よくない話とよくある事①
「何も、そうかまえなくてもいい。忠告とか、アドバイスとかそんなものさ。甲殻乗り同士のやり方だよ。降伏した相手を皆殺しなんてやらないさ。適当なところで折り合いをつけよう」と、甲殻に乗っている方がいい、銃を構えている方は頭を酷く乱雑にかきむしって唾を吐く。砂漠に染みができてすぐに上から砂が被さって、覆われる。どうやら、酷く不満らしい。態度に透けて見えるのは、状況をかき回された苛立ちだ。「借りだ。忘れるな」と噛みつきそうな声で、繰り返した。砂が厚いブーツに踏みならされるのが見えた。それとは別に砂が蹴散らされる音が聞こえる。
血をぬぐいながらエヴァは、ゆっくりと起き上がって「どこにつけるものもない。用が済んだらそれで終わり、後腐れなしってのがやり方だ。そっちから、ルール破ってこともなし、か。」
命が担保のフォード達甲殻乗りは、降伏した相手を撃たないというのもなるほど守るべきマナーの一つには違いない。
軍隊でもないくせに、死ぬまで戦うという物好きなど殆どない。好きこのんで殺しまくる奴など数えるほどだ。
第一、命に釣り合う金や誇りなどなどあるものか。あくまでお仕事。抜き差しならぬ状況になれば、命を大事に。
だが、マナーという暗黙の了解が破られたことのない試しはなかった。今がそうだ。フォードが、砂漠で銃口を目の前にしているように。一体何が身を守ってくれるというのだ。
「なるほど」しばらく考える間を空けて「じゃあ、ギイ。銃をおろしてくれ」
銃口は、まだこちらを狙っている。
黒い穴。
こいつの頭は、別だ。
こいつが考えているのは、血と硝煙のことだ。
だが、「もう一つ追加」と、一言一言をこねくり回すようにいって腕の力をゆっくりと抜いた。膝のあたりでぶらぶら手が揺れた。こんな奴をすぐそばで、知っている。殺したがりの馬鹿。
しかし放っているそれを知らないのかのか、甲殻に乗っている奴はとがめようともせず、一度言ったっきりで、それ以上拡声器から音を漏らそうとはしない。
いや、こいつら2人が、噛み合っていない、とフォードは感じた。わかりやすい惨状だ。そして、それを隠そうともしないのは、どちらも素晴らしい人間であることの証明であった。銃口を下げていても、この女はフォードをゴミをくずかごに投げ込むと同じ手軽さで、沈めることができるからだ。
そして、この甲殻に乗っている奴はそれを知ってやっている。酷くやつらだ。ああ、おもしれえぜ、とやってしまう。フォードもおろしていた手を下げた。エヴァは、もっと先だ。「それで、なんだ」と、特に起伏もない声で、だが激しい口調で睨みつける。「こんな、ひどい事をする奴らだから、ろくなお頼みごとじゃないんだろ」口の中で呟いたフォードとは、うってかわった態度だった。
だから、こいつと組むのは、やめられないものだ。
ちらりと視線をやるまでもなく赤々とした染みが金髪に広がっているのがわかる。相棒は、銃を勘定に入れずに話しているのだ。
「銃がないと思って。調子のいい奴」女が冷笑するのもわかった。
フォードは、エヴァがまずい言葉を放つ前に、口を挟んだ。「そちらも、何か仕事をしているのはわかる。それも、面倒な奴だ。そうだろう。そのケースだろ」カメラの照準がこちらに合わされる。「よければ、取り戻せ、悪けりゃぶっ壊せ。面倒くさい仕事だ」
「お気遣い、どうも」甲殻に乗った方は、ひび割れのノイズが混じった拡声機でもよどみなく返し、フォードは「こちらこそ、だ」と言い、エヴァは、眉間にしわを刻む。女は、割とどうでも良さそうに聞いている。これに、関しては。もちろん、興味を向けるのは、エヴァの喉元だ。
甲殻の分厚い装甲の中、「そうだよ、君が言う通り」とうなづく気配を感じた。
「そちらは東部の黄色猿どもから頼まれたんだろ、お疲れさま。楊の野郎からだろ。知っているよ」と、言ったのでフォードも「それは、お気遣いありがとう」笑う。
笑いながらも考える。
この男は知っている。
フォード達が、誰の為に働いているのか。
鎌かけなどでは出せない率直さだった。いつの間にか指が小刻みに震えるのを止めようもなかった。タバコが欲しい。
こんな時にはよく思う。
エヴァは、深いしわを刻み込むのに余念がなかった。エヴァが、考えていることはフォードと同じだ。
誰でも同じことを考える。
フォードは、声も出せず、ぐるぐる回るカメラを瞬きせずに見返していた。
カメラが、光の加減か歪んだように見えた。
「さあ、考えごとはお終いにして、まともな話でもしようよ。さあ」フォードは、汗をだらだらと流しているのを感じた。
暑さのせいだけではない不快さが背筋を流れた。「いい話だといいが」フォードは、自分の声を平常に保つので精一杯だ。
「私の親切心さ。いいお話だよ」その言葉に、もっとも顔をしかめたのは銃を構えた女で、効果のほどは驚くほどに激烈な反応だった。
何かがあったと想像させるのには十分な硬さの表情に、しかし相変わらずも甲殻の男は無関心で、フォードに微笑みかけたようだ。
「黒興にしばらくは近寄らない方がいい」と、子供と目線をいちいち合わせて話す大人みたいに、ゆっくりと耳にしみつかせる声音が、緩やかに滑り込んできて背中一面が総毛立った。
嫌な声。
そして、フォードは、レンズに映る光が揺れ揺れる。その動揺を楽しむ調子で、子供でもわかるような簡単な言い方で、甲殻の男は、「戦争だ」と、ことも投げに言った。
フォードは、心臓が肋骨を強く叩いて息も詰まった。エヴァが、声を上げた。
もっとも、それは歓喜からのものだったかもしれない。
女は、一言足りとも漏らさなかったが、手の動きが伝わるよう銃の先が動いている。戦争。
何かが、まずい。
雑多な建物の暗がりに初めて足を踏み入れる時を考える。日差しはカンカンにてっているのは地面を炙っている。それなのに、この男は、バカみたいなことを大真面目にほざいてやがるのだ。戦争。銃器が揃えられて、甲殻にはオイルがさされて動き出す。戦争、戦争だ。
バカみたいだ。ギャングどもは、小競り合いこそすれ、正面衝突は徹底的に避けてきた。あくまで、彼らは金持ちーそれも半ば政治を顎で動かせるくらいの奴の、代理でしかないからだ。黄龍会にしても他のにしても同じだ。
ギャング同士で、戦争だのなんだのは電気麻薬でも昼からやっている野郎しか言わない奴だ。
それか、退役したボケ老人が夜中に喚き出すごときだ。なのに、「やるよ。人が数十人死ぬ程度じゃあないよ。バカみたいにドンパチやるのさ」
「誰が」エヴァは、声をうわずらせて、そしてフォードは、声も出していない。エヴァの頭の血が固まりかけて、赤黒く光っていた。「誰がやるんだ」
「黄龍会だ。奴らが上手くやったんだ。いろいろと。その他はいろいろとあるんだ。君たちが殺したテスラの奴とか、そんな具合のことだ。もう、やってられなくなったのさ。面子を正面から踏みにじられただけじゃない。他にもいろいろだ。山ほどある」嘲るように、甲殻の男は、言葉を溢れださせる。
「彼らの後ろ盾も賛成さ。シャフトを一旦とっちまえばお終いだ。権利など、文句など意味もなくなってしまう。実行支配をやろうとしているのさ」フォードは、言葉も出ない。馬鹿みたいに、まるで馬鹿みたいに見上げるしかない。
「さて」男は、丁寧な口調で言う。「逃げた方がいいよ。親切心から言わせていただきますけれども」言葉の終わりの方はほとんど笑い声。