第6話:ミントの呪縛と、水曜日のアイス会議
水曜日、午後四時五十分。
『市立・旧ばし図書館』の周囲に生い茂る木々からは、気の早い蝉の声が混じり始め、まとわりつくような湿気が廊下の曲がり角に溜まっていた。
しかし、その最深部にある『隠れ家』の扉を開けた瞬間、そこには別世界の涼風が吹いていた。……物理的な意味ではなく、精神的な意味で。
「……ミント。……この青は、……魂の冷却材……」
一ノ瀬菫が、バイオレットのセーラー服の袖を捲り上げ、机の上に鎮座する物体を凝視していた。
そこには、朝の駅で約束した通りの戦利品――六月限定新作アイス『チョコミント・フローズン・スカッシュ』が四つ、千晶が持参した保冷バッグの中から顔を出していた。
「はい、全員分買ってきたわよ。……全く、進学校の売店にこんな浮かれたアイスが売ってるなんて、校風を疑うわね」
藍沢千晶は、保冷バッグを畳みながら、呆れたようにため息をついた。彼女の蒼ノ森高校は本来、質実剛健を旨とする進学校だが、どうやら購買部の担当者には「チョコミン党」の過激派が潜伏しているらしい。
「マンマ・ミーア! ちあき、あんたは女神だヨ! このミントの輝き、イタリアの海の色だネ!」
瀬戸陽葵が、レモンイエローのカーディガンを脱ぎ捨てて(もちろん隠れ家の中だけだ)、アイスのカップを両手で掲げた。彼女の瞳には、新作アイスに対するパッションが燃え盛っている。
「あら。……この毒々しいまでの青色。……まさに、深淵の底に咲く呪いの花を煮詰めたような色味ですわね。悪くありませんわ」
織倉織江が、深緑のセーラータイを優雅に緩めながら、アイスの蓋を慎重に開ける。彼女にとって「チョコミント」は、食べ物というよりは「魔術的な触媒」に近い立ち位置のようだった。
四人が揃い、一斉にスプーンを入れる。
シャリ、という心地よい音と共に、初夏の熱気が口の中で急速に氷解していく。
「…………。……天国。……脳が、……凍る……」
菫が、アイスを一気に頬張りすぎて眉間を押さえ、トランス状態に陥る。
しかし、そんな至福の空気の中で、千晶だけが微妙な表情でスプーンを止めた。
「ねえ、これ……。やっぱり、……少しだけ『歯磨き粉』の味がしない?」
その一言が、隠れ家に激震を走らせた。
陽葵がガタッと椅子(古い丸椅子)を鳴らして立ち上がる。
「ちあき! 今、何て言ったヨ!? 歯磨き粉!? それはミントに対する最大の冒涜だヨ! ミントは勇気の味、パッションの香りなんだヨ!」
「いや、でも鼻に抜けるこの感じ……。毎朝、洗面台で嗅いでる匂いそのものなのよ」
「それは歯磨き粉がミントのフリをしているだけですわ、千晶」
織江が、スプーンの先に付いた青いアイスを見つめながら、静かに、しかし断定的に告げる。
「ミントこそが本物であり、歯磨き粉はその高潔な香りを盗作した不届き者に過ぎませんの。……例えるなら、本物の悪魔と、悪魔の仮面を被っただけの小悪党ほどの差がありますわ」
「……お嬢、例えが物騒すぎるわよ。……でもやっぱり、これにお金を出して買うっていうのが、私にはまだ……」
「……ちあき。……修行が足りない。……ミントは、……宇宙。……この冷たさは、……銀河の果ての、絶対零度……」
菫が目隠し(実際にはしていないが、そんな雰囲気で)をしながら、チョコミントの深淵を語り出す。
一人の否定派と、三人の熱狂的な支持者。
水曜日の放課後、隠れ家は「チョコミン党」の党大会と化した。
そんな中、陽葵のスマホが「ピコーン!」と、能天気な通知音を鳴らした。
画面を覗き込んだ陽葵の顔が、一瞬で引きつる。
「マンマ・ミーア……。パパから写真が届いたヨ」
陽葵が差し出した画面には、スーパーの冷食コーナーで、千晶の母親と陽葵の父親が、チョコミントアイスのファミリーパックを三箱ずつカゴに入れているツーショット写真が写っていた。
『陽葵、ちあきちゃんのママに会ったヨ! 二人で相談して、今夜は「チョコミント祭り」を開催することに決めたネ! 早く帰ってきて、みんなでミントの海に溺れるヨ!』
「………………」
隠れ家に、アイスの冷たさとは別の「寒気」が走った。
「筒抜け……。私たちの今この瞬間の行動が、……親たちの予知能力によって、……支配されている……」
「菫、それは予知能力じゃなくて、ただの近所のネットワークよ……。でも、なんでよりによってチョコミントなのよ! 私、さっき一個食べたばかりなのに、家に帰ったらまた食べさせられるの!?」
「いいじゃないですの、千晶。お母様方は、私たちがアイスを食べている姿を想像して、微笑ましくお買い物をされているのですわ。……ふふ。これこそが、逃れられぬ『血の絆(家系図)』という名の呪縛……」
織江は楽しそうに笑っているが、彼女のスマホにも母親から『織江、お口を青くして帰ってきちゃダメですよ。歯を磨きなさいね』という、これまたエスパーのようなLINEが届いていた。
「……もう、嫌だネ。……悪いことはできないヨ、この街では」
「悪いことなんてしてないでしょ! アイス食べてるだけよ!」
千晶の叫びが、図書室の厚い壁に跳ね返る。
結局、チョコミントが苦手だと言い張っていた千晶も、親たちのネットワークの恐怖に怯えながら、目の前のアイスを完食した。
食べ終えた頃には、四人の口の中は等しく氷点下となり、外の湿気すらも心地よく感じるほどになっていた。
「マンマ・ミーア……。頭が、頭がキーンとするヨ!」
陽葵がこめかみを押さえて悶絶し、床を転げ回る。
それを見た菫が無表情でスマホを取り出し、録音を開始した。
「……陽葵。……いい断末魔。……これをサンプリングして、……次の作品の、BGMにする……」
「やめてヨ! 私の痛みは芸術じゃないヨ!」
「いいえ、陽葵。苦痛こそが芸術の母ですわ。……ふふ、もっと苦しみなさいな。ミントの精霊が喜んでいますわよ」
織江が優雅に扇子を広げ、のたうち回る陽葵を見下ろす。
水曜日の夕暮れ。
四ツ葉駅近くの古い図書館の奥で、バラバラの制服を着た四人が、アイス一つで大騒ぎしている。
外の世界では「お嬢様」であり「優等生」であり「ミステリアスな美大志望」であり「元気なハーフの女の子」である彼女たちが、ここではただの、アイスで頭を痛める幼馴染に戻る。
「……さて。水曜日も、もう終わりね」
千晶が空になったカップをまとめ、ゴミ袋の口を縛る。
アイスの冷たさが消えた後の口の中には、まだわずかにミントの香りが残っていた。
「明日は木曜日。……週末まで、あと少しネ」
「……木曜日。……一週間で、……一番影が薄い……」
「あら。影が薄いということは、何をしても目立たない……つまり、呪いの儀式には最適ですわね」
「織江、平日に学校で不吉なことしないでよ! ……ほら、帰るわよ。親たちが家でチョコミントを持って待ち構えてるんだから」
千晶の言葉に、三人がそれぞれのやり方で絶望の溜息をつき、隠れ家の鍵を閉めた。
夕焼けに染まる四ツ葉市の街並み。
四つの色が、それぞれの家へと帰っていく。
今夜、二つの家で「チョコミント祭り」が開催されることを、四人はまだ(半分確信しながらも)恐れていた。
一週間の折り返し地点は、爽やかで、少しだけ歯磨き粉の香りがする、そんな夕暮れと共に過ぎていった。




