『夢の国のストレイキャット』9
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ベッドの上で、少女の身体が痙攣を起こし、生体情報モニタに映る各波形が警音とともに乱高下する。
クレイヴン家の屋敷地下。先祖代々受け継がれてきた数々の魔法陣が刻まれた大広間の中心で、フレッド・クレイヴンはあらゆる作業を投げ出して、古びた革袋の中から、雪のように真っ白な鉱石を取り出し、瞬時に呪文を唱えた。
「白き光よ、我が身に宿れ。第三階梯たる我が真名はノート。我、今この時、アールヴヘイムの門を開け、汝をこの身に招き入れん!」
尖った鉱石が掌の皮を裂いて血が滴る。それでも、フレッド・クレイヴンは鉱石を握り締め続ける。それでも、フレッド・クレイヴンは鉱石を握り締め、石は白く輝く特別な魔力を内側から放出し、大広間を激しく照らす。
「魔力昇華!」
白い輝石がフレッド・クレイヴンの掌によって砕かれたその瞬間、彼の身体に、彼のものではない神聖な魔力が宿り、幾本もの白く輝く腕が、彼の背中から生えた。
このような事態は予測できていた。水晶脳髄が、人間の処理能力をはるかに超えた魔術を可能にさせる以上、人体はそれに耐えるだけの頑健さを備えていなければならない。だが、身体が弱まる一方のコニーに、それを求めるのは無理難題というもの。夢に落とした人間たちから、徐々にエネルギーを吸い上げ、身体を慣らしていければよかったが……。
「魔力高揚で心身に過負荷がかかっているのか。夢の中で何があった、コニー!」
白く輝く手が、次々とコニーの中に入る。フレッド・クレイヴンは医者ではない。不測の事態に備え、事前に学びもしたが、それでもなお治療の確度を上げておく必要があった。
フレッドが砕いた白い輝石――これは北欧の魔術師たちと取り引きして手に入れた《光の妖精の縁》である。呪文を唱え、石を砕く事で、術者の中に一時期的に光の妖精が宿り、術者の助けとなる。今、フレッドの中にいる光の妖精は彼の手となり、コニーの身体を害する過剰な魔力を次々と打ち消している。同時に、過敏になった神経を鎮静化させ、熱を帯びた筋肉をも癒す。コニーは水晶脳髄の力を借りて、長時間、広範囲に及ぶ術を展開し続けた。今、こうして過剰に溢れた魔力を打ち消せば、その術の効力も消える。だが、コニーの身に何かあっては元も子もないのだ。
(……パ……パ)
頭の中に、声が響く。
はっとして顔を上げると、ベッドの上に少女の黒い影が現れていた。
(いい……いいの……平気……だんだん……慣れてきたから)
「馬鹿な。魔力がお前の身体を灼いている。このままでは
保たん!」
(いいの――)
墨めいた奇怪な模様が躍る群青色の魔力が、黒い影の背後から溢れ出ていた。父であるフレッドの魔力とは似ても似つかない。光の妖精の腕で打ち消したというのに、娘が秘めた魔力はなおも溢れ出してくる。
青く、黒く。冷たく暗いものが溶けだしているかのように。十年間封じ込めていた感情が、次々と表出しているかのように。
(私、どんどん強くなってる。鴉の魔女に引けを取らないくらいに。夢の中でできる事が増えたの。魔力を消さないで。もっともっと使わせて!)
「っ!」
青黒い魔力が白く輝く腕を呑み込んでいく。咄嗟に、フレッドは魔術を切った。光の妖精がフレッドの中から悲鳴のような声を上げながら消えていく。
「はあ、はあ……」
妖精が離脱した反動で、フレッドの身体が震える。光の妖精をその身に宿す魔力昇華は、元々、フレッドが扱うにはレベルの高い術だった。苦しみは伴うが、まだ耐えられる。いや、耐えねばならない。
(パパ。面倒かけて悪いけど、少し計画を早めましょう。パパの言う通り、この身体は長く保たない。でも、使える魔女が二人も現れた)
青黒い魔力を滾らせ、黒い人影は期待に満ちた声で言う。フレッドは呼吸を整え、答える。
「生贄としては十分だ。しかし生きて捕えなければ」
――本来の計画とは違う。本来は夢の中で捕まえた人間たちの中から有望な者を選別するつもりだった。だが、幸か不幸か、招かれざる二人の魔女は、フレッドとコニーの計画において重要なピースとなり得る。
(もう一度、お茶会をするわ。それであの二人を夢の中に落とす。フライ・クライとハッピー・イエティを出しておくから、パパが現実で二人の身体を回収して)
「ああ、わかった。だが、おそらく――」
――気配。水盆に大きく波紋。
咄嗟に、フレッドは後方を振り返った。今のは警告だ。屋敷の付近に仕掛けた監視網が、侵入者を見つけたのだ。
「これは……」
魔力の放出を抑え、巧妙に身を隠しながら屋敷に迫る人影。黒髪。フレッドの基準では品のなさを感じる肌身を晒した格好。しかし、この娘は、あの鴉の魔女と同じく第七階梯に至った魔術師でもある。
「紛れ込んだ野良猫め」
来る。もう一人の魔女が。盗掘屋の異名を持つ、猫の魔女。ファリーザ・ブバスティスが。
いや、しかし。
(ちょうどいいじゃない。あっちの魔女を捕まえるチャンスね)
不敵な笑みを滲ませて、黒い影が言った。
(パパ。私はお茶会の支度にかかるわ。その間、あの魔女を足止めしてもらえる?)
「そうだな――」
ようやく、動悸が収まってきた。フレッド・クレイヴンは机の上の容器を取り、中の錠剤を二つ、水もなく飲み干した。フレッド自らが調合した薬だ。摂取して数秒。身体の奥で魔力が熱を帯び始める。
まだ生きなければならない。まだ、娘のためにやるべき事がある。
「猫の魔女に思い知らせてやろう。仮にもここは魔術師の屋敷だという事を、な」
町の気配に変化があった。
思ったよりも、大きな変化だ。静かに、透明なヴェールように町中を包み込んでいた異質な気配。それが、唐突に消えたのだ。インターバルにおける一時的な魔力の減衰ではない。今、この瞬間、魔術は解けているのだ。
(鴉のが何かやったか)
走りながらも頭の中で推察する。気に入らない相手だが、それと実力とは別の話だ。あいつも、コンスタンス・クレイヴンの魔術がいかなるものか、今頃は身を以て知った事だろう。おそらく、今、七ツ森麻來鴉は夢の中にいる。コンスタンス・クレイヴンとも会敵したはずだ。ならば、鴉の魔女がコンスタンス・クレイヴンを破ったか、あるいは刺し違えでもしたか……。
思考を巡らせつつも、ファリーザ・ブバスティスは猫のしなやかさで、町の郊外にあるマナー・ハウスの塀を飛び越えた。クレイヴン家の屋敷。先日の下見から景色は変わらない。広い庭には障害物はなく、監視カメラや、ファリーザのような侵入者を拒む魔術的な仕掛けも見当たらない。
しかし、それでもファリーザは、植え込みの陰に身を潜め、いったん周囲の様子を伺った。
誰もいない。誰も。クレイヴン家の屋敷はひっそりとした静けさで、石仏のように目の前にある。
「――シャムス」
(見てますよ)
ファリーザの囁くような呼びかけにも、姿を隠した使い魔はすぐに答えた。
(大したものですね。仮にも魔術師の庭だというのに、護符も陣も見当たらない。ほんのわずかな魔力の香りさえも感じない――)
子どものような幼さの声音で、使い魔は値踏みするかのように状況を分析する。
(クレイヴン家の屋敷は、地脈の上に建てられたというのにね)
シャムスの言葉が終わると同時に、ノイズめいた不快な音が、庭の静寂をつんざいた。
『――聞こえるかね。猫の魔女』
どこかでスピーカーが起動したようだった。
『私はフレッド・クレイヴンだ。わかっているとは思うが警告する。ここはすでにクレイヴン家の領域だ。抵抗はやめて、そこの植え込みから出てきたまえ。大人しく投降すれば丁重に扱おう――』
声の主が、何かを探るように言葉を斬り、
『身を潜めている、もう一人の友人もね』
コンスタンス・クレイヴンの父、フレッド・クレイヴンは、姿を見せぬまま、静かに先手を打ってみせた。
幾分かの驚きはあったが、ファリーザはそれを表情に出すような事はなかった。おそらく、別の場所から屋敷の様子を伺っているシャムスも同様だろう。侵入は察知されていた、というわけだ。こちらの位置も。
――投降だって? このあたしが?
「……たく、ただの学者魔術師だって話だろうが」
悪態が口を突いて出た。ファリーザは軽やかに植え込みの陰から飛び出し、柔らかな草の上に着地する。
「ほら。出てきてやったぞ、学者先生。お次はどうしてほしい? あたしが一肌脱いだら単位の一つでもくれたりするわけ?」
磨き上げたしなやかな身体を煽るようにくねらせて、ファリーザは獣のように笑ってみせた。
『……汚らわしい魔女め』
スピーカーの声が見下げたように吐き捨てた。
「はっ。出歯亀の変態野郎がよく言うぜ。あたしを見てたみたいに、町中そうやって監視してやがるんだろ? コソコソ部屋に籠ってさあ」
パン! と。
何かが弾けるような音とともに、弾丸の速度で飛来したものが、ファリーザの靴のすぐそばを抉った。
『無礼な口を利くのはやめたまえ、猫の魔女。君はすでにクレイヴンの魔術が術中――』
感じる。抉られた地面の中で、何かが急速に成長している。大きく鼓動するエネルギーの感触。これは――
(ファリーザ!)
脳裏に響いたシャムスの声に、ファリーザは咄嗟にその場から跳躍する。
土中より勢いよく飛び出したのは、大蛇とも植物の蔓ともつかない、奇妙な生き物だった。目はなく、鼻もなく、頭部らしい部位には大きな口だけが存在している。太く、草のような緑の身体をくねらせて、ファリーザの足首へと鋭い歯で喰らいつこうとする。正体はどうあれ、動きだけみればわかる。
雑魚だ。
「はっ!」
赤紫の魔力を纏わせた足で、ファリーザは乱暴に怪物の頭を蹴り飛ばした。口だけの怪物の頭部が衝撃に耐え切れず破裂し、黄緑色の体液を撒き散らす。ファリーザは思わず顔をしかめた。
「靴が汚れる。で、まさか、これで終わりってんじゃないよね? クレイヴンのおじ様?」
『無論』
パン! パン! パン!
先ほどと同じく弾けるような音ともに、地面に次々と何かが打ち込まれていく。一拍置いて、地面の中で魔力が蠢く感触。
「異界の生物ってところか」
(そのようですね。おそらく打ち込んでいるのは、あの蔓状の生き物を生み出すための種子)
『お仲間と念話でもしているのかね。お察しの通り、これらは現世より遠く離れた《永久の森》の原生生物、ビルオルネート。君を狙っているのは、ビルオルネートが外敵を排除するための意思を持つ捕食蔓。一度敵に喰らいつけば骨も残さぬ。これが最後の警告だ。投降したまえ、猫の魔女。見るも無残な姿になりたくはないだろう』
四方八方。ファリーザを取り囲む捕食蔓たちが、それぞれに頭をもたげた。発芽した捕食蔓はおよそ十体程度。なるほど、確かにこれらがこの後も増え続けるなら、面倒ではあるだろう。
しかし、この程度で猫の魔女を止められる気になっているとは。
あまりにもお粗末。あまりにもお笑いだ。
「やってみるといいさ。学者先生」
込み上げる笑いに口元を歪めながら、ファリーザは指と指の間に一枚のカードを出現させた。
スピーカーの向こうで、フレッド・クレイヴンが何かを諦めたような気配があった。
『かかれ!』
フレッド・クレイヴンの叫ぶような号令。捕食蔓たちが一斉にファリーザへ躍りかかった。
「はっ!」
捕食蔓たちの動きは存外素早く、しかもどこからともなく発射音が聞こえ、すぐさま地面から新たな捕食蔓が生えてくる。だが、ファリーザにしてみれば、多少スリルのあるアトラクションも同然。襲い来る捕食蔓の間をすり抜け、捕食蔓たちの歯を踊るようにして躱す。増え続ける捕食蔓たちは、ファリーザへ次々と襲い掛かるも、その華麗な動きに翻弄され、むしろ味方同士でもつれ合い、身動きが取れなくなっていく。
所詮、異界から連れ込まれた知性なき原生生物。ファリーザは腹の底で嘲笑う。
「――来たれ。我らが同胞よ。その爪、その牙。我が魔力で研ぎ澄まさん」
カードを口元に、呪文を唱える。クレイヴン家の屋敷の壁に、ヒールの踵を左右、軽くぶつける。
カッ、カッ。
「〝ネフェルテム神〟――同胞よ、纏え我が武装」
ファリーザの赤紫の魔力が周囲に広がる。屋敷の塀を超えて、さらにその向こうの木々や叢がざわめく。
小さな影が、猛スピードで塀を飛び越えてクレイヴン家の庭に入ってきた。先のように大勢ではない。ブチ、縞、茶毛、三毛、白。合計五匹。だが、それで十分だ。赤紫の魔力によって形作られた鎧や兜や爪を装着した野良猫たち――武装猫が、自らよりも大きな捕食蔓の間を駆け抜ける。
――一瞬。
赤紫の烈光と化した五匹の武装猫が、庭中に蔓延った捕食蔓たちを切り裂き、その残骸をぶちまける。猫たちは素早く茂みに姿を消し、ファリーザは捕食蔓たちの体液を踏まぬよう、少し離れた場所に着地する。
「さて、お次は? 学者先生?」
二色の魔力を静かに迸らせ、ファリーザは言った。茂みに戻ったはずの茶毛の猫が、すらりと飛び出してファリーザの肩の上に乗る。フレッド・クレイヴン。やはり、戦闘の腕を持つ魔術師ではない。第七階梯たるこのファリーザ・ブバスティスに敵う相手ではないのだ。
『猫の魔女よ――』
スピーカーからの声は、捕食蔓が全滅したこの光景を前にしても、少しも変わらなかった。
『一つ教授しよう。死の危機は、いついかなる時にもやってくる』
影が、落ちた。ファリーザの真上に。降ってくる。何か。重たい、大きな物が。
「――ッ!」
気付いたと同時に、ファリーザは跳躍。肩の上の猫も飛び降りた。頭上から降ってきたそれは、ドン! と鈍い音を立てて庭の上に着地する。大きな両腕、両足。青銅めいた巨躯がゆっくりと蠢いた。
青銅の重甲冑が、そのまま動いているかのような、そんな怪物だった。ゴーレム。一番近いのはそれだろう。生き物ではない。無機物に意思が宿ったかのような。そんな印象を受ける。
「グ――ゴ――」
呻き声とともに、青銅のゴーレムが、おもむろに手に持った戦斧を振り回す。茶毛の野良猫が紙一重のところで、大振りな刃を避けた。だが、戦斧の動きは止まず、野良猫の頭上に刃が迫る。
――ガン!
間一髪。振り下ろされた戦斧の刃は、ファリーザが手に持った黒猫のシストラムの側面によって受け止められていた。強烈な重み。おそらく膂力だけで見れば、ファリーザと引けは取るまい。
「にゃあ!」
茶毛の猫が、今度こそ植え込みの中へと消えた。
パン! パン! と。
新たな捕食蔓の種子が、地面に打ち込まれる。
「なるほどね――」
ファリーザは肉食獣の笑みを浮かべ、さながら獲物を見るかのように、青銅のゴーレムを見た。
「まだまだ面白い手駒はいるってわけだ。学者先生?」
青銅のゴーレムは機械めいた唸り声を上げる。
――とはいえ、だ。ここでもたもたと遊ぶ気はない。ファリーザはちらりと植え込みに目をやる。
仕込みは上々。少しはあいつにも働いてもらおう。




