屍体のある金①
そして、今や輸送機の中で揺られている。上等な身分だ。端っこの荷物置き場が部屋に割り当てられ、まるでトラックの荷台で揺られる家畜みたいな気分だった。この状況は、そんな気分にさせる。暗くて、狭い穴蔵みたいなところに押し込められると。いっそ清々しい。迎えの輸送機のコックの朝食が何であろうが吐きそうだ。もう二度とは乗りたくない。
楊と名乗った男が持ち込んできた依頼は、単純なものだ。
ケースを指示した場所に運び、指示した相手に渡す事。手段も指示されていた。北行きの、輸送機に乗って途中で降下し、東の資源開発都市「白天」へのルートを甲殻で進み荷物を届ける。
奇妙な依頼だ。移動速度では、紛れもなく甲殻が劣っている。
しかも、何故途中まで輸送機を使うのか。
飛行機ならば、白天までわずが半日だが、甲殻の軽量級高速型に、巡行装備をつけても軽く一週間はかかる。灰鋼砂漠に作られた資源開発都市同士や、砂漠外の移動は基本飛行機のみだ。
50度を超える気温、乾燥しきった空気。陸路はあまりにも厳しすぎる。
だが、楊は酔狂で仕事を頼む人間ではない。親密さを感じさせない無愛想な表情と、まじめくさった態度に嘘を伺う事は出来なかった。
おそらくは、「事情の伺えない」仕事なのだろう。
輸送機は確実なものを手配された。弾も高級品。相棒が望むものも満たしている。
しかし、フォードには不安が未だ絶えない。
今もそうだ。何を持って信頼とみなすのか。結局こちらは替えの聞く猟犬でしかない。例え失っても落とした小銭を見失うのと大して変わりはしない。
あの目は、そこらの道端のゴミを避けて通る奴の目だ。フォードには不安がそれがわかる。わかっているだけに、腹のそこで暗い熱が膨れ上がっている。
「大金には裏がある、ってのはなながち間違いじゃあないかも。ねえ、おもしれえぜ。何が良いことがあるんだ」相棒の口調を真似てみる。それ以上する事がなかった。ごわついた耐火性のスーツで殆ど全身を覆い、機械であふれたコクピットに押し込められると、それこそ話しか楽しみがない。おまけに期待は目標まで身じろぎ一つできないように固定されている。汗がたまってくる。荷物を気にする。ここにはベッドもない。フォードは狭いコクピットにこれから3日殆どこもりきりだ。
「仕方がないさ、金は貰えたし。おまけに私は楽しむ事も出来る。お前の懐も満足じゃないか」ノイズの向こうでも淀みない口調は変わらない。エヴァは、潤った声をしている。「甲殻乗り回して、それですっきりさ、お前も」顔面をすっぽり覆うヘルメットのバイザ型のモニターに、位置情報を示すウインドウを呼び出す。やはりもう10分もない事をもう一度だけ確かめ、極近距離通信用の画面を開くと、黒いスーツの相棒が現れる。細かい所にこだわるエヴァらしく、操作系は高品質なものを揃えて改良を重ねていたが、後はほぼ金属の素組み以外の何者でもなかった。金属のバイザ越しにも微笑みを含んだ視線を投げてよこしている。
「そうかもな、そうだとなおさらいい」フォードは、「だがな、そんな問題じゃあねんだよ」その言葉を強調した。「俺たちが楊の野郎からもらったのはたった僅かばかりの前金と、弾代と燃料費。それとしみったれたこの輸送機のお代を肩代わりしたくらいででかい顔しやがる。そら感謝の言葉もありまくりよ」
「あれでたった僅かばかり、とか」エヴァは、熱弁を振るった相棒をわずらわしげに見つめていた。フォードは、ギリギリと歯ぎしりし、投げやりな態度で、しかし言い募った。「しっかり、きっちり絞り取ってやる。俺らをここまでこき使ってくれやがって、なあ。エヴァ」
「それはそれ、これはこれさ。フォード」と、エヴァは面倒くさそうに言った。「それ以外に何があるんだ私達に」
「金の問題さ。甲殻の腕さ。俺たちが売っているのは。買い叩かれちゃたまんねえ」
甲殻というものは、一般的には人型の機械全てをさす。
泥油から精製したガソリンを燃料として、鋼鉄の肉体を動かす巨人。もっとも単純なものは作業用や運搬用から、果ては十メイル越えの巨大型まで。
兵器だのなんだの見た目と聞こえはやたらにいい。フォードが好きなのは、ウェルクリン社の71式だ。似たものなら鋼兵社の五十六改式が、新しいものならやはりウェルクリンの83式もあるけれど。
フォードの「三葉蟲」も71式の操作系統はそのまま残してある。精度よりも耐久性と使い易さに優れた機体は、実に素直に操縦についてくる。だから、好きだ。分かりやすくていい。
何よりも他の機体ではこうはいかない。それに、馬鹿みたいなでかいエンジンと追加燃料のプロペラントを内蔵したのに、まだ人一人分と、その他おまけが押し込める。エンジンの振動が伝わり、金属とオイルの匂いは鼻腔を絶え間なく刺激しても、フォードは機体が嫌ではない。
胡散臭そうな客を、それでも金払いはいいから乗せたのだ、とありありと目で語る輸送機のクルーと食堂で顔をあわせるのなら、ここを選ぶ。
狭くて、苦しくても、めんどくさかろうが、腹が立っていようが、ここに来るときっちり収まる。鋼鉄の死が唸りを上げて宙を裂き、機体が爆煙を吹き上げるまでこの感覚はフォード一人だけのものだ。
銃弾は銃に、鍵は扉に、割れ鍋に綴じ蓋、なんでもいい。言い方などさして重要ではない。とにかくあるべきものが、あるべきものに収まったこの感覚だけは、金に換えられないものの一つであり、これはとてもいいものだと、信じている。
それは、今でも、昔でも変わらなかった。数少ないものの一つだった。
黒興をねぐらとしてからも。エヴァと組んでからも。
もう一つは、金だ。そのためにフォードは人を殺している。それも変わらない。だが、気分は変わった。
金を使うのが好きになった。金は金だ。ものはものだ。旨みを漁るために、好き好んで腐肉を食らうのが、甲殻乗りのやり口だ。人殺してそれで金がもらえるのなら上等だ。自分の命をかけるものに、だから金を選んだ。見合う金と、納得するに足りる理由があるのならば、何処までも走り続ける狗にもなる。
人の命は地球より重いと言うが、重けりゃいいってものでもない。金の価値は命の価値だ。名前と看板の価値だ。
だが、フォードがもらったのは、この程度だ。
そして、楊が持ち込んできた厄介ごとはどうしようもなく最低の部類に違いなかった。少し毛が生えた程度の前金。こちらに何も説明しないまま、淡々とものごとを進め、終いにはこの有様だ。
フォード達が差し出したものに比べれば、安すぎる。
プライドを踏みにじられたのも同然だ。確実な仕事をするからはフォード達は名の売れた甲殻乗りになった。契約を違えた事など全くない。どんな無理難題でもやり遂げる。だから高い煙草を吸えている。名前で飯を食っている、のだ。それをまるで、餌さえ与えりゃ泥棒にだって尻尾を振る狗のように扱っている。
フォードは、さまよう思考を抑える事が出来なかった。
前金の額ではこの依頼で消費した弾薬を補充するくらいしかできない。後でもらえる受け渡しを収めるまではこの苛立ちを何処に収めればいい。
苦虫を噛み潰したような顔になっている。自分でもわかる。フォードは、レバーを握る手から血が引くのを感じた。「そいつが、我慢できねえんだ」ここに座ると収まるはずの怒りも治らない。
エヴァは、ゆったりと神経のささくれ立った所を一つ一つ撫で上げるような声をする。むしろ、楽しんですらするような声だ。「そうさ、だが簡単な仕事さ。お前もそう言ったんだ。フォード」
「わざわざ狼の口に指を突っ込む奴はいない。やりきれないんだよ。慰めみたいなもんだ」と、フォードは言う。汗が流れてきた。フォードは、底なしの穴の上からしたを眺めている気分になる。しかも、こちらからは見えないが、そこの暗闇の中にはには何かが確かにいてこちらを見返しているのだ。そこに潜んでいるのは、牙を持った危険な何かだ。「お前はどう思うんだ。エヴァ」
「お前は煙草を吸うべきだよ。フォード。ニコチン中毒のイライラさ。吸ったら治るよ保証する」とエヴァは眉根一つも動かしていないような声で言った。「それに、なんだかんだ言っても、今お前はそこにいる。そしてレバーを握り、ペダルに足をかけ、ヘルメットをかぶっている。やる事はどちらにせよ同じだ」
フォードは、ついてもいない肩のゴミを払いたくなる。「しかしー」
「それに、金は大事なものさ。尽きてしまっては何もできない。そして今は私達には金がない。どうしようもなかったのさ。そうだよ。選ぶものなんて最初からないんだ」明瞭な声には、言葉以上の何も含まれてはおらず、フォードも、しばし乾いた舌で口内を濡らそうと下手な努力をして、それでも声は少し嗄れていた。「臭い肉まで食う切りはねえんだ。特に、臭くてたまらない野郎が差し出してくれやがった肉は」
しばしの沈黙の後は、笑う気配がした。
予想もしていなかった態度にフォードは、話すべき言葉を選べなかった。
「それを好んで食うのが私達の仕事なのさ」フォードは、相棒の純粋な笑いに、不意に何処かを拭い去れた気分になる。「いつもと立場が違うぜ。やっぱりお前には煙草が必要だ。フォード。こんな事を言うのも、いつもはお前のはずなのに」と、そこでエヴァは、肩をおどけたようにすくめ、「それに、もし奴が支払いを拒否したんなら、正当な手段でむしりとってやればいい。それこそケツの毛まで」
「手が震えて、間違って奴さんが死んでしまうかもしれないな」
「それこそ不幸な巡りあいさ。それが私達のやり方だ。私達の名にかけて必ずヤるのさ。当然だ」
踏ん切りがつかないでいたフォードの心は、乾いた木材に鉈が食い込む時みたいに、すっぱりとたちわられた。フォードは、笑みを返した。それこそ歯をむき出しにして。
しかし、この時も、フォードは自身が実に運が悪い事を知った。
機体の下腹部の内壁が突然真っ赤に染まって飛び散った。機体は揺さぶられ、したたかに舌を歯で噛んだ。激痛。
茫茫たる爆風が凄まじい勢いで吹き荒れた。モニターの表示が赤で埋まる。
爆発だ。
攻撃の警報に、予期せぬ一撃に、フォードの頭蓋は真っ白に染まった。