屍体のある金③
最後の一押しで、甲殻は完全に中空に漂い、フォードは下から胃を圧迫する重圧に耐えた。レバーは、軽く握り、ペダルは抑えるだけにする。狂ったように、視界が二転三転する。
空地面空地面。重芯を軸にすえ一回転半で甲殻の状態を正常にした。高度計を確認する。数字があっという間に減っていき、装甲を煽る暴風は殴りつけるような速度でひっくり返そうとする。甲殻の揺れが軌道のブレに。少しずつ大きくなる震えを抱いて揺れ続ける。
雲が見えると、一瞬で白く染まり、直ぐに一面の灰色が広がった。厚い鉄板と装甲材を隔てても聞こえるのは、背後の輸送機が煙を引いて落ちていく爆音だ。爆発悲惨した破片が当たらないことを祈るしかない。わずかな大きさの破片でも、爆発の加速を乗せた金属が直撃すれば、フォードは甲殻のコントロールを失い手のつけられない金属かいのなかで震えるしかなくなる。飛び出す瞬間、床の残骸が砕けるほどペダルを踏み込んだけれども、無事に着地できるかどうかはわからない。相棒は、数ヘイル離れて飛んでいる。いや、落ちているのか。無線からは、割れ響く歓声が聞こえてくる。楽しそうで結構なものだとフォードは思う。左手の方に、何か通りすぎ、くるくる回って消えていく影が見えた。そばを掠めた衝撃がなんであるかもきずいている。剥離した機体の一部だ。思った通りにいかないかもしれない。落下の途中で、撃墜されるかもしれない。さっきまでフォード達の甲殻があったあの輸送機みたいに。だが、現行の技術ではそこまでの精度はないはずだ。飛び散る破片もいい目くらましになってくれる。ならば、案ずることなどたいしてない。
目を開ける。目を閉じても頭部と神経接続されたバイザ型モニターは視界を送りこみ、まぶたの下の眼球の動きを読み取って昨日を操れるけれど。
頭が無駄なことを考えなくなる。
相棒の甲殻と距離を保ち、関節を伸ばし、高度を計りつつ、パラシュートを開くために取り付けられたトリガに指をかける。フォードは喚きたい気分になる。頭部のメインカメラは正常だ。染みのような黒い点が見える。高感度で、解像度の高さを誇る機械は、全く一つの誤動作もあり得ない。許さない。
棺桶は御免だ。ミンチは御免だ。口に溜まった血の唾を飲み込んだ。
背後には、雲を突き抜けた輸送機が煙の尾を引きながら錐揉みし、腹をむしり取られた金属の鳥が、残骸から痕跡に変わるところだった。遠い。もはや、ただひたすらに落ちていく。赤い炎を機関部から吹き出して、膨張した装甲版が、ちりになる。砲撃を何度も受けたのかぐらついた軌道で、地平線を超えて飛来した止めの掃射で爆発四散。ひっそりと積んでいた電気麻薬のパルス発生装置も、それを積み込んだクルーらもあの中にいる。
それを横目で臨みつつ、甲殻が設定の高度に達した瞬間フォードは、ガチリと噛み合う響きを聞いた。頭の中で、きっちりと緩みなく回る歯車の音だ。脊髄反射もかくやという速度で人差し指が動き、トリガを完全に押し込む。一瞬で開いた灰色のパラシュートが、空気を孕んで膨らんだ。隣でも同じ音がする。空気抵抗で、逆さの方向から力がのしかかる。フォードは、ほっと息をはくと、速やかに、レバーとペダルで位置を微調整。速度が緩み始めた。歯茎に悪い加速も収まり、後は風に任せるのみ。汗が出そうだ。声をあげたい。
上手くいった。痺れるような快感が脳幹を駆け巡る。
「上手くいった」相棒が言う。「そこそこに」
「何がそこそこだ。俺たちはやってのけたんだぜ」フォードは得意絶頂で、言い返した。無線に力強い息を吹き込む。輸送機のことを考える。爆発して粉々になった鉄の塊のことを。「ついでにあの糞いまいましい輸送機のクルー共ともおさらばだ」灰色の地面に甲殻の影が作る染みが、広がり、もう残りはビル5階分もない。こうなると、もう高度計を表示する必要もなくなって、フォードが見るのは地面だけ。話す相手は相棒だけ。
「それだけだよ。それに、祈るのはここからだ。まだ半分も進んでいない」雑音に遮られながらでも、相棒の緑の瞳が細められているのがわかって、フォードは、微笑を浮かべて「地上に着けばこちらのものさ。ケツまくり上げて一直線」着地の前に確認すべきと、昔教えられた要項のうちの半分を省略。バランスセンサを作動。少し滑るレバーが気持ち悪い。
「それだと、殺す相手がいない。それは困るな、フォード」と、無線に溜息を吹き込むようにしてエヴァは言う。
フォードは、脚部機構を確認。目立った損壊はなし。禿げた塗装は変えが聞く。衝撃吸収装置、ブレーキシステムにも以上ない。無線の伸びやかな声の後ろにも静かな準備が進められていることがわかる。
「そうならないのを祈ってる。そろそろ着地だ、ぬかるなよ」
最初の軌道は足からだ。両足で衝撃を吸収させ、腰部で完全に殺しきる。何せ、ついか武装で重くなったフォードの三葉蟲は、元からの質量も合わさって下手を打てば脚部を潰しかねない。金が出るのかどうか疑わしい仕事だ。フォードは、できれば何事もなく終わって欲しい。エヴァはできれば、トラブルの坩堝に飛び込みたいのだ。テスラ・フォウの時もそうだった。取り返しがるかなくなるまでやるか、取り返しを付かなくさせるか。
フォードを止められるのは、金だけだ。何せ、相棒の甲殻が大破してでも撃ち続けたのだ。
装甲の形状は全く違うけれど、色だけはそっくり同じな甲殻が、隣で着地の構えを同じようにやって見せた。黒く広がる染みは、パラシュートの形を砂の上に写し取っている。三秒くらいで、ぐんぐん近づいて、そしてぴったり重なった。もう、今だ。
「いくぞ」
爪先からゆっくり着地。吸収装置の安定度を上げる。足の裏全体でペダルを引き込む。力いっぱい。そしてそれでも、鋼鉄の鎧を纏った甲殻の落下は、それに見合ったものだった。骨が軋むと思った瞬間、鈍い衝撃が肉を震わせた。余韻のある痺れが脳天まで突き抜けた。飛び散る灰色の砂は水しぶきのようだ。体を縮こまらせて、衝撃を受け止める。重い。甲殻の足が、砂に膝下まで埋まる。腹を押し上げるような浮遊感は無くなったが、頭が痺れる。甲殻の震えが我が身に伝播する。灰色の砂に半ば足を突っ込んだ。だが、この揺れは馴染み深いものだ。
低い姿勢を保って、フォードは三葉蟲をかった。空中ならば殺されても文句は言えないけれど、地上となれば話は別だ。金はもらう。きっちりと仕事はやる。
さて、早く逃げ出さなければならない。どのみち、大急ぎでいかなければ間に合わない。ケツを追っかけてくるやつがいるかいないかだけだ。思えば、楊が申し出た額は、これも含めた値段だったに違いない。だとしたら安い。飛行機を落とせるような奴らが敵に回る。そう考えれば、誰だって何がどうなるのかわかる。あるいは、あの程度でうろたえたのが恥ずかしくなったからかもしれない。噛んだ舌はまだ痛い。血が染み出すたびに、拭いたくなる。
でも、今はいい気持ちだ。冷たい水を頭からかぶったみたいにすっきりしていて、機械の隅々に油をさしたみたいによく動く。
異常を示すアラートもなく、粉末と身がまうような砂塵が甲殻に降り積もる中、駆け出すようにペダルを蹴る。パラシュートが多い被さってくると、払い除けた。微妙な挙動にも簡単に対応することができる愛機の性能を確認しつつ、フォードは、隣の甲殻の無事も見た。既に一挙動早く起き上がっていたエヴァを心配するだけ無駄だったが、一応、だ。
「ケツに噛みつかれないうちに行こうぜ、余計なことになっちゃ面倒だ」装甲には、まだ細かい砂が付着している。背中からは、用済みのパラシュートが垂れ下がっていたので、固定器具ごと切除する。金属むき出しのコクピットにこれまた強引に取り付けたパラシュートを開くトリガ装置のピンを引き抜けば、あっという間だ。どうせ使わない。捨てても誰も気にしない。隣の装甲の少ない甲殻も同じようにした。砂から足を引き抜き、手慣れた様子でずんずんと踏みしめ、べったりと脚部を地面に接地させると「ああ、了解。楽しみは先に取っておくよ」と、間延びした声で応じる。
揃って駆け出した。ペダルをいっぱいに。エンジンが膨張しそうなほど強く。