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心根

作者: 不動 啓人
掲載日:2013/02/11

「お前は誰?」

 水面に映る己の顔を見、娘は呟いた。そして頬を伝った涙が零れ波紋が己の顔を歪めると、堪え切れずに走り出し、縁側を駆け上がって自らの部屋に篭もり、声を噛み締め泣いた。止めどなく涙は溢れ、青色の袖が深く色付いた。

 今頃、娘の兄が、縁談を断る口上を述べているところだろう。両者、相望む縁談であったのに。

「鎮理様……」

 娘の口から零れた想い人――吉弘鎮理よしひろしげまさ。兄と同じ大友家の家臣で、後に高橋紹運たかはしじょううんと名乗り、大友家の支柱となる武将である。

 鎮理と娘との婚姻はすでに決まっていた。後は婚儀を挙げるだけだった。それがどうしてここにきて破談となってしまったか。それは、痘瘡により一変してしまった娘の容貌にあった。

 この頃大友家は、毛利家との戦を繰り返しており、鎮理もこれに従軍。転戦に及ぶ転戦で、婚儀も遅延してしまった。そんな折、娘は痘瘡にかかってしまったのである。

 妹の容貌の一変に、さすがの兄、斎藤鎮実さいとうしげざねも縁談は遠慮するべき、と、この日、吉弘家へ向かったのである。

 娘は半刻程も泣いていたであろうか。廊下を歩く力強い足音に思わず身を固めた。

「今帰ったぞ」

 勢いよく障子を開け放ち入ってきたのは、娘の予想通り兄であった。ただ、予想に反して兄の様子が明るいのに不審を抱き、娘はわずかに視線を兄へと向けた。と、途端に娘は顔を袖で隠し、背を向けてしまった。なんと、兄と共に、鎮理の姿があったのである。

「喜べ、鎮理殿がお前を嫁に迎えてくだされるそうだ」

 娘の鼓動は高鳴った。そんな筈はない。今の自分を貰ってくれる人など……。娘は嬉しかった。しかし、彼女のとった行動は裏腹だった。

「鎮理様、私のことなどお構いなく。どうぞ他にお美しい方と……」

 それ以上は涙声、続かなかった。娘は嬉しかった反面、想い人である鎮理のこの後の評判を思えば、手放しで喜ぶことなどできなかった。もし、自分のような醜くなった者を妻に迎えれば、どんな悪評を立てられようかと。武士は体面を重んじる。自分が足を引っ張ってどうするかと。

 娘はさらに背を向けた。

 そんな娘に、鎮理はゆっくりと声をかけた。後に壮絶な岩屋城玉砕を演じる鎮理も、普段は物静かな男である。

「鎮実殿にも言ったが、私があなたを妻に欲しいと決めたのは、あなたの心の優しさであり、けっして容色の美ではないのです。たとえ容貌一変したといっても、いささかもその資性に変わりありません。なんであなたとの婚姻を、破談にできるでしょう」

 体格に似合い、声は野太いものであったが、そこには娘に対する想いが滲み出ていた。

 しかし、娘にとっては、この鎮理の優しさも今となっては恐い。情けで妻に迎えられるなど、余りにも惨めではないか。それならばいっそ、破談にしてもらいたかった。時に曖昧な優しさは、人を傷付ける。

 娘は意を決した。鎮理は自分の顔を見ていないから優しくなれるのだ。だから自分の顔を見せれば……。娘は己の不幸に、卑屈になっていたのかもしれない。

「鎮理様、私は……」

 人の動揺は、およそ目に表れる。娘は鎮理に顔を向けると同時に、鎮理の瞳を注視した。曖昧な優しさであれば、必ず動揺する筈だと。

「……鎮理様……」

 娘の大きく見開いた目から、また、涙が溢れ出した。鎮理は動揺などしなかった。そればかりか、澄んだ瞳のまま目を細め、涼やかな笑みを送ってくれた。全ては娘の思い過ごしだったのである。

――嬉しい。


 この後、二人は無事婚儀を挙げ、その間には、嫡子・統虎むねとら立花宗茂たちばなむねしげ)、次男・統増むねます直次なおつぐ)、娘ら多くの子ができた。

 こうして鎮理に妻として迎えられた娘は、後に宋雲尼そううんにと名乗り、賢夫人として家臣からも大いに慕われた。

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