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再:胎動  作者: 百舌巌


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第01話 見慣れた天井

 万物に永遠など無い。古くは三葉虫や恐竜など地球の覇者として君臨していた。

 だが、どんなに栄華を誇っていようと衰退はあっという間にやって来る。

 それは、長い永い地球の歴史の中で何度も繰り返されてきたのだ。


「くそがっ!」


 玄鉄賢治くろがねけんじは留置場の中で天井を睨み、目が覚めてから何度目かの怨嗟を口にしていた。

 天井は無機質なコンクリート地のままで、そこに埋め込まれた蛍光灯は不機嫌そうに室内を照らしている。

 起床時間が来たら点灯し、就寝時間が来たら消灯する。それを飽きること無く繰り返しているのだ。


(クソ親父みたいに退屈なヤツだな……)


 そんな言葉を留置場の照明に心の中で投げかけた。

 殺風景な留置場の中では他に見るものも無い。取り調べが無ければ本や新聞を読むか、不貞寝をする以外にやる事が無いのだ。


(ふん……)


 賢治の父親は世間において一流と言われる大手企業のサラリーマンだった。

 私立の進学校に入り国立大学を出て大手企業に就職し、見合い結婚して家庭を持った。

 まあ、ごく一般的な普通の人だ。


(いつも兄貴ばかり贔屓してやがってたくせに……)


 彼には二人の息子が居た。留置場で不貞腐れて寝っ転がっている賢治は弟の方だ。

 難関の国立大学を一発で合格した優秀な兄と、市内の三流高校を中退した出来の悪い弟。

 両親は自分たちの思い描いたコースを辿る兄を可愛がっていた。

 一方、何をやるにも段取りの悪い、不器用な弟は居ないものとして扱われていたのだった。


(ちっ、くだらねぇ……)


 賢治はそんな両親を嫌っていた。出来の良い兄と何かと比べられるのが堪らなく嫌だったのだ。

 思春期を迎えた賢治は不良の仲間たちとつるむようになっていった。

 家に帰れば説教が始まる。当然、家には滅多に帰らなくなっていった。

 息が詰まりそうな家から出たかった賢治は、高校を中退したのを契機に家を出て独立した。


(そういや、家を出ると言った時に、親父はホッとした顔をしてやがったな……)


 次に父親に会ったのは最初に窃盗で捕まった時。留置場に設置されている面会所にやって来たのだ。

 面会の時にやってきた父親は、道端に落ちている嘔吐物を見ているような表情だった。


(毎度お馴染みの表情だな……)


 やって来たのは父親一人で、母親は入院しているので来る事が出来ないと言われた。

 すぐに嘘だという事は分かった。嘘を付くのがヘタなのは知っていたのだ。


『被害者には弁償をしておいた。 だが、助けてやるのはこれが最後だ。 二度と私と私の家族に迷惑をかけるな……』


 彼の言う家族に自分は含まれないと言外に言っている。要するに『勘当』されたのだ。

 父親に会ったのはこれが最後だった。

 その両親は何年か前に病気で死んだのを人伝に聞いた。葬式には行けなかった。

 違う窃盗事件でドジを踏んで実刑判決を受け刑務所に居たからだ。


(自慢のアニキもいなくなったしな……)


 優秀だった兄も事故で呆気無く死んでしまった。親戚など誰も知らないし、気にかけてくれる人もいない。

 便利な女は居るが愛する人も愛を語ってくれる人もいない。


(誰かに好かれたくて生きてる訳じゃねぇよ……)


 今は手癖の悪い友人だらけで、差し入れに来てくれるような人などいない。

 恐らく、今日死んでも誰も気にしない種類の人間だ。


(後腐れがなくて良いじゃねぇか)


 そんな事を考えながら強がって見せていた。自分が選んできた人生なのだ。今日面白ければそれで良いのだと言い聞かせて生きている。

 自分のどうしようもない糞みたいな人生で、他人を恨んで病んでいたのも事実だ。

 賢治は今年で三十五歳。うだつの上がらないままで中年に差し掛かったおっさんだ。


(ふん…… 今更、変わりようが無いだろ……)


 ケチの付き始めは、パチンコ屋の両替機を狙っての深夜の空き巣。

 普通の店は閉店時に現金は回収しておくのだが、その店は入れっぱなしだと元店員から聞いたのだ。そこで仲間と共に天井から侵入して現金を戴こうとしたのだ。

 手口は簡単だ。営業時間中にトイレの点検口をこじ開けて天井裏に潜んで置くだけだ。盗んだ後は換気用ダクトを伝って屋上に逃げ出すだけだ。


(ガキの使いみたいな楽勝の仕事だったのになあ……)


 仲間が逃げ出す時に天井を踏み外して落下してしまった。その上、足を挫いて上手く走れない上にマスクが外れてしまった。

 ドジな様子が防犯カメラに収められており、その映像を証拠に仲間は窃盗で捕まってしまった。

 そして、仲間はベラベラと共犯者の事を刑事に話して、賢治も捕まってしまったのだ。


(まあ、俺も良くチクるしな)


 裁判官の心証を良くするために進んで自白するのは仕方無い。仲間を庇っても刑期が短くなる訳では無いのだ。

 だが、賢治の他の窃盗についてしゃべるのはやり過ぎだと思っていた。


「くそがっ!」


 思い出すとムカムカと腹が立ってくる。

 警察に捕まるのは今回で三度目だったのだ。


『ケンちゃん…… 今度は長くなるよ?』


 賢治の担当弁護士が笑いながら愉快そうに言っていた。


 一般的に私選で弁護士が雇えない場合には国選弁護士が付けられる。

 裁判で被告人の不利益を防止するための制度だ。これが無いと裁判が警察の思うがままになってしまう。

 つまり、冤罪を作り放題になってしまのだ。


 賢治のように重犯する人物の場合には、前回に担当した弁護士が割り当てられる事が多い。

 この弁護士も三回目なので馴染みになってしまっていた。


(ちっ…… 分かっているんなら何とかしてくれよ……)


 賢治は心の中で毒づいていた。

 最も国選弁護士にそこまで求めるのは酷と言うものだ。彼らの報酬は雀の涙だからだ。


(あんな鈍くさい奴を仲間にしたのが運の尽きだったな……)


 起きてから何度目かの溜息をついた。

 自分としては上手く逃げることが出来ていたのに、仲間のドジで捕まってしまったのが悔しかったらしい。


(今度は五年くらいのお勤めになるんかなあ……)


 留置場の朝は早い。決まった時間に起こされ布団を畳んで洗顔して身だしなみを整える。

 冷えきった朝食を腹の中に詰め込んだ後は運動時間という名の喫煙タイムだ。


 検察に送検される前の、被疑者という立場の者は留置場に入れられる。そして、警察の取り調べを受けるのだ。

 つまり、一日の大半の時間はコンクリートに囲まれた生活を送る事になる。

 だから、限られた空間とは言え、僅かに空が見える運動時間は貴重だ。

 留置場に入れられるようなクズと言えども、空を恋しがって運動場に行きたがるものだ。


(……)


 だが、賢治は気分が悪かったので、ひとり留置房で横になっていた。目が覚めてからずっと耳鳴りが酷かったのだ。

 ふと窓辺に目をやると、朝の陽が差し込んで来ていた。留置されている房の片隅がオーバーフローしているかのように光っている。


(ったく…… 太陽が眩しくてたまらん……)


 今日は何時になく陽の光が強い気がしていた。まるで、賢治の心の弱さを見抜いているかのようだ。

 陽の光に背を向けたが眩しさが和らぐことは無かった。


(何か、静かだな……)


 留置房に居る殆どの被疑者は運動場に行ったようだ。その為なのか人の気配も無く、自分の心臓の音が木霊しそうに静かだった。

 取り調べ以外の時には本を捲る音とか、衣擦れの音など人の居る気配があるものだ。


(ふっ、このまま人類が消えて無くなれば良いんだよ……)


 まるで中二病を患った中学生みたいな事を考えてニヤリと笑ってみせた。

 何一つ思い通りにならない世の中に憤って、全て無くなってしまえば良いなどと考えるのは誰にでも在ることだ。


 だが、その願いは叶えられることは無く、退屈と名付けられた大河に流されていくのが常だった。

 賢治はいつしか諦めることを覚え、手短な願望を優先するようになっていた。


(まあ、妥協と諦めを覚えて大人になるって奴だな……)


 再びフフフッと笑ってみせた。

 そして、妥協と諦めを覚えた賢治は安易な人生を選んだ。結果、留置場に度々世話になるような人間になっている。


(まあ、この程度の人間さ……)


 他人に与えられ甘えることが当然だった子供時代をいつまでも引きずり、努力することを拒否した甘ったれの成れの果てだ。

 自分にはお似合いの人生だと蔑んでいた。



 その時。



 賢治の身体に電撃の様なものが走った。頭の天辺から入って足の指先から出ていった感じだ。

 続いて口の中に異物が詰め込まれたような感覚が襲ってくる。やがて、腹膜が激しく波打ちはじめた。

 猛烈な嘔吐感がこみ上げて来たのだ。


「う…… う…… うげぇぇぇぇ!」


 口元を抑えながらトイレに駆け込んで嘔吐してしまった。洋式の便器に顔を突っ込みそうになりながらも嘔吐を繰り返す。

 その間にも上下の感覚が麻痺していくのが分かる。


「な…… 何なんだ…………」


 心臓の鼓動に同期するかのように襲ってくる嘔吐感。安物の酒をしこたま呑んだ時とは違う感覚だった。


「う……ぷ うげぇぇぇぇ!」


 朝食分の内容物は既に出ている。だが、嘔吐感は止まらない。胃液だけになっても続いていた。

 何かが起きている。だが、ソレが何なのかは分からない。


『おい! おい! 大丈夫か!?』


 留置場の担当さんが心配そうに声を掛けているのが聞こえてくる。目の隅で担当さんが留置房の鉄格子に手を掛けているのが賢治には見えていた。

 留置されている被疑者の病変は一大事なのだ。勾留には期間が設けられているので、取り調べに支障を来すような病変は問題になってしまう。


 しかし……


「――― ! ―――」


 声を出したいが言葉に成らない。口を開けると嘔吐物が溢れ出てくる気がするせいだ。目の前がグルグルと回転する。

 結局、賢治は返事をすることが出来ず、吐き戻しながらも全身の力が萎えていくのを覚えていた。


「……」


 目に映る光景がカラーから白黒になり、やがて遮光カーテンが降りるかのように暗転していく。

 賢治はトイレの脇に倒れ込み、そのまま気を失ってしまった。



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