第04話 黄色い膜
賢治は無人の留置房を覗き込みながら留置所を歩いてる。房の中は全て無人であった。
「誰も戻って居ないのか……」
留置場から運動場と呼ばれるスペースには通路一つで辿り着ける。途中に扉はあるが開けられたままだ。
運動場と言っても、天井に金網が付いている、十畳程度の壁に囲まれた箱のような場所。
それでも外の空気に触れることが出来る場所なので、留置されている者は皆来たがっていた。
また、禁煙の警察署内で唯一喫煙が許されている場所でもあるからだ。
「…………」
賢治は運動場に続く通路を覗き込んだ。すると、警察官が壁際に座り込んで寄り掛かっていた。
「あの…… 大丈夫ですか?」
賢治は近付き声を掛けてみた。
警官の顔を覗き込むと、賢治がトイレで嘔吐している時に声を掛けて来た担当さんだと分かった。
「もしもし?」
無言であった。返事がないので肩を揺すってみると、彼はそのまま床に倒れ込んでしまった。
「え!」
担当さんの半開き眼は黄色く濁っており、顔には火膨れが有ったのだ。呼吸もしている様子は無い。
死んでいるのは明らかだ。
(火脹れが有ると言うことは火傷……かな?)
パッと見でそういう印象を受けたのだ。だが、それ以上のことは分からない。
「……」
賢治は運動場を覗き込んでみることにした。
賢治は扉の所から顔だけを出し、運動場を覗き込んでみた。全員が床に倒れ込んでいた。
全員、口を開けたまま苦悶の表情を浮かべた様子で死んでいた。
近くに居たやつの顔を注視してみると目が黄色く濁っていて、舌が黄色い膜のような物に覆われている。手足を縮めて丸くなろうとしているかのようだ。
(担当さんと同じ状態か……)
運動場に動くものは無く、そこは死体だらけに見えた。それに死体特有の異臭が漂って来ている。
「誰か生きてるか?」
念の為に声を掛けてみたが返事は無い。恐らく担当さんと同じで死んでいるのだろう。
本当なら全員の安否を確認をするものだが、賢治は気味が悪いので止めにした。原因が分からないのに近づくのは得策では無いと考えたのだ。
基本的にヘタレなので仕方ない。
それに安否が気になる程、彼らと親しい訳ではなかった。
「参ったな~」
賢治は留置場の他の房を覗いて回ったが誰もいない。事情を知る人間を探したいのだが叶わなかった。
(まあ、良いか……)
賢治は留置場の中を探すのを諦めて外に出る事にした。
そして、留置場から身体検査室に通じるドアを開けようとしたらガンと音立てた。
「えっ?」
ドアに鍵がかかって居るのに気が付いたのだ。事件の被疑者が収容されているのだから当然であろう。
留置場は世間と二重の扉で仕切られているのだ。
「マジかよ……」
また、施錠破りをやるのかとガックリとしてしまった。もっとも鍵穴は見えているので、道具を都合さえ出来れば雑作無い。だが、面倒くさいなと賢治は思った。
(ん、待てよ……)
だが、思い出した事があった。
(そうか! 担当さんなら鍵持っている筈……)
実際には鍵を保管している箱の鍵を持っているが正しい。そうしないと中にいる当番全員が持つことになるからだ。
賢治はもう一度運動場に行って、担当が腰に着けていた鍵を持って来た。
それから留置所の鍵を開け、身体検査室の横を抜けようとした時に思い出した事があった。
(確か、この奥には女性用の留置場が有ったよな)
普通、留置場は署内に一箇所で、男・女・未成年者で区切られている。
賢治は誰か居るかも知れないと足を向けた。男性と女性では運動場を利用する時間帯が違うからだ。
「誰か居るか?」
言っている途中で声を掛けるのを止めた。女性用の留置場に漂う匂いに気が付いたのだ。
「臭いな……」
それは糞尿の匂い。死体になると様々な筋肉が緩んでしまい、膀胱や肛門から内容物がダダ漏れ状態になってしまうのだ。
担当の刑事が孤独死や自殺の現場に入った時の様子で語っていたので覚えていた。
(コレだけ臭うって事は無理かもな……)
賢治は鼻を指で摘みながら女性用の房を見て回る事にした。彼は女性限定で親切なのだ。
四つ有る房の中で使われていたのは二つだった。ひとつの房に一人づつ入っていたが、ピクリとも動かない。中の人は死んでいるようだった。
「何が有ったんだ?」
目が覚めたら周りの人間が死んでいる経験など無い。自分がとんでもないトラブルに巻き込まれたと考え始めていた。
賢治は留置場を出て警察の中を探索し始めた。
アチコチに署員の死体が転がっている。廊下に落ちていたホウキで突っついて廻った。
何かの感染症の病気だったら嫌だからだ。
「ん?」
何人か見て回る内に共通している物に気が付いた。
(みんな目が黄色く濁って居るな……)
他にも身体を丸めて死んでいる者も多かった。
火災現場等で見つかる焼死体は、熱で筋肉の収縮が起きる。なので、同じように丸まった死体が多いと聞いた事がある。
それと似たような印象を受けたのだった。
(でも、火事が起きたとは思えんよな……)
そういう事態だったら、賢治は逃げ出す前に房の中で死んでいただろう。何しろ逃げ場などが無い留置房だ。
それに火災が発生したのなら避難誘導が有ったはずだ。
「…………」
大丈夫かと声は掛けられたが避難しろとは言われていない。理由が分からなかった。
(まあ、難しい話は後回しだ)
特別に医学的知識が有る訳では無い。大して興味も無かった。
賢治が焼死体に詳しいのには理由があった。
『身体が焼けちまう時に筋肉が萎縮して丸まっちまうんだよ』
以前、放火殺人で捕まった奴と同じ房になった事がある。自分の女を寝取った相手を、生きたまま焼死させたのだそうだ。
その事を愉快そうに話していたので覚えている。
『エビみたいだろ?』
そう話して男はゲラゲラ笑っていた。
警察の世話になるよう奴は何処かおかしいモノだが、ソイツは飛び抜けて変な奴だった。
(まだ、拘置所に居る頃合いだよなあ)
男は賢治が裁判を待っている間に拘置所に移送となった。留置場での拘留期間が過ぎたので移されたのだ。
放火殺人のような重大犯罪は結審が出るまで非常に時間がかかる。刑が確定するまでは拘置所に勾留されるのだ。
刑務所との違いは労役が無いぐらいだ。シャバと違って不自由な事は変わり無い。
不気味な静けさと死体だらけの警察署。
色々と気に掛かることは多いが、今の賢治には切実な問題があった。
『ぐぅ~~~』
賢治の腹が鳴った。空腹なのだ。
何しろ最後に食事をとったのは四日程前だ。しかも、喰ったモノは吐き戻してしまっている。
(クソっ! 水だけじゃ腹が持たねえな……)
賢治は留置場を出て署内を徘徊することにした。




