第二話 好色巨漢の拳闘士
受付嬢が部屋を去ると、残されたのはアイギールとガウェンの二人だけになる。
「お前の名はアイギールと言うのか」
ガウェンが名を知らぬのも当然か。
彼には男色の気は無いので、いくら常連とはいえそこの男娼の名まで知っているはずが無い。
月に一度しか訪れないので尚更だ。
ガウェンは手にした紙切れをひらひらとさせながら、何とも形容し難い表情を浮かべていた。
「はい、かか様から頂いたシャメリア姓を名乗っています」
「あのババア、そんな上品な名前だったのか」
今のは失言に他ならないが、聞かなかったことにしておこう。
ババア呼ばわりされたとなれば、かか様が怒り狂うのは目に見えている。
そんな些細な事で上客を手放す事は、アイギールとしては勿体ないと思うのだ。
「それで、僕は何とお呼びすればいいのでしょうか?」
遠まわしに、こちらはその正体を知っているぞと牽制を仕掛けておく。
次の瞬間アイギールの頬のすぐ横を、何かが通り過ぎた。
何事かと振り返ると、ついさっき入ってきた扉には深々とナイフが突き刺さっている。
挑発が過ぎたかと、そう思ったがどうやら杞憂だったようだ。
「てめぇら! くだらねえ事してねぇでさっさと仕事に戻りやがれ!」
ガウェンの一喝と同時に、扉の向こう側から散っていく足音が聞こえた。
なるほど、全く気が付かなかったが聞き耳を立てられていたようだ。
好奇心は猫を殺すと言うが、それ程までにアイギールの存在が珍しいのだろうか。
「ガウェンでいいぜ、ここではな」
ぼそりと呟くと、ガウェンはどすんと音を立てて椅子に腰掛けた。
そして大きくため息をひとつ。
「あの狸ジジイめ、酷ぇ事しやがる」
「その紹介状に何か?」
「お前を雇わなかったらギルドに物を卸さねえだとよ、随分と気に入られてんなあ」
「それはもう…何ならお試しになりますか?」
「…冗談はやめてくれや」
実に三年ほどのブランクはあるが、文字通り身体に叩き込まれた技術には自信がある。
目的のためならば手段は選ばず、それを実行に移すだけの覚悟はあった。
残念な事にガウェンには拒否されてしまったけれども。
「それにしても、だ」
ガウェンはテーブルの上に紙切れを三枚ほど放り投げる。
それらは全てがアイギールのために用意された紹介状で、うち一枚は爺やのものだ。
次に見覚えのある筆跡は、見覚えのあり過ぎるかか様のそれだった。
最後の一枚はどういうわけか署名すらされていないのだが、随分と達筆である。
封筒の中身を確認していなかったが、ご覧の通り紹介状は三枚もあったのだ。
「鳴り物入りにも程があると言うか、度胆を抜かれたぜ」
「この一枚は誰の物かご存じなのですか?」
「分からねえ…が、心当たりはある」
付け髭もないのに、顎を撫でるのは癖なのだろうか。
ぎょろりとした目を細めながら、ガウェンはどこか遠い目をしていた。
「まあ大方、お前に魔法を教えた奴だろうよ」
「…どうして僕が魔法を使えると分かるんですか」
「お前のその耳はエルフの血だろうが、それにその手はその為のもんだろう?」
なかなかに洞察力の鋭い男である。
アイギールの両の掌には、魔法陣を象った刺青があるのだ。
十二の時から約三年間、アイギールの元に通い続けた変人が施してくれたものである。
刺青だけではなく、魔法の扱いも丁寧に教えてくれたものだ。
肝心の床の相手などは全く無く、ただ添い寝をするだけという変人である。
かか様はあの爺やが雇った家庭教師のつもりだろうと言っていた。
「雇うしかねえが、ひとつだけ問題があるんだよなあ」
ぼりぼりと首の後ろを掻き毟りながら、ガウェンはまた溜め息を吐いている。
一見するとガサツな男にも見えるが、色々と苦労が多そうな人物である。
「もしかして、僕の生まれが問題なのですか?」
「いや…まあそれもあるが、お前のかあちゃんはどうしている?」
「かか様なら元気ですよ、歳を経て尚衰えずですかね」
「そうじゃねえ、お前の本当のかあちゃんだ」
「死んだそうですよ、僕を産んですぐに」
顔など覚えているはずが無く、知っているのはドワーフであった事と名前くらいのものだ。
「そのかあちゃんの名前も、やっぱりシャメリア姓なのか」
「はい、リンダ・シャメリアと言う名前だそうです」
娼館はいくつもあるが、そこで働く娼婦や男娼は家名を持たない。
全てを捨て去るか、元より何も持たなかった者達が集まるのだ。
代わりに与えられるのは、娼館ごとに決められた識別用の姓だけである。
椿楼の場合は、どちらが元の由来かは分からないが、その花の名を冠しているのだ。
身請けされた場合はその家名を貰う事になるのだが、男娼の場合は少々事が複雑だ。
大抵は養子にしてもらうのだが、爺やにはやんわりと断られてしまった。
「このままシャメリアの名を使っていくつもりなのか?」
「どうでしょうかね、今の所はですが」
シャメリア姓を名乗り続ける事は、つまり自分が花街生まれだと公言し続けるようなものだ。
花と謳われながら、世間の風当たりは何かと厳しい。
それでも構わないとアイギールが考えているのは、他に何も持っていないからである。
今まで十五年間共に暮らしたかか様や娼婦たちが、彼にとって家族であり全てなのだ。
シャメリア姓を捨てる事は、アイギールにとって絆を断ち切るに等しい。
どこか言葉を曖昧に誤魔化しはしたが、捨てるつもりなどさらさら無い。
「それじゃあよ、一つだけ条件がある」
にやりと白い歯を見せながら、ガウェンが身を乗り出してくる。
アイギールには、これからガウェンが何を言おうとしているのか、大体察しがついていた。
「僕の事を気に食わない連中を、叩き伏せればいいんですかね?」
「なかなか察しがいいじゃねぇか、気に入ったぜ」
アイギールにしてみれば、戦場が娼館から変わっただけの事だ。
人が集まれば自然と、嫉妬や軋轢などは生まれる物である。
娼館ではそう言った場合にはどうすればいいのか。
答えはいたって単純で、実力を示してしまえばいい。
その際の手段や方法は二の次であり、要は弱肉強食の世界なのだ。
時折ヘマをやらかして失脚する輩もいたが、それは要領が悪かっただけの事。
「それで、僕は誰を相手にすればいいんでしょうか」
この部屋に来る際に、いくつか敵意を感じる視線を感じていた。
その中の何名か…もしくはその一番上を叩き伏せれば、事は成るわけだ。
「まずは俺の馬鹿息子だな」
「…正気ですか?」
アイギールには二つほど心配な点が浮かんだ。
まずはガウェンの息子とやらを散々にぶちのめしてしまってもいいのだろうかという点だ。
もうひとつは、逆にガウェンの息子が拳聖の血をしっかりと受け継いでいる場合である。
アイギール自身は実戦の経験が無いので、どこまで通用するかは分からない。
「まあまだ冒険者なんだがよ、そこら辺は上手く手を回してやるさ」
「それって八百長…」
「仕方がねえだろぉが、お前を雇わなくちゃあギルドが傾いちまう」
確かに爺やの機嫌を損ねれば、ギルドにあらゆるものが卸されなくなってしまう。
苦肉の策には違いないが、確かに一番波風が立たない方法かもしれない。
そのガウェンの息子には、実に申し訳ない話ではあるのだが。
「それと多分もう一人」
「まだ誰かを?」
「ああそうだ、ここの新入りなんだが、ちょいと頑固な奴でなあ」
またしても髭の無い顎をさすりながら、どこかにやにやと笑みを浮かべている。
恐らくガウェンにしてみれば、こちらの方が本命なのだろう。
「剣聖…ソードマスターの一人娘だ」
既ににやにやどころか、白い歯をむき出しにして笑っている。
「そのお嬢様がどうして僕と戦う事になるんですか?」
「母親の方針でな、要するにちゃんとした手順でここにやって来やがった」
末恐ろしいと、アイギールは素直にそう感じた。
ただでさえ狭きその門を、女性でありながら潜り抜けるとは大したものである。
「加えて曲がった事は大っ嫌いだとぬかしやがる」
「…一応お伺いしますが、その子の歳は?」
「お前と同じ十五歳だ」
つまりはギルド職員になるための年齢制限ぎりぎりである。
天才に違いなく、そしてその才能に奢ることなく正規の方法でこのギルドにいる。
なるほどそれならば、こうして裏口から失礼するような輩を気に入るはずが無い。
握りしめた手の内が、嫌な汗で湿り気を帯びてくる。
「なぁに、うちの馬鹿息子に勝てれば誰も文句は言わねえよ」
どうやら顔に出てしまったのだろうか、ガウェンがばんばんと肩を叩いてくる。
「お前も適当なところで降参すりゃあ、死にはしねぇだろ」
「出来れば見逃してもらいたいのですが」
「そうだといいけどなあ! ぐはははっ!」
その日は判子ひとつで仮採用という事になり、三日後に改めて顔を出す事になった。
そこでガウェンが指名した二人と模擬戦を行う予定になっている。
まずは拳聖ガウェンの息子であるカシムという名の少年。
アイギールより二つ年上で、今年で十七歳になるそうだ。
父親のガウェンの性格をよく継いでおり、ガウェン曰くやんちゃが過ぎるクソガキだとか。
あまり人の上に立つような才には恵まれておらず、今も冒険者として活動中。
ゆくゆくは後継者として考えているそうだが、先は長そうだとガウェンは溜息を吐いていた。
次に戦う可能性…というよりもほぼ確実に戦う相手はソードマスターの一人娘。
鬼人族の名家に生まれ、母親譲りの才を存分に発揮しているそうだ。
ただ名家の生まれに良くある事だが、その性格には随分と難があるようだ。
気位が高く、そして融通が利かない。
エルフの亜種で、尚且つエリートと呼ばれる鬼人族である。
花街生まれで、しかもドワーフとの混血児であるアイギールとは相容れないと思われる。
色々と頭が痛くなりながらも、花街の椿楼へと辿り着く。
その建物の前で箒を掃いている少女が一人。
真っ白な髪からは三角の耳が飛び出し、そのお尻からはこれまた白い尻尾が揺れている。
「ただいまリタ」
「あ、あにさま! お帰りなさいませ!」
ケット・シーと呼ばれる獣人族のうちの一種だ。
今もなお魔王軍の残党として抵抗している種族でもある。
幼い容姿のために歳は九つと偽っているが、既に十二歳でアイギールの三つ下である。
敵対している種族の娘が娼婦として働けばどんな目に遭うか。
かか様なりの気遣いと言うか、やはり厳しくとも優しい人なのである。
リタは身体が弱く、また耳も悪い。
恐らくは生まれつきだろうとの事だが、すぐ背後に近づいても気が付かないのはそのせいだ。
抱き付いて見上げてくるリタの目は、左右でその色が違う。
これもまた生まれつきで、恐らくは虚弱体質や難聴とも関わりがあるのではと言われている。
「かか様は?」
「さっきお昼寝から起きてきたよ、多分いると思う」
どこにいるかは大体察しが付く。
店に入ってすぐの、小窓が並ぶ板の間である。
ここで日向ぼっこをしながら、入ってくる客をしっかりと品定めするのだ。
「おやァ、おかえりアイギール」
暖簾をくぐると、慣れ親しんだ煙草の香りと共にいくらかかすれた声が飛んでくる。
「ただいま戻りましたよ、かか様」
「随分と早かったねェ、もしかして落ちちまったかい?」
「まさか…かか様のお陰ですよ」
「ふん、知らないねェ」
かか様に報告をしていると、奥から次々と娼婦が現れてはあっという間にアイギールを取り囲む。
その殆どがこの椿楼の人気娼婦で、アイギールにしてみれば姉のような存在である。
しばらくは好き放題に、それはもうもみくちゃにされていたが、こつんと小さな音が響いた。
かか様のキセルが発する金属音である。
それを合図に、アイギールの取り巻きは蜘蛛の子を散らすように消え去った。
「ありがとうございます、かか様」
「さっさとあがんなァ、今日はご馳走だよ」