第十四話:月曜日と、四色の制服(ダイエット)
月曜日、午前七時四十五分。
一週間の始まりを告げる駅の喧騒は、週末の幸福な記憶を強引に引き剥がすような、無慈悲な重力に満ちていた。
四ツ葉駅の改札横、いつもの大きな円柱の陰。そこは、四人の少女たちにとっての「現実への復帰地点」だ。
「……うう。月曜日。……昨日までの、……小麦粉の楽園が、……遠い……」
一ノ瀬菫は、市立紫苑芸高のバイオレットのセーラー服を纏い、柱に背中を預けて力なく呟いた。
彼女の瞳はいつにも増して微睡んでおり、その頬は昨日の焼きたてパンを反映したかのように、心なしかマシュマロのようにふっくらとしている。
「菫。……おはよう。……あんた、昨日あんなにチョコパン食べたんだから自業自得でしょ。……ほら、シャキッとしなさい」
藍沢千晶は、蒼ノ森高校のシアンブルーのネクタイをきゅっと締め直し、菫を鼓舞するように声をかけた。
だが、その千晶自身も、今朝スカートを履く際に「……あれ?」と一瞬だけ手が止まったことを、誰にも悟られないよう必死に隠していた。
日曜日の藍沢家で開催された「小麦粉祭り」の破壊力は、四人の腹囲に確実にその爪痕を残していたのだ。
「マンマ・ミーア! ちあき、菫、助けてヨ! 私のスカートのフックが、……パッションで弾けそうだヨ!」
そこへ、レモンイエローのカーディガンを羽織った瀬戸陽葵が、がに股に近い奇妙な歩き方で合流した。
彼女は柱に辿り着くなり、苦しそうにウエスト辺りを押さえて絶叫した。
「陽葵、声がデカいわよ! ……というか、あんた、昨日ピザを三枚分くらい一人で食べてたじゃない」
「パパの小麦粉が美味しすぎたのが悪いんだヨ! 見てヨ、このウエストの緊迫感! 今、大きく息を吸ったら、私の制服が『四ツ葉駅の悲劇』としてニュースになっちゃうヨ!」
「ならないわよ。……でも、確かに……ちょっときついわね、今週は」
千晶が漏らした弱音に、織倉織江が音もなく合流した。
彼女は深緑のセーラー服を完璧に着こなし、扇子を広げて優雅に風を送っているが、その足取りはいつになく慎重だった。
「ごきげんよう、皆様。……ふふ。……今朝の私は、呼吸をすることを忘れておりますわ」
「お嬢……。あんた、まさか……」
「ええ。……ウエストを維持するために、腹圧を限界まで高めておりますの。……今、笑わせたりしないでくださいましね。……内臓が、……いえ、制服のボタンが、……呪いのように弾け飛びますわ」
清楚なお嬢様校の制服の下で、限界のサバイバルが繰り広げられていた。
シアン、レモン、オリーブ、バイオレット。
四色の制服が、月曜日の朝の光の中で、等しく「物理的な苦しみ」を共有している。
バラバラの高校に通い、バラバラの未来を歩んでいるはずの彼女たちが、今この瞬間、最も強く結びついているのは「食べ過ぎた」という、あまりにもアホな事実だった。
「……ねえ。私たち、……今日から、……断食……?」
「無理だヨ、菫! 今日はお弁当に、パパが『残り物のピザで作った特製サンドイッチ』を持たせてくれたんだヨ!」
「あんたのパパ、追い打ちをかけるのが上手いわね……」
千晶が呆れ顔でツッコミを入れた、その時だった。
彼女のポケットの中で、スマホがいつもの「逃れられぬ運命」を告げる振動を上げた。
「……げっ。……お母さんからLINEだわ」
千晶が震える指で画面を開くと、そこには四人のグループLINEに、それぞれの母親から同時に送られたと思われるメッセージが表示されていた。
『千晶、陽葵ちゃん、織江ちゃん、菫ちゃん。昨日はお疲れ様。今朝、陽葵ちゃんのパパと電話で話したんだけど、「娘たちがみんな、今朝はスカートのチャックと格闘してた」って笑ってたわよ。だから今朝は、駅まで全力で早歩きして行きなさいね。放課後もお菓子は禁止よ。田中さんに、あんたたちが買い食いしてないか見張ってもらうように頼んでおいたから』
「………………」
四ツ葉駅に、再び冬の時代が訪れた。
親同士の監視ネットワーク、そして封印したはずの「田中さん」の名前までが、この緊急事態に再稼働していた。
「パパ……! 余計なことを実況するなヨ! 私のプライバシー、パスタの茹で汁よりも薄いヨ!」
「……田中さん。……あの人は、……ダイエットの、……監視員も……兼ねているの……?」
「ふふ、……呪いですわ。……お母様方の、……『太らせてから痩せさせる』という、……恐怖の、……養殖計画ですわ……」
織江が苦しげに微笑み、扇子で顔を隠す。
千晶は、自分のシアンブルーのスカートをギュッと握り締めた。
「……わかったわよ。……やるわよ、ダイエット。……ほら、あんたたち! ホームまで階段を全力で駆け上がるわよ! 一カロリーでも多く燃焼させるのよ!」
「マンマ・ミーア、死ぬヨ! 階段を走ったら、フックが物理的に爆発するヨ!」
絶叫しながらも、四人は一列になって階段を駆け上がり始めた。
シアンのブレザーが揺れ、レモンのカーディガンが跳ね、深緑のセーラーが乱れ、バイオレットのセーラーが翻る。
朝の通勤客たちが、血相を変えて階段を走る女子高生四人組を、驚きと困惑の目で見送っていく。
ホームへと降りるエスカレーターの前。
肩で息をしながら、四人はようやく足を止めた。
僅か数分の運動だが、月曜日の身体には過酷すぎる試練だった。
「……ふぅ。……これ、……意味、……あるの……?」
「あるわよ! ……多分、……十キロカロリーくらいは燃えたはずよ!」
「十キロカロリー……。……ポテチ、……一枚分……?」
「……絶望だヨ、菫……」
陽葵がホームのベンチに崩れ落ちそうになるが、千晶がそれを支える。
バラバラの高校。バラバラの制服。
けれど、こうして同じ「アホな悩み」を共有し、同じように親に管理され、そして一緒に無駄な努力をする。
この**四色の制服**が重なる一瞬一瞬が、彼女たちの日常を、より一層鮮やかに、そして逞しく繋ぎ止めていた。
「……ねえ。でも、放課後はやっぱり……集まるわよね?」
菫が、バイオレットの瞳で千晶を見つめた。
「お菓子禁止」と宣告された放課後。それでも、彼女たちには帰るべき場所がある。
「当たり前でしょ。……お菓子が食べられないなら、……そうね、……みんなで『腹筋運動』でもしましょうか。図書室の奥で」
「マンマ・ミーア、部活だヨ! 隠れ家が、ジムに変わっちゃうヨ!」
「ふふ、……それもまた、……一つの、……浄化の儀式ですわね。……共に、……地獄を、……歩みましょう」
それぞれの電車がホームに滑り込んでくる。
月曜日。
一週間の始まりは、昨日までの贅沢を反省し、今日からの戦いに備える、少しだけ苦しくて、最高に騒がしいプロローグだった。
「いってらっしゃい! 陽葵、お弁当のピザサンド、誰かにあげちゃダメよ! 自分で責任持って食べなさい!」
「わかってるヨ! パッションで消化してみせるヨ!」
四色の光が、それぞれの車両へと吸い込まれていく。
ドアが閉まり、走り出した電車の窓には、少しだけウエストを気にしながらも、清々しい顔をした四人の姿が映っていた。
月曜日の朝。
制服のフックを気にしながら、彼女たちはそれぞれの戦場へと運ばれていく。
放課後の「腹筋会議」という、新たなるアホな目的を目指して。




