第一話 冒険者ギルドへようこそ
更新は不定期になると思いますが、出来るだけ途切れないように頑張ります
広場の噴水では、子供たちが水遊びをしながらはしゃぐ声が響いていた。
大通りに面したこの場所はこの都市の憩いの場であり、平和の象徴でもある。
中央にそびえ立つ石像はかつての勇者と呼ばれる存在を模したものだ。
嘘か真かは定かではないが、異世界から現れ魔王と呼ばれた存在を打ち倒したのだとか。
英雄譚には何かと脚色が加えられるので、その結果生み出された存在なのかもしれない。
今となっては三聖と呼ばれる三人の英雄譚の方が定着していたりする。
そんな風景を横目に歩きながら、こんな賑わいも悪くは無いと、アイギールは思う。
大通りから一つ南に道を外れれば、そこはまた違った風景が広がるのだ。
夜ともなれば立ち並ぶ酒場からは荒くれ者達の笑い声に包まれる。
時に怒号や悲鳴なども聞こえるが、それもまた風物詩の一つである。
さらにその喧騒を掻き分けていけば、その先に広がるのは花街だ。
戦いのある場所では、そういった娯楽が賑わうのは当たり前である。
よく食らいよく眠り、そして欲を吐き出せば英気は十分に養える。
時には命懸けの戦いを潜り抜ける猛者にとって、花街は無くてはならない存在だ。
その花街を支えているのは、他ならぬ戦いに敗れた者達である。
敗れた者が生き残るためには、相応の苦労が伴うものだ。
弱い女の立場ともなればそれは更に厳しくなり、残された方法は数少ない。
かつて北の地にドワーフの治める国があったが、エルフとの争いに敗れてしまった。
アイギールはそのドワーフの娼婦を母に持つ。
父親は顔も名前も知らないが、生まれ持った才能と、尖った耳からエルフだと言われている。
十五になり成人を迎えたアイギールが向かう先は、大通りを真っ直ぐ西へと抜けた先。
冒険者ギルドと呼ばれている場所である。
魔王が倒されたからと言って、この世界に平和が訪れたわけでは無い。
狂暴な魔物は相変わらずうろついているし、残党と呼ばれる勢力も未だ存在する。
魔界と呼ばれる地域の境界線にあるこの場所では、常に戦力が必要なのだ。
本来ならば正規軍が遠征中の留守を預かるために設立された組織である。
同時に投降した勢力の人材を管理し、潤滑に運用する目的もあった。
老若男女を問わず、腕に覚えのある者なら誰でも大歓迎。
得られる報酬はそれぞれの実力次第で、活躍によっては並以上の身分を保証される。
そんな売り文句と共に、三聖が一人の拳聖によって設立されたのだ。
元々が獣人族のルー・ガルー種でもあった拳聖の言葉に、希望者は殺到した。
昨日の敵は今日の友などと言う言葉もあるが、現実はそんなに甘くない。
獣人族の一部や鬼人族は、ドワーフと同じく社会的地位は底辺に触れるほどである。
突然正規兵として登用されるはずもなく、スラム街で陰鬱とした日々を送っていた。
その身一つで、その行動で糧を掴みとるしかない。
男はギルドへ、女は花街へ。
それは当時の情勢からして、当然の流れだっただろう。
結果として、冒険者ギルドの設立は大成功だったと言える。
魔物の討伐はもちろんだが、未開の地の開拓や流通の確保に大いに貢献してみせたのだ。
手付かずの土地に次々と発見される資源。
それに古代文明の物とされる遺跡の発掘。
俗に言う冒険者黄金期と呼ばれた時代の到来である。
今でこそ落ち着いてはいるが、未だに夢を追う冒険者は多い。
変わり者のエルフがわざわざ冒険者となる事もあるのだ。
さて、アイギールはその夢追い人の一人かと言われれば、否である。
花街で生まれ育ち、世の中の酸いも甘いもしっかりとその目に焼き付けてきた。
高級娼館の椿楼を切り盛りするかか様が親代わりである。
『届かぬ星を掴もうとするより、その手の内で宝石を転がして愛でよ』
今や花街では最大の権力を持つかか様の、いかにも娼婦らしい言葉である。
生れると同時に実の母親を亡くしたアイギールにとって、かか様の言葉は絶対だ。
その言いつけに従って、将来は他人を扱う立場になろうと考えていた。
アイギールが選んだ道は、冒険者ギルドの職員になる事だった。
恐らくはエルフの血が流れているとはいえ、もう半分はドワーフのものである。
花街を抜け出したところで、アイギールに残された道は少ない。
一時期のように男娼として椿楼に身を置く事も考えてはいるが、それは最後の手段だ。
嫌いでもないが好きでもない。
それにアイギールは外の世界…花街以外の事をもっと知りたいと思っていた。
豪商や軍人、時には凄腕の冒険者などが椿楼にはよく出入りする。
彼らが語って聞かせてくれる籠の外の世界は、何とも眩く思えたものだ。
大通りを抜けてしばらくは、少々色の違う店が立ち並ぶ。
武器や防具を取り扱う店や、宿屋に飯屋といった、冒険者を相手にするためのものだ。
煌びやかな装いや上品な振る舞いは、冒険者には無用である。
ここらの店は殆どが身分を勝ち取った者達が経営している。
黄金期に財を成し、今は一線から身を引いた元冒険者たちが作り上げた街だ。
ここまで歩いてくると周りは異種族だらけになる。
大通りのように、奇異や侮蔑といった視線に悩まされなくて済むのだ。
遥か先に見えるのは、この都市の西方にそびえ立つ石の壁。
幾千とも言われるドワーフの奴隷たちによって築き上げられたものだ。
もしもあと少し早く生まれていれば、自分もそこで命を落としたのかもしれない。
自分は色々と運が良かったのだと、アイギールは思う。
娼婦の子として生まれ、花街で育ったことにはあまり負い目を感じていない。
少なくとも日々の食事に困る事は無かった。
かか様は厳しかったけれど、それも母親代わりとしての愛情表現だ。
周囲が甘やかしすぎる事もあったので、かか様がいなければ駄目な大人になっていただろう。
登用試験に受かったら、花のひとつでも買って帰ろう。
そう思いどんな花がいいかを考えながら歩いていると、ようやく目当ての建物が見えてきた。
道を挟んで右手側の、巨大な石造りの平屋が冒険者ギルド。
まだ陽が昇って間もないと言うのに、随分と人の出入りが激しい。
そう言えば良い情報は早い者勝ちだと、とある常連の冒険者が言っていた。
なるほど、彼らが椿楼を朝早くに去るのも納得できる。
常々、もう少しゆっくりしていけばいいのにと思っていたのだ。
道を挟んで左手の、冒険者ギルドの向かい側にある二階建ての建物がギルド職員施設。
一階部分は石造りだが、二階部分は木造になっている。
あの二階部分が職員の宿舎と言うわけか。
衣食住のうち、住居が提供されるのは非常にありがたい。
アイギールにはまだ椿楼という居場所があるが、いつまでも甘えているつもりは無い。
採用されたならば黙っていても、そのうちかか様に追い出されるに決まっている。
まあそれも、採用されればの話だ。
少しだけ浮ついてしまった気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をひとつ。
建物の中に入ると、カウンターの受付嬢がこちらに気付く。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ」
黒い髪に黒い瞳と、透き通るような白い肌が特徴的だ。
額の真ん中には小さな突起があるので、間違いなく鬼人族だろう。
「冒険者登録ですか?」
「いえ、ギルド職員希望です」
受付嬢が怪訝な顔をするのは無理もない。
ギルド職員の登用は一年に一度きりで、既にその季節は半年ほども前だ。
だが何事にも例外というものは存在する。
中途採用が行われる例外は主に二通りある。
一線で活躍していた冒険者が不慮の事態によって、冒険者としての活動を続けられなくなった場合。
ギルドとしては貢献者を無碍に扱う事はせず、後進の育成に勤しんでもらいたい場合がそうだ。
もう一つは、言ってしまえば裏口登用と言うものだ。
冒険者ギルドの職員は、非常に安定した生活が保障されている。
それ故に登用試験には、凄まじい数の希望者が殺到するのだ。
そんな中でも例えば家督を継げない次男や三男などは、主にこの手段を用いる。
有力貴族や豪商の出身である、所謂スプラウト野郎が毎年採用されている背景には、そういった事情がある。
紙切れひとつで将来を約束されるとは、随分と虫のいい話だ。
まあ人の事は言えないかと、アイギールもその紙切れが入った封筒をカウンターの上に差し出した。
「これが紹介状です」
「は、はい…少々お待ちください」
受付嬢はその封筒を受け取ると、ぱたぱたと奥へ引っ込んでしまった。
自分で判断出来るような事ではないので、恐らくは上司か、もっと上の人間に報告をしに行ったのだろう。
紹介状を用意してくれたのは、この冒険者の街の中でも屈指の豪商の一人だ。
爺やとアイギールは呼んでいる。
獣人族ルー・ガルーであることが信じられないほどの、肥え太った老人である。
剣と盾を握る事よりも、それらを右から左へ売り捌く事を選んだ。
あまりかか様とは仲が良くないようだが、金払いが非常に良いので上客の一人だった。
アイギールが十歳の時に金に物を言わせて買い、それから二年ほど通い続ける事になる。
金持ちというものはどうにも、変わった性癖を持ち合わせているものである。
ただ高齢も祟ってか、ここ最近は体調があまり良くないらしい。
ここ三年は滅多に顔を見せず、たまに現れては一緒に茶を飲むくらいだ。
その際に色々と話すのだが、今回の件もそのうちのひとつだ。
「お待たせしました、どうぞこちらへ」
受付嬢が戻ってくると、カウンター内を通って奥へと案内される。
数名ほどの職員の視線がこちらに向けられているのを感じたが、気付かない振りだ。
ひとつは好奇心と、もうひとつは椿楼でも馴染みの深いそれ。
要するに嫉妬である。
形容し難い苦労の末に、ようやく手に入れたものだ。
それをこうもあっさりと、すんなりと目の前で達成されたのでは面白くは無いだろう。
どうやら好奇心を持つ者が自分と同じ方法でギルド職員になった者。
嫉妬の眼差しを送る者は、正規の方法で所属した者だと、アイギールは推測した。
数名ほど無関心な者がいるが、あれらは割り切ってしまえるベテランだろうか。
「失礼しますマスター、お連れいたしました」
受付嬢が一際豪華に見える扉をノックするが、その言葉にアイギールは少しだけ驚いた。
まさかギルドマスターの元へ直接通されるとは思ってもいなかったからだ。
冒険者ギルドは現在二つあり、そのうちこの西にある支部の頂点に立つ存在。
拳聖こと、ガウェン・スパーダである。
かつては魔王軍の旗下にいたが、ルー・ガルーの一族を蜂起させ反旗を翻した張本人だ。
それなりの立場の者が対応するとは思っていたが、まさか拳聖自らお出迎えとは。
「おう、入ってくれや」
扉の向こうからは、いかにもと言った感じの声が響いてくる。
その声にアイギールははて、と思う。
そして受付嬢が扉を開けた瞬間、その疑問は確信に変わった。
眼帯もしていなければ、立派な髭も見当たらない。
だがどこかで見たような…いや、その姿を見る事が出来る場所は、アイギールにとってひとつしかない。
ガウェンはこちらに見覚えがあったようで、あんぐりと口を開けたまま固まっている。
「本日は宜しくお願いします」
深々とお辞儀をしながら、アイギールはその心の内で、密かに笑みを浮かべていた。
どうやら思っていた以上に、上手く採用されそうだったからだ。
名乗っていた偽名はセルヴァで、自称は凄腕の冒険者。
月に一度、満月の夜には椿楼の人気娼婦を何人もまとめて相手をする好色家だ。
妻も子もありながら、そこはやはり悲しき男の性というやつだろうか。
ようやく籠の中から抜け出せそうなのだが、世の中は意外と狭いものだ。
アイギールは笑いを堪えながら、そう心の中で呟いた。