第二章「魔王像狩り」
貿易大国ジルテンモール。ブーメランのようにへの字に折れ曲がっている形をしているユーレイシア中央大陸の、その東部を領土とするその国は、海でその他六カ国と繋がっているため海運業が盛んであった。その地理的な立地条件のおかげで世界中から様々な文化や技術が集まってくる。そうして各国の良い部分を吸収していったおかげで様々な面で非常に平均して高い技術力を持ち比較的強国としての地位を築いている。様々な国との外交窓口の多さと世界中から集った血のおかげで多様な価値観を持つ人々を内包していたその国は、他の国と進んで戦争をすることはほとんどなく、選別戦争以前から比較的平和な国であったことから戦争の調停役に招かれることも少なくなかったという。今でもその立場はほとんど変わってはいない。
トゥリーズンの世界に生きる人間は、今はもう戦争をする余裕は無い。日々発生する魔物への警戒、そして天使への警戒心が在る限りそんなことに費やす無駄な労力が無いからだ。特に街中で発生する魔物は比較的弱い魔物ばかりなのだが、街から一歩外に出ればそれ以上に獰猛で危険な魔物が非常に発生しやすくなる。
魔物は室内のような狭い場所には何故か発生できず、一定以上の面積を誇る陸地の上の空間が必要であるらしい。しかも面積が広ければ広いほど強い魔物が発生しやすく、逆に狭いところでは弱くなるようだ。そのおかげで家屋が立ち並ぶ街中では力が弱い魔物しか発生しない。逆に言えばそうではない広い場所では、比較にならないほど凶悪な魔物が生まれてくるということであり、例えば竜もその一つだ。街中で発生したという記憶はない。外からやってきたというのであればまだありえるが、それ以外では原則そのような記録は存在しない。各国はそういう事情から街の外の警備と警戒を重視する。街や村を繋ぐ街道を遠征させたり大規模な駐屯地を設け、魔物の群れを駆逐して強い魔物の数を減らす必要があるからだ。
そのせいで少しばかり人間への警戒が薄いが、それもまた仕方がない。生きている人間同士手を取り合っていかなければ生きていけないという事情から、同じ人間には神聖教会の異端者ぐらいにしか警戒がどうしても薄くなってきていた。特に地方とはいっても余所の人間が貿易のために出入りしやすい沿岸地域では、その傾向は強かった。
時刻は深夜。既に日付も変わり、後ニ、三時間もすれば朝がやってくるといった時刻にジルテンモール最北端の港町モレスの南に居を構える魔王教会の神父が、自室で奇妙な物音を確認した。偶々目が覚めた彼は、初めは魔物かと思ったが、すぐに違うことに気がつく。魔物は確かに今の世の中どこにいたとしても不思議ではないが、狭い室内には発生しない。彼らが室内に侵入したとするならばもっと派手な音を立てて壁や扉を破壊しながらやってくるためすぐに分かる。ならば、疑いたくは無いがこそ泥の類なのだろう。
ベッドの片隅に置いてあった杖を握り、賊を追い払うべく勇敢にもその神父は寝室を出た。若い頃はそれなりに優秀な魔導師でもあったその神父は、無詠唱での魔法の準備をしながら慎重に外にその音源の方へと向かう。音は礼拝堂から聞こえているらしく、物音や数人の話し声が聞こえてきた。
「急いで。早く留め金を外すのよ。ほら、そちらとその向こうも」
「はい」
「……それにしても、どうして天使様はこんな汚らわしいものを集めろと仰られたのでしょうか?」
「分かりません。ただ、天使様は神の御使いです。ならば、私たちは疑うことなく信じ、神への信仰をこの身で示さねばなりません」
若い女たちの声だった。神父はその言葉に酷い危機感を覚える。『天使』や『神』と言った単語は、今現在の人間たちにとっては恐怖の言葉でしかない。唯のこそ泥が冗談で口に出す単語ではない。
(まさか、現代の異端者……神聖教会の連中か!?)
声を押し殺しながら、ゆっくりと開いていたドアの向こうに目をやる。すると、修道服に身を包んだ女性たちの姿が見えた。何やら安置されている魔王像の周辺でごそごそとやっているようだが、暗闇でよく見えなかった。だが、何かよからぬことを企んでいるらしいことだけはその神父にも分かった。神父は一瞬迷ったが、それでも自らの職務を全うすべく彼女たちに声をかけた。問答無用で攻撃するわけにもいかない。彼女たちはもしかしたら、その天使とやらに良いように使われているだけなのかもしれない。ならば一度対話でもして説き伏せてみようと彼は思ったのだった。
魔王教会の仕事は、神からの自立を人々に促し自分たちの足で立つことを世に広めることである。神を信じることでのみ人類は救われると考える神聖教会とは百八十度違う教義だが、それでも向こうも聖職者だというのであれば、いきなり武力でことを構えることもあるまい。無論、警戒を怠るようなことはするつもりなど無かった。
「もし、そこなご婦人方。このような夜更けに魔王教会へどのような用向きで参られたのか。魔王教会への入信でも希望ですかな?」
「シスターリース!?」
「貴方たちは作業を続けなさい」
「ですが!!」
「任せなさい。神の愛が私を守る。天使様が下さった力がある限り、負けることは万に一つもありません」
リースと呼ばれたシスターは、そういうと神父の前に立ちはだかった。まだ若い、銀髪の美しい女性だ。見たところ年齢は二十代前と言ったところか。非常に美しい顔立ちをしており、大抵の男はその街中で出会えば振り返っていたかもしれない。慈愛を含んだその優しげな雰囲気は持ち、異端者とは思えぬほどに綺麗な笑顔でもって神父を迎えた。だが神父はその笑顔に何かとてつもない恐怖を抱いて反射的に杖を構えながら問うた。
「それで、どのような用向きなのですかな?」
「我々は神に選ばれ使徒です神父様。ですから、異端者の掲げる像など不要だと思いまして勝手ながら処分しに参りました」
「ほう? 人類の異端者に異端呼ばわりされるとは思わなかったよ。じゃがな、何故人間を見捨てた神に今もまだ仕えておられるのか。貴女らの神は人類を見捨てた神ぞ」
「それは神に選ばれなかった穢れし者たちが勝手にそう思っているだけでしょう? 私たちは選ばれた者。昔も、今も、そのことになんら変わりは御座いません。五百年前、神は自らを信じぬ者たちを罰するために天使と魔物をこの世界に解き放った。そうして、選別し救われるべき者たちに救いの手を差し伸べてくださったというのに、貴方がたは選ばれるような信仰も持たなかった癖にそれを僻み、愚かにも抵抗した。その行いのせいで本来救われるべきはずだった多くの聖者がまだこの穢れた世界に縛られている。私たちは選ばれし者たちを救う使命を帯びて、それを実行しているだけです」
「選ばれし者を救う? ……真逆、本物の魔王像を探しておるのか!?」
「その通りです。どこかに祭られているという神の最大の敵。彼の悪魔を滅することこそ、我らが使命になりますれば」
「ならん!! それだけはやってはならんことぞ!! 人間はもはや神の呪縛から解き放たれておる。一部の人間のために、それ以外の人間の命を危険に晒すことなど在ってはならんことなのだ!!」
「それは違います。 死んでも良い愚者のために選ばれし者たちが救われぬなどということの方が在ってはならぬことなのです」
「どうあってもやるつもりか。神によってもたらされた人類の苦しみが分からんのか貴様らには!」
「そちらこそ、こんな穢れた世界に押し込めらてしまった我らの嘆きと絶望を推し量りなさいな」
両者が発した言葉は、それぞれに全く届かなかった。どちらもが互いに共感することができないために、それは不可避のことであったのかもしれない。
「くっ、ならば口で言って止まらぬのならば力ずくで止めるしかないがよろしいか?」
「構いません。そのときになって初めて、異端者の教えを崇拝する神父様も理解されることでしょう」
杖を構える神父に、リースもまた手に持っていた杖を構える。選別戦争以降、魔法の習得は人類の義務となっている。だからこそ、神父は魔法戦になると考えていた。
神父が手を突き出すようにして無詠唱で雷の魔法『ライトニング』を放つ。青白い雷光が鋭い雷鳴を轟かせながら虚空を疾駆し、それは寸分の狂いも無くリースを襲う。リースにはしかし、攻撃されても動かなかった。それどころか、驚くべきことに魔法を使って抵抗するということさえしなかった。だが、次の瞬間リースに直撃するはずだった雷がリースに当たる直前で白い光の壁に阻まれて霧散する。神父はその不可思議な現象を見て、思わず目を見開いた。いや、それどころか在ってはならないはずのそれを見て、絶句してさえいた。
「馬鹿な……ありえん! 神の愛が届かぬこの封印世界で、神聖術を行使しただと!?」
神聖術とは神が選びし人間にのみ発現可能な奇跡の力だ。神への信仰力に呼応して法外な奇跡を何のリスクも負わずに神が行使し、局所的に顕現させる秘儀である。魔法は精神エネルギーたる魔力を糧にして発動するために精神を持つ人間は学べば誰でも覚えられるが、神聖術はそうはいかない。そして、先ほどリースからは魔力の発動が感知できなかった。魔法を使えば魔力が減る。だが、それが感じられなかったということは不可能なはずの神聖術を目の前のシスターが使ったとしか考えられない。だが、失われたはずの術をどうやって手に入れたののだろう。
(魔王様の封印が解けた? いや、だとしたら今頃全世界に天使が舞い降りていても不思議ではないし、魔界の悪魔たちも黙ってはいないはずだ)
だが結果として目の前で奇跡は行使された。最悪に近い想像が頭を過ぎる。
「嗚呼、やはりこの力は凄まじい。ただ祈るだけで神の奇跡がこの身を守ってくださるなんて……」
恍惚とした笑みを浮かべるシスターリース。純粋に喜び、純粋に幸福を感じているその姿に、どこか危うげな印象を受けてしまう。神父は歯噛みしながらも、しかしそれに屈することは無かった。
「神聖術……確かにそれは恐ろしい力だ。しかし、貴方の信仰力を超える力をぶつければ良いだけの話です」
気絶させるだけで済ますつもりであったが、もうそんな余裕は無い。体中の精神力を魔力に変えて増幅し、神父は再びライトニングを放った。しかし、先程よりも強力なはずのその雷でさえも光の壁の前に霧散する。
「無駄です、そのような奇跡の模倣では到底神の力には抗えません」
「ぬぅ!?」
「教えてさしあげましょう。これが神の力のその一旦です。この力の前にはあらゆる者が無力であると知りなさい」
リースが掲げる杖の先に、太陽の如く鮮烈に輝く光の玉が現れる。それは瞬時に膨張し、一瞬でシスターの背丈ほどにまで広がると次の瞬間には閃光となり神父に向かって直進する。咄嗟に魔法障壁生み出した神父であったが、そんな防御など全く無視して光は神父を飲み込んでいった。神父の意識はそこで途切れた。
「――素晴らしい」
声を震わせながら、リースは前方の空間に向かって十字を切った。その向こうには、先ほどまで戦っていた神父の姿は無い。存在全てを焼き尽くされてしまったかのように、ただ忽然と神父の姿だけが消えていた。
後ろで見ていた他のシスターたちも、思わずそれ見て歓喜する。自分たちはやはり間違ってなどいない。この素晴らしい力は、神を信じる自分たちにもたらされた神の愛の証なのである……と。皆が全員、無意識に十字を切って神に祈りを捧げていた。
「さて、もう邪魔者はいませんが……それでも急ぎましょう。今日はここで最後です」
「はい!!」
頷くシスターたちに混ざりながら、リースもまた作業を手伝った。
その二日後、主の消えた教会にやってきた熱心な魔王教徒の男性が、神父の姿が見えなくなり、魔王像が消えてしまったことを不審に思い近隣の騎士に捜索願を出したが結局神父は見つからなかった。ただ、その日を皮切りにジルテンモールのモレスでは少しずつ魔王教会の魔王像が盗まれるという事件報告がされ始め、捜査に当たっていた騎士たちは一連の事件の犯人が共通の者たちであるとの見方で動いていた。夜な夜な教会のシスターが出歩いているらしいことを巡回の騎士たちが掴んでいたので、夜に張り込み不審なシスターの一団を泳がせ、そのアジトに踏み込んだ。しかし結局その騎士たちは帰ってくることはなかった。
別の騎士たちが最後に伝令されていたそのアジトに侵入してみるともうそこには不審なシスターたちの姿はなく、粉々にされた魔王像の残骸だけがそこにあったという。その日以降シスターたちはもう真夜中に現れることは無かったが、それは全ての魔王教会の魔王像を破壊したからだという意見が強まり、モレスの騎士たちは周辺の街や村に警戒するように呼びかけた。また、その噂は商人たちや人づてに広まって様々な憶測を呼ぶことになった。
レイドの家はジルテンモールの国の首都テンモールより北、領土の最北端にある孤島の上にあるモレスの間の海を越えた先にある街ハイドラントにあった。ハイドラントはかつてはジルテンモールの首都であったが、選別戦争後に首都が南の地に移った今では首都に次いで二番目に栄えている街として数えられている。そのハイドラントの中央区に少しばかり小さく居を構える魔王教会があり、そこがレイドの家であった。といっても、今現在は別に入信者を募っているわけでもなければ魔王教会らしい活動をそこでしているというわけでもない。近所にはそれとは別の魔王教会があることもあってか、付近の教徒がやってくることはなかった。
偶に教徒が来ることがあるとすれば、事情を知らない遠方の教徒たちぐらいだろう。小さな魔王教会といったその家の屋根には魔王教会のシンボル、神への反逆を示す逆十字が立ててある。だが出入り口の扉近くには『神父不在にて教会営業停止中』の張り紙があり、もはやこの教会は個人の家と言った有様であった。
両親は世界を放浪中だ。一年に一、二回は帰って来ることがあるが、それ以外はどこで何をやっているのかはレイドは良く知らない。だが母親が旅立つ前によく幼いレイドに読み書きを教え、勉強するように残していった魔法関連の本で義務教育前に魔法を覚え、若い頃に強かったという祖父には剣術を叩き込まれたりしたおかげで、年齢の割には高い戦闘力を持っていた。魔物がいつ襲ってくるのかも分からないこんな世界だ。それぐらいしていなければレイドを一人にすることが不安だったのだろう。
祖父は高等魔法学校インテレクトに入る少し前に亡くなったが、その頃にはもう十二分にレイドは街に出没する程度の下級の魔物ならばなんなく倒せるほどになっており、それ以来ずっとレイドはこの魔王教会に一人で住んでいた。
「ふわーぁぁ」
大きく口を開けてだらしなく欠伸をしながら、ベッドの中にいたレイドは目を覚ました。カーテンの隙間から洩れる朝日が眩しく、少しだけ目を細めた彼はベッドから力なく置きだして朝食の準備をするべく台所に向かう。
「えーと買い置きのパンはまだあったよな……」
呟きながら、適当に冷蔵庫の戸を開け中を見る。冷やしておかなければ長持ちしない食材が適当に放り込まれており、その中には確かに食パンがあった。レイドはまず、それらを一旦無視して冷蔵庫内にある引き出しを開きほぼ満タンに入った水に向かって魔法を唱える。唱える魔法は冷却魔法だ。すぐに凍り始める水は、やがては簡単に冷却されて氷になる。いくつか在るそれらの引き出しの中全ての水を氷にすると、レイドはその作業を終えて食材の発掘にとりかかる。
この冷蔵庫は一般で広く普及しているタイプのものであり、朝と夜に水を氷にすることで中にあるものを冷やして保存する効果がある。義務教育によって必修になっている初級魔法は、このように魔物から身を守るためだけにあるのではなく、既に生活に密着したツールとなってこの世界では存在していた。また、魔法は勉強さえすれば精神エネルギーを持っている人間には誰でも使うことができる技術なので、こうして万能の力として人々に利用されている。
レイドは適当にチーズとハムとパンを発掘するとそれらをフライパンの上に順番に乗せ、釜戸に奥と釜戸の内部に今度は炎の魔法『フレイム』を唱える。フライパンを熱するフレイムの炎でパンが焦げ過ぎないように火力に注意しながら、適当に焦げ目が軽くついたのを見計らってから火を消すと豪快に出来たばかりの熱々のパンを掴み、そのまま口に運んだ。
香ばしいパンの食感と、チーズのまろやかさ。さらにハムの味がミックスされたそれはレイドが良く作るお手軽な朝食である。それで腹を膨らせたら、蛇口から適当に水道水を飲んで喉を潤す。そうして、簡単に食事を終えたレイドは自室へ向かって学生服に着替えていく。
インテレクトの制服は基本的には黒を基調としたものだ。黒は魔法を伝えてくれた悪魔の色であり、その技術を学ぶ色として相応しいとされている。またその上に羽織る白いマントは黒をより引き立てるために採用された。大抵の高等魔法学校はこんな感じで白と黒を対比させた学生服を採用していることが多い。
学生服に着替えたレイドは、ベッドの側に立てかけてあった刀を腰に差し学生鞄を手に持って出入り口のある礼拝堂へと向かう。それから適当に礼拝堂の椅子に学生鞄を一先ず置くと魔王像の前で肩膝をつき頭を垂れた。朝の日課として一日も欠かさずに行う魔王様への礼拝である。
魔王教徒でも無い癖にそれだけは本職の魔王教会教徒にも匹敵する程に繰り返したその祈りは、中々に堂に入っている。恐らく、彼を知らない人が見たら誰もが彼を魔王教徒だと錯覚するほどにそれは見事なものだった。
「よし、後は……」
祈りを捧げ終えた後、レイドは魔王像を磨き始める。昔は地下室に安置されていたのだが、レイドが一人になったときにこちらのほうに場所を移した。元々普通は礼拝堂に魔王像は置かれていたが、彼の父がこの教会にいないので魔王教会として機能しないことを理由に地下室に仕舞っていた。しかしそれだと一々地下室に行かなければならないのでレイドが魔法で移動させたのだ。それに薄暗い地下室よりもこちらの方が魔王様にとって居心地が良さそうであるという大義名分と、ここにあればいつでも魔王様のお姿を拝めるという個人的な好みもあって、礼拝堂に置いている。
軽く濡らした布で丁寧に埃を拭い、毎朝清める。この時間が堪らなくレイドは好きだ。大事な宝物を磨くような、そんな楽しい気分にさせられるからだった。
この魔王像は彼にとって特別な存在だ。ハーヴェイの家に伝わる伝承と、伝え聞かされてきた人類の英雄たる魔王様。歴史上の偉人であるだけでなく、それが持つ美しさもまたレイドを虜にしている。今のレイド・ハーヴェイという存在の出発点にして原点。それが、特別でないわけがない。
「……よし、今日も魔王様はピカピカだな」
軽く見渡してみてから礼拝堂で一人満足する。
「にしても、いつの間にか魔王様よりも背が高くなったんだな俺……」
一番古い記憶を探ってみても、魔王様の腰下ぐらいまでしかなかったはずなのに、いつの間にやら魔王様よりも少し背が高いぐらいにまで成長している。そう思うと、レイドはどこか感慨深いものがあった。
とはいえ、背丈が並べるほどになっていたとしてもその存在には雲泥の差が存在する。推定される戦闘ランクから始まり存在位階。全てが全てかけ離れているだろう。そのことが少しだけレイドには悲しかった。
昔は強くなって魔王様を守るのだと思っていた幼い自分がいた。そうして、それから成長するたびにそれがどれだけ不可能に近いことなのかを嫌でも理解してしまった自分が少なからずレイドの中にいた。
人間は脆弱な生き物だ。戦闘力ランクにおいてはどうしても普通は下級に分類される。天使や悪魔の強さは勿論ピンきりだが、それでも魔王様は確実に上級にカテゴリーされるほどの強さを持っていることは想像に難くない。
神の治める高次元世界である天界とこの世界を繋ぐ神の道を遮断し、完全封印している魔王様。神でさえその封印を突破することはできないというから、魔王様の力の凄まじさがよく分かる。
一説によると戦闘力階級が上級に位置する天使や悪魔はその気になればこの宇宙を破壊することが可能らしい。ただ、どういうわけかこの星、この世界トゥリーズンの中ではその戦闘力は大きく制限される。その能力低下現象をシフトダウン《位階低下》と呼ぶが、そのおかげでこの世界ごと人類が抹殺されるということはなかった。また、それと関連してか天使と悪魔はこの世界を破壊するような攻撃手段を取れず地表で戦うことが得意ではないらしい。神によって創造されたときにそのようにプログラムされているらしく、その結果として選別戦争では辛うじて人類は生き残れたのだとも言われてもいる。
悪魔、三大発明、シフトダウン、限界突破者、これらの要素が存在して初めて人類は生き延びることができた。地は魔物で溢れ、空は天使とそれと戦う悪魔で満ちた絶望の時代。想像するだけでもそれは過酷であっただろうことは容易に理解できる。
それらの事実から比べてみれば、今のレイドの力は恐ろしく脆弱だ。目線が高すぎるのかもしれないが、魔王様を守るどころか攻撃の盾になることさえできない。それが現実という奴だったが、それでも希望が無いわけではなかった。その僅かな可能性があるせいでレイドは未だにその夢を失うことなく胸に秘め続けることが出来ていた。
「そろそろ行くか……」
清掃道具を仕舞い、学生鞄を背負うとレイドは魔王像に見送られながら外へ出た。開いた扉の向こうから照る朝日が眩しい。ここ数日ずっとこんな調子で良い天気が続いていた。当分は雨が降りそうにないとはいえ、もうすぐ梅雨の季節になるからそれもすぐに終わるだろう。扉に鍵を閉めると、出入り口付近にあるポストに突っ込まれているハイドラント新聞を掴んではそれを広げ、入り口の門にある段差にどっかりと座りながらボンヤリと紙面を眺める。
「馬鹿な……魔王像を盗む最低の賊がハイドラントにも現れただと!?」
少し前からそういう不届き者がいることをレイドは知っていたが、身近に現れたとなるといよいよ何か対策を考えるべきか悩んでしまう。犯人はどうやらモスクから徐々に南下し、遂にはここハイドラントにまでやって来たらしい。
恐ろしいことに一度も捕まっていないことがこの犯人たちの不気味さを物語っている。犯人は神聖教会のシスターで、真夜中に盗みに入ってくるらしいのだが何のためにそのような悪事をしているのかは不明であるという。また、アジトらしき場所には盗んだ魔王像が粉々にされていたということから、神聖教会が敵対する魔王教会に対して信仰を妨害するためにやっているだとか本物の魔王像を見つけて世界の封印を解こうとしているとか、唯の愉快犯だなどと、様々な憶測で記事が書かれていた。
「……北側がやられたのか。……となると、中央のここにも来るよなやっぱり」
舌打ちを一つして、どうしたものかと考える。魔王像を地下室に一旦隠すべきか、それとも張り込んで一網打尽にするべきなのか。
(いや、騎士が踏み込んでも勝てなかった連中なんだろ? さすがにそれは無謀か……)
魔物とは勝手が違うだろうし、そもそも失敗して魔王像を盗まれるわけにもいかない。やはり、連中が手を出さないように地下室にでも隠すべきであった。
「おはよう。おや? 今日はまた随分熱心に読んでいるね」
「おはようエクス。いやなに、世の中には不届きな連中がいるらしいからな。そのけしからん連中対策をどうしようかと思って考えてたんだ」
答えながら、レイドはやってきたエクスに並ぶように立って歩き始める。大抵いつもこんな風に合流し、二人して学校に行くのが二人の暗黙の了解となっていた。
「なるほど、そういえば北に出たんだったね。君のところは大丈夫なのかい?」
「さあな。とりあえず一旦隠しとこうかと思ってるが……お前んとこの親父さんに警備依頼を出した方が良いか?」
「それは悪く無い案だね。ただ、父さんは夜の警備を少し厳重にするように上から言われているみたいだから、ちょっと難しいかもね。それにモスクでは騎士が数人張り込んでも結局最後の教会の魔王像が盗まれてしまったらしいよ。だから本気で防ぎたいんだったら彼女にも頼んだ方が確実じゃあないかと思う」
「我らが副部長に護衛を頼め……と?」
「それが確実だと思うけど? 正直な話、生半可な騎士数人よりも彼女一人の方が確実に強いからね。フレスタ一人で十分におつりが来るでしょ」
「犯人が哀れ過ぎるな。だが、検討しておこう。それと、盗まれたときのことも考えなきゃな……探知魔法に引っかかるような魔法でもかけとくか」
「ん、その方が無難かな? ただ、さっき言ったのはあくまでも相手が普通の人間だった場合だから、それ以外が相手だったとしたら不味いかもしれないね」
「はぐれ天使か? けど、だったら悪魔が介入してくるはずだろう」
「気づいていない可能性もあるよ。推測の域を出ない仮説だけどね。でも、戦闘に慣れた騎士たちと交戦しても容易に逃げられるような連中だ。その中に天使がいたというのなら、あれらは当然の結果だよ。中級以上の天使はよほどの例外が無い限り人間には止められない」
「背筋が凍る話だな」
「最悪を想定して言っているだけのことさ」
肩を竦めながらエクスは言う。レイドもそのことは考えてはいたものの、さすがに信じたくはなかった。実際に天使を見たという話もないようだし、こればかりは襲われて見なければ分からないことなのだ。けれどもし家が襲われるようなことがあれば、魔王像だけはなんとしても守って見せる。そう固く心に誓った。
放課後、いつものように戦術研の部活に参加したレイドはしかしいつもと違って特に奇妙な発言をすることなく腕を組んで考え事をしていた。無論、考えているのは件の魔王像を盗む賊のことについてである。
「ちょっとエクス、あいつ何か今日はやけに大人しいけど何かあったの?」
「今日は学校に登校した頃からずっとあんな感じだよ。どうやら噂の賊とどうやって戦おうか作戦を練っているらしいんだ」
「噂の賊?」
「あ、もしかして最近噂の魔王像泥棒さんのことですか?」
噂の賊という件でピンときたのか、フェリスが尋ねる。
「魔王像を盗む賊がいるの? ふ~ん……売るのは……さすがに無いか。あんなの売ろうとしても買う奴なんてよほどの道楽な金持ちか、そこのマニアぐらいだろうし……となると神聖教会絡み?」
「みたいだよ。そこのシスターらしき人たちが犯人みたいな感じで新聞では書かれていたからね。多分、そのせいでこの街の夜の警備がこれから少し厳しくなると思う。犯人が女性たちみたいだから、君たちも夜はあまり外に出ない方がいいかもね。騎士の人たちに職質されたりするかもしれないし……」
「私とフェリスちゃんは寮住まいだから関係無いわよ」
「ああ、そういえばそうだったね」
「でもアレよね。もし連中が本気で本物の魔王像を探してるんだとしたら、きっとそいつらは正真正銘のアホだわ」
「どうしてですか?」
小首を傾げてフェリスが問う。別段フェリスにはそれが可笑しいことには思えなかったからである。一般にも既に知られていることであるが、魔王像の中には本物の封印魔王シリウスがいるはずなのである。神聖教会は神を信仰し、崇める神の殉教者たちであるから当然この世界を封印し、天使や神の干渉からこの世界を守っている魔王様は倒すべき敵のはずだ。何もおかしいことはないと思う。
「いや、だってさフェリスちゃん。今この世界に魔王像が一体どれだけあるか知ってる? 一般のコレクターとかが個人所有しているのから普通に魔王教会に安置されている奴とかも併せたらそこそこ凄い数になるわよ? しかも、一時期魔王様の従者の一族を名乗る自称従者の血族とか言う連中がいたじゃない。そのときに量産された分も含めたら結構な数があるはずなのよ。そんな膨大な数のなかから本物を探すなんてどれだけかかるか分かったもんじゃないわ。絶対正気じゃないわよそいつら」
「あ……確かにそうですね」
「それに本気で魔王様を探すつもりだったらまず魔界で探さなきゃ駄目でしょ。魔王様は悪魔王の一人、堕天使ルシフェル……ルシファー? まあ、そんな感じの名前の偉い人の盟友でしょ。だったら当然そっちで厳重に警護されてる可能性の方が断然高いじゃない」
ケラケラと笑いながらフレスタは楽しそうに言う。確かに言われてみればそうだ。魔界で守られている可能性の方が普通に考えたら高いではないか。だが、魔王像マニアの男はその意見に真っ向から反論する。
「あー、それはない。本物の魔王様の像が魔界にあるわけないって」
「それはまたどうしてだい? 確かに、安全を考えたり合理的に考えたらフレスタの言うことの方がありえると思うんだけどね」
「いや、だって魔王様の従者は人間だったからな。魔界は神から独立した悪魔たちが作った異世界だけど、人間には今でもまだきっつい環境って言われてるし、そもそも魔王像の管理は従者が魔王様から直々に頼まれた崇高なる使命なんだ。従者が人間である以上魔界にはいけない……なら本物の魔王像はトゥリーズンに絶対に在るはずだ」
「……君が言うと妙な説得力があるね」
「ふーん、でも魔王の従者だって人間よ? 五百年も経ってたら系譜が途切れてる可能性もあるでしょ?」
「そのための魔王教会だ。魔王教会を設立したのは従者の友人で、何かあった時のために従者の援助と魔王像のダミーを世界中にばら撒くことも目標にしていたらしいから、今連中がやってるみたいに魔王教会だけに的を絞って襲うやり方は実は理に適ってはいるんだ」
「へぇ……レイド。貴方面白いこと言うわね? じゃあ今の魔王教会の教えもそれを隠すためのダミーなのかしら?」
フレスタは目を細めてレイドを見る。ニヤリと口元が歪んでいる所を見ると、何やら企んでいそうであるが、レイドはそれには気づかずに続けた。
「いや、教義そのものは本当のはずだ。そもそも魔王教会は『神の愛なんて無くても人類は普通に生きていけるから、皆で神から自立してがんばろう』って考えを世に広めるのが元々の発足理由だ。社会も混乱していたし、神に変わる何かが当時選別戦争で疲れ切っていた人間には必要だった。さっき俺が言ったのはどちらかといえばついでなんだよ。魔王教会の教祖が従者の友人だったから、魔王像を管理していることを知ってじゃあついでに教会でも魔王様の像を作って影ながら手伝おうってことになったわけだな。だから教義それ自体は本当に教祖の思想とか従者経由で魔王様の言っていた言葉とかを取り入れて今の形にまとめられているらしいぞ」
スラスラと何でもないようにレイドは答えた。教会の教義やら裏側云々は父親の書斎にあった本から魔王様の話を探していたときに適当に見つけたことと、ハーヴェイの家で伝えられている話を織り交ぜて話していたが、聞いていたフェリスやエクスは思わず目を瞬かせてレイドを見ていた。どうやら無駄に凄い知識に驚いているようである。
「しつもーん」
「ん、なんだフレスタ? 魔王像のことならこの学校で俺以上に詳しい奴などいないはずだから存分に聞いてくれ。そしてお前もこれを気に魔王像の良さに開眼しよう。大丈夫、俺が今まで苦心して調べた第一世代魔王像と今の世代の魔王像との差や、歴代の名工が作り上げたレジェンド級の価値がある魔王像の見分け方を手取り足取り教えてやるぞって――うぉぉ!?」
饒舌なレイドの眼前を真紅の炎が通り過ぎる。レイドは思わず喋るのを止め、ドラゴン少女の方に意識を向ける。勿論、無視するという選択肢はチャレンジャーすぎるのでさすがのレイドにもできなかった。誰も好き好んで燃やされたくなど無い。
「落ち着け。あのね、私様がそんなこと知りたいと思うはずないでしょ?」
「……なんだ、知りたくないのか? こう色々と歴史とロマンを感じられるぞ? 極々身近にある魔王像にもこんな歴史的裏話有り、みたいな感じで」
「んな無駄な知識必要とする一般人なんていないわよ」
途中までユニークで面白いと思ったが、やはりレイドはレイドだった。フレスタは脱力しながらも、それでも一応気になったことを尋ねる。
「あんたさ、さっきの魔王教会の裏話どうやって調べたの? コミュニティでも聞いたこと無いんだけど……」
胡散臭そうな目でレイドを見るフレスタは、勿論その話を信じていない。そもそもレイド・ハーヴェイが魔王像マニアだからこそ思わず信じそうになってしまうが、そんな今まで聞いたことも無いような話を急にされても信じることはできない。信じるとしても、それに値する根拠が無ければ普通は無理である。
「ふふ、この俺が持つ秘密の情報網からもたらされた話だ。無論、情報提供者とかは秘密だから言えないぞ?」
「そんなので信じろと?」
益々信じられない、とばかりにフレスタが右手で眉間を押さえる。心なしか頭痛がしてきた気がしたのは、彼女だけでは決して無い。エクスもフェリスもまた微妙な表情でレイドを見ていることからもそれは明らかである。
「……何故皆そんな可哀相な人を見る感じで俺を見るのだろうか?」
「途中までは真実味があったんだけど……なんというか日頃のレイドを見ているとどうしても信じられない気がしてくるから不思議だよね?」
「馬鹿な、この俺の魔王様への信仰心はこのトゥリーズンでは誰も右に出るものなどいないはずだというのに、何故信じてくれないんだエクス。この俺、レイド・ハーヴェイは自他ともに認める魔王様ファンだぞ!? こと魔王様の逸話で嘘なんて言うはずがないじゃないか! フェ、フェリスは信じてくれるよな? 先輩後輩の仁義的にも」
縋るような思いで後輩にも話を振ってみるが、しかしその少女も言いづらそうにしながら、フルフルと首を横に振って自己主張。彼女は正直者だった。
「あ、あうぅぅすいませんレイド先輩。私も面白い話だとは思いましたけど、ちょっとそれを無条件で信じるのは……」
親友であるエクスでさえ怪しんでいるのに、一番付き合いが短い彼女が信じるのは難しいことである。特にレイドという男がちょっと常人より斜め上の愉快な思考をしていることもプラスして考えたらどうしてもそうなってしまう。
「ふふん、日頃の信用度がこういうときモノを言うわね」
何故か偉そうにふんぞり返りながらフレスタが勝ち誇ったように言う。レイドはそれに、何故か屈辱的な敗北の気配を感じた。
「ぬぐぐ、どうやら戦術研は既に副部長の強大な武力によって人心を掌握されてしまっているようだな。フレスタ・ギュース……ドラゴンの名に恥じぬ実に恐ろしい女だ。水面下で既に二人を買収していたとは……。はっ、ならばやはりエクスは部長とは名ばかりの傀儡で、既に戦術研は俺が知らぬ間にドラゴンに支配されていたということか!?」
孤立無援。自分がそういう苦しい戦場にいることを察してレイドは戦慄した。
「何アホなことを言ってるのよ。初めから戦術研で一番偉いのは私様だったじゃない。エクスは表向き偉いけど、影で偉いのはこの私様なのよ」
「あー、部長を前にそういう発言はぶっちゃけどうかと思うんだけど……」
身も蓋も無い言い方に、エクスは苦笑い。フェリスはやっぱり、と頷いて誇るべき先輩を尊敬の眼差しで見上げる。視線の先にいるドラゴン少女は、苦しゅうないとばかりに大きく頷く。
やはり、誰がどうみてもこの部活のラスボスはフレスタであった。エクスよりも妙に貫禄があるせいで、彼女がリーダーだと言われたらきっと誰もが頷くに違いない。
「く、やはり誰かがドラゴンスレイヤーとして邪悪竜に立ち向わなければならん時が来たようだな!! 民に圧制を敷く暴君め、魔王様の敬虔なる下僕であるこの俺がいつか必ず成敗してくれるわ!!」
戦力差は絶大だったが、それでもレイドは抵抗の姿勢を見せる。巨悪に屈してなるものかと考えるその思考は、しかしそう長くは続かなかった。出る杭は打たれるとばかりにその機先を制するかの如く放たれた灼熱の吐息が、抵抗者の眼前で猛威を振るったからである。ドラゴンスレイヤーを目指した少年は、その示威行為だけで屈服した。
「で、誰が誰を成敗するの?」
「勿論、我らが副部長に逆らう愚者をであります!」
おっかなびっくり敬礼するその少年の姿は、誰がどうみてもドラゴンスレイヤーとしての誇りなどなく、ただただ長いものに巻かれる子悪党のようである。いっそ清清しいほどに低姿勢である。
「よろしい、ならば平部員レイド君。私様はちょーっと炎を吐きすぎて喉が渇いたから何か飲み物を用意してくれない?」
「はっ、直ちに!」
随分とノリの良い二人であったが、それを見ていた後の二人はただただ呆れることしかできない。二人とも冗談でやっていることは分かっているが、どうにもこうにも情けなさの方が強すぎてそのテンションについていけない。
「フレスタ先輩……さすがです。男の人にもあんなはっきりとモノが言えるなんて……私もあんな風に強い人になりたい……」
「いや、彼女は色々な意味で特殊だから目指すのは止めた方がいいと思うんだけど」
あの我の強さは確かに気弱なフェリスは少し見習うべきかもしれない。しかしそれにはどこか危険な香りがしてくることだけは確かだった。
それもこれも魔法でポッドのお湯を沸かしながらお茶を作り始めている妙にプライドの無い低姿勢な友人のせいだ。可愛い後輩がこれから段々と逞しくなりそうな気がして、エクスはとても心配になった。
「で、なにがどうしてどうなればこんなことになってるのかしら?」
「今更な話だな。ハーゲンのケーキ九つで首を縦に振ったのはお前だぞ?」
「嗚呼、この美味しすぎるケーキ様がこの私を狂わせてしまったのね……罪なケーキ様。何故貴方様はこんなにも甘く蕩けるお味なのかしら……」
レイドの家の台所でパクリっとショートケーキをフォークで口に含むドラゴン少女。無意味に幸せそうな彼女のご満悦な表情とは正反対にレイドの懐は寒くなっているのだが、その程度で魔王様の安全を買えるのならば安いものであった。
「それにしても、僕まで家に呼ぶなんて……本気で魔王像を防衛するつもりなんだね」
「まあな。一応今日は何もせずに様子見てみようかと思う。んで、また別のところが教われでもしてたらお前の親父さんにでも一時的に魔王像を預かってもらおうかな。さすがに個人の家までは一々調べて襲われたりしてないんだろう?」
「そうらしいね。街の警備も厳重になってきているし、このハイドラントではモレスみたいに好き勝手はできないと思うよ」
翌日学校が休みだということと、供物を捧げることでなんとかフレスタのご機嫌を取ったレイドは戦術研のメンバーをフェリスを除き家に招いていた。さすがに一騎当千のフレスタはともかくとして、戦いが得意ではないフェリスを呼ぶのは何かあったときに危険かもしれないから誘わなかった。
「にしても、食後のデザートにしては良く食うな」
「甘いものは別腹なのよん」
「それで、今夜はずっと礼拝堂を見張るのかい?」
「ん、そうだな。明日は休みだし俺は徹夜で見張る気満々だぞ」
「私様は美容に悪いから寝るわよ」
「っておい」
やる気なさげなフレスタにレイドが非難の視線を送るが、それでもフレスタは態度を崩さない。
「何かあったら起こしてくれたら良いじゃない。別に四六時中見張らなきゃいけないわけでもないでしょ?」
「そりゃそうだが……犯行時刻は真夜中なんだぞ? 後手に回る以上はしっかりと警戒をだな……」
「あんた達二人が礼拝堂で寝てたら良いじゃない。敵が来てドンパチが聞こえたら私様の耳なら余裕で聞こえるからそのときは戦ってあげる。それと一応言っておくけど、私の寝てる部屋に忍び込んできたらヌッ殺すからね? 乙女の寝顔を拝見するのはただそれだけで罪であると覚えておきなさい」
「安心しろ。俺もエクスも興味はあまり無い」
「なぬー!? ありえないわ。そんなこと言って私を油断させておいて夜這いをかけるつもりね、この鬼畜!!」
「その性格でなきゃそういう若き日の過ちもあったかもしれないが……なぁエクス」
「僕はノーコメントだよ」
見た目だけだと確かにフレスタは綺麗な容姿をしている。セミロングの茶髪は艶やかで十分に美しいと思うし、バランスの取れたプロポーションをしているとも思う。何気に同年代の男子からの人気があるのも頷ける話だ。レイドもエクスもそういう認識は確かに持っている。持ってはいたが、それとこれとは別の話だった。誰だって命は惜しい。結局はその一言に尽きてしまう。
「絶対にあんた達は男としての感覚が狂ってるわ」
それは決して負け惜しみなどでは無いはずだったが、言った本人は何故か言ってて少し凹んだ。
ジュッと何かを焼くような音が聞こえてきたその瞬間、起きていたレイドは同じようにすぐ近くの礼拝堂の椅子に毛布に包まったまま仮眠を取っていたエクスの肩を叩きながら、音の聞こえてきた方に目を向けた。視線の先にあるのはしっかりと施錠したはずの礼拝堂と外とを繋ぐ大扉だ。
「……レイド?」
「――来るぞ。踏み込んできたらフレスタにも聞こえるようなでかい音の奴を一発叩き込んでくれ。俺はその後先制攻撃をかけてみる。ちょっと家の中が壊れてもこの際構わないから、頼むぞエクス」
起こされたエクスはその言葉に息を呑み、魔法の準備をしながらレイドが警戒している入り口の扉を見た。
ステンドグラスから舞い降りる月光と星光、そして夜襲を警戒するために部屋中に用意していた長め蝋燭の明かりがしっかりと扉を照らしている。パッと見たところ特に怪しいところは無い様に見える。だが、じっくりと観察すれば鍵が取り付けられている部分の辺りがやや赤く光っていることが分かる。そして、その赤は少しずつ円を描くように動いていた。
「一点集中型の閃熱系か何かの魔法で鍵の部分を焼き切っている? ……随分と器用なことをする敵だ。ああいう使い方をするときは威力調節が難しいからよほど腕の立つ魔導師じゃないと出来ないはずなんだけど」
「何にしても、こんな非常識な手段で進入してこようとする奴だ。絶対に守りきるぞ」
「……レイド、分かっているとは思うけど無理はしないでよ? 何事も命あってのものだねだ」
「――分かってる」
刀に手をかけながら答えるレイドだったがその眼つきはエクスが見たことが無いほどに真剣だ。絶対に盗ませるものかという気迫が嫌というほど伝わってきた。
円形に焼き切られている施錠部分。それが音も無く後ろに消え、その穴を誰かの手が掴んだ。ああも見事に焼き切られれば、扉の鍵が役目を果たすことなどできはしない。ただ動かすだけで簡単に開くだろう。
ゆっくりと開いていく扉。ギィィ、と独特の音を立てるそれが完全に開いたその次の瞬間、エクスが扉に向かって右手を突き出すように構え、威力を弱めに設定した電撃魔法『エレキショック』を放つ。次の瞬間、青白い稲妻が腹の底から響くような凄まじい音を轟かせながら空間を奔った。狙いは勿論、進入してこようとしている侵入者たちだ。
「――きゃっ!?」
一瞬照る稲光が侵入者たちの姿を映す。敵は二人。二人とも黒のシスター服に身を包み杖で武装している修道女である。二人の修道女は特に何かをした様子は無い。だが、エレキショックが直撃する瞬間には二人を白く淡い光が包み包み込み、それを霧散させた。
「あのタイミングで防いだ!?」
エクスが驚愕の声を上げた次の瞬間、しかしレイドは刀を抜き放ちながらウォームアップを詠唱し速攻で侵入者たちの方に向かって飛び出した。冷めた思考の中で、先ほどの現象を不可解だと半ば理解しながらも、それでも敵に体勢を整わせる前に勝負をつけるために斬りかっていく。
「はぁぁぁぁ」
両手で握り締めた刀がレイドの魔力を吸い込んで増幅し、青い光を刀に纏わせる。対天使用の兵器である魔法武器特有の発光現象だ。単純に武器での魔力攻撃を可能とするそれは、攻撃力を通常とは比べ物にならないほどに引き上げる効果を持つ。
刀の刃が無い峰側に変えて、一番前にいるシスターの杖に向かって振り降ろすレイド。さすがに賊だとはいえ、女性を殺したいとは思わない。武器を弾き飛ばして適当に気絶させようと思ったのだ。だが、予定通りとはいかない。杖に叩き付けたその瞬間、またしてもシスターの体が発光しレイドの攻撃を受け止めていた。
「……嘘だろ? 魔力反応が無かったぞ!?」
通常の魔法障壁であれば絶対にありえないその現象。一度目は気づかなかったが、それでもこの至近距離で気づかなかないなんてことはありえない。魔法は精神エネルギーたる魔力を使わなければ発生しないという常識が、今目の前で破壊されている。魔法を学ぶ者として、そんな不可解は認められない。
「下がりなさい!!」
「くっ――」
シスターを守ったその白い光が膨らむようにしてレイドを弾き飛ばす。後方に飛ばされながらもレイドは受身を取ってすぐに立ち上がり、舌打ちした。
(ちっ……なんだこのシスターの魔法……普通の魔法じゃない!)
「レイド!」
心配して声をかけてくるエクスに一瞬視線を送りながら、レイドは答える。
「エクス、援護は任せた!」
峰側に握っていた刀を普通に握り締めながら、再びレイドは自分を弾き飛ばしたシスターに向かって駆け出していく。手加減などできる余裕はどこにもない。ならば、自分にできることをするだけだった。
「愚かな、何度やっても同じことです」
シスターにそれ以上言わす暇さえないようにレイドは刀を振るう。その動きは普通の騎士たちよりも恐ろしく速い。重い鎧や盾を纏っている彼らと違ってレイドは基本的にそういう動きが阻害されるものを纏わないからだ。祖父もそういうモノをつけるようなタイプではなかったし、レイドが戦術研で研鑽している戦術はできるだけ攻撃を受けないことを前提で構築されている。
天使という強大な力を持つ存在と戦うと仮定したとき、攻撃力の差が有りすぎるおかげで防御などしたところで無意味だろうとレイドは考えた。だからできるだけ攻撃を見切って避けることを重視しているので重い防具は纏わない。
袈裟切りを繰り出し、そのまま敵の白い光ごと両断する勢いで刀を振り下ろす。シスターはその斬撃を杖を掲げるようにして防ぐが、レイドはそのままお構いなしに振り下ろした刀を跳ね上げる。青の刀身が白い光を切断しようと喰らいつくが、その度に刀の刃が滑るような手応えとともに受け流された。
やはり普通の魔法障壁ではない。レイドはしかし、それでも刀を振るい続けようとする。シスターの側面に体を旋回させるようにしながら強引に回り込み、攻移一体の斬撃を与えていく。シスター自身はあまり戦闘に慣れていないらしく、攻撃されて始めてそれに気がついたかのような反応速度だったが、それでも全身を淡く輝かせている白い光がシスターの身を守り続ける。
「シスターリース!」
そこへ、もう一人のシスターが遅れて援護に入ってくる。杖を握ったその先端、光でできた拳大の玉が現れたかと思うと、次の瞬間に膨張。そのまま攻撃準備を勧めていく。
レイドはそれに気がつくとすぐにリースと呼ばれたシスターを攻撃の射線に巻き込む形で盾にするように移動し、攻撃を封じる。だが、それだけでは駄目だった。
シスターリースを守る光が膨張し、再びレイドを弾き飛ばしたのだ。何の魔力反応も動作も必要としないそれをレイドが避けることはできなかった。
「――今です!」
すぐにリースは射線から逃げるように移動し、もう一人のシスターが入れ替わるように前に出て床に転がったレイドに杖を向ける。その瞬間白い光玉が破裂して目も眩むような閃光がレイドに向かって直進した。魔力を感じさせないその不可思議な魔法をレイドは体を跳ね上げながら見るが、それ以上の行動は取れそうになかった。
(やば――)
避けられるタイミングではなかった。思わず目を瞑りそうになったレイドだったが、そのレイドの前淡い緑の光が立ちはだかる。エクスが全力で唱えた防御魔法『シールド』だ。
白の閃光が緑の障壁と衝突し、さらに激しい閃光を発する。互いに凌ぎを削りながらせめぎ合うその様に、ホッと安堵のため息を吐くレイドだったが、そこへ遅れてやってきたフレスタの激が飛ぶ。
「馬鹿レイド!! さっさと射線から逃げなさい! そのままだと死ぬわよあんた!!」
体は言葉を理解した瞬間に右に転がるようにして飛んでいた。次の瞬間、エクスのシールドを破壊した閃光がレイドが居た場所を通過する。その時に感じた熱気が、レイドの背中に冷たい汗を浮かばせた。
不思議なことに光は床に衝突しても何も起らなかったが、それでもフレスタが本気で叫んでいたことから直撃していたら相当にヤバイものであるということだけは簡単に理解できた。
「遅いぞフレスタ! 耳は良いんじゃなかったのかよ!」
「うっさい、助かったんだから文句言うな。それより、あんた達は絶対に攻撃を受け止めようなんて馬鹿なことするんじゃないわよ。アレ、中クラスの威力の神聖術モドキよ」
「神聖術? そんな馬鹿な!?」
「ありえねぇだろ! 魔王様の封印があるだろうがよ!!」
エクスとレイドが驚愕の視線を一瞬フレスタに送るが、白と青のストライプ柄なパジャマを身に纏った彼女はそんな二人の悲鳴にも似た言葉を聞き流しながら、両手に握る魔法銃を構える。その銃口の狙いは新しく現れたフレスタを警戒しているシスター二人だ。少しでも妙な真似をすれば、確実にフレスタは引き金を引くだろう。
「あんたらには分からないかもしれないけど、そいつら天使の加護があるみたいよ。直接天使と交わりでもして、強引に加護を得たんでしょうね。……いや、違う? これは……ポゼッションだわ!? うっひゃー、洒落になんないわね。そいつら二人の中に中の下か下の上ぐらいのランクの天使がいるじゃん」
「天使だって? じゃあ、僕たちは今天使と戦っているってことなのかい!?」
「嘘だろ……これが、天使の力?」
エクスもレイドも驚愕を通り越して絶句することしかできない。実際二人とも直接天使と戦ったことが無いため、その力を見たことが無いのだ。エクスの母親は天使ではあるが、一度もエクスの前で力を振るったことは無く彼自身は始めて見た天使の力に納得と畏怖が混ざった視線をシスターたちに向けた。
信仰心で神の奇跡を顕現するのが神聖術だ。そしてポゼッションとは人間の中に悪魔や天使といった存在が憑いて中にいる状態を指す。天使は神の御使いであるからその力は神の力をスケールダウンさせたようなものである。つまりそれは、天使は非常に神に酷似した力を有しているということであり、その力を二人のシスターが行使しているということだった。神の力はこの世界には届かない。だがそれと似たような力を持つ天使を内包しているというのなら神聖術が使えるのも納得のいく話である。
「どうすりゃいい?」
「んー、相手の防御をぶち抜けるぐらいの一撃で攻撃するか、ソレが無理でも敵に力を使わせたり削ったりして力が弱ったところをやるしかないんじゃない?」
「……マジか」
「選別戦争時の対天使戦術そのままな訳だね。……フレスタ一人で相手は可能かい?」
「んー、まあこの程度なら今の私様と互角ぐらいっしょ。いいわ、ハーゲンのケーキ十個追加で相手してあげる」
「報酬は先に前払いしているだろうが。横暴すぎるぞ」
「じゃ、成功報酬で良いわ。お互いに生きていたらね」
フレスタはそう言うと、軽くレイドにウィンクを飛ばしてから構えていた魔法銃をクルクルと回しながらレイドの方に歩いていく。だが、その軽い態度とは裏腹に目は笑ってはいなかった。ドラゴンであり竜である彼女でさえ、油断ができない相手だと考えていたのだ。戦闘技術それ自体は鍛えてはいなさそうではあるが、それでも天使の力はそんな常識を越えたところにある。
それに加えて今は人間の意識がそのまま表に出ているだけのようだが、本来ポゼッションは人間の中に入り込み、取り憑いた人間を支配することを指す言葉だ。天使が本気になったらどうなるかなんてことは、若いドラゴンであるフレスタにも聞きかじった程度にしか分からないし中ランク前後ぐらいだとは感覚で掴んでいるが中の中以上であればどうしようも無い。
「んー、強い方はどっちかな? 大サービスで私様が相手してあげるわよ。てゆーか、面倒くさいから降参してくれると私様的には楽でいいんだけど……」
「それは無理です。私たちには天使様から与えられた使命がありますから」
「そっ、なら教義の光に生きて教義の闇に消えなさい。トゥリーズンはもう神様に抗う連中の聖地なんだから」
答えたシスターリースに向かってフレスタが銃を構える。どうやらそちらの相手をする気のようだ。
「つか、諦めて欲しいと思うのは俺だけか? 人様の家にやってきて扉の鍵部分をぶっ壊して家宅侵入? ついでに狙うのは魔王像? オマケに神聖術は使うは天使にポゼッションされてるは……冗談はその時代遅れな存在だけにしてくれよ。もう選別戦争は五百年も前に終わってるんだぜ」
「我々にとってはまだ戦争は終わっていないということです。勝手に終わったことにして満足している貴方たち愚か者の末裔には、決して理解できないことでしょうけれどね」
「終わったことも理解できないような連中に愚か者呼ばわりとは切ないね。アレのおかげで住み難い存在もいるんだ。いい加減、自重してほしいな。でないと周囲の眼を怯えながら生きなければならない僕みたいなエルフが出てくる」
吐き捨てるようにそういうと、エクスは空中に複雑な印を切っていく。それは滅多に本気で魔法を詠唱しない彼が本気になっている証拠であった。
「んじゃ、そろそろ始めましょうか? 夜遅くまで無駄に起きてるとさ、美容と健康に悪いのよね」
フレスタの持っていた二丁の魔法銃が大音響を響かせながら弾丸を発射する。それを合図にレイドがもう一人のシスターに向かって走り、エクスはそれの援護に向かう。魔物とは毛並みが違うとはいえ、この二人には前衛後衛のコンビネーションが体に染み付いている。タイミングを合わせる程度は造作も無い。
レイド側の切り札たるフレスタの登場で、戦場はまた違った趣を呈してきた。
「この少女は――」
シスターリースは今まで戦ってきた騎士とは大きく違うその戦い方に冷や汗を掻いていた。今まで自分をしっかりと守ってくれていた白の光が、彼女の攻撃を受けるたびにミシミシと嫌な音を立てている。つまりは、それは目の前の少女の銃撃が恐ろしい程の威力を持っているということの証明に他ならない。
魔法銃とは選別戦争時代の三大発明の一つだ。しかし魔法や魔法武具と違ってあまり世に広まっていない。基本は使用者の魔力を集束増幅して撃ちだす兵器なのだが、魔力量の吸収調節の細かな調整をすることが安物ではほとんど出来ないしできたとしても超高級になるので生産コストがべらぼうに高く、普通に持っている人間は少ない。引き金を引くだけで撃てるので魔力さえ沢山持っていれば非常に強力な武器になる。フレスタは元々竜で、人間よりも遥かに強大な魔力を持っているからこそそれを有用に扱うことができる。
「それそれそれそれっ!!」
マズルフラッシュの光がが何度も礼拝堂を照らしていく。シスターリースに反撃する暇も与えずに押し切ろうと言うのだろう。虚空を疾駆する魔力弾が次々と撃ち込まれ、さすがのリースも自らの敵がただの人間の少女であるとは思えなくなってきていた。
「く、貴女は本当に人間なのですか!?」
「なわけないでしょうが、人間がこんなにバカスカ魔法銃撃ってたらもう魔力が枯渇して死んでるわよ」
「くっ、ならばエルフですか!!」
「御憑きの天使様にでも聞けばー? 快く教えてくれるでしょうよ」
小ばかにしたようにケラケラと笑いながら答えずにひたすらに銃撃を繰り返す。リースはこのままでは不味いと思い、自らも攻勢に出る。走りながら銃撃の射線から逃げるようにして逃げ惑うながら、そのままの体勢で白い閃光を放つ。
「うわっと!」
反撃してくるとは思わなかったフレスタであったが、それを危なげなく横に飛んで避けるとさらにその十倍以上の手数を持ってシスターリースを追い詰めていく。まずはあの防御を破壊しなければ攻撃が通らない。手に持った拳銃サイズの魔法銃が吼えに吼え、弾丸を喰らいつかせるべく次々と飛来する。通常の人間であったならそれだけの銃撃を加えられれば完全にオーバーキル必須といったところであるが、それでもなお中々破壊できないリースの防御に若干の苛立ちが募ってくる。稀に避けられた銃弾が次々と礼拝堂の壁や椅子を破壊していくことにも頓着せずに、まるで破壊神かなにかのように暴虐の限りを尽くし続けた。思わずもう一人のシスターを相手にしていたレイドが半分泣きながら叫ぶほどである。
「この破壊魔竜! お前人の家だってこと忘れてねーだろうな! ぶっ壊したもんが多すぎると報酬減らすぞ!」
「ちょっと、ケーキ様を減らすのは反則よ! 横暴だわ、恥を知りなさい!」
「だったら被害出さずになんとかしろ!」
「そっちこそ、無駄口叩く暇があったらさっさとそいつ倒しなさいよ。あんた程度に倒せるんならね!」
「ぬおぉぉ、言ったな!? 何れ魔王様の敬虔なる下僕になる予定のこのレイド・ハーヴェイ君が、大敵たる天使にちょっと憑かれたぐらいでいい気になってる連中に敗北すると思ってやがるのか。訂正しやがれ」
「ふんっだ。そんな台詞は倒してから言ってみなさいよ」
「当然だこの野郎! エクス!!」
「分かってる、あと少しだ」
随分と余裕があるその連中。明らかに騎士たちとは毛並みが違いすぎる敵にリースたちは困惑を隠せなかったが、お遊び気分の若者たちに苦しい生活を強いられてきた今までのことを考えれば酷くイライラしてくる。
神聖教会とはもはやトゥリーズンの世界の人間にとっては異端者の集まり以外の何者でもない。神に選ばれ、神の愛を受けて神の住む楽園に行くはずだった一部の選ばれた存在の、その最も多くの選ばれし人間を排出した宗教団体であり、それ以外の人間の嫉妬と羨望と怒りを買ったおかげで、封印魔王の力によって世界が封印された後には人間社会から爪弾きにされていた。また、今でも彼らを羨望する民を誘発する事象がある。本物の神選ばれし者は原則として魔物に襲われることがないのだ。
魔物は神がこの世界に必要としない人間を狩るためにこの世界で無限発生する存在であるから、必要とされる選ばれた人間は襲わない。この法則もまた魔物によって生活を脅かされている選ばれなかった人間にとっては嫉妬と羨望を集める源になっていた。正に悪循環である。
「――つっ、この異常な防御力……下級の魔物なんて比べものになんねーな」
杖の先端に集う白い光玉。レイドはそれの射線から逃れるように移動しながら、至近距離で延々と刀を振るい続ける。自分の魔法では防御ができないことだけは理解しているからこそ、常に動き回ることで相手の射線から逃げつつ攻撃する。重装備の騎士たちとしかまだ戦ったことがなかったシスターは、段違いに動きの早いレイドの姿を追いきれない。攻撃が通じないからこそまだ問題は無いが、それでももし仮に攻撃が通るようなことになりでもしたらどうするのか。恐怖に怯えつつも、それでも彼女は必死に祈った。
祈りとは力だ。こと天使や神の力の奇跡の源泉とはそういった純粋なる祈りがもたらした奇跡であるからこそ、一番有用なのはその信じる力を打ち砕くことである。それをするか、あるいはそれさえ凌駕するようなレベルの攻撃を繰り出すしかこのシスターたちを止める方法は存在しない。攻略の道のりは険しく、終りは遠いように思えた。
(ちくしょう、いくら斬っても手応えが変わらねぇ――)
魔物ならば十分にダメージを与えられるというのに、その剣術がこうも無効化されてしまうという事実が酷く恐ろしい。フレスタに挑発されて強がってはいたが、こうも目に見えて効果が無いと堪らなく精神的に辛い。これが自分の前衛としての仕事だとしても尚更だった。
「よし、レイドいくよ!!」
「っしゃー、俺の分までぶちかませエクス!!」
「迸れ雷光、焼き尽くせ雷神。其の裁きは止められる者などなくあらゆる敵を打ち砕く鉄鎚なれば――打ち砕けミョルニル!!」
刀を振り、最後の攻撃を無意味に与えたレイドは横へと飛ぶ。その後ろから迫るのはエクスという青年エルフが詠唱に詠唱を重ね長時間魔力を体内で循環増幅させた非常に強力な上級魔法だ。音速を軽く数十倍は軽く越えるそれは、金色の輝きを放つ大口径のプラズマであり恐ろしい破壊力を秘めている。通常の騎士たちの斬撃やレイドの剣戟など遥かに越えるその力は確実に下級レベルを超えているだろう。
白い光がそれに衝突すると同時に弾け飛んで霧散する。シスターは信じられないものでも見るかのように呆然としたが、その致命的な隙をレイドは見逃さない。
体勢を立て直す前に距離を詰めると左手を突き出しながらエレキショックの魔法を無詠唱で叩き込む。
「――きゃぁぁぁ!」
体中を襲う電撃に晒された彼女はそのままガクガクと痙攣し、気を失って倒れた。
「シスターレイア!」
同胞がやられたことに気がついたリースが叫ぶが、その叫び声さえかき消すような銃撃音が至近距離で鳴り響く。歯噛みしながらもすぐにそちらを見る。だが、余所見をしたことが致命的な隙となっていた。
「あら、余所見なんてする余裕があるのかしら?」
目の前に迫る灼熱の紅。パジャマ姿の少女が吐き出したそれは、一瞬リースを唖然とさせる。
思わず体が反応し灼熱の吐息を防いだ次の瞬間にそれは来た。ダンっと床が凹むほどの踏み込みと同時に一瞬で距離を詰めた少女が、魔法銃をリースの胴体に向けて容赦なく叩き込んだのだ。同じ箇所を容赦なく連打するその弾丸に、ついに絶対であったはずの守りが崩れる。霧散する白の輝き。次の瞬間、ニヤリと犬歯をむき出しにして笑うドラゴン少女の手が動くと同時にその頭から二本の黒い角がニョッキリと生えてくる。部分的に変身を解いたために少女の本来の部位が出現したのだ。バチバチと発雷するそれは、正に雷を操る力を持つ竜の角そのものであった。
「なんという迂闊! まさかドラゴンが……竜がこんな場所にいるなんて!?」
「――発雷!」
魔法銃では威力が有りすぎて確実に目の前のシスターを殺してしまうため、手加減できるそれをフレスタは選んだのだ。
青い稲妻が至近距離で爆ぜ、シスターリースを飲み込んでいく。抵抗する暇さえなかった彼女はそうしてフレスタによって気絶させられた。
「ふぅ……一丁上がりかな?」
少し呆気無さ過ぎるかとも思ったが、単純に強い竜と魔法に秀でたエルフを相手にしていたのだからこの結果も当然なのかもしれない。
とはいえ特に油断することなく魔法銃を倒れたリースにポイントしたまま、フレスタはレイドたちの方を見る。向こうも一先ず戦闘が終わったことに安堵していた。特にレイドは疲れたのか、その場に腰を落して一息ついている。
「ほらほら、休憩するのは後でしょう? さっさとロープかなんかで転がってるシスターを拘束しなさいよ。中の天使が一緒に気絶してなきゃ反撃されてお陀仏よ。こいつらは所詮、単なる入れ物に過ぎないんだからね」
「ああん?」
「あ、そうか。彼女たちはポゼッションしていたんだったね」
「そういうこと。中の天使が間抜けなことに戦闘が得意じゃあなさそうなシスターたちに自分の力を使わせて余裕こいてたからこんな簡単に済んだのよ。仮にあいつらが本気になってたらもうちょっと苦戦してたはずよ。てか、あんたら真っ先に死んでたかもね。特にレイドは」
「……かもな。天使に憑かれてるってだけでコレだったし……俺の攻撃はほとんど効いてなかった……」
悔しげに右手に持つ刀を強く握るレイド。下級の魔物相手にアレだけ頼もしい戦果を上げてくれた相棒が、天使に対してはこんなにも無力であるとは彼は思ってもいなかった。少しは傷ぐらいつけられるはずだと思っていたのだが、それさえも楽観であったという事実に打ちのめされる。
「んー、まあこんなもんでしょ? 魔法武器で攻撃し続けたら少しずつだけど連中は疲弊するし、まったく無駄ってわけでもないはずよ」
「だとしてもこう、目に見えて効果が期待できないんじゃ凹むしかないぞ? エクスの魔法が強力なのは理解しているが、ここまで刀が効かないとなると……今からでも俺も魔法攻撃重視型に転換するべきかな」
「うーん、無詠唱魔法は威力増幅がし難いからね。でも僕みたいなタイプは詠唱と循環増幅に集中し難いという欠点があるせいであまり機敏に動けないよ? 前衛がいてようやく有用に使えるんだということを忘れないでよ」
「それは分かってるんだがな。うーん、斬撃の威力をもうちょっと強化する手段を探さないといけないな」
「精々がんばんなさい」
「ん、それじゃあちょっとロープかなんか縛る物を取ってくるわ。その後でエクスの親父さんにでも突き出すとしよう」
刀を鞘に戻し、レイドは急いでロープを準備しようと駆け出そうとした。だが、そんなレイドたちを嘲笑うように気絶させたシスターたちの体が発光し、白い靄のようなものが溢れ出てくる。
「ちっ、出やがったわね!?」
「――天使か!?」
「これは――」
三者三様に呟きながら、それでも一番に行動したフレスタが魔法銃の引き金を引く。轟く銃声とともに発射された弾丸がリースの中から湧き出てくるそれを貫くが、穴がいくらか開くだけで目立ったダメージなどは感じられない。
「ちっ、全部吹き飛ばさないといけないのかしら」
撃てども撃てども効果が無い。いや、効果が本当に無いというわけではないはずだ。銃弾を喰らった部分は確実に消滅させている。だが、それが途切れる気配が無い。
「くそ、なんだこれ――」
レイドが刀を振りそれに切りかかるが、そもそも実体が殆ど無いそれを斬っても効果が見えない。
「どいてレイド!」
エクスが咄嗟に指向性を持たせ一方にだけ吹くようにしたストームを詠唱し、霧を一気に吹き飛ばそうとする。だがそれはそんな抵抗さえも嘲笑うように二人のシスターからあふれ続け、靄にも霧にも煙にも見える何かとなって混ざり合っていく。
「……こいつら、分割ポゼッションでもしてたのかしら? だとしたら……不味い! 実体化する前にできるだけ弱らせなさい!!」
それだけ言うと問答無用でフレスタが銃撃し続け、エクスもレイドもそれを魔法で攻撃した。
だがそんな三人の努力も空しく、白い霧のようなそれはそれでもなお混ざり合うことを止めずに動き出した。その進行方向に気がついたレイドが、半ば無理やりその道を遮るように立ち、ヤケクソ気味に刀を振るう。
「くそ、狙いは魔王様か! させるかよこんちくしょう」
刀の刀身がその気迫に比例するかのように爛々と輝いていく。レイドの魔力を吸収し増幅させる魔法武器。対天使用の武器であるそれが実体がまだないそれを切り裂いては部分的に消滅させるが、それでもそれは絶望的に攻撃力が足りなかった。
(俺の目の前で魔王様を奪っていくだって? そんなこと絶対に許さねーぞ! 他の魔王像なら我慢できても、これだけは、この本物だけは絶対に許さねー!!)
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
遮二無二なって刀を振るう。高ぶる精神に呼応するかのように青の輝きが増し、増幅された魔力が桁違いに攻撃力を上げていく。だがそれでもまったくその歩みは止まらない。大上段に斬りつけ真っ二つにしても、まるで空気でも切っているかのような手応えの無さでレイドの無力を嘲笑し続ける。
やがてレイドの頑張りも空しく、それどころかまるで無視しながらその白い霧は魔王像を包み込み、次の瞬間には忽然と消えた。どうやら魔王像ごと空間転移したようだった。
「くそ、くそ、持っていきやがった……。あの綿菓子もどき……魔王様を俺の目の前で掻っ攫っていきやがった!!」
がっくりと膝を折ってレイドがその事実に怒り狂うようにして何度も床を叩く。あんな大それたことをしやがった天使に対して、そして何もできなかった無力な自分に対しての怒りを全て込み、何度も何度も叩いた。エクスとフレスタが思わず驚くほどに、それほどまでにレイドは怒り狂っていた。
「レイド……その、少しは落ち着いたらどうだい?」
「馬鹿言うな。魔王様がよりにもよって天使なんぞに盗まれたんだぞ!? これで落ち着けるわけがあるか!!」
鼻息も荒く捲し立てる。だが、そうして周囲に喚いたところで何か事態が好転するわけでもない。きつく握り締めた拳がギリギリと怒りに震えさせたまま、それでもなんとか冷静に思考を展開させようとする。
問題なのは奪い去られたことではない。いや、確かにそれ自体も問題であるのだがその案件に天使が絡んでいることが問題なのだ。魔王教会や伝承で言われている通り本物の魔王像は何者にも破壊することはできないという。ならば、普通の人間にはどうすることもできないはずだ。せいぜいできることといえば隠したり海に沈めたりする程度だろう。だが、そこに天使の介在があるとなると途端に話は変わってくる。
人間には本物の魔王像をどうこうすることは無理だろう。魔王の力はそれほどまでに人間程度にどうこうできるものではないと容易に想像ができるからだ。だが、天使は違う。アレもまたそれと同じ程度に人智が及ばないほどの力を持っているのだ。ハーヴェイの家にあるような石化解除の魔法の類を持っている天使がいる可能性だって考えられる。そうでなくて、その状態のまま破壊する方法もあるかもしれない。
一応探知魔法に引っかかりやすいように細工はしてはいたが、天使がいる時点で敵の戦力は絶大だ。果たして取り戻せるのか?
「……フレスタ、お前あの天使に勝てるか?」
思考を展開させている間に幾分か落ち着きを取り戻したレイドがフレスタに尋ねる。
「そうね……完全に実体化したとして、あいつが私様と同等の力を振るえる程度だとしたら楽観視したとしてもなんとかギリギリってところかな。正直、向こうから攻撃されてなかったからいまいちどの程度かが分かり難いのよ。……何よ、私様に倒せって言いたいわけ?」
「そうしてくれるんなら楽でいいんだけどな」
あくまでも取り戻すというスタンスでいくとレイドは決定している。それが彼の夢であったから当然である。日頃からアレほど魔王様に傾倒しているレイドにとっては、そうしない理由が無かった。
「それと、あいつなんで態々ポゼッションなんかしてたんだ?」
「多分だけど、悪魔側に感知されたくなかったんじゃないかな? 母さんがそのまま力を振るったら悪魔がやってくるって言ってた記憶がある。多分、最低でもあの霧のような状態だと力を感知され難いとかそういうことじゃないかな?」
「なるほど……となると、悪魔が怖くてあいつは完全な状態では力を振るえないわけか……」
「決め付けは良くないよ。そうである可能性の方が高いだろうという推察だし、僕はこの件はもう騎士団とかに任せるべきだと思うんだけど……」
エクスが言いたいことは分かったが、レイドはそれに首を振るう。騎士団に報告するのは当然だとしても、彼らに全てを任せることなど到底出来ない。そんな風に他人任せにできるのであれば初めからきっとそうしていたはずだから。そうできないのは、盗まれたモノがそれほどまでに大事だったからだ。他の誰がそれに価値が無いと言っても、ずっとそれを見て育ってきたレイドにとってはあの魔王像は大事な宝物であり、憧れなのだ。
「騎士団に話すのはするけど、俺は自分でも探すぞエクス。あの天使が自分で力をあんま振るえないんだとしたら、まだなんとかなるかもしれない」
「……はぁ、本当に君は魔王像が絡むと途端に頑固な性格になるね」
「そりゃそうだろう。それ以外はどうだって良いことばかりの世の中だからな」
ニヤリと強気に笑うと、レイドは聞きたいことは聞き終わったとばかりに動き出した。指し当たっては倒れている捕虜を逃がさないようにするためのロープが必要である。思い出したように教会の奥へと消えていくレイドを見送るとエクスとフレスタは顔を見合わせて言った。
「で、当時者はああ言ってるけどフレスタはどうする?」
「どうもこうもしないわよ。頼まれたら少しぐらいは手伝ってあげるし、そうでないのならほっとくわ。たった一つの命をどう使うかなんて、本人が決めればいいだけのことでしょ?」
「それは……まあ、確かにそうなんだけどね」
友人のドライな発言にエクスは絶句しながらしかしすぐにあることに気がついて苦笑する。頼まれれば手伝うと彼女ははっきりと言ったのだ。普通の人間は天使を敵にすると言われれば絶対に渋るだろうに。そこにエクスはこのドラゴン少女が普段はあまり見せない優しさを垣間見た気がした。
「はは……なんだかんだ言ってもフレスタも結構優しい所があるよね」
「何よ? そんな当たり前のこと今更言われてもちっとも嬉しくなんてないわよ。それに、ちょっと今回のことで私も思うところがあるからね」
「思うところ?」
なるほど、竜はエルフや人間よりも存在位階が高いだけあって色々と気になるところもあるということだろう。エクスは頷きながらも感心し、彼女の言葉を待つ。けれど、返って来た言葉は彼の感心の感情ごと問答無用で吹き飛ばした。
「成功報酬にしたことが間違いだったわ。おかげさまでシスターは倒したとはいえ、任務成功なんて言い難いじゃない。嗚呼、あんなに近づいてそれでも遠くに消えていくなんて、ケーキ様はなんて罪深いお方なのかしら……」
心底悲しそうに言うフレスタの言葉を聞いて、エクスはとりあえず白い目で彼女を見た。勿論、フレスタはその視線から眼を逸らし続けた。