屍体のある金⑥
砂漠は、甲殻にとって悪夢としか思えない。
設置面積が狭い甲殻が重心操作を誤れば、脚部は砂に沈み込む。
それだけではない、というように輝く太陽が部品を劣化させ、砂が吸気孔に詰まって「呼吸困難」を起こさせるときている。そんな事態をよくも避けられるものだ。あれほどの速度で休まず走らせればエンジンが焼け付くはずだが。現にこちらは、休み休みでも、ガタが出始めているというのに。ギイは、息を少し吸って止めた。視界に映ったものを確認するためだ。
上空から見ると、灰色の滑らかな砂漠に機械的な鋭角形状の甲殻の影はやけに浮き立っている。足跡は砂に毛づられていく。ギイは、視界を少し拡大させた。甲殻の速度と合わせ、並飛行させる。
砂塵混じりの風は視界を乱す。それでも、まだ見えている。砂漠を軽々と進む甲殻の吸気音と、排気音、それにエンジンの唸りと、時には踏みつけられて舞い上がる砂塵のざわめきさえも、マイクは拾うことができている。2体分きっちり聞こえる。
甲殻は、強い日差しの中で輪郭がぼやけているが、しかしこんな砂漠の奥まで来ているのだから、間違いなくギイと、ジョーが追っている奴らだ。
見つけた、とギイは思う。
それにしてもとんだ間抜け野郎ども、だ。しかも、こちらには気づいていないと来ている。高速軽量型なら少し速く駆ければ、すぐにでも追いつける。地平線ぎりぎり位先だ。しかし、ギイは笑わない。砂漠は殆ど人気がなく、追跡に向かず、闘争に最悪であり、逃走に最適であり、それゆえに逃走者は、後方への警戒が薄くならざるを得ない。どんなに目を見張ったって見えるものではないからだ。
狙撃者は、北部戦線よりも、ここでのほうがうまい戦果を得られる。何せ、精密機器は劣化し、隠れるのにはうってつけの地形だ。あと、何年か経てばどいつもこいつもライフルを持つようになるのではないか。
馬鹿らしい。獲物なんて殆どいないのに。視界接続を、それと、もう一体残してあとは遮断。
それでギイは、飛ばしていた小型監視偵察機の目標を発見したその一体と、現場に向かわせているもう一体以外のそれらを呼び戻した。10数秒数えれば、微かな、それもギイの狙撃システムの聴覚センサでやっと拾えるくらいの振動を出しつつ底面が水色に塗られた飛び回る小さな物体が姿をあらわす。
大体大人の手のひら4つ分くらいの大きさのそれは、揚力発生器を積み込み、上下左右の素早い移動と恐ろしい程の静寂性を可能にしている。普段は甲殻の背面部に収納されていて、狙撃システムとして組み込まれた拡張プログラムを使って遠方の視界をギイに送り続け、そしていざと言う時には自爆し、目くらましの役割も果たす優れものだ。狙撃には欠かせない。ギイの優秀な「目」だ。
「見つけた」ギイは、髪の毛の先を軽く引っ張る。
「甲殻は何体いるの、ギイ。2つより多いか少ないかどっちかな」
「ぴったしだ。お前、疑うのか。きっかり2体。間違いない」いらいらと、指先でコンソールを叩いたギイは、背部のハッチを開いて小型監視偵察機を収納すると、無線に向かって噛み付く勢いで、「ブッ殺そうぜ。今ならいけるぞ。お望みどおりに」ギイ達は、目標が砂漠に溶け込むくらいの地点で埋伏していた。甲殻の足元をたどり続けてはや2日だ。自動操縦をかけっぱなしにしていたので体感時間では起きて、うたた寝して、それから目が覚めたくらいだ。そこで、真新しい足跡に気付いた。小型偵察機を放ちじっと動かずにいた。
目標までなら、ギイの腕を持ってするなら十二分にいける。解決できる。警戒もされていない。されていたとしても、約3キロ後方で殆ど砂に埋もれているギイの甲殻を見つけることなどできはしまい。大型ゆえに通常の規格の1.5倍は上背のあるギイの甲殻でさえ隠れてしまうのだから。
起動状態の甲殻は、エンジンを唸らせ、その存在を主張している。ジョーは、あのクソ髭野郎は、ジョーの甲殻と一緒に何処かに埋もれている。エンジン音も聞こえないほどに静かに。だが、無線から聞こえる声ははっきりとしている。ごく近くに潜んでいる証はあるのに、完全に景色に溶け込んだ手並みは、慣れたものだ。
「そうだね、君にそこまで自信があるのならそろそろ行くかな、ギイ」
ギイは、ジョーが猫撫で声を使っているのに気付いた。無線の音量を一目盛り下げる。
「なんだ。おまえ、あっさりしているな」と、さらに薄気味悪い仲間に不機嫌になった。一応手を組んでいるから、仲間で間違いがない。それでも不快が首をなぞる。最もギイは、このくそったれな仕事を早く終わらせたかったので、少し口角が上がったのかもしれない。「そちらもその方がいいように、私もできるならば速く始末してくれた方がいいんだ。焦りすぎ、速すぎという気もするがね」とジョーの声が遠くに聞こえた。殆ど、ジョーの言葉を聞いていない、聞きたくない、というのもあった。
ギイが好きなのは撃って、撃ってそれでお終いという方法だ。気づかれる前に気づく、殺される前に殺す。それが、ギイのやり方であり、何よりも他のやり方ではうまくいかない。
そもそも、どうでもいいのだ。ジョーがどうなろうと。ギイが欲するのは、獲物を仕留めたという安らかな満足だ。それが欲しくて出向いたのだ。それを知っていながらギイと契約を交わした。ならば、向こうも先刻承知のはずだ。
そして、あとは聞かずに、用意していた巨大砲を動かした。
2日前の飛行機に使った弾は4発。ボロの旧式のくせに装甲だけはもとのままにしやがっていた。だが、今、狙っているのは若干通常よりも大きいくらいの中型甲殻だ。当たれば仕留め損ねる恐れは何処にもない。見えない地点からの音速の攻撃だ。1秒もかからない。一発目で、一人、続けざまの2発目でもう一人とる。狙撃システムを完全起動。プログラムを立ち上げ、視界をそれ用の高感度端子に接続。銃身の支持脚が、小型偵察機から送られてくる情報をもとに微動する。
「ちゃんと仕留めてもらわないと困るよ。命あっての金と地位だからね」
2機の小型監視偵察機の高度を低く下げ、相対位置を固定。ギイの甲殻の高感度端子と偵察機の三点で目標を捉えるようにする。三次元的な座標はより正確で、確実さが増すものだ。獲物の座標を正確に把握。レバーを使い、指先を僅かな圧で調整を加える。ギイの目は今なお情報を正確に送り続けている。それに合わせて狂い無く。
「そうか。どうでもいいぜ」
ギイは答えた。
角度調整。
「奴らの手に渡っちゃうと不味いものなんだ。私の上司どもがみんなひっくり返るくらいに」
レンズの照準越しに甲殻の背中を捉える。音よりも速い弾頭は接触しただけで金属の束を弾け飛ばすだろう。コクピットを覆う硬くて厚いからを粉砕するだろう。ギイは、目を無意識に細めて、睨んだ。顔は知らないから、相手の顔を思い浮かべて打つことはできない。少し残念だった。
「ああ」
ギイは答えた。
さらに微調整。上方にセンチ単位。右にミリ単位。
「本当に?」
答えず、ギイは狙いをつけた。
そして、ギイは引き金に指をかけた。そして、ジョーを「誰に言ってんだ。クソ野郎。自分のケツにでも話し掛けろ」怒鳴りつけた。嫌なことも、クソくだらねえことも、関係ない。ギイは撃つだけだ。一点に凝縮された視界には、二体の甲殻。まずは、少し先行しているのから、捉える。狙いはコクピット、一撃必殺。息を僅かに吸って、羽毛も揺らさない程ゆっくり吐いた。
殺す。
ギイは自分の顔を触ったわけではないけれど、なぜだが笑っていると思った。
引き金が触れ、それを握手するようにレバーを握りこんだ右手の人差し指で引いた。指先の感覚は馴染みの嬉しさ。不安定な砂のせいで甲殻が反動で少し後ろに滑って、甲殻本体に接続された「狙撃銃」は、一瞬に凝縮された衝撃とともにマズルファイヤをちろっと出し、砂漠は音で満ちて、すぐに音を吸い込んでしまった。
そして弾丸は、もとは浮遊戦車の主砲を想定して造られていた弾丸は、何もかも後ろに置き去りにして、衝撃波に砂地を削り取って、まっすぐに解き放たれた。