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第一章「神様の呪い」


「まったく、こんな早朝から連中も随分ご機嫌だなおい。俺は眠いから別の場所でやって欲しいんだけどな」


 寝ぼけ気味の頭を一瞬に覚醒させると、その少年はため息混じりに呟いた。


「エクスもそう思わないか?」


 白のマントその身に纏い、学生鞄を背負った黒髪の少年レイド・ハーヴェイは隣を歩いていた友人に向かって悪態をついた。好き勝手に伸ばしたボサボサの黒髪を撫で付けながらのその行動は、誰がどう見ても厄介ごとに直面した人間の自然な反応だったに違いない。


 だが、それもしょうがなかった。高等魔法学校『インテレクト』の校門を越えてすぐ、何の脈絡もなく唐突に魔物に囲まれたら誰だってそう思うだろう。レイドに話しかけられた友人、エクス・ローゼンバーグもまたその悪態に同意しながら困ったようにため息を吐いているのがその証拠だ。


「はぁ……連中は台所とかにいつの間にか自然発生しているあの恐ろしい害虫と同じか、それ以上に性質が悪い存在だからね。確かにいい加減絶滅してもらいたいよね」


 レイドと同様に黒の学生服の上から白いマントを纏っている彼はレイドのクラスメイトであり、家が隣同士の気の会う友人だ。レイドよりも少しばかり背が高く、また均整の取れた顔をしているためにクラスの女子からの人気が高い。人柄も温厚でどこか落ち着いた雰囲気を醸し出す彼にさえも絶望的に嫌われるようなそんな連中が十二匹、まるで狙い済ましたかのように二人の周囲を取り囲んでは包囲網を形成している。だが、不思議なことに二人は特に動じていない。それどころか余裕で世間話を続けていく。


「寧ろ、アレの方がまだマシさ。こいつら『魔物』は何の脈絡も無く発生してきやがるんだぜ? この前は深夜に近所で出やがったもんで、ドタバタドタバタと煩かったもんさ」


「ああ、三日ぐらい前に僕の家の庭にやってきた連中のことかな? 勿論一家全員で全滅させたけどね」


「うわっ、お前の家を襲うなんて随分と根性ある奴らだな。何匹ぐらいだった? 十匹ぐらいか?」


「ん……下級ばかり二十匹ぐらいだったかな? 出迎えた父さんと母さんが十匹ぐらい瞬殺してたから、僕は二階の部屋の窓から適当に魔法で爆撃して残りを適当に片付けたんだ。困るよね。夜中とかに襲われるとどうしてもご近所に迷惑かけちゃうし……」


「ま、かといってこんな朝っぱらに襲われるのもたまらないけどな。そこのところ少しは自重してくれないか? 噂の魔物たち諸君」


 心底困ったように言うエクスに同意しながら、レイドは周囲の魔物にフランクに話しかける。魔物たちはしかしそんなレイドのふざけた態度がお気に召さないのか、唸り声を上げるだけで答えない。いや、そもそも連中には喋るだけの知能が無いのかもしれない。声をかけられた魔物は皆一様に醜く歪んだ顔をしており、ボロの布切れを纏って木で出来た棍棒などで武装している。戦闘ランクでは下級の中でも下の方に位置する小型の魔物『ゴブリン』である。戦う力を持っていない人間や幼い子供にとっては確かに脅威になるかもしれないが、生憎と二人にとってはそれほど恐ろしい相手ではない。


「ん、やっぱりゴブリンの中にドラゴンはいないみたいだな」


「みたいだね。そんな話はどこでも聞いたことはないし、やっぱり中ランクぐらいの階級の中からしか発生しないのかもね。なら別にもう仕掛けても良いかな」


 視線を互いに送った二人は頷き合うと行動を開始。それに対して一向に怯えもしない彼らに危機感を覚えたゴブリンたちは一斉に棍棒を振り上げて躍りかかる。だが次の瞬間には攻撃を仕掛けた十二匹のゴブリンたちは一斉にそれぞれ後方に数メートルほど吹き飛んだ。エクスが無詠唱で唱えた魔法『ストーム』を食らったせいだ。術者の全周囲に問答無用で突風を巻き起こし吹き飛ばすその魔法は、攻撃力こそ少ないが至近距離に近づいてきた敵を一斉に吹き飛ばすのにはかなり有効な魔法だった。特にゴブリンのように大人の人間より少しばかり小さく体重も軽い敵には魔法障壁でも張られていない限りは簡単に吹き飛ばすことができる。


「エクス、後ろ半分は任せるぞ」


「わかったよ」


 互いに死角を補うように背中を合わせると、そのまま起き上がろうとしているゴブリンに向かってそれぞれ攻撃を仕掛けていく。


 レイドはマントの下に隠れていた鞘から祖父に貰った刀を抜き放ち駆け出す。右手で握るその刀の刀身は年代物の割には朝日を綺麗に反射しながら現役を主張している。無論、その刀は刃を潰した模擬刀などでは決して無い。魔法武器と呼ばれる、選別戦争時代に生まれた魔法理論を利用して生まれた立派な兵器である。


「はぁぁぁ!」


 レイドが気合を入れて発声した次の瞬間、レイドの全身が青の光に包まれる。複合強化魔法『ウォームアップ』の輝きだ。駆け出しながら無詠唱でそれを唱えたレイドは、爆発的な身体能力の向上効果を得て速度を上げ、ようやく起き上がった真正面のゴブリンの横をすり抜けるようにして斬撃を見舞う。上下に分断されて崩れ落ちるゴブリンの体躯。悲鳴さえ上げる暇無く絶命したそれに見向きもせずに、レイドは次の獲物に既に向かっている。そのまま右回りに走りつつ、起き上がって迎撃の構えを取っているゴブリンを狙うレイド。本能的に仲間があんなにも呆気なく殺されたことに動揺しているらしく、ゴブリンたちの動きは目に見えて鈍い。レイドはそんなゴブリンにしかし情け容赦なく刃を振るう。大上段からの袈裟切り。次の瞬間、棍棒で斬撃を防御しようとしたその上から、青の軌跡が奔り抜ける。そのゴブリンが見たのは、青を纏った鋼の刀身。防御の上から自身を切り裂いたそれが自分に致命傷を与えた凶器だと悟った瞬間には、どす黒い血を撒き散らしながら倒れ伏す。


「たく、面倒くさいったらないな」


 魔物たちは容赦なく発生し、人間に襲い掛かってくる。彼らは基本的には知性が無く、半ば本能に刻まれた人間殺戮の使命をただただ実行するためだけに行動してくる。獰猛な肉食動物のように、人間を捕食して餌にしようとする類ならば食物連鎖の一環として理解はできる。だが魔物はそうではない。意思疎通を可能とし、共存できるほどの理性を兼ね備えた極少数の例外を除けば、それ以外の全てが人類の敵となって猛威を振るう。まるで単一の機能だけを果たす機械とか道具などと全く変わらない。そんな理解不能な連中との戦いを、人類は未だに続けている。後に選別戦争と呼ばれたあの五百年前の自立戦争時に生まれた魔物。今もなお消えることは無い自立の代償。神の刻んだ呪い。不要な人類だけを抹殺するために存在する残酷で理不尽な人類の天敵。


 魔物とは何か? その答えを今の人類は知っている。だからこそ人類は皆、相容れぬ魔物に対して容赦はしない。


「GUOOOO!!」


 雄たけびを上げ、同胞を殺された怒りでもってゴブリンたちは一斉に行動を再開。例え恐怖に怯えようとも、人類抹殺のために生まれ持っている本能が彼らの思考を縛りつける。 しかしそんな闇雲に襲い掛かるだけの存在に、自立した人類はそう簡単に負けはしない。


 レイドはやってくる四匹ばかりのゴブリンたちを警戒しながら、エクスの方に軽く視線を向ける。驚くべきことにエクスの方は既に戦闘を終えており、つまらなそうにレイドの様子を観察しているだけだった。一応何かあったら魔法で援護しようとしているらしいが、極力手を出すつもりは無いようだった。


(さすがだなエクスは……)


 エクスは相当に強い魔導師だ。心配するだけ無駄だろう。あの程度であったなら、魔法の一発二発で簡単に終わらせることができる。レイドもやろうと思えばソレに近いことはできなくはなかったが、あえてそういうことはしなかった。


 ニヤリと唇を釣り上げながら、距離を縮めてくれたゴブリンたちとの戦闘に思考を戻す。そのまま再び刀を振り上げて迎撃の構えを取る。それと同時に、襲い掛かろうとしていたゴブリンたちもまたそれを合図に動き出すが、それよりも速く駆け抜ける青の剣閃がある。都合四度は煌いたその軌跡は、ゴブリンたちが彼の間合いに入った瞬間には成す術無く敵を切り裂いて絶命させていた。年齢の割には見事な剣の腕前である。


 一度軽く刀を振るってから、鞘に納刀していたレイド。そこへ、エクスが歩み寄って賛辞の言葉を投げかける。


「さすがだねレイド。また少し剣の腕を上げた?」


「かもな。まだお前の親父さんには敵わないだろうけどよ」


「父さんは現役の騎士だからね。剣の腕前だけで言うならそうそう簡単に学生には負けたりしないよ。ああ見えてもハイドラントの街では強い方らしいし……」


 エクスの父はこの街でも五本の指に入るほどに騎士である。正義感に熱く、この街の平和のためにいつもその剣術を振るってくれている頼もしい人だった。レイドも何度か合ったことがあり、剣の指南を受けたことがある。とても強い人で、剣の質こそレイドの祖父とは違うものの十二分に勉強をさせてもらったことは記憶にも新しい。


「それにしても、こいつら現れるのも唐突なら消えるのも唐突だよな」


「魔物発生のメカニズムはまだよく分かっていないからね。神様の呪いじゃ仕方ないよ」

 そういって、二人して倒した魔物たちがいた辺りを見る。だが、少しばかり目を離して会話していただけで、すぐにもうその存在が忽然と消えている。撒き散らした血も消えて、まるで初めから居なかったかのような有様だ。だからこそ神の呪いなどと揶揄して言われていたりするわけだ。魔物とはそれほどに非常識かつはた迷惑な存在であり、二十四時間どこからともなく現れて襲い掛かってくる人類にとって大変迷惑な存在であった。


「さて、そろそろ行くか?」


「そうだね」


「それにしても周りの学生も薄情だな。手伝ってくれても良いのに」


「絡まれた学生が率先して相手をする、それがここでの決まりだからね。誰だってこんな朝早くから魔物と戦ったりしたくないよ。それに、雑魚しかいなかったし」


「そうなんだけどな、どうもこう……こんな殺伐とした朝を迎えるとどうにも人の情けが無償に欲しくなる。こんな無味乾燥とした学校にいたらグレちまいそうだ」


「はは、確かに」


 げんなりしながら言うレイドにエクスが苦笑しながら相槌を打つ。二人して三年前に新築された校舎に向かって歩いていく。レイドたちの戦闘に巻き込まれないように離れて様子を伺っていた学生たちもまた、それを皮切りに普通の学生に戻っていった。


 無論レイドたちも絡まれなければ遠巻きに観察し、放置しても問題なさそうであれば手出しはしないだろう。誰だって無駄な労力を使いたくないからだ。


 それが、この封印世界『トゥリーズン』で割と良くある登校風景であった。




――選別戦争。


 かつてトゥリーズンではそう呼ばれた大戦争があった。五百年も昔のことであり、それでもそのときのことを今の人類は決して忘れていない。神と天使と魔物が敵となったその戦争では、人間たちを深い絶望の闇に叩き落されたという。


 中でも一番人間を絶望させたのがこの『選別』という言葉だ。神は自らが擁護し、愛を注ぎたい人間とそれ以外の人間という二種類のカテゴリーを作った。そしてそれらを選別するために天使と魔物を人間の世界に放つ計画を打ち立て実行した。


 恐らく、このときに今の悪魔や堕天使とか呼ばれる存在が生まれたのだろう。彼らは人類の姿に哀れみと恐ろしい現実を見て立ち上がった。彼らが居なければ今の人類は絶滅していただろうと言われている。魔物はかつての銃や大砲、剣や槍でもなんとか倒せるレベルのものが多かったが、天使は別だ。アレには通常の物理攻撃が全く微塵も効果がない。悪魔が伝えてくれた魔法と魔法理論が無ければ、人類はそれらにほとんど抵抗することもできなかったに違いない。だが、それでも天使と人間とでは力の差がありすぎた。普通ならばその時点で選ばれなかった人類は死滅するはずだったが、そこに天使と同等の能力を持った悪魔の介入があったとなれば話は別だ。


 悪魔は人間のその姿を未来の自分たちの姿としてダブらせて見ていたのかもしれない。神の気まぐれで生み出され、神の気まぐれでふるいにかけられて処分される。そんな恐ろしい未来があるかもしれないことに気づき、知り、自ら神の住んでいる天界から多くの仲間を連れて離反し人間側についた。悪魔とは元々天使であり、神の愛から自立した存在である。今の人間のように、神の愛など無くても生きていけることを知り、そのために同じく立ち上がるであろう人間に手を貸した。その数、かつての天使の実に三分の一だったともそれ以上の数だったとも言われている。彼らは戦争が開始する十数年前から水面下で動き、人間とコンタクトを取っては魔法と魔法理論を広め来るべき選別戦争に備え、そして人間の側に立って戦った。その結果神に選ばれなかった大多数の人類が辛うじて生き延び、今も生存できていた。


 何故神が突然にあんな戦争を計画したのかは諸説ある。神への信仰を人間が忘れていったからだとか、蔓延する悪徳を嫌ったからだとか、実に様々である。とはいえ、それらは全て噂に過ぎない。人間にも天使にも悪魔にも造物主である神の考えていることは究極的に理解できないからである。だが、それでも選ばれるに値しない存在の烙印を押された選ばれざる者たちが理解していることがある。


 それは、神や天使や魔物がもう既に人類の敵であるということだ。それだけは愚かな人間たちにも理解できてしまったから、彼らはそれに抗うべく今も当時のことを語り、記録を紐解き、手に入れた魔法を研鑽し、進化させ、神から独立を果たした人間として新しく生きていくことを選んだのである。


「――えー、であるからにして人類は悪魔と呼ばれる元天使たちと神から自立することを選択した仲間として共闘したことで、初めて生き延びれたわけです。会戦時の記録から言うと天使と魔物によって人間は世界中で虐殺され、実に総人口の半分以下にまで叩き落されたそうです。ですが、それでも人類は絶望に屈せずに戦い続けて今の平和を勝ち取った。共闘してくれた悪魔の人たちや戦い抜いて決して最後まで諦めなかった我らのご先祖様のためにも、この平和な時間を噛み締めながら我々は守っていかなければなりません。幸いなことに、かつては戦争したりしていた七カ国もそれ以降は手を取り合い、戦争一つ起こさずにこれました。今後も神様から自立した人類としての義務と責務を……おっと、時間のようですね。今日はここまでにしましょう」


 いつも長々と教鞭を取る歴史の教師が、校内中に鳴り響くチャイムの音で授業を切った。生徒たちはその言葉を聞いて話の長いこの老教師から開放されたことを実感できる。特に選別戦争時代の話は義務教育時代から同じことを延々を繰り返す苦痛の授業だ。眠気が終始襲い、集中力と気力を容赦なく奪い去っていく。無駄な授業であるという声もあるが、実際は少しずつ高度な内容が入っている。特に、この高等魔法学校『インテレクト』ではそうだった。とはいえ殆ど内容が同じことばかりで深い部分は稀だから退屈なのは仕方がない。教本を持って去っていく老教師。人柄は温厚で特にガミガミ言うタイプではないので生徒からは慕われていたが、その授業は教師の人気とは逆に嫌われていた。


「くそ、なんで魔王様の活躍話を中々してくれないかなぁ先生は」


 頬杖をついたまま、レイドはそう毒づく。退屈な授業だったが、それでもレイドは居眠りもせずに歴史の授業は真面目に受けていた。なのに一向に敬愛する魔王様の話にならない。しかも偶に話してくれる魔王様の話はレイドが聞いたことが無い話が多いので密かに楽しみにしたりしていたのだ。


 最後尾の窓際から一つ右の席で、グッと伸びをしながら欠伸を一つ。そうして次こそはと期待しながら、レイドは懐から銀のロザリオを取り出す。そのロザリオは選別戦争前の神聖教会のシンボルだった十字架ではなくて、それ以後に生まれた魔王教会のシンボルである逆十字の形をしていた。右側の十字の部分に優雅に腰掛けた小型の魔王様像がくっついているところは珍しいが、通称逆十字のロザリオと呼ばれている物の亜種である。


 レイドの父は魔王教会の神父であったが、滅多に家に帰らないし母親は魔導師として夫婦揃って世界を回っている。逆十字のロザリオは祖父が死ぬ前に貰った大事な物である。ちなみにレイドは別に魔王教会の教徒というわけではない。彼は魔王様は敬愛し信仰してはいるが、それは封印の魔王個人を信仰しているのであって、教義など別に興味が無いからだ。それに加えて魔王様は自立しろと仰ったと聞いている。ならば何れ人間は悪魔たちからさえも自立し、寧ろ対等に付き合えるようになるぐらいにまで成長していかなければならないのではないかと思う。それができて初めて、人間という種は名実共に自立した存在へと成れるのではないか? レイドはそういう風に魔王様の言葉を解釈し、理解していた。だからこそ魔王教会には入信していない。


 ロザリオに腰掛けた魔王様の小さい像は、そんな風に考えるレイドに肯定も否定の言葉もかけない。だが、その微笑の刻まれた相貌を見ていると、魔王様が恐れ多くも自ら石化して、そんな風に人類が成長するための時間を稼いでくれているのではないかと思ってしまう。申し訳なくて、無意味にやる気が出てきた。


 唯そこに在るだけでレイドのやる気を出す魔王像。げに恐ろしきはそれほどに慕われている魔王様の存在なのか、それとも勝手にやる気を出せるような不可思議な精神構造を構築してしまったレイド自身なのだろうか。ある意味病気レベルにまで達しているその価値観だけは、幼かったあの日から未だに陰りを見せない。ただの憧れが恋に変わった。一目惚れを誘発するようなその神聖な造形美と、世界規模で存在する人類の英雄に対する憧憬と強烈な実績。名実共にある最高の存在である魔王様。その復活がもう間近に迫っていることを知っている男として、一人の存在としてレイドは焦がれていた。


(後三日……か)


 十七の誕生日が来る。そのときになれば、計算では魔王様の石化解除に必要な条件が揃うはずだった。否が応でもテンションが上がってくる。そうして、逆十字のロザリオを眺め続けるその少年は、ボォーッと考えごとをし続ける。


「レイド、次の教室に移動しないのかい?」


「んあ……ああ、そうだな。次の授業はなんだっけ?」


「必修の対天使戦術論だよ。それにしてもレイドは本当に魔王様のファンなんだね」


 どこか呆れたようにレイドに言うエクス。偶にこうして意識を完全に別世界に移行させる友人を見ていると、心配でしょうがないのかもしれなかった。主に精神的に。


「勿論だ。魔王様と会って最低でも下僕にしていただくという崇高でいと高い目標があるぐらいには熱烈なファンだぞ」


「……君の場合は本気で言っているから性質が悪いね」


「馬鹿な、魔王様の下僕だぞ? 更にそこから駆け上がることも夢ではないそんな希望に満ち満ちたポジションを望まないなんてこと、俺にはとてもできん」


「はいはい、でも本物の魔王像って結局どれか分からないでしょ? 偽物や従者の子孫を名乗ってお金儲けしようとする人たちが出るぐらいだし、本気で会えると思っているのかい?」


 世界中に散らばる魔王像。魔王教会が伝承を元に作らせた物や実際に会ったことがある当時の人間が作り出した物など少なくない数のそれが世界中に存在している。また、悪魔たちの仲間や封印の魔王の友人の魔王などが管理しているという実しやかな噂話まで囁かれている。伝承では本物の魔王像はこの世に存在するありとあらゆる金属よりも堅く、また神や天使の攻撃でさえも防ぎきるという。つまりは、とてつもない強度を持っているらしいのだ。


「ハンマーとか魔法を使って本物かどうか確かめる人たちがいたけど、どうなのかな? 強度の伝承が間違いだったら、試してみて破壊された中にもしかしたら本物の魔王様がいたのかもしれない。本物を見つけたとしても石化を解除させて復活させるための魔法は本物の従者の一族にしか伝わっていないって言うよ。この二つを生きている間に発見することが君にできるのかい?」


「なんとかするさ。俺の魔王様への無限の信仰心と情熱はその程度の障害には決して屈したりはしないと自負している」


 というか、その魔法もハーヴェイ家に伝わっている。さすがに魔王像をハンマーでぶん殴って本物かどうか確かめたことは不敬過ぎると感じてチャレンジしなかったが、それでも石化解除の特殊魔法は既に継承している。ならば後は準備が整うのを待つだけなのだった。また、先祖代々からの秘密だから自分が従者の一族だとは言えないので今は誤魔化すしかないが、レイドはハーヴェイの家が本物の従者の一族であると固く信じていた。


「……無意味に自信満々なところが怖いよ。君ならいつか世界中を巡ってでもどっちも発見しそうだよ」


「任せろ、いざとなったら七カ国全ての魔王教会を巡礼してでも目標を達成してやるさ。そうだな……来年卒御したら卒業旅行として巡礼の旅にでも出てみるか? とりあえず我らが祖国ジルテンモールの魔王像を見比べてみるんだ。多分色んな作り手の想像した素晴らしい魔王像の数々を拝めること間違いなしだぜ」


「普通の卒業旅行だったら付き合うよ。僕はさすがに魔王像を見ても君と語り合えるだけの情熱が無いんだ」


「ちぇっ、付き合いの悪い奴だな」


「僕より友達が少ない君に言われたくは無いよ」


「失礼な。友達が少ないんじゃあない。単純に俺の場合は友達を進んで多く作ろうとしていないだけだ」


「それは悪癖じゃないのかい?」


「自分に無理をしない実にマイペースな生き方だろ? 生き急いでいる連中は俺のようなスローライフを見習ってみるべきだ。そうすればきっと自分だけの大事な何かに開眼できる」


「確かに君はマイペースではあるけれど……開眼ねぇ……」


 何に開眼できるのかは全く分からないが、エクスはとりあえず至極真面目に言い切るレイドの戯言に苦笑することしかできなかった。極稀に思うのだが、本当に掴めない性格の友人だとつくづく思う。何せ、真面目なのか不真面目なのか愉快犯なのか冗談好きなのかさえ絞り込めない。分かっていることはレイド・ハーヴェイという少年は重度のマニアという奴であることぐらいだ。封印の魔王様という過去の偉人の大ファンであり、その魔王像に目が無い。そして、自分はそんな彼と何故か友人をしていて、その関係に変な苦痛を感じていないということぐらいである。というか彼とつるんでいると変に構えていることが馬鹿馬鹿しく思えてくることばかりなのだ。そうなってくると、この軽いやり取りも少しばかり楽しい時間に思えてくるから不思議だった。


 何でも無い戯れのようなやり取りの中で、ただそれをしているだけでも十分に楽しい。それが思春期特有の若すぎる柔軟な感性のせいなのかを偶に真面目に考察してみるエクスであったが、やはり今はまだ答えは出そうになかった。


「で、結局移動準備はしないのかい? 残り時間が現在進行形で大ピンチだよ」


「何? うぉっ、移動時間走ってギリギリじゃないか」


「ま、急げば間に合うかな」


「これだから我らの魔王様は侮れぬ。その美しい美貌で俺の時間感覚さえも狂わせてしまわれるのだからな」


「責任転嫁かい?」


「違う、悪いのはその美貌に魅せられてしまった愚かな俺だ。断じてこの美しすぎる魔王様に罪は無い!!」


「いや、全くそのとおりなんだけどそんなに力説しなくても……」


 その一種過剰すぎる魔王様至上主義な考えが、いつかレイドの身を滅ぼすことになるのではないか? ふと、そんなことをエクスは思った。だがすぐにそんな思考は頭の隅から消えてなくなった。全く逆のことを次の瞬間には想像してしまったからだ。


(彼なら逆に、魔王様をとても困らせるかもしれないな。いや、きっと絶対に困らせることになるんじゃあないだろうか? その果てに呆れられて、しかしそれでも許されるような気がする。彼はそういうどこか憎めないタイプの男だ)


 逆十字のロザリオを懐に戻し、急いで筆記用具と教科書を手に立ち上がったレイドと共に走り出しながら、ふと彼はそんな益体も無いことを想像して一人笑った。




 放課後、特にすることが無い生徒たちが大抵帰っていく傍ら、何がしかのクラブに入っている連中が急ぎ足で所属するクラブの活動拠点に移動していく。レイドとエクスは、そんな活動的な連中に混ざって移動していた。何故なら彼らもクラブ活動をしていたからだった。とはいえ本格的なクラブ活動とは程遠い。部としては人数が少なすぎて認められず、同好会扱いされているからだ。それでも一応は小さな部室と雀の涙程度の活動費が支給されている。


「さて、今日は一体何をするべきか……それが問題だ。エクス部長、何か良い活動案はあるか? 無ければ今日は『世界の魔王像~その特徴と傾向について~』という本か、もしくは『封印魔王~その真実に迫る~』という魔界出版の本について語り合いたいと思う」


 二階の廊下を歩きながら、レイドはいつもの調子で至極真面目に提案する。だが隣を歩くエクスはそれを一言で一刀両断。


「却下」


「何故だ!?」


「今日も対魔物戦術について研究する予定だよ」


 いつも一言で却下されているというのに、この少年は懲りない。 というか、活動する日は大抵こんな調子から始まるのが活動前の二人の儀式になりつつある。


「ちっ、仕方ないな。けど、この前もそうじゃなかったか?」


「この前の続きと言ったところかな。とはいえ基本的にこの同好会は天使や魔物と対峙したときにどうやって戦うかを研究するクラブだから、やることと言ったらこの二つしかないよ。だからこの同好会の立ち上げに手伝ってくれたんだろう?」


「そうだけどよ、天使と戦う術を研究するということは同時に悪魔と戦う術をも模索するってことで、そうなると魔王様抜きには考えられない。敵を知り己を知れば百戦危うからずとも言うし、やはりここは魔王様についても情報収集するべきだと俺は提案――」


「だから、却下だってば」


 強引な解釈で何が何でも魔王様に結び付けたいのか。エクスはもう癖になっている苦笑を顔に貼り付けながらさらに続けた。


「まあ、色々と家で叩き込まれているらしい君にとって退屈なのは分かるけどさ。それでも慢心は良くないよ。今のところそんな強力な魔物に出会ったことがないし、はぐれ天使と戦うようなことがあったわけでもない。でも、もしかしたら戦うことだってあるかもしれない。魔物も天使もその強さはピンからキリまであるけれど、中級から上級レベルまで行くと僕たちじゃあよほどの手段を講じないと手も足も出ないんだよ?」


「……そうだな」


 至極真面目な話だったので、レイドはこう言われるとさすがにそれ以上は粘らない。

 世の中には便宜上三つの戦闘力ランクというものがある。天使、悪魔、人間、魔物などと呼ばれる存在をまとめ、この世界での戦闘力を簡易的に分類したものであり、敵戦力を大まかにでも想定し戦いを有利に運ぶための重要な戦力評価のために存在する。下級、中級、上級のカテゴリーがあり、その中でもさらに下の下、下の中、下の上などといった具合に更に三段階に分けられている。


 基本的な人間の戦闘ランクは下の下。魔法を使いこなせる魔導師や魔法戦士が良く修錬すれば下の中ぐらいには普通はなれる。努力次第では更に下の上ぐらいまでならばなんとか行くことができる程度、というのが一般的な人間の強さの目安である。しかし、何事にも例外というものはあるし、やりようによってはある程度はこのランク差を覆すことは不可能ではないと言われている。故にエクスはそのランク差を覆すための方法を考えるために『対天使・対魔物戦術研究同好会』略して『戦術研』を立ち上げた。


 エクスには二つの夢がある。一つは、父親のような立派な騎士になることだ。騎士というのは国や街の平和のために尽力する人のことで、国と国同士の戦争などが起きようが無い現代では人類の敵である魔物や、危険なはぐれ天使から人々を守ることが仕事である。人間は魔法という力を手に入れたが、それでも戦いが苦手だという人たちやできない人は存在する。剣があまり好きではない彼であったが、魔導師としての自分は嫌いではない。普通に剣を振り回すタイプの騎士とは少し毛並みが違ってくるが、それでもそういう職に就きたいと思っていた。そういうわけで、この戦術研は将来を早くから見据えた彼にとっては大変意義のある部活である。


 戦術研の部員は三人。一回生の頃に立ち上げたので今年で二年目。あの頃から特に面子は変わっていないが、それでもそれなりに将来への投資としては十分に有用だと彼は認識している。高等魔法学校に蓄積されている膨大な数の魔物の知識と、高等魔法の数々。それらを必要に応じて研鑽し、モノにして戦い方を考える。それだけで去年入学したときよりも随分と強くなった実感がある。その証拠に以前より魔物に出会ってもそれほど怯えるということがなくなっているし、蓄えた知識と覚えた魔法を有効に用いて戦えば街で発生する程度の魔物など大した脅威ではなくなっていた。


「知は力。知識を蓄えて知恵を武器にしなければ、選ばれざる人間は神の愛無きこの世界で生き残れはしないだろう。そうなってからでは何もかもが遅すぎる。故にこそ先見を持ちて有事に備えよ」


「竜の賢者……ウィズダム・ナーリッジの言葉だな?」


「そういうこと。僕は魔王様派ではなくて、賢者様派だからね。部長権限でこの言葉通りに活動させてもらうよ」


「仕方ないな。今日のところは部長様の仰せのままに従うとしよう。平部員は悲しいことに権力者たる部長には勝てないのだ」


 そうやって儀式を終えた頃には、二人は部室の前まで来ていた。エクスがズボンのポケットから取り出した鍵で扉の鍵を開けようとしたところで、何やら部室から談笑する女子の声が耳に届いた。エクスは首を少しばかり傾げつつも、レイドに視線を送る。だが、視線を送られたレイドの方も知らないとばかりに両手を上げ降参のポーズを取った。

「片方は我らが副部長フレスタの声だと思うんだが、もう一人は知らない声だな」


「ん、友達でも連れ込んだのかな? でもクラスの女子の声じゃないし……別クラスの子なのかもしれないね」


 取り出した鍵をポケットに戻し、珍しいこともあるものだと思いながらエクスは扉を開ける。はたして、部室の中にはやはり予想通り二人の女子いた。中央に並べた席に並んで腰掛けて談笑している。奥の方にいる茶髪セミロングの少女がこの魔法学校最強の学生である隣のクラスの二回生、副部長のフレスタ・ギュースであり、その手前にはレイドもエクスも知らない翡翠の髪の綺麗な少女がいた。


「あら? ようやく来たわね二人とも」


「待たせたかな?」


「よっ」


 軽く男二人は二人してフレスタと挨拶を交わしつつ、見慣れぬ翡翠の少女に向かって視線を向ける。視線を向けられた少女が怯えるように目を伏せかける。フレスタはすぐにそんな彼女を安心させるように肩に手を置くと、男どもに紹介を始める。


「ふふん、喜びなさいよあんた達。ついに私たちにも部活の後輩ってのが出来たのよ」


「よ、よろしくお願いします。私は一回生のフェリス・マディックです」


 ペコリと頭を下げるその小柄な少女。なんとなく小動物チックな印象を受けた二人は慌てて会釈し、自己紹介する。


「僕は戦術研部長のエクス・ローゼンバーグ。歓迎するよ」


「俺はレイド・ハーヴェイ。エクスやフレスタと同じ二回生だ。よろしくな」


 二年になってから二ヶ月程経っていたが、戦術研には唯の一人も訪れたことがなかったので純粋に二人は驚いていた。スポーツ系の部活や料理部、魔法部や剣術部などの人気がある部活ならばともかく、こんなマイナーで活動費用も少ない同好会に見学や体験入部もせずにいきなり入部してきたことが少しばかり信じられなかったのだ。


「入部届けは私が受け取ってもう先生に出しといたわ。だから今日からこの子は私たちの後輩よ」


「対応が早いね」


「副部長だからね」


 エッヘンと胸を張るフレスタ。それに頷きながらエクスとレイドは鞄をロッカーにしまって二人の対面の椅子に腰掛ける。


「戦術研の活動内容はもう説明してあるんだよな?」


「勿論よ。無理な勧誘なんて私様はしてないわ」


「ならいいや。しかしその……アレだな。どうして戦術研に?」


「えと……私は魔物がどうしても苦手でいつもいつも友達に助けられてばかりなんです。だから少しでも怖くなくなるにはどうしたら良いかと思ってフレスタ先輩に相談してみたんですよ」


「……なるほど、それでフレスタがここの部の話しをして入部することを決めたわけか」


「それだったらこの部に入ることは君のプラスになるかもしれないね。確かに魔物は恐ろしい存在だ。分かり合える例外を除けば、彼らは人類の敵だしね」


 魔法という戦う力を持っていたとしても、それを恐怖してしまうのは無理も無いことである。レイドもエクスもフェリスの言葉に納得した。


「ん、となるともしかしてフェリスは今まで自分で魔物を倒したことは無いのか?」


「はい。それに私が得意な魔法は回復と支援系ばかりですからどうしてもその……得意ではないんです」


 だが、それでもいつもいつも友達に助けられている弱い自分では居たくないのだろう。適材適所という言葉もあるにはあるが、適材する箇所を増やそうとするその自立する努力は尊いものだとレイドは思う。そういえば自分も初めて魔物と戦ったときはそうだったことを思い出した。学んだ魔法と刀をしっかりと使えば倒せるとは言われていたし、祖父が見ていてくれたがそれでもやはり怖かった記憶がある。


 魔物とは天使と同じく人間にとっての脅威なのである。今はもう慣れているが、それでも完全に恐怖が消えたわけでもないのだ。


「よし、分かったよ。それじゃあ少しずつ慣れていこう。恐怖というのは、時に知ることで克服することができることがある。ここでは天使や魔物と戦うにはどうしたら良いかを考えたり、魔物や天使にはどういった種類があるかを研究したりするところだ。存分に部活動に励んで欲しい。僕たちも基本的には手探りだけど、それでも何か聞きたいことがあったら遠慮なく相談して欲しい」


「はい」


「あと、そこらの本棚にある資料とかは自由に見てもらって構わないよ。初めは下級の魔物の資料から読んでみるといい。そしたら多分、どうやって戦うのが良いかを自然と考えるようになるからね。そうやってまず知ることで魔物に慣れていこうフェリスさん」


 微笑を浮かべながら、できるだけ優しくエクスは言った。見たところ相当な怖がりのようだし、同年代のクラスメイトがいない以上は心細いだろうと思っての配慮である。

「おいエクス、今日は対魔物戦術の研究予定だったよな? 可愛い後輩たるフェリスのために軽く講義でもしたらどうだ? 俺とフレスタは適当に資料でも眺めるか模擬戦でもしてるからよ。構わないよなフレスタ」


「別にそれでも良いわよ。エクスの方が多分説明は上手いだろうしね」


「うーん、そうだね。じゃあまずは一般的な魔物のことから軽く流してみようか」


 初日から飛ばすことも無かろうと思い、その提案にエクスは頷く。ただ、それでもしっかりとレイドに言った。


「レイド、講義している間に魔王様の資料だけを眺めるのは駄目だからね」


「……何故バレた」


 既に『世界の魔王像~その特徴と傾向について~』を取り出してスタンバっている魔王様馬鹿が、その一言で戦慄の表情をエクスに向けた。




 そうして、新しくできた後輩にエクスが軽く講義を始めた。エクスたちから少し放れた位置には、適当に見繕った魔物の資料を眺めるフレスタとレイドがいる。聞こえてくる内容はほとんどが一般的に義務教育の仮定において勉強させられていることだが、その中にこの一年でエクスが習得した内容を付け加えて話している。


「――魔物。神様の呪いにして人類の天敵ねぇ。そういえばフレスタもあいつらと同じようにして生まれたのか?」


「んー? 私は両親がいるから違うわよ」


「ふーん……どっちか人間なのか?」


「いいえ、両親ともにドラゴンよ。竜と人のハーフってのは物凄く生まれ難いらしいからコミュニティでもそんなにいないわ」


 なんでもない風に言うフレスタ。実はフレスタ・ギュースは分類上は魔物であって人間ではない。今の姿は魔法で人間に変身しているだけで、真の姿は何十メートルもの全長を持つ立派な竜なのである。何度か模擬戦相手をしてもらったときにレイドは見たことがあるのだが、自己申告で戦闘力ランクは中の下程度は在るだろうと言っていた。


 低レベルの剣や魔法を弾き飛ばす鱗に、強大な体躯。そして空を飛ぶための翼に雷を呼ぶ角。極めつけは鋼鉄さえも溶かす灼熱の吐息と、どんな鋼鉄よりも硬い爪と牙。正直、天使や悪魔の次に強力な魔物の中でも強者に分類される存在なのだ。


 フレスタの竜姿はかつての童話や童謡にうたわれていたそれそのままの姿であるが、現代のドラゴンというのはその姿の魔物のことを指して呼ばれることは少ない。


 現在のドラゴンとは理性を持って生まれた魔物、神の束縛から解き放たれた抵抗者としての意味で呼ばれている。これは神にも悪魔にも屈しない生物であるという架空の設定像をドラゴンという種が持っていたからであり、そのせいだと言われている。魔物の大半は基本的に人間をただ殺すことだけしかしないが、彼らはその殺人衝動を理性で押さえ込み、制御することができるため和解できるし協力し合える。故に現在ではドラゴンは独自のコミュニティを形成しながらこの世界では人類と共存していた。


 また、遡れば選別戦争時代からその存在はあり、竜の賢者と呼ばれた偉大なる賢人もまたドラゴンと呼ばれていた竜なので、人間からすれば彼らもまた自分たちのように神の律から独立した存在として敬われることが多い。ただその数はまだまだ希少でありそれほど数が多いわけではない。傾向としては巨大な魔物ほどドラゴンとして生まれることが多いと言われているが、何故彼らだけが理性を持って人類と友好的に暮らせるのか理由は分かっていない。そのメカニズムを研究する学者もいるが、まったく成果が上がっていないのが現状である。


「へぇ……そうなのか。そういえばフレスタはどうしてここにいるんだ?」


「どうしてって……何がよ」


「いや、お前がこの学校に来てまで学びたいものってあるのかなと思ってな。確か、聞いたことなかったよな」


「無かったっけ? ま、どうでもいいんじゃないそんなの。あ、もしかしてこの美しすぎる私様のことが知りたいから探りでも入れてるの? 嗚呼、ついに私の美しさは魔王様馬鹿にも理解されるほどのレベルに達してしまったのね。罪な女だわ私って……」


 さもありなん、とばかりに納得するドラゴン少女。


「……綺麗な容姿だとは思うが、美しすぎるとまではいかないな。どちらかといえば、お前はカッコイイ感じだぞ。あの頑丈な鱗なんて男の浪漫を堪らなく刺激する。ドラゴンスレイヤーの称号が欲しくなるぐらいに」


「なんで評価の対象が人間に変身する前の私なのよ」


「え? だってアレがお前の本当の姿なんだろう?」


「あのね、アレはアレでコミュニティでは可愛いって評判なの。そんな私様を人間の姿にしたのがこの今の姿な訳。つまりそれは究極的には私様があらゆる価値基準において美しいという至極常識的な結論に達してしまうということでしょう? ほらほら、今のこの姿で評価してみなさいよ」


「むぅ?」


「何故そこで首を傾げるのよ」


「人間として見てみたら確かにお前は綺麗だとは思うが、やはりどう考えてもお前は魔王様には及ば――」


 そう正直に言おうとしたレイドの右側面の空間を、ニコやかに笑みを浮かべるドラゴン少女が吐き出した灼熱のブレスが通過する。真紅に燃えるその超高温が、一瞬で空気を燃やし尽くしながら消えていく。直撃していたらきっと、人間の頭など一瞬で炭化するに違いない。自然と、レイドの背中に嫌な汗が流れた。


「で、結局私様は美しいの? 美しくないの?」


「大変にお美しいと言わざるを得ない」


 少しばかり青ざめた表情でレイドは言う。冗談でもやりすぎだと思ったが、本人はそんなヘマをする気は無いご様子であり、うむうむとさも当然そうに頷いている。


「なぁ、ドラゴンの間では気に入らない言葉があったら炎を吐いてやり直しを要求したりする珍妙な文化が存在するのか?」


「はぁ? そんな非常識な文化なんてあるわけないじゃない。それにドラゴンって言っても竜とかそういう系の魔物じゃないと炎なんて吐けないから、そんな文化が広がるわけないじゃない」


「なに? じゃあさっきのは――」


 言い募るレイドを嘲笑うように、二発目は左側面を通過する。 右と左は終わった。ならば、きっと次は真正面で来るに違いない。フレスタのブラウンの瞳がそう無言で語っていた。三度目は無い……と。


「何か言ったレイド?」


「いや……何も言ってないぞ」


 可愛らしく微笑むフレスタに、高速で返事を返す。そうして言葉にせずに新たな疑問に思いを馳せた。


(こいつ、本当にドラゴンなのか? とてもじゃないが、本能を理性で完璧に抑えているという存在の定義から外れているように思えるんだが……)


 どうしても世間一般に広まっているドラゴンについての情報とかけ離れているような気がしてしまうレイド。手に持っていた魔物の資料の中からドラゴンのページを探し出して読んでみるが、『神の与えた本能を理性で完璧に制御できる知的な存在』とか、『神の法にも逆らえる稀有な個体』という程度しか書かれて居らず、間違っても灼熱のブレスでもって相手を脅すような文化があるという記述は存在しない。


「なぁフレスタ。お前って本当にドラゴンなのか?」


「何を馬鹿なこと聞くのよ。じゃなきゃ、私は今頃多分あんたに噛み付いてるところよ。ワニなんて目じゃないほど硬い鋼の牙でこうガブッとね」


「それもそうか。ん? お前、肉食だったっけか?」


「美味しければなんでも食べるわよ。お肉も好きだけど、今はやっぱりスイーツの方が好きかな」


「ああ、そういえばそうだったな」


 つまり、彼女は雑食ということである。人間に変身しているからそうなのかは分からなかったが、もし仮に空腹時にでも二人っきりになったら、この少女は本能に耐えて自分を食べたりしないだろうか? 気に入らない言葉をブレスで却下させるような少女である。その理性を信じることは大変恐ろしいことに思えてならない。


(……ドラゴンは雑食。む? ならば我らが魔王様は一体……)


 石化を解除した場合、もしかして腹が減ったとかそういう理由で噛み付かれたりすることがあるのだろうか? 悪魔が人間を食べるとは聞いたことが無いが、可能性が無いかどうかなんて分からない。もし魔王様の好みが人間だったとするならば、これは人肌脱がねばならぬ事態に発展することもあるかもしれない。レイドは葛藤する。仮にそんなことになったとしたら、自分の取るべき最善の選択とは一体何になるだろうか、と。とりあえず言えるのは齧られるのは嫌ということぐらいだ。


「なぁフレスタ。とても重大なことを質問したい」


「……何よ、改まって」


「魔王様の好きな食べ物は何だろうか?」


「はぁ?」


 何を言い出すんだこいつは、見たいな訝しげな目でフレスタはレイドを見る。果たして、それが本当に重大なことなのだろうか? いや、きっと本人にとっては重大なのだろう。レイドは至極真面目な顔をしていた。さらにそのまま続ける。


「一般に人間が食べている類の食材は大丈夫だろうか? 魔王様の偉業は後世にこれだけ広まっているのに好きな食べ物の話は聞いたことが無い」


「んー、多分女の人だから甘いものは嫌いじゃないと思うわよ。ドラゴンのコミュニティに来てた悪魔のお姉さんがね、人間の作ったお菓子は結構魔界でも人気があるって話をしてた記憶があるから」


「なるほど……さすがドラゴン。滅多に人前に姿を現さずに魔界から世界を見守ってくださっているという悪魔たちとのネットワークを確立していたとは……見直した。フレスタは実にドラゴンな奴だな」


「何でそんな訳の分からない褒め方をするかな? それと悪魔ならよく街にお忍びで遊びに来てるじゃない。あんたも何人か見かけたことがあるはずよ」


「馬鹿な、俺は生まれてこのかた優しげな天使には会ったことはあるが、街中で悪魔と出会ったことなんて無いぞ?」


「そりゃ人間には分からないように正体隠してるに決まってるでしょう? それに魔王様は人間の従者を持ってたはずだから、その人間が作った物なら基本何でも食べてたんじゃない? 多分人間が食べるものだったら大抵オッケーのはずよ」


「おお、また一つ等身大の魔王様の姿を知ることができた。これで枕を高くして眠れるな!!」


「こんなつまんないこと知ったぐらいで安眠できるのなら、あんたはきっといつも安眠してるのね」


「不眠症とは無縁の生活を送っていることが密かな自慢だ」


 いつものコトながら、フレスタはこの男の奇天烈な思考が分からない。正直にいえば、何でも感でも魔王様と関連して考えることを控えてもらいたい。だが、そんなことを言っても聞く奴ではないことはもう十二分に知っているから何も言わない。それにこの男は稀に変を通り越して面白いことを考え付くことがある。それだけは楽しいので、その楽しい何かがある間は我慢できる。例えば、そうだ。今こうして腕を組みながら何かを突飛なことを考え付いたときなんかは、実にユニークな質問をしてくることが多い。


「食事か……そういえば、魔物は人間を殺害はするが別に進んで食わない……よな?」


「そうだっけ? 狼タイプの奴とか、明らかに人間に噛み付いたりして食い殺ろそうとしてくるでしょ?」


「そういうのは例外だろ? 攻撃手段がそうだから、偶々そうしてるだけの気がする。そういうんじゃなくて……例えばゴブリンだ。あいつらは基本的に二足歩行で棍棒持って現れてくる。殴る蹴る叩くは基本行動だとしても、態々噛み付いてくることは無い……なぁ、お前の両親はドラゴンの第一世代か?」


「確かそのはずよ」


「飯はちゃんと食ってるか?」


「食べたいときに満足いくまでしっかりと食べてるみたいだけど、それがどうかした?」


「なら、別に無理して食わなくてもいいのか? あいつらは神様の呪いなんだろう? 呪いが腹へって死んだりするのか気になるんだが……」


「なるほど。つまりあんたはあいつらに兵糧攻めが効くかどうか気になるわけね」


「ああ、例えば魔物は周囲の環境や広さに応じて色々と出現する種類や戦闘ランクが変わってくるというのは聞いたことがある。それはつまり、その環境下において人間を殺しやすいような形で出現するわけだろう? だが俺たち人間は街中じゃあ確実に連中を逃さずに倒すようにしてる。誰だって寝込みを襲われたりしたくないからな。だから、街中で人間が食われているところなんて、殆どみたことはない。けど、それじゃあ野生で発生した連中や、人間が勝てないと踏んで捨て置いていった外の魔物はどうなんだ? 俺はあいつらが人間以外を無意味に襲っているという話は聞いたことが無い。ならもしかして喰わなくても生きていけるのか?」


「んー、結論から言えば普通の魔物に兵糧攻めは効かないわ」


「何故だ? それだと道理に合わない。生物は動けばエネルギーを消費してしまう。だから飯を食うことで必要な分のエネルギーを取り入れる必要が在るだろう?」


「物理的なエネルギーを摂取する必要がないから、食べるという行為でエネルギーを確保する必要が無いのよ」


「そんなことがありえるのか?」


「普通の魔物ってね、人間と同じように物体と精神の二つの混合体でしょ。だから物理攻撃で倒せるようになってるんだけど、あいつらは一定時間ごとに精神エネルギーを物理エネルギーに変換して、失ったエネルギーを補充しているのよ、だからお腹が減っても食べなくて良いんだってさ」


 精神エネルギーは物理的なエネルギーよりも遥かに高次元のエネルギーを内包しているというのが通説だ。時に『精神が肉体を凌駕する』とか『病は気から』なんて言葉からも推察できるように、基本的にはより高次なエネルギーに事象は引きずられ安いという。つまりは、魔物たちは気合で空腹を克服しているということらしい。


「人間は食わなきゃ生きていけないのに……なんて卑怯な奴らだ」


「精神エネルギーは全部枯渇しない限りは時間経過で回復するから、あいつらは永久稼動しながら獲物である人間を襲い続けることができるってわけ。勿論何かを食べてエネルギーを摂取することもできるんだろうけどね」


「ん、じゃあお前らドラゴンはどうなんだ?」


「私たちはそれをあいつらみたいに自動的にはできないわ。やろうと思ったらできないことはないけど、魔物と違って精神エネルギーを物理エネルギーに変換したときにかなりの無駄ができるのよ。なんでも理性で本能を完全にコントロールすることができるようになった代償らしいとかってドラゴンの間じゃあ言われてるわ。仮に飲まず食わずになったら、一応精神エネルギーを使って長期間生きながらえることは可能でしょうけど、結局は精神エネルギーが枯渇して死んじゃうわね」


「そういうのが出来る魔法ってないのかな?」


「確かあったはずよ。でも、よほど修錬しないと使い物にならないとかって聞くわ。特に人間はそんな肉体的な機能が初めから備わっていないから短期間の断食レベルならばともかくとして、それ以上は普通に無理よ。ま、例外もやっぱりあって『仙人』とかそういうのは大丈夫って噂だけはあるかな。こっちは会ったことが無いから確実な情報かどうかは知らないけどね」


「なるほど……」


「ちなみに天使と悪魔は純粋な精神体だけで体を構成している高位存在だから基本的に食事をする必要は無いそうよ。でもお腹一杯の方が満足感があるし、食事したい人はするんだって。悪魔はもうほとんど食事を嗜好品にしてるって話だし、天使の方は……凶暴な人たちはどうか分からないけど、人間に優しい人たちは人間と溶け込むために普通に食事をしてることが多いみたい」


「そうなのか……食べられる喜びを感じれるけど食べなきゃ餓死する俺たちと、食べなくても生きていける存在……どっちの方が幸せなんだろうな」


「どっちもできる方がいいんじゃない? ま、人それぞれでしょ。ちなみに私様は甘いお菓子が大好物だからたっぷりと献上するように。好感度がちょっぴり上がるかもよ?」


「割り勘で良いなら献上してやるよ。偶には俺もそういうのを食べたくなることがある」


「それは献上と言わないでしょうが」


 魔物のことはやはり、魔物系列のドラゴンに尋ねるに限る。また一つ知識を得たレイドであった。


 ドラゴンにとって、魔物とは仲間でもなんでもない存在である。ドラゴンもまた、人間と同じように彼らに狙われるからだ。フレスタ・ギュースがこの戦術研にいるのは同族意識なんてものが皆無だからだろうし、彼女の正体が竜であるといっても魔物や天使が脅威であることには変わらないからだろうとレイドは推察している。そしてフレスタは天使を特に脅威としているらしいことが分かっている。魔物の資料よりも天使の資料を読んでいたりすることが多く、彼女の武器が魔法銃と呼ばれる対天使用の武器であることからもその姿勢が伺えた。


 魔法銃とは選別戦争時代の三大発明の一つに数えられる発明の一つだ。魔法と魔法武具にも並ぶ対天使用の兵器であり、今現在でもかなり高価な装備である。


 それに彼女は竜である。寿命が人間とは違う。今現在竜のドラゴンで現存する最高齢は竜の賢者と呼ばれる選別戦争時代の英雄ウィズダム・ナーリッジであるが、彼は当時から五百年経っているにも関わらずある一定以上で老いが止まったと言っている。今も世界中のドラゴンのコミュニティを回りながら活動している彼は、老人の姿をしているわりには若々しく、威厳に溢れているという。


 ドラゴンは天使を警戒している。今は封印魔王の力によって天界とこの世界との間の道が遮断されているが、それがいつまでも続くかは分からない。第二の選別戦争が起る可能性が否定できない以上は最も危険な存在を意識することは当然なのかもしれない。


「エクス部長、先輩たちはあんな風にいつも活動しているんですか?」


「ああ、大抵あんな感じだね。魔物に兵糧攻めは聞くのか? なんて話してるのを見たのは初めてだけど、何気ない情報からこういう風には攻められないかって感じには考えてるね。突拍子も無い疑問を別ベクトルに変化させて斬新なことを問題提起するのがレイドで、そのあやふやな推察にある程度信憑性を持った答えを提示してくれるのがフレスタの役目さ。フレスタは色々と物知りだから僕たちにとってはかなり楽しい話を聞かせてくれるんだ。インテレクト最強の学生という触れ込みは本物だよ。魔物役をしてもらって模擬戦を何度かしたことがあるんだけど、正直一人だと勝てる気がしない」


「……やっぱり強い人なんですね」


「ただ本能に任せて暴れるだけの魔物と、理性で本能を制御しているドラゴンを魔物と比べて考えるのはかなりナンセンスなことなんだけどね。それでも彼女と交戦させてもらうことは良い経験になると思うよ。正直、街中に出てくる程度の下級の魔物何百体よりも、本気で怒り狂った彼女一人の方が何十倍もおっかないんだ……っと、これは内緒だよ? でないと好物のお菓子を大量に生贄として捧げなければ僕の命が危ないからね」


「ふふっ、分かりました」


 少しばかりの会話のうちに、緊張も少しは解れてきたのかその頃になるとようやくフェリスの顔にも余裕が浮かぶ。それを確認したエクスは内心で安堵しながらも続けようとして、目の前に飛んできた資料を危なげなくキャッチした。それは百科事典ほどの大きさは無いが、当たれば確実に痛そうな週刊誌大の大きさの資料だった。


「――ちっ、外したか」


 どうやら、会話が件のドラゴン少女に聞こえていたようである。舌打ちしながら第二射の準備に入る彼女を見て、エクスは眉間を押さえた。心なしか頭痛がしてきたような気がするのは、きっと部長の癖に副部長の暴走を止めるだけの権力を持っていないからだろう。


「その、なんだね。何故君は僕に資料を投げつけるんだい?」


「何故か私様の悪口が聞こえた気がしたからよ」


「いやいや、僕は新しく出来た可愛い後輩にフレスタの強さを分かりやすく語っただけだよ? 少しばかりジョークは入っていたかもしれないけれど、概ね嘘は言ってないし君を貶すような言葉は言っていないよ」


「そうなの? おかしいわね……確かに私の直感がエクスがフェリスちゃんに変なことを吹き込んでるって囁いてきたんだけど……」


「気のせいだよ。僕は君の強さを正直に語っただけさ。それにこれから君の素晴らしさについて語るつもりだから、邪魔はしないで欲しいね」


「そうなの? ならしょうがないわね。じゃんじゃん私様の素晴らしさを伝授してあげて」


「了解したよ」


「うむ、苦しゅうない」


 その言葉に満足したのか、発射を取りやめるフレスタ。エクスは華麗に攻撃を回避しながら、その後でしっかりとフレスタの素晴らしい暴君さについて小声でフェリスに語った。


――エクス・ローゼンバーグ。アクの強いレイドとフレスタの二人の手綱を要領よく握る術を心得ている戦術研の栄えある部長殿である。思わずフェリスはその強かさに頼もしさを覚えたという。





 部活を終え、寮に帰っていくフレスタとフェリスを見送った帰り道、二人はいつものように夕闇に照らされたハイドラントの街中を歩いていた。完全に夜になる前に部活を終えるのは暗黙の了解だった。さすがに暗闇でいきなり魔物に襲われるのは面白くない。街には常に巡回警備をしている騎士もいるが、万が一ということもある。用心するに越したことは無い。


「なぁエクス、フェリスはちゃんとやれそうか?」


「うーん、大丈夫じゃないかな。少しばかり気弱そうだったけど、一人で入部してくるような娘だから精神的に本当に弱いわけじゃあないと思う。心配かい?」


「戦術研にやってきた初めての後輩だからな。俺は別に卒業まで三人だけでも良いかなって思っていたから後輩獲得とかにも興味は無かったんだけど……なんだな。なんかこうくすぐったい感じがするんだよな」


「……そうだね。僕もそうだったよ。自分のためにこの部活があるといっても過言じゃなかったから、今日はちょっと緊張してた……」


「そうか? その割には落ち着いてたように見えたぞ」


「一応僕は部長だからね。基本的には自己中だからああいうのは肌に合わないんだけど……もう少ししっかりしないとって思わされたよ」 


「俺もフレスタも基本自己中だけどな。自分のためになると思ったことぐらいしかしたくないし、それ以外を考える余裕なんて無い。少し賑やかになりそうだなぁこれから」


「そうだね。正直、フレスタや君が幽霊部員でも別に良かったんだ。でもああして三人で集まって活動するのは悪くない。そんな風に最近は思うようになってさ、そこにまた新しい子が入ってきた。僕にとってもいい傾向なのかもしれない」


「……話すのか?」


「もう少し時間を共有できたらその内にね。君のように割り切って付き合ってくれる人は問題ないけど、そうでない人にとっては『エルフ』はドラゴンほど信用されていない。悲しいことに……ね」


「『ダークエルフ』として生まれたほうが良かったか?」


「それは無いね。僕は母さんが大好きだから」


「だろうな。俺も個人的にはお前の母さんは嫌いじゃない。『天使』だからって理由だけで嫌える人じゃあないし、アレだ。お前の母さんのシチューは美味しい」


「ははは、順調に餌付けされているね」


 封印魔王による世界の封印。そのせいで天界に帰ることができないはぐれ天使がこの世界には少なからずいた。危険な天使のほとんどは悪魔たちが倒した今、温厚で人類に害することを止めた中立の天使は人類社会の中でひっそりと暮らしている。中には神聖教会という魔王教会が生まれる以前からあった神のために信仰を捧げる教会等に身を隠し、失った神への信仰を取り戻すための活動をしている天使もおり、定期的に世界を監視している悪魔たちと小競り合いを起こしたりしている。


 別に天使一人一人は人間に対して特別に敵意を持っているというわけではない。かつての選別戦争で人間側についた天使――現在では悪魔と呼ばれる存在――のように、自由意志は持っているからである。だがそれでも神を信じることを止められない者や仕えることを止められない天使は数多くいた。神の敬虔なる手足であることを求められていた天使にとって、神の命令は逆らい辛い命令であったから、かつては葛藤しながら人間を攻撃することに躊躇した天使もいたのである。今のところ彼らは人間にも敵対せずにいる中立の天使として扱われている。今ではそんな彼らと恋に落ち、種族を超えた愛を育む人間も現れてきた。彼らの子は基本ベースは人間と同じだが、何故か先が尖った少し長い耳と美しい容姿で生まれてくることが多く、そして人間よりもやや強い魔力と圧倒的に増えた寿命を持って生まれてくる。そんな新しい種を、人間はその身体的特徴から『エルフ』と呼び、天使ではなくて悪魔と人間の間に生まれた種を『ダークエルフ』と呼んで区別するようになった。ほとんど種族的な特徴は同じであり、強いて違う例を挙げるとすれば耳や肌の色が褐色になりやすいのがダークエルフといったところぐらいだ。


 とはいえ天使の子供と悪魔の子供は殆ど同じ存在なのにも関わらず世間では受け入れられ具合が違っている。かつて天使から攻撃を受けた人間としては天使というだけで恐ろしい存在の仲間のように思えてしまうからである。個人的に会って話してみればそうではないかもしれないが、その潜在的恐怖は今も人々の中に根付いている。また、世界の封印が解けたときに彼らがどういう行動に出るかというところからも警戒されてしまっていた。人間の側につくのか、それともやはり神の側につくのか。本人たちでさえ答えを出すことが辛いその疑問。それに答えられる天使が少ないこともあってか、構えてしまうのが人間であった。


 そのおかげでエルフはあまり友好的に人類から扱われることは少ない。エクスもまたそんなエルフの一人であり、昔は少し辛い目にあった記憶があった。エクスはほとんどエルフとしての特徴が発現していない固体であり、耳も人間のそれと変わらないので自分から進んでエルフだとは名乗らないかぎり正体はバレ難い。入学したインテレクトでは教師やレイド、フレスタなどといった一部しかその正体を知らないのだ。知られることによる視線の変更と周辺環境の激変してしまうかもしれないことに対する恐怖。それがどうしてもエクスを慎重にさせる。これもまた、神が残した救いようのない呪いのようなものだった。


「あんまり深く考えたいことじゃあないな。精神衛生に悪いしよ。そうなってみないと分からないっつーか、魔王様のおかげで多分もう昔みたいな戦争を天使が進んでやるようなことは未来永劫無いはずだろう? 少しずつ理解してくれる奴らも増えるだろうさ」


「だといいんだけどね」


 将来少しずつ増えていくだろうエルフと中立の天使。その生活を少しでも改善したいとエクスは思う。それが、彼の二つ目の夢だ。価値観は人によって千差万別であるから、もっと種族的な負のレッテルばかりではなくて個人を見て判断してくれるような社会になってもらいたい。人一倍そう思うのは、きっと彼がエルフだったからなのかもしれない。


「君みたいな変わり者は中々少ない。これからも末永く僕の友であってくれ。頼むよレイド・ハーヴェイ」


「任せろ。魔王様の救った世界に生きる俺たちだ。トゥリーズンに生きる俺たちは、多分いつかきっとそんな神様の呪いからだって越えていけるはずさ」


 そうであったら良い。いや、そういう世界にしたいのだとエクスは思う。それがきっと二つ目の自分の夢なのだと自覚しながら、レイドに大きく頷いた。


 黄昏の夕日がそんな彼に力強く照り、思わずエクスは目を細めさせる。そうして嬉しくなった自分を落ち着かせながら、エクスはしかし何かを言葉にする前にレイドに向かって愚痴る。レイドもまたすぐに気がついた。


「はぁ、帰りにもまた会うなんてね。最近どうも魔物とのエンカウント率が高くなってる気がしないかい?」


「連中の発生はランダムなんだろう? だったら、こういうこともあるだろうよ。面倒くさいことには変わり無いけどよ」


 マントの下から愛用の刀を抜き放ち、レイドが前方で戦闘をしている買い物帰りの主婦を援護するべく駆け出していく。学校とは違って街中では魔物を発見した場合は皆が協力して速やかに倒すことになっている。この時刻だとまだ人通りもあるし、速めに片付けなければ被害が出ることもあるだろう。もっとも、魔物が日常的に出てくるせいで魔法の習得が義務教育に組み込まれているので、義務教育を終えた人間たちの多くは街中にいる程度の魔物とは魔法で戦うことが大抵できる。元に主婦は買い物袋を守りつつも、魔法で近寄ってくるゴブリンを既に数匹倒している。


「やれやれ、これじゃあ援護する必要はないかな」


 参戦したレイドが主婦の前面に立ちながら、大立ち回りを繰り広げている。その様子に苦笑しながら、エクスは主婦に声をかけてから援護を開始する。その結果、ゴブリンの大群は五分も持たずに全滅した。主婦からはお礼の言葉と共に夕食のお誘いをされたが、二人もさすがにそこまでしてもらう程度のことをした覚えもないのでお礼の言葉だけを受け取って家路を急いだ。


 そんな狂った日常が、今この世界のどこにでもある一コマである。皆が皆異常であると感じながらも、それをどうにかする術を持たず、それでも生きるために毎日この世界で戦いながら頑張っている。


――例えこの世界が神の呪いによって犯されていたのだとしても、それでも力強く人々は今を生きていた。




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