第4話:黄金の菓子盆と、菫の利きグミチャレンジ
火曜日、午後四時四十五分。
外の世界は、部活動の掛け声や帰宅を急ぐ自転車のベルの音で賑やかだが、『市立・旧ばし図書館』の奥にある『隠れ家』だけは、異世界のような静寂に包まれていた。
……はずだった。
「見てヨ、この輝き! これが朝の私の『犠牲』の上に成り立つ黄金の果実ネ!」
陽葵が、菓子盆の中央に鎮座する袋を指さして叫ぶ。
そこには、駅地下の高級菓子店でしかお目にかかれない『プレミアム・フルーツグミ・セレクション』が鎮座していた。一袋、八百円。高校生の放課後のおやつとしては、破格の贅沢品である。
「静かにしなさいな、陽葵。……その八百円のうち、六百円はあんたの『不注意(英語)』による年貢ですわよ」
織江が、外したセーラーのタイで指先を弄びながら、冷ややかに指摘する。
管理人の千晶は、ケトルで淹れた安物のほうじ茶を四つのマグカップに注ぎながら、満足げに鼻を鳴らした。
「いいじゃない。おかげで今日は、いつもより三倍くらい豪華なティータイムよ。……さあ、菫。あんたの分もちゃんとあるわよ。……菫?」
部屋の隅、巨大なクッションの主となっていた菫が、その言葉にピクリと反応した。
いつもは死んだ魚のような目をしている彼女だが、今この瞬間の瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
「……この匂い。……果実の、魂が聞こえる」
菫はふらふらと立ち上がり、バイオレットの袖をまくって菓子盆の前に正座した。
彼女は無類のお菓子好きであり、特に「食感」に対しては狂気すら感じるこだわりを持っている。
「よし、じゃあ始めましょうか。今日のメインイベント、――『利きグミ・ロイヤル』!」
千晶が宣言すると、陽葵が「イエス! 待ってましたネ!」とはしゃぎ、織江が「呪いの準備はできておりますわ」と不吉な笑みを浮かべた。
「ルールは簡単よ。菫が目隠しをして、私たちがランダムに選んだグミを当てる。……菫、全問正解したら、一番高い『シャインマスカット味』を独り占めしていいわよ」
「……受けて立つ。……私の舌は、嘘をつかない」
菫は、織江が差し出した黒いシルクのハンカチ(本人の私物)で、視界を完全に遮断した。
小さな顔が黒い布で半分隠れると、余計にミステリアスな、あるいは誘拐された宇宙人のようなシュールな絵面になる。
「第一問! ……陽葵、選んで」
「オーケー、ちあき! ……ふふふ、これにするヨ!」
陽葵が選んだのは、見た目にも鮮やかな赤い粒。
彼女はドジっ子特有の不安定な手つきで、菫の口元へグミを運ぶ。
「はい、菫! あーんしてネ!」
「……ぱくり。……もぐ、……もぐもぐ。……ふむ」
菫は静かに咀嚼する。部屋の中に、三人の固唾を呑む音が響く。
「……これは、ブラッドオレンジ。……ただのオレンジじゃない。……地中海の夕陽を浴びて、少しだけ皮の苦味が混ざった……そんな哀愁を感じる味」
「ピンポーン! 正解だヨ! マンマ・ミーア、菫の舌は神様だネ!」
陽葵が飛び跳ねて喜ぶ。一方、織江はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「次は私の番ですわね。……ふふ、菫。これに耐えられますかしら」
織江が選んだのは、一見すると普通の黄色いグミだ。
しかし、彼女の手にはこっそりと、カバンから忍ばせた「お供え用の苦い茶粉」が握られていた。
「(小声で)ちょっと、お嬢! それ、反則でしょ!」
「(小声で)いいえ、これは味覚の修行ですわ。……さあ、菫。お召し上がりなさい」
織江が、不敵な笑みを浮かべて菫の口に指を添える。
菫は疑いもせず、それを吸い込んだ。
「……もぐ。……!? …………。……これは、……」
「(期待に満ちた顔で)どうですの? 何を、感じますの?」
「……。……。……レモン。……だけど、……後味が、……おじいちゃんの家の、仏壇の前で、三日くらい放置された……切なすぎるお茶の味……」
「正解ですわ! ……というか、その例え方、天才ですわね!」
織江が思わず拍手する。
どんな妨害工作も、菫の「食感と味覚への執念」の前には無力だった。
しかし、盛り上がりも最高潮に達しようとしたその時、千晶のスマホが不吉に震えた。
四ツ葉駅の「いつもの柱」でのやり取りを知る者からの、恐怖の通信だ。
「……げっ。……菫、あんたのお兄さんからLINEよ」
「……兄さん? ……ろくなことじゃない……」
菫が目隠しを外し、千晶の画面を覗き込む。
『今、千晶の母親と駅ビルで会ったぞ。今朝、お前が「チョコ、チョコ」って寝言みたいな顔で駅のホームで叫んでたって話で、親たちが盛り上がってるぞ。お前、恥ずかしくないのか? あと、チョコ買ってこい』
「………………」
菫の顔が、制服のバイオレット色よりも深い紫へと染まっていく。
隣で陽葵が「あはは! 菫、親たちの間で有名人だヨ!」と大笑いする。
「笑い事じゃないわよ、陽葵! あんたが今朝、英語禁止令で悶絶してたのも、『陽葵ちゃんは今日も元気ねえ』って、うちの母さんのLINEグループで共有されてるんだから!」
「……え。……マンマ・ミーア! 私のプライバシー、どこに行ったのヨ!」
織江だけは「あら、私は家では完璧に猫を被っておりますから、問題ありませんわ」と余裕の表情で紅茶を啜っている。
だが、千晶の指がさらに画面をスクロールした。
「……あ、お嬢。続きがあるわ。『織江ちゃんのお母様が、最近娘の部屋から怪しいお札のようなものがたくさん出てきて、掃除の時に手が震えたって言ってたわよ』って」
「――っ!? ……お、お母様!? あれは呪いではなく、ただの創作ですわ! やめてくださいまし、私の高潔なイメージが!」
お嬢様がガタガタと震え出し、脱ぎ捨てたセーラータイを慌てて首に巻き直す。
四人の秘密。四人の隠れ家。
けれど、その外側には、強固で容赦のない「幼馴染ネットワーク(親の会)」が網を張っている。
「……結局。……私たちは、……逃げられない」
「……呪いですわ。これこそが、最悪の呪いですわ……」
結局、高級グミの残りは、親たちの監視に対する「慰労品」として四人で平等に分けることになった。
陽葵が「シャインマスカット、半分こだヨ!」と、菫の取り分に図々しく手を伸ばす。
菫は「……一噛みにつき、百円……」とボソッと呪いを吐きながら、それを甘んじて受け入れた。
窓の外、四ツ葉市の空はオレンジから群青色へと、美しいグラデーションを描き始めていた。
別々の制服を着ているはずの四人が、狭い物置部屋で、一つの菓子盆を囲んで笑い合い、あるいは絶望している。
「……さて。明日は水曜日ね。……一週間の折り返し地点」
「マンマ・ミーア! まだ半分もあるのヨ……。明日は安いポテチでいいヨ、心が折れそうだヨ」
「あら、水曜日は『沈黙の日』にいたしませんこと? 誰が一番長く黙っていられるか……」
「……それ、……私が優勝するだけ……」
千晶が空になった菓子袋を片付け、電気ケトルのスイッチを切る。
朝の駅で会い、別の学校で戦い、ここでアホに戻る。
「……また明日、朝の駅でね」
「グッドバイ、ちあき! 明日こそ寝癖なしで現れるヨ!」
「呪われないように、お気をつけて」
「……おやすみ……」
一日の終わりを告げる図書館の閉館ベルが、遠くで鳴り響いた。
明日もまた、彼女たちはバカバカしい今日を更新する。




