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屍体のある金②

機体が揺れる。何も考えてはいられない。雲がすぐそばにある。破れた外壁は吹き荒れる暴風から守ってはくれない。空の上。水蒸気が瞬時に冷やされては凍り、メインカメラに霜を貼り付ける。気圧の変化に輸送機の下腹はぎしぎしと歪む。

完全に不意をつかれたフォードはなんらかの何かが起こったことこそわかったものの、甘い固定が引きちぎられ、壁際まで追加武装で重いはずの甲殻が吹き飛ばされて、ごた積みにされ色々なものを下敷きにして押しつぶし火花を上げて反対側の壁に激突するまで、それこそ呆然としかできない。

外付けスピーカーが轟音に機能を麻痺させて、まるで無声映画でも見ているようだ。意識を失うことも出来ず、レバーを握りしめながら機体の揺れを感じることができた。不規則に、だが止むことなく、上下左右に視界がぶれる。傾いだ機体の床を滑り落ちる間に、フォードは自分が置かれた状況を一つの言葉で理解した。

不味い。

もはや乱気流に機体がつつまれたのだの比ではなく、明らかな以上を示すアラートが脳が働くより早くにレバーを動かさせる。指に力を入れる。

想像ではない。口の中に広がる血の味が教えてくれる。だべりにしか使えない、極近距離用のウィンドウを閉じる。容量を回す余裕はない。

マウスピースをはめた歯を噛み合わせ、歯茎が重圧に痛むのもお構いなく姿勢制御。ペダルを踏み込むとエンジンが重苦しい轟音を吐き出す。関節のシャフトは頑強だ。バランサも水平計も正常だ。しかし、フォードの意思と無関係な床は安定しない。

なんてこった。不味い。戦慄が背骨を這い回る。

甲殻の全長は平均で8ヘイルだから、内部の人間は重心の移動を伴う動作には負担を強いられる。空中に浮いた飛行機。さらに限りなく不安定だ。身にかかる重圧は、分かっていても備えきれない痛みだった。装甲と床の構造材が摩擦で軋んだ。骨も肉も熱い。レバーを固定すると同時にペダルを猛然と踏み込む。甲高い金属の呻き声が聞こえると、流れる灰色だったモニタが解像度を高め、広い部類ではない格納庫にぶつかり跳ね返る瞬間に息を飲んだ。空いた穴から滑り落ちそうだ。メインカメラの霜は衝撃で吹っ飛んだ。突っ張った甲殻の手足は、重く弾んで速度が緩んだので、さらに、内壁の補強柱にカバーで覆われた両の手指を密着させて位置を固定できる。風は風速何十メートルで狭い空間を吹き荒れ、固定されていないものと、軽いものを青い空に撒き散らす。

数瞬間が全てだ。このめちゃくちゃな揺れでは、機体から放り出されることだろう。その時には運良く輸送機の機体が逆方向に傾ぐことを祈るしかない。フォードは、できるだけ設置面積を広く取ろうとした。それでも、なおも甲殻が床から剥がされそうだった。人の数十倍の重量を持つ甲殻でさえ、この有様だ。凄まじい馬力を持つ三葉蟲もまるで、紙切れと変わらないくらいだ。

安定させなければ。と、フォードは決意した。転がり落ちながらでは、パラシュートを開けない。フォードは、甲殻を慎重に動かした。関節機構が伸縮する音が聞こえないくらいにゆっくりと伸ばし、壁と補強柱の間に金属の手足を突っ張らなければならない。ペダルから緩やかに力を緩め、マニュピレーターには負荷をかけすぎないように。気流は甲殻を押さえつけたり、潜りこんで浮き上がらせようとする。装甲の隙間に空気の暴圧がのしかかる。あと一秒でも持っていられる自信がない。手が震えそうだ。背骨がひりつく。甲殻の脚部が泳ぐ。ごろりと回転させるように。最後の一押し。フォードは、それをやり遂げるだけで、神経をすり潰す気分になった。

一時の安定を得たとはいえ、まだ安全ではない。少なくともこのままでは。

自殺に緩やかに向かうようなものだ。絞首台の縄が首元に、電気椅子のスイッチが指先に。

汗は出ない。

相棒の姿を探した。先程までフォードの三葉蟲が固定されていた鉄のアームは引き千切れて断面から細い火花を漏らしている。垂れ下がったコードからは溶液が垂れ流し。輸送機は落ちているのか上昇しているのかの区別さえつかず、相棒の甲殻の姿はない。隣のアームも空っぽ。ヘルメットの固有無線機からは雑音。

「ちくしょう、どうなっていやがる」と、フォードは声に出して言った。血が流れて上手く発音できない。唇も噛んだ。このマウスピースもボロだ。ついていない。ウインドウを呼び出す。眼球の動きを感知したバイザ型のモニターが素早く高度と位置情報がポップアップした。

効果時間まであと3分だ。いま、機体を捨てて降下してもさして大差ない。

だが、高度が高すぎるから上手くいくかフォードにはわからない。縁もゆかりも糞もないこの輸送機のクルーと道連れはごめんだ。体に染み込んだ機械油臭い動作が勝手に行動を始めると、フォードは頭が冴えていくのを感じた。注意深く、だが迅速に。間に合うか、どうかもわからないけれど。

空は青い。機体が揺れている。空いた穴からパッと閃く紅蓮の炎が見えた。近い。気流が機体を揺さぶる。まるでバーテンダーがシェイクする容器の中だ。だが、これで何が起こっているかはわかった。攻撃されている。真っ赤な爆発が弾けるたびに、骨身を貫く振動が走る。それも、激烈に。熱烈に。

敵。しかし、誰だ。何のためかはわかっていた。フォードが尻に引いている黒くて小さなケースだ。どうやら、この輸送機ごと沈めようとしているらしい。砂漠に残骸が飛び散れば、それこそ探しようがない。それとも、跡形が残らないくらいに吹き飛ばそうというのか、無闇やたらと打ってくる。機体に衝撃。

激しいラブコールだ。いよいよ待ってはいられない。

三葉虫を壁に寄りかからせるように立ち上がらせたフォードは続いて、無線機に呼びかけた。

「エヴァ、エヴァ。聞こえるか。無事か」

「いるぜ。私の蠍は無事だ。私も問題ない。砲撃食らうなんて契約の中に入ってないのに」

フォードは、唇の端を釣り上げる。さすがのものだ。

「どこにいる」

「おまえの後ろさ。全くとんでもない」呑気な声が返ってくる。こちらからは、見えない。だけれどこんなに明瞭な声は、距離が近くでないと聞こえない。バイザ型モニターを戦闘用モードにロック。雑多なウインドウが隅に追いやられて、脳神経と電気的に接続した視界が広がる。後ろと前、右と左、上下が同時に見えて虫になった気分だ。目眩がする。凄まじい轟が振動として伝わってくるほどなので、頭痛がする。それも、酷い。ついでに、血の味が今更ながら意識に登ってくる。舌も痛い。

輸送機が落ちているのがはっきりわかる。機長とクルーはどうなっているのだろう。レバーを握る手はいよいよ話せなくなる。「まずいぜ、落ち続けている。このままじゃ俺たち丸ごと塵屑だ」

後ろに位置する甲殻は、綺麗に床に伏せていた。追加武装を施しているというのに、フォードの甲殻よりはるかに安定している。灰色の、装甲のほとんどない甲殻。エヴァの蠍は、右手だけ器用に動かし、鉄の指で空いた穴を指し示した。「あそこから飛び降りよう、この状況で降下ハッチを開いてくれるとも思えない」

「賛成だ。でも、落ちる途中で蜂の巣にされちまうかも」

「其れ程か」

「わからん、何しろ突然だった」

「それにしては随分落ち着いて、いる」言葉が途中で切れたのは揺れが一層強まったからだった。「やっぱり、そんな気がなんとなくしていたもんでね」と素早く言い返しつつ、フォードはあたりに気を配った。邪魔になりそうなものは、全て吹き飛んでいる。だが、飛び出すのは、賭けだ。降下する途中でひっくり返ったら亀みたいにじたばた暴れるしかない。揺れが強すぎて、どうしようもない。

その時、三度目の歯茎まで突き上げるような衝撃で、補強柱の固定が殆ど外れ、ぶっ飛びそうになる。今やこの輸送機自体がバラバラになりそうなのだ。床の構造がひときわ大きい悲鳴をあげ、続いて甲殻を突っ張らせている側の壁が唸るような音とともに手応えが軽くなる。金属の破片が宙を舞う。フォードはしっかりと、レバーを固定した。胸郭を呼吸一つで満たす。

今すぐだ。猶予はない。もう待つことはできない。選ばなかったせいで、糞のような羽目になってしまった。

だが、頭は冷えている。相棒もいる。

「畜生、行くぜ、かますぞ」

全てが回る。




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