第十三話:日曜日の小麦粉祭りと、四色の制服
日曜日、午後一時三十分。
本来であれば、一週間の疲れを癒やすために昼過ぎまで泥のように眠り、起きたら適当な部屋着でダラダラと過ごすのが正しい休日の在り方だ。
だが、千葉県四ツ葉市にある藍沢家のリビングには、およそ一般家庭の休日には似つかわしくない、鮮やかで「重たい」色彩が溢れかえっていた。
「……ねえ。もう一度だけ言うけど、ここ、私の家よ? なんであんたたち、全員バッチリ制服着てんのよ」
藍沢千晶は、自分の家のキッチンで、シアンブルーのネクタイをきっちりと締め直し、三人の幼馴染に向かって盛大な溜息をついた。
そこには、私立陽光学園のレモンイエローのカーディガンを腕捲りした瀬戸陽葵と、聖オリーブ女学院の深緑のセーラー服の上に「フリフリのフリルエプロン」を装着した織倉織江。そして、市立紫苑芸高のバイオレットの袖を粉だらけにしながら、床に座り込んで発酵中のボウルを見つめる一ノ瀬菫がいた。
「マンマ・ミーア! ちあき、何を今更言ってるヨ! 『休日の集まりも制服』。これこそが、私たちのパッションを一つに繋ぎ止める鉄の鎖だヨ!」
「鎖ってあんた……。お母さんに『あんたたち、コスプレパーティーでも始めるの?』って朝から笑われた私の身にもなりなさいよ」
「あら、千晶。……ふふ。お母様は、私にこのエプロンを貸してくださる時、『お嬢様にはフリルが呪わしいほど似合うわね』と仰ってくださいましたわよ」
織江が、深緑の襟元から覗くフリルを誇らしげに揺らす。お嬢様学校の制服と、千晶の母の趣味全開なエプロンの組み合わせは、もはや一つの現代アートのようだった。
「……ちあき、……見て。……この生地、……生きてる。……ぷにぷに。……菫の、……ほっぺと、……同じ……」
菫が、バイオレットの袖を粉に塗らしながら、ボウルの中の小麦粉生地を指で突っついている。
今朝、陽葵のパパが玄関に「パフェ代の代わりだヨ!」と置いていった五キログラムの高級小麦粉。それを消費するために、藍沢家では急遽「パン&ピザ祭り」が開催されることになったのだ。
「よし、じゃあ……やるわよ! 陽葵、あんたはパパ直伝のピザ生地作り! 菫は成形! 織江は……あんたは、そのジャムとクロテッドクリームを適当な小皿に分けておいて!」
千晶の号令と共に、日曜日の調理実習が始まった。
四色の制服が、狭いキッチンでぶつかり合いながら、粉を舞い上げ、笑い声を響かせる。
「イエス! 本場のピザ職人の魂を見せるヨ! ハッ、トウッ!」
陽葵が、丸く伸ばした生地を両手で掲げ、天井に向かって高く放り投げた。
イタリアの風を吹かせるはずのその動作は、しかし、彼女の「ドジっ子属性」によって無残な結果を招く。
ベチャッ。
「……あ」
「マンマ・ミーア! ……天井に、……生地が、……張り付いたヨ!」
「陽葵ぃぃ! あんた、何してんのよ! 取れないじゃない、これ!」
千晶がフライ返しを片手に絶叫する。天井には、陽葵のパッションの塊(生地)が、まるで巨大な白いアメーバのように張り付いていた。
「……ふふ。……天井に捧げられた、白い生贄ですわね。……あそこから、いずれカビという名の呪いが降り注ぐことでしょう」
「縁起でもないこと言わないでよ! 菫、あんたも寝ながら捏ねないの!」
「……捏ねるの、……疲れた。……この生地を、……枕にして、……午睡に、……入りたい……」
菫は、発酵で膨らんだ生地の柔らかさに魅了され、そのままキッチンマットの上で微睡み始めていた。
シアン、レモン、オリーブ、バイオレット。
バラバラの高校に通う四人が、家の中で制服を粉まみれにして騒いでいる。
学校では見せない、いや、見せられないほどのアホな姿。
そんなカオスな状況の中、リビングの大きなテレビが突如として「プルルルッ」と呼び出し音を鳴らした。
陽葵のパパからのビデオ通話だ。千晶が操作する前に、千晶の母が「あら、陽葵ちゃんのパパからだわ」と楽しげに出る。
『ヘイ! 千晶ちゃんのママ、小麦粉は足りてるかナ!? 今から、本場の最高級オリーブオイルを届けに、私の赤いスクーターで爆走するヨ!』
「来なくていいから! パパ、玄関に置いてってって言ったでしょ!」
陽葵が画面に向かって叫ぶが、陽葵のパパは「オーッ、陽葵! 制服姿が今日もビューティフルだネ!」と親指を立てて笑うだけだ。
さらに、画面の端には、いつの間にか菫の兄たちが写り込んでいた。
『菫ー、ちあきの母さんから「パンが焼けたら取りに来い」ってLINE来たぞ。三十分後に行くから、俺の分はチョコ多めで頼むな』
「………………」
キッチンに、冷たい沈黙が流れた。
自分たちの休日。自分たちの秘密の集まり。
だが、その背後には、親同士、兄同士がLINEのグループで一秒刻みに情報を共有し、なんなら夕食の献立まで調整し合っているという、恐るべき監視ネットワークが完璧に機能していた。
「……筒抜け。……私の兄、……いつの間に、……千晶のママと、……連絡を……」
「マンマ・ミーア……。四ツ葉市に、私の逃げ場はないのかナ……?」
「ふふ。……家系図のような繋がり、……逃れられぬ血の鎖……。これぞ、日曜日の呪縛ですわね」
織江が優雅にクロテッドクリームを指で舐めながら微笑む。
千晶は、天井に張り付いた生地を見上げながら、深い、深いため息をついた。
「……もう、いいわよ。……みんな、どうせバレてるなら、全力で食べまくりましょう。残したら、また親たちのLINEで『残飯報告』されるんだから!」
一時間後。
キッチンからは、香ばしいパンの匂いと、ピザが焼けるチーズの香りが漂ってきた。
天井の生地は何とか千晶が引き剥がし(少し形が歪になったが)、菫が成形した「ウサギの形をした何か」も、オーブンの中で無事に膨らんだ。
リビングのテーブルに並べられた、焼きたてのパンとピザ。
四人は、粉を払うのも忘れて、焼き立ての一片を手に取った。
「「「「……いただきます!」」」」
カリッ、モチッ、とした食感と共に、高級小麦粉の甘みが口いっぱいに広がる。
織江が持参したクロテッドクリームをたっぷりと塗ったパンは、まさに「背徳の味」そのものだった。
「マンマ・ミーア……! パパの小麦粉、最高だヨ! 借金返済以上のパッションを感じるヨ!」
「……おいしい。……一週間の、……疲れが、……全部、……グルテンに……溶けていく……」
「あら。……この脂質の暴力。……ふふ、……月曜日から制服のウエストが苦しくなる呪いがかかりそうですわ」
「……また不吉なこと言わないでよ。……でも、確かに美味しいわね。……みんなで食べると、特に」
シアンのブレザー、レモンのカーディガン、深緑のセーラー、バイオレットのセーラー。
窓から差し込む日曜日の穏やかな陽光が、四人の背中を優しく照らしている。
外の世界では、それぞれの制服がそれぞれの義務や責任を象徴しているけれど。
この藍沢家のリビングにおいて、**四色の制服**は、ただの「仲の良い幼馴染」を証明するための大切な印に過ぎなかった。
「……ねえ。結局、パフェ代の借金、これで本当にチャラ?」
千晶が、口の周りにジャムをつけた陽葵に尋ねる。
陽葵は「イエス! 小麦粉五キロは、パフェ三回分に相当するヨ!」と胸を張ったが、千晶の母が「あら、余った小麦粉で明日もお菓子焼くから、また集まりなさいね」と、さらなる「集会の強制予約」を入れ、陽葵が「マンマ・ミーア!」と叫ぶ。
笑い声がリビングに弾ける。
親の監視は怖く、プライバシーは皆無。
けれど、こうして一つのテーブルを囲んで、どうでもいいことで笑い合える日曜日の午後がある限り。
彼女たちの日常は、どんなことがあっても、最高に鮮やかなグラデーションを保ち続けるのだ。
「……よし。次は、お兄ちゃんが来る前に、一番いいパンを全部食べちゃいましょう!」
「……賛成。……兄さんには、……パンの耳だけで……十分……」
「ふふ、……奪い合いという名の儀式、始めましょうか」
日曜日の終わりは、また新しい一週間の始まりへと続いていく。
明日になれば、またあの駅の柱の陰で会い、別の学校へ行く。
けれど、彼女たちは知っている。
どんなに制服の色が違っても、自分たちはいつでも、一つのクローバーに戻れることを。
四色の光が、窓から差し込む陽光に溶けていく。
藍沢家のキッチンには、まだ微かに、焼きたてのパンの、幸せな香りが漂っていた。




