砂塵の衝突④
回転数を上げたエンジンが吠えた。6秒ほどで、最高速に達する。レバーを最大まで放り込んだまま、フォードは重圧を感じた。景色が形を失っては崩れ、灰色と青の線になった。顎を低く。足に血がたまりきっている。頭の血管は膨張する。全てが、目の前の敵機に集約した。影の一つ一つがどう動くかさえ、見えるような気さえする。いや、目の前だ。フォードは、頭の中が真っ白になった。交互に驚愕と戦慄が駆け抜けて、痒い背骨が続々してしまう。噛み締めた歯は、激突の激痛を味わうことはなかった。
敵機の質量が増した。装甲が浮き上がり隠されたなんらかの何かがあらわになった。
ペダルを踏めたのは、真正面の甲殻の輪郭が膨れ上がると思えば、その懐で目を鋭く刺す色の光が瞬いたからだった。
混濁した思考はそれでも染み付いた動きを叩きだして、左脚部を軸に半ば加速に追い立てられて、滑走の痕跡を刻み込みながらレバーとペダルを複雑な決められた手順で操る。揺さぶられて意識を手放した方がマシなくらいだ。横殴りに駆け抜ける痛みが腹に沈殿する。銃弾は、後から後から、降ってきた。追い立てられて逃げ回り、鼓膜が震えているのか世界が震えている。脚部のフレームはしっかりと衝撃を受け止めてくれて、どうにかこうにか切り返しができた。肺の空気が押しひしげられた肋骨に追い出され、息が詰まった体から意識が遠のく。砂丘の斜面の砂が崩れて、倒れそうになる。
敵機は、砂の上に落としていた影は異形だった。一目で見ればわかるような有様なので、今度は見逃さないわけがなかった。無骨だと思われた外殻を構成していた部分が開き、腕をなしていた。副腕とでもいうべきものだ。両手両足以外に腕の動きをする部分を複数持っている奴を俗に蜘蛛型と呼ぶが、この敵機はまさにそうだった。単純なマニュピレーターと、その中央に取り付けられた小口径の銃口は銃弾を吐き出していることを示すように、瞬く。それが左右2対の合計4本。手足と合わせて8本で多脚の昆虫のごとき有様をなしていた。人型であって人型にあらず。それが、甲殻という兵器の真骨頂で、この敵機はそれを体現しているのだ。掲げられた腕のマニュピレーターが、そんな印象を際立たせた。腹部の装甲こそ副腕部のフレームと可動域に削られたのか薄さを露呈していたものの、形状は83式と大きく変わることがなく、いかに巧みにバランスと重心を調整しているのかが伺え、この敵機がまともな出処ではないと分かる。フォードが騙され、エヴァでさえ気づかづ接近してしまった。
上手く隠蔽されていたどころの話ではない。
油断ならない奴だ。この瞬間まで狙っていたのか。してやられた。
言葉がまとまりを為さずに、明滅していて全身に浮かぶ汗を感じる。良く良く見れば、分かったかもしれないがそれを言ってもどうにもならない。得てしてそんなものだ。呼吸は、一定に。慌てるな。落ち着け。吐くのは吸ってからだ。
エヴァの甲殻の腕と銃も残る3本の腕部に拘束されて、戦況は膠着状態に陥っていた。そこまで近いと銃撃戦をやるわけにもいかないからお互いに手出しができやしない。一体だけでよくもまあやってくれるものだ。近づこうとすれば、フォードは、もう一度追われて後退しないわけにはいかなかった。これでは、間抜けそのものだ、と思う。吐き気と憎悪を露わにしてべダルをけりつけて、罵りの言葉を飛ばしたい気持ちにかられて見れば小さくなる敵機は黒々とした影を落としている。太陽を背負い、中の甲殻乗りが表情のない視線を注ぐ。フォードは、こらえきれずに息を乱した。対処を促す本能がフォードに銃を構え直させた時には、くすんだ色の敵機がエヴァを盾に取る位置に陣取り、フォードの甲殻の腹部に狙いを定めていた。「畜生、なんとかならねえのか」撃ちかえせやしない。
言葉を紡ぐのももどかしそうに「無理だ。間に合わん」
冷静な思考はその言葉を裏付けしていた。狙い定めた一撃が直撃する。金属が破砕する音は、悲鳴に似ている。関節がへし折れ右腕部の肘から先はもう役立たず。腕の増加装甲に杭のように刺さって突き抜けて腹部の装甲を砕いていた。パイプからは循環液が漏れ出し、配線を断たれた人口筋肉は動かない。撃ち返すのは時間が足りない。構えて狙い定めてその前に終わり。フォードは、左腕に右腕をつかまさせて無理やり掲げた。もう一撃。金属の悲鳴。
押されて下がる。完全に千切れる。断裂した。四散した金属がきらきらきらきらしつこく舞っている。カメラに、見えるのは慈悲も無慈悲もない黒い銃口と、それを構えて狙い定める敵機のくそったれな姿だ。覗き込まれている。フォードにはそれがわかる。もう、フォードは銃を左腕部で構えなおしていたが、断裂した右腕の重量分をプログラムが修正する時間を稼げはしなかった。火線はフォードをタンパク質の塊に帰るだろう。
敵が、撃ったと同時かそれより早くエヴァが機体を動かした。脚部の自立を停止したのか足が曲がって後ろに仰け反り、重量を支える敵機の三本の腕はしっかりと固定されたままだったので、重量にひきづられた敵機を前のめりに傾いた。銃が地面に向けられて、そのまま火花を吹く。無線に混じったのは、変わらぬ静謐な呼吸である。そして、曲がった脚部は次の瞬間地面を踏み固めて、次にフォードが見たのは敵機が握るバリアント45Aを手首ごと二度の蹴りで吹き飛ばすところだった。敵機は、咄嗟に腹部をかばい「無事か」エヴァは緩んだ拘束から抜け出し、影がかかる位置で砂煙を引いて対峙する。敵機は撃てない。この距離で外せば、そちらの負けで、そして敵機にあるのは、マニュピレーターの先についたそれらだけ。数は関係ない。
エヴァの速度は、折り紙付きのそれだからだ。
「生きてる、生きてる!」と、フォードは銃を構え直した。死んでしまえば返事はできないということもわからないのか。頭の悪い奴、微笑みかけてやりたい。それか、酒でも送ろう。もう一度の形勢逆転だ。これだから甲殻乗りはやめられない。素敵な姿だ。「逃げるぞ。時間がかかりすぎた。こいつ一人ならいいけれど後詰めを放り込まれたら俺らはお陀仏だ。ストーカー野郎が見詰めていらっしゃる。さっさとそいつの脚潰せ。なんなら降伏を進めてやるといい」
「言われなくても、やってるさ。それに、どうせならば後腐れない方が良い」エヴァが狙いを定める。こころなしか、空気が張り詰めるようだった、誰かが地面に転がる時はいつもそうだ。
「やればいい、好きにするといいよ」と、突然の声が凝った殺意をかき混ぜた。
「何だ」フォードは、無線を聞いた。全周波だ。国際規格の緊急周波。どの国の機体にも届くそれは、主に投降の意思を表す時に使われる。敵機がそれを発したということは状況からして明らかだった。フォードは、かすかに目を細め、敵機を見た。「今さら降伏かよ。人の甲殻の腕吹っ飛ばしておいてそれはないってものだぜ。お仲間さんが全員降伏してくれるっていうのなら話は別だが」
「右に同じ」表面上だけ間延びしたようにエヴァがいい、「お前が目の前で死なねえとこちらは安心のしようもない」と銃口は揺らがせない。丁寧きまわりなく、わかりやすいことこの上ない。
答えは、無線機から伝わるさざめきの振動だ。こいつ、笑やがったとフォードは、眉を上げた。馬鹿になったのだろうか、阿保になったのだろうか。それともフォード達を馬鹿か阿保かと考えているのやら。だから「撃ってやれ。その馬鹿を」と、短く言った。
「馬鹿はお前達だ。死ぬのもね」フォードは、呆れてかぶりを振った。恐れをなすとでも考えているのか。フォード達はガキでもない。甲殻乗りだ。魔法の言葉で、うまくいくのものか。アブラカダブラでも唱えているといい。これまでのどこを見て、そんな言葉をひねり出す訳を訪ねたい。エヴァも、平常の呼吸を乱さない。「よく、見てみるといいや、それでどちらが有利かわかるものさ」フォードは片目だけで、厳密にいうと視界を脳に呼び出して周りに動くものがないことを知っているから、子供の頭を撫でてやる気持ちになって、「何も見えねえぞ。はったりはよせ。死ね」
「違うさ、上だ。それと下だ」フォードは、暫く銃弾の飛び散って、砂が掘り起こされた砂漠を見て、空を見てそれから息を飲んだ。今日は晴天で、空の高みに舞う黒い小型偵察機と、地面を深く深くえぐる銃創が光に照らされていた。そして、砂漠はもうフォード達は銃創の真上に立っていて、砂丘の斜面はもうフォード達守る位置ではなくなっている。