの、少し行きたいところもあるので、先にそちらに向かうが。そのために、今日は自転車できている。この学校は自転車通学は許可が必要で、それは夏休み中も同じだ。工大は、夏休みに入る前に申請書を出していた。
「そんじゃあね。僕、これから科学部見に行かないとだから」
「わざわざすんません」
「いいよいいよ。楽しかったし。じゃあねん」
ひらひらと手を振って、岳人教師は廊下の向こう側へと行ってしまった。
思わず、微笑する。学校で笑うことなど、彼との会話のなかだけになってしまった。それ以外のときは、基本的に表情に変化はない。
バッグを取り出して、教科書を詰める。バッグのなかに入っている四角いケースを確認してから、チャックを閉める。背中に背負うと汗で臭うので、手で持って教室をあとにする。