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第四話 備えあれば患いなし

 基本的に娼婦は花街から出る事はあまり無い。

 あくまで娼婦とは商品であり、勝手に出歩けば色々と不安要素があるのだ。

 ひとつは花街から逃げ出さない為である。

 駆け落ちなどがそうだが、そう言った話は今でも年にひとつふたつと耳にする。

 もうひとつは出歩いている最中に、傷物にされないためでもある。

 治安が悪い場所は少なからずあるわけで、そんな場所を娼婦が歩いていたらどうなるか。


 そんなわけで大抵の物は花街の中で揃うようになっている。

 どうしても手に入らないものは、アイギールのような男娼が使い走りに出されるのだ。

 人気の娼婦ともなると、娼館へ贔屓の商人が直接やって来たりもする。

 そうした事情がある中で、唯一の例外となる娼婦が一人。

 簡単に遠くへ逃げる事は出来ず、尚且つ暴漢に襲われる事が無い人物。

 椿楼つばきろうの三姉妹の一人であるルシアだ。


 元闘奴であるルシアは右足の腱を切る大怪我をし、杖が手放せない生活だ。

 聞けば杖が無くとも何とか歩けるそうだが、あまり見た目がよろしくないとの事。

 ちなみにアイギールはその愛用の杖が、仕込み杖である事を知っている。

 椿楼つばきろうでもごく稀に荒っぽい事が起きるのだが、ルシアはその際に大活躍をするのだ。

 最近では椿楼つばきろうだけでは無く、花街全体の用心棒的な扱いをされている。

 何かと噂話には尾びれ背びれがつきもので、暴れ回る不届き者を一刀両断しただなんて話もある。

 まあ派手好きのルシアにしてみれば、その話を聞いて喜んでいたのだけれど。


 そんなルシアと二人並んで歩いているのには、話は一日ほど遡るがちゃんとした理由がある。

 ルシアに呼び出されて部屋を訪れてみると、目の前に差し出されたのは金子きんすの束だ。


「これで飴でも買ってきてくれないか、釣りは駄賃だ」


 何ともキザったらしい言い回しだが、ルシアが言うと様になるから面白い。

 金貨の束が二つほども必要な飴など、もしあるのであれば見てみたい。

 要するにこれはルシアからの餞別と言うわけである。

 普段は金勘定に煩いルシアだが、ここぞという時と所では惜しみなくばら撒くのだ。


 さて、そんなルシアの申し出を断る理由も無い。

 活きの良さそうな若者がいれば紹介するなどと話していると、ついでにもう一つ切り出してきた。

 アイギールがギルド職員として働く際に必要となる物を見繕ってくれると言いだしたのだ。

 ギルド職員の仕事は机に齧りついているだけではない。

 時には担当する冒険者に同行する事もあれば、有事の際には即戦力として扱われる。

 まあ何よりも可愛い弟を貧相な装備で送り出す事など、ルシアには耐えられないのだ。


「ルシ姉は魔術師の装備とか詳しいの?」

「戦う上で嫌な輩を考えれば、自ずと答えは出てくるものだ」


 剣士であるルシアが魔術師の事に詳しいとは思っていなかったのだが、なるほど一理ある。

 流石は百戦錬磨なだけはあると、その言葉にアイギールは感心してしまった。


 小一時間ほど歩くと、都市の西側にある冒険者街へと辿り着く。

 杖をついて歩くルシアだが、馬車や人力車の類は一切利用しない。

 身体が鈍るからと何とも単純な理由だが、ルシアの引き締まった肉体を維持する秘訣なのだろう。

 ここに来て、アイギールは周囲の視線が集まっているのを感じた。

 それはルシアが派手な衣装に身を包んでいたり、人気の娼婦だからといった理由だけではない。

 色々とその種族によって後ろ暗い部分を持つ冒険者街の者にとって、ルシアは憧れの存在なのだ。

 奴隷階級からその剣の腕で見事にのし上がったのだから当然である。

 そんなルシアと並んで歩ける事に、アイギールはどこか鼻が高い気分になってしまう。


 ルシアと共に訪れたのは、冒険者街の外れにある大きな建物だ。

 看板が無いのでどう見ても店では無いのだが、中に入ってようやくそこが工房だと気が付いた。

 てっきりどこかの店で出来合いの物を買うとばかり思っていた。

 だがどうやらルシアは、オーダーメイドをご所望のようである。

 あまりにも至れり尽くせりなので、流石にアイギールも後ろめたくなってしまった。

 これだと紹介すべき生贄は片手どころでは間に合わないかもしれない。


「誰かと思ったらルシアちゃんじゃないのさ!」

「久方振りだな親方、相変わらず酷い格好だ」


 思わず二度見三度見し、そして俯いて見なかった事にした。

 アイギールの視界に飛び込んできたのは屈強なドワーフの男である。

 いや、身体は男なのだが心は女と言う奴だろうか。


「あらやだ、可愛い坊やじゃないの」

「あまりいじめてやるなよ、私の弟だ」

「あらぁ~、じゃあこの坊やが噂のアイギールちゃんなのね」


 全身を鳥肌がびっしりと覆いながら、同時に汗が噴き出すのは初体験である。

 奇抜なデザインのドレスに身を纏った筋骨隆々のドワーフ。

 念のために確認してみるが、やはり口元にはうっすらと青髭が浮かんでいた。

 人というものは面白いもので、恐怖を通り越すと笑顔になるものだ。

 頬が引きつるのを感じながら、アイギールは何とか理性を保ってみせた。


「こ…こんにちは、アイギールと言います」

「すまんなアイギール、見てくれは酷いが腕は確かだ」

「それで、今日は何の御用なのかしら?」

「弟の装備を揃えてやりたいのだが、頼めるだろうか」

「勿論よ! キュイラス? それともプレート?」

「…阿呆が」

「冗談よもう…残念ねぇ、折角採寸が出来ると思ったのに」


 あの厳つい珍獣に身体を弄られると思うと、鳥肌を通り越して痒くすら感じてきた。

 どうやらこの親方は魔術師用の装備は専門外のようである。


「ちょっとあんた達! この可愛い坊やにとっておきのを用意してあげなさいな!」


 野太い声が響き渡ると、工房の奥からわらわらと小さな何かが沸いて出てくる。

 この工房で働いている職人で、恐らくは魔術師向けの軽装を担当している者達だ。

 二名のホビットと、数えきれないほどのフェアリーの大群である。

 自分よりも小柄なホビットと、肩に乗せられそうな程の大きさのフェアリー。

 その姿にアイギールがどこか安心したのは、多分気のせいではないだろう。

 ただそれも一瞬の事で、あっという間に取り囲まれるとこれまた恐怖である。


 数の暴力で奥へと引きずり込まれると、抵抗虚しくひん剥かれる。

 最後の一枚はどう考えても必要性が感じられないのだが、そこはフェアリーの好奇心故か。

 黄色い歓声のようなものが上がると、流石にアイギールと言えども恥ずかしい。

 フェアリーは言葉が通じないが、大体何を言っているかは想像がつく。

 椿楼つばきろうの娼婦のように、どこか慣れきってしまった反応こそが異常なのだ。

 それを尻目に溜息を吐きながら、淡々と採寸をしていくホビットとの対比が何とも滑稽に見えた。


「ミスリル銀糸をたっぷりと使ってくれ、それと要所にはリザードの皮がいい」

「はいはい畏まりましたよっと」


 傍らではルシアとホビットのうち一人が綿密に打ち合わせをしている。

 どうやら彼がこの集団を取り仕切っているようだ。

 その後ろでは親方が仲間外れにされて、どこか恨めしそうな表情でその光景を見つめていた。


「親方、そんなとこ突っ立ってないで自分の仕事してくださいよっと」

「煩いわねえ、分かってるわよう」

「ほう、珍しいな…親方自ら仕事とは」


 ルシアの口ぶりから察するに、親方自ら仕事をこなすのは稀であるようだ。

 それなら先ほどの自分に対する態度は何だったのかと、アイギールは再び悪寒を感じた。


「金剛刀なんて久し振りよ、まあお代は頂いたから仕方が無いわね」

「何だ、随分と乗り気ではないようだな」

「親の七光りってやつかしらね、あのソードマスターの娘の依頼なのよ」

「…ほう」


 ルシアの目の色が明らかに変わる。

 剣の道を歩む者ならば、三聖の一人であるソードマスターの話を聞けば誰だってそうだろう。

 それに加えて、ルシアはアイギールが模擬戦を控えている事も知っている。

 その対戦相手が誰なのかもだ。

 アイギールもソードマスターの娘と聞いて、思わず聞き耳を立ててしまう。


「何にせよ身の丈に合った獲物じゃないとねえ、先が思いやられるわ」

「随分と奮発したものだな」

「急ぎで頼むからって、金貨十二枚よ十二枚!」


 剣一振りで金貨十二枚と聞いて、アイギールは一瞬耳を疑った。

 それだけあれば一年は楽に暮らせるほどの金額である。

 頭の中でフラウならほぼ一週間、ルシアやクローディアならと考えるのは職業病か。

 ともかく親方の言う身の丈とは、扱う技術よりもその価値の事であるようだ。


「あの、急ぎって事はもしかして明日中とかそう言う話なんですか?」


 ふと嫌な予感がよぎり、まさかとは思いながらも確認してみる。


「よく分かったわね、何でも試したい機会があるらしいのよ」

「はは…そうなんですか」


 実に短い人生だったと、そう思ってしまう。

 どうやら対戦は避けられず、あろうことか相手はやる気十分のようだ。

 先程から周囲を飛び回っているフェアリーが、まるでお迎えの天使に見える。


「何だ、怖気づいたのかアイギール」

「だってさルシ姉…」

「安心しろ、思っていたよりも相手は阿呆だ」


 かつんと、杖の先で床を突く。


「獲物の良し悪しで勝負が決まるわけでは無い」

「そりゃあルシ姉ならそうだろうさ」

「それだけではないぞ、どうやらアイギール…お前の事を見くびりすぎている」


 またしてもかつんと音を立てて、杖の先が床を突く。

 これはルシアの癖のひとつだ。

 竜の逆鱗や、虎の尾などと表現されるそれ。

 弟を新調した剣の実験台として扱われるのは、侮辱以外の何物でもない。

 漏れ出した殺気のせいで、フェアリー達が震えあがっていた。


「親方、弟の装備はいつ仕立てあがる?」

「そうねえ、急ぎで三日ってところかしら」

「明日中だ」

「そ、そりゃ無茶が過ぎますよっと!」

「代金は売払う、それにコロシアム上がりの連中に口利きをしてやってもいい」


 ごくりと親方の喉が鳴ったのは、ルシアに気圧されたからだけではない。

 コロシアムで生き残り、晴れて世に出る事が出来た連中は、間違いなく金になる。

 凄腕の冒険者や要人の専属衛兵など、中には領地まで与えられた者までいる。

 その全員に共通する事は、良い装備を求め尚且つ金回りが非常に良い。

 商売人としての血が騒がずにはいられないのだろう。


「ちょっとあんた達! 手の空いてる子は非番の子達を呼び出してらっしゃい!」


 こういう時に絶対的な上下関係は物を言う。

 野太い声の後には形容し難い悲鳴と怒号が響き渡った。

 今にも泣きだしそうな顔で、取り囲んでいたフェアリーが何名か工房から飛び出していく。


「…何だかすみません」

「気にしないでくださいって、いつもの事ですって」


 いたたまれなくなって採寸をしていたホビットに謝るが、いつもの事らしい。

 ただ小さくため息を吐いているので、気が重い事には間違いなさそうだ。


「さて、用が済んだら急いで帰るぞ」


 採寸が終わると、ルシアが前金の金貨の束を親方に放り投げる。


「急いでって、何か用事でもあるの?」

「何かも何も、お前の特訓だろう」

「えぇ…」

「いいか、絶対に負ける事は許さんからな」


 思わぬ形でアイギールにも火の粉が降りかかってしまったようだ。

 だがこれは、逆にまたとない機会でもある。

 アイギールは魔術を習得しているとはいえ、実戦形式で扱った事は無いからだ。


「クローディアにも色々と知恵を借りる事にしよう」


 帰りの道中では、ルシアが何やらぶつぶつと呟いていた。

 杖をついていると言うのに、アイギールがついていくのがやっとの速度である。

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