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CLOV-er GRADation  作者: 寝不足魔王


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18/23

第十七話:換気扇の旋律と、放課後の消臭大作戦

 火曜日、午後4時45分。

 放課後の『市立・旧ばし図書館』は、夕暮れの柔らかな光に包まれ、古書の芳しさと静寂が支配する、知識の聖域であるはずだった。

 だが、その最深部にある『隠れ家』へと続く廊下には、今、その静謐を根底から覆すような、暴力的なまでの「お花畑の香り」が漂っていた。


「……うう。……鼻が、……麻痺してきた。……ここ、……天国なの?……それとも、……芳香剤の地獄?」


 一ノ瀬菫は、隠れ家の重厚な木製ドアを少しだけ開け、バイオレットのセーラー服の袖を鼻に押し当てながら呻いた。

 部屋の中に一歩足を踏み入れれば、そこはもはや空気が「目に見える」のではないかと思えるほどのフローラルな圧力に満ちている。


「マンマ・ミーア! 菫、失礼だヨ! これは私のパッション、そしてパパが間違えて入れた一万円の香水の輝きだヨ!」


 部屋の中央で、瀬戸陽葵が申し訳なさそうに、けれどどこか開き直った様子でレモンイエローのカーディガンをパタパタと仰いでいた。

 彼女が動くたびに、部屋の隅々にまで「熱帯雨林の百花繚乱」といった風情の、強烈すぎる香りが送り込まれていく。


「陽葵、動かないで! あんたがパタパタするたびに、香りが粒子になって私を攻撃してくるのよ!」


 藍沢千晶は、窓を全開にし、蒼ノ森高校のシアンブルーのブレザーを脱ぎ捨てて、必死に換気扇のスイッチを連打していた。

 だが、数十年前に設置されたであろう古い換気扇は、「カラカラ……」と乾いた音を立てるだけで、この圧倒的なフローラル連合軍を排除するにはあまりにも非力だった。


「……ふふ。……素晴らしいですわ。……これぞ、嗅覚を麻痺させる呪いの霧。……この中に閉じ込められれば、三分で前世の記憶が蘇りそうですわね」


 織倉織江が、深緑のセーラー服の襟元を優雅に緩めながら、自前の扇子で自分だけは白檀びゃくだんの香りでバリアを張っていた。

 だが、陽葵の放つ「三倍柔軟剤」の威力は、お嬢様の高貴な香りさえも容易に飲み込んでいく。


「お嬢、感心してる場合じゃないわよ! ……もうすぐ、司書さんが見回りに来る時間なのよ。もしこの『香水の事故現場』が見つかったら、……『お菓子禁止』どころか、『立ち入り禁止』になっちゃうわよ!」


 千晶の悲鳴に近い忠告に、ようやく事の重大さを理解した三人が顔を見合わせた。

 この隠れ家は、彼女たちにとって唯一、学校の顔を脱ぎ捨てて「ただの幼馴染」に戻れる場所だ。ここを失うわけにはいかない。


「……サバイバル、……開始。……消臭大作戦、……決行……」


 菫が、バイオレットの袖を捲り上げて立ち上がった。

 彼女は隠れ家の備品棚から、本来は書物のカビ臭さを取るための、これまた古い消臭スプレー(無香料)を取り出した。


「よし! 菫、それを噴射して! 陽葵は窓際で服を全力で振って! 織江は……何か、匂いを打ち消すような、もっと強い匂いの呪いとかないの!?」

「……呪い、ですか。……ふむ。……ならば、この『魔除けの乾燥ハーブ』を焼きましょうか。……かなり……、癖のある匂いがいたしますけれど」

「焼かないで! 火気厳禁よ! ……あーもう、とりあえず仰いで!」


 千晶の号令で、隠れ家は一瞬にして戦場と化した。

 陽葵が窓に身を乗り出し、「出て行けー! 花の精霊たち!」とカーディガンを旗のように振り回す。

 菫は「……しゅーっ。……しゅーっ……」と、無表情でスプレーを陽葵の周囲に乱射する。

 千晶は座布団を二枚持ち、部屋の中央で円を描くように全力で空気を撹拌した。


「ハッ! トウッ! パッションで匂いを焼き尽くすヨ!」

「陽葵! あんたが汗をかいたら、余計に匂いが濃くなるでしょ!」

「……ちあき、……左。……フローラルの、……伏兵が、……潜んでる……」

「伏兵って何よ! あ、目が、目が痛い……!」


 消臭スプレーと、柔軟剤と、白檀と、そして少女たちの焦りが混じり合い、隠れ家の中はカオスな蒸気に包まれていった。

 シアン、レモン、オリーブ、バイオレット。

 **四色の制服**が、夕暮れの密室で、存在しない敵(匂い)を相手に必死の格闘を繰り広げる。

 客観的に見れば、彼女たちが一番「不審」であり、何らかの秘密結社の怪しい儀式に見えてもおかしくなかった。


 格闘すること15分。

 ようやく、鼻が痛くなるような鋭い香りは、窓から逃げていく夕風に乗って、薄まり始めたように見えた。


「……はぁ。……はぁ。……少し、マシになったかな……」


 千晶が息を切らし、座布団を床に放り投げた。

 陽葵は「勝ったヨ……」と窓枠に力なく項垂れ、菫はスプレー缶を空にした達成感でクッションに沈み込んだ。


 だが、その静寂を破るように、廊下から「カツ、カツ」という、聞き覚えのある靴音が近づいてきた。

 図書室の司書さんだ。


「「「「――っ!!」」」」


 4人に、電撃のような緊張が走った。

 織江が素早く扇子を畳んで深緑のセーラーの姿勢を正し、陽葵が慌ててカーディガンを羽織り、菫がクッションの下にスプレー缶を隠す。

 千晶は、蒼ノ森高校の優等生としての「鉄の仮面」を装着し、平然とした顔で入り口を向いた。


 コンコン。


「藍沢さん、入ってもいいかしら? もうすぐ閉館の準備だけど……」


 ドアが開き、年配の女性司書が顔を覗かせた。

 4人は呼吸を止め、心臓の鼓動がフローラルな香りに乗って漏れ出さないよう、必死に耐えた。


 司書さんは、部屋に入った瞬間、小さく鼻を動かした。


「……あら?」

「(……マンマ・ミーア、終わったヨ……!)」

「(……呪われますわ、私たちの放課後……)」


 陽葵が絶望し、織江が諦めの境地に達したその時、司書さんの表情が、ふんわりと和らいだ。


「……なんだか、今日はお花のいい香りがするわね。……芳香剤を変えたのかしら?」

「えっ? ……あ、はい。……その、少し、……気分転換を……」

「そう。素敵じゃない。古い本ばかりのこの場所には、たまにはこういう華やかな香りも必要ね。……田中さんもさっき、『今日の図書室は、天国のような良い匂いがする』って仰ってたわよ」


 司書さんは満足そうに頷き、「じゃあ、あと10分で片付けなさいね」と言い残して、優雅に去っていった。


「………………」


 ドアが閉まった瞬間、4人はそれぞれの姿勢で崩れ落ちた。


「……助かった。……助かったヨ……。パパ、あんたの香水は、……神様の恵みだったヨ……」

「……結果オーライね。……でも、田中さん。……あの人、……やっぱりどこにでもいるのね……」

「……天国の、……匂い。……私の、……勝利。……おやすみ……」

「ふふ。……呪いかと思いましたけれど、……祝福だったようですわね」


 織江が再び扇子を広げ、残った香りを優雅に楽しむ。

 消臭に必死になっていたのが嘘のように、4人は再び、少しだけフローラルな隠れ家の中で笑い出した。


 窓の外、四ツ葉市の空はオレンジから群青色へと、美しいグラデーションを描き始めている。

 一時は「立ち入り禁止」の危機にまで陥ったが、結局は彼女たちの「アホさ」が、幸運を引き寄せた形となった。


「さて、火曜日ももう終わり。……明日からは、普通の量の柔軟剤で来なさいよ、陽葵」

「わかってるヨ! パパに、『明日は無臭で行くヨ!』って言っておくヨ!」

「それはそれで、……極端……」


 千晶が空になった換気扇のスイッチを切り、窓を静かに閉めた。

 朝の駅で会い、別の学校で戦い、ここでアホに戻る。

 そんな当たり前のループが、火曜日の夕暮れを、ほんのりとお花畑の香りに染めて終わらせた。


「……また明日ね」

「グッドバイ! 明日はパッション溢れる『別の匂い』を探してくるヨ!」

「やめなさいってば!」


 四つの色が、夜の街へと溶けていく。

 背後に残された隠れ家には、まだ微かに、一万円の香水と四人の絆が混ざり合った、不思議な香りが漂っていた。

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