『夢の国のストレイキャット』7
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麻來鴉が席に着くと、ほどなくして足音が聞こえてきた。ソーサーに載った品の良い空のティーカップが置かれ、ガラスのティーポットから赤味の強い液体が注がれる。
ティーポットを持つのは、青いシャツにエプロン姿の、口髭をたくわえた男である。
「マイケル……さん」
マイケルの目は虚ろで、その動作はまるで人形が動いているかのように機械的だった。
「ここは彼のお店」
コンスタンス・クレイヴンが紅茶を口に運びながら言った。
「毎日彼が目にする光景。だからこうして夢にも見る。もっと自由な夢を見れば面白いのに。この小さな町にずーっといるから、夢でも現実でも見えるものが変わらない」
言って、コンスタンス・クレイヴンは麻來鴉の目を見た。
「でもって、本物の魔女が見るのは、魔女じゃない自分の夢ってところ?」
夢の中でも苛立ちは感じるものだ。ファリーザとはまた違う、人を侮ったような態度。
「こんな制服は知らないよ。あなたが、町の人たちを眠らせたの? 夢の中で調子に乗っていないで、とっとと術を解除しなさい」
「や~~~だもう、怖い顔しないでよ。お茶しましょって言ったでしょ。苛々してないで、その紅茶飲んだら? 冷めちゃうよ」
麻來鴉は一瞬、手元のティーカップに目を落とした。渋みのある赤い液体は、未だに湯気を立てている。
「夢の中の紅茶は冷めないでしょ。香りもない。きっと味もしない」
「そう! 夢の中で食べたものや飲んだものの味は覚えていられない。ただ美味しかったという記憶が残るだけ」
テーブルの上に、菓子の載った三段のケーキスタンドが置かれた。運んできたマイケルは虚ろな目のまま、厨房へと戻っていく。
「私の事は調べてきた? 私たちの事を止めにきたんでしょ? 鴉の魔女さん?」
そう言いながら、コンスタンス・クレイヴンはケーキスタンドに載ったマカロンを摘まんでひと口齧る。
「……コンスタンス・クレイヴン。あなたが強盗事件でひどい怪我をしたのは知っている」
夢の中で明瞭な意識を保つのは妙な気分だ。だが麻來鴉は頭の中に記憶した資料を思い出しながら、目の前の少女の質問に答えた。
「頭に怪我を負った事で、あなたの魔術の才は開花した。代わりに、あなたの現実の肉体は、十年間眠ったままとなった」
「正解」
自身のティーカップに砂糖をひと掬い入れ、コンスタンス・クレイヴンはくるくると紅茶をかき回す。
「ま、この町じゃ殺人鬼の所為だなんて噂もあったみたいだけどね。真実はわからないわ。私はすぐに気を失っちゃったから」
麻來鴉は、つい先ほど霊視した光景を思い出す――古い屋敷のキッチンで血を流し倒れていた女性。母親。おそらくは、目の前にいる彼女の。そして、犯人と思しき者と目が合う――
あれは、この娘の記憶だ。
「あれから私はずーっと夢の中。でも、知ってる? 夢と夢って実は繋がっているんだよ。皆、眠っている間は自分の夢を見ていると思っているけど、私みたいに夢の中を歩き回れるなら、自分の夢から他人の夢へ遊びに行けるの。このお店はマイケルの夢の中。あなたとはお話してみたくて、こっちにきてもらったの」
「話す?」
「そうなの。友達が欲しくて」
資料によれば、コンスタンス・クレイヴンの年齢は麻來鴉より一歳上の十八歳。だが、この娘の口調はどうにも幼い気がした。わざとだろうか。いや、地の性格のような気もする。
「……友達になれるように見える? わたしはあなたを止めにきたんだけど」
「なれるよ! だって私とあなたは同じ、魔女としての才能があるもの」
ショートカットの髪を揺らし、コンスタンス・クレイヴンは朗らかに言った。
「……才能?」
「あれ。わからない?」
コンスタンス・クレイヴンはきょとんとした顔をして、それから、パン! と手を叩いた。
テーブルのすぐ横にある壁に、一枚の地図が出現する。オハイオ州と、その周辺を描いた地図だ。今回、麻來鴉たちが訪れたレッドヘレンの町は、オハイオ州の片隅にある。
「私の魔術は町全体を覆い、住民を丸ごと取り込んでいる。でも言ったでしょ。夢と夢は繋がっているの。今この町で誰かが見ている夢は、私の魔術を乗せて静かに広がり、やがては州全体、そしてこのアメリカ全土に伝播する――」
地図上のある一点が、群青色に小さく光った。やがてその光は、木の根のように奇怪に、四方八方へと伸び始める。まるでヤマビルが這うかのように、群青色の暗い光は、ぐねぐねとオハイオ州全体へ、そしてさらにその外へと広がっていく――
「最終的には、全世界が夢で繋がる。これが私の才能。私は夢の世界を支配する魔女なの。あなたは第七階梯の魔女なんでしょ? だったら私の才能がどれほどすごいかわかるんじゃない? ほかの人間には理解できなくても、才能あるもの同士なら、お互いの事を理解し合える。だから、ね? 友達になりましょうよ。七ツ森麻來鴉。異国からやってきた鴉の魔女さん」
マイケルが、静かにテーブルまでやってきた。いつの間にか空になっていたコンスタンス・クレイヴンのティーカップに、人形のように紅茶を注ぐ。
――不幸な娘。負うべきではない怪我を負い、目覚める事のなくなった娘。
だが。
「なぜ、こんな事を?」
視線を、地図から目の前の少女へと向けて、麻來鴉は問うた。
コンスタンス・クレイヴンは、刃物めいた薄暗い感情をその目に滲ませた。
「この町で、私が一番ひどい目に遭った」
小さなその口が、黒い感情を乗せて言葉を紡ぐ。
「私だけが頭を殴られて、私だけがベッドの中から出られなくなった。この町では、あれ以来事件なんてものはない。私が最初で最後の被害者――」
視界に、ひらひらと何かがちらついた。
蝶だ。
群青色の翅を持った青い蝶が、どこからともなく現れて、麻來鴉の側に置かれたティーカップの縁に止まった。
「そんなの、不公平でしょ?」
「……町の人は、あなたの不幸とは無関係でしょう。あなたが彼らを夢の中に閉じ込める必要なんてない」
「そんな事を言えるのは不幸な目に遭っていない人間だけ。あなたはいいよね。持っている才能を活かし、鴉の魔女なんて呼ばれて、大活躍しちゃってさあ!」
答えず、麻來鴉はコンスタンス・クレイヴンの目を見た。
夢を支配すると言ってのけた、夢の中の少女の目が見つめ返してくる。
これは夢。この会話も、麻來鴉にとっては夢の中の出来事。
だが、彼女にとっては夢の中こそ、もっとも身近な世界なのだ。
「夢に閉じ込められた人たちはどうなるの?」
「察しはつくでしょ。魔術に縁のない人間どもは私の術の中で静かにエネルギーを吸い上げられる。全員がこの私の養分。ベッドの中の私の肉体を生かすためのね」
「……もうひとつ質問」
「なあに?」
麻來鴉は静かに席から立ち上がり、縮めていた槍を元の大きさに戻す。
コンスタンス・クレイヴンの目が、険しく細められた。
「夢の中であなたを倒しても、現実のあなたが死ぬ事はない?」
無益な問答はこれまでだ。いつまでも夢の中に留まるつもりはない。
任を果たす。今の麻來鴉に魔力はない。ルーン魔術も使えない。だが、やるしかない。
まずはこの娘を倒し、夢から覚めなければ。
「ふーん。やっぱり友達になってくれないの?」
コンスタンス・クレイヴンは苛立ちを含んだ声で言った。
「なれない。わたしには仕事があるの。あなたを止めるという仕事が」
夢の中であっても、身体の動きは現実と変わらずというのは先の戦闘で経験済みだ。ならば、あとは機を読むだけ。彼女には悪いが、心臓を狙う。一手。一手で片をつける――
「……ああ、そう」
コンスタンス・クレイヴンの口元が、攻撃的に歪む。
「っ!」
――予兆を感じる。戦いの予兆。どろどろと彼女の中で渦巻く魔力の鼓動――
「なら、見せてあげる。私の実力がどんなものか」
彼女の小さな手が、マイケルの胸元に当てられた。
「〝心核奪取〟」
弾けるような音ともに。
マイケルの胸元から、バスケットボール大の青白く光る球のようなものが引き出され、そのままコンスタンス・クレイヴンの掌に吸い込まれる。
マイケルの姿が、消えた。ふっと。初めからその場にいなかったかのように。
「何をしたの!?」
「慌てないでよ。夢の中では心が剥き出しなの。私は触れた人間の心の核を奪う事ができる。マイケルの精神は肉体を離れ、私の中に取り込まれた。彼は二度と現実世界で自分の意思を持つ事はない――」
――ド、ド、ド、と。
どこかから、地響きのような音が聞こえる。
「誤解しないで。こんなに強引に奪う真似、ホントはするつもりなかったんだよ? でもインターバルの間は私も動けないし、実力を見せるなら栄養補給が必要だから――」
地響きが近い。明らかに地面が、テーブルが、紅茶の入ったティーカップが、揺れ続けている。
「あ、さっきの質問だけど――」
いつの間に動いたのか。
コンスタンス・クレイヴンは、麻來鴉の耳元で囁いた。
「この夢の中で死んだら死ぬよ」
ド派手な破砕音とともに、カフェの窓ガラスが巨大な影によって破られた。すでに、麻來鴉は跳んでいる。夢の主を失ったからか、カフェの建物自体も、天井から徐々に消え始めていた。
カフェの窓ガラスに突っ込んできたのは、巨大な動物だった。グレーの重厚な皮膚。二本の白く長い牙。大きな耳。そして長い鼻。
「象!?」
突如として乱入してきた暴れ象が、猛る巨体で周囲を踏み荒らしつつ、恐ろしい声で鳴いた。
「あはっ! これ誰の夢!? 陰気なカフェより全然いいよ!」
はしゃいだコンスタンス・クレイヴンの声だけが聞こえる。視界がぶれる。おそらくはほかの誰かの夢に入っている――!
気が付くと、麻來鴉はサバンナのような青空の下に広がる草原に立っていた。象の姿はすでにない。さすがは夢だ。イメージが湧いては消えるというところか。
「よし。それじゃあ、鬼ごっこね――」
聞こえる。コンスタンス・クレイヴン。夢の支配者と嘯く彼女の声が。どこにいる。この果てしない草原の、どこに。
「タッチされたらあなたの負けだよ、鴉の魔女!」
――後ろ。
気配を感じると同時に、麻來鴉は身体を回転させながら、槍を背後へと叩き付けた。ふわり、と。コンスタンス・クレイヴンの衣服の裾が浮き上がり、まるで重力などないかのような軽すぎる動きで、草原に着地する。
「気付いてた?」
コンスタンス・クレイヴンが不敵に笑い、
「バレバレ!」
麻來鴉が、姿勢低く跳ぶ。コンスタンス・クレイヴンまでの距離およそ五メートル。その距離を一気に詰める!
「出番」
パン! と。
夢の中の少女の手が叩かれる。同時に、叢の中から灰色の巨体が突如として出現した。鞭のように振るわれる長い鼻が、麻來鴉の身体に叩き付けられる。夢。夢のはずだ。だが肉体を貫くこの衝撃。
「ぐっ!」
衝撃を殺し切れないまま、麻來鴉の身体は後方へと飛ばされる。肋骨に鈍い痛み。折れたか。喉をせり上がる血の味。
「言ったでしょ――」
すぐ横で、声。
「夢の中で死んだら死ぬって!」
掌。勝ち誇ったようなコンスタンス・クレイヴンの目が見えた。
「〝心核奪取〟!」
来る。精神を奪う魔の手が。咄嗟に、麻來鴉は槍を振るった。黒い柄がコンスタンス・クレイヴンの腕を打ち、痛撃を与える。地面を滑り、二人の魔術師が睨み合う。
「乱暴者」
打たれた腕を振るいながら、コンスタンス・クレイヴンが言った。
「戦いなんてこんなものだよ。夢で見なかったの!?」
槍を回転させ、麻來鴉は再び距離を詰める。
「〝兎の穴へ落っこちて〟」
コンスタンスの魔術。突如として地面に開く落とし穴。
「甘い!」
そんなものは読めている。槍を使い、棒高跳びの要領で穴を飛び越え、コンスタンス・クレイヴンの脇腹を狙って槍を突く。
「フライ・クライ!」
小さな手が叩かれた。目にも止まらぬ速度で飛来した使い魔たる大きな蠅が、麻來鴉の槍の穂先に貫かれる。重い。まるで鉛の塊がくっついたかのような、異様な重さ。槍の自由が奪われる。
「もらった!」
心核奪取の一撃が迫る。だが、それよりも早く、槍から手を離した麻來鴉の拳が、コンスタンス・クレイヴンの脇腹を深く抉っていた。
「ぐぅっ!?」
苦悶の声とともに、コンスタンス・クレイヴンが身体をくの字に折り曲げる。この機は逃さない。スカートを翻し、麻來鴉は鋭い蹴りを放つ。
「――っ、ハッピー・イエティ!」
パンパン! コンスタンス・クレイヴンの手が二度叩かれた。
空から、強い気配――
「っ!」
間一髪のところで、麻來鴉は後方へと跳びずさる。直後、轟音とともに、ゴリラのような体格の、白い毛を生やした人型が、麻來鴉とコンスタンス・クレイヴンの間に着地した。
その顔には、巨大な一つ目がついている。
コンスタンス・クレイヴンの新たな使い魔。
「こんな乱暴な女――」
夢の中に住む少女が、ぎろりと麻來鴉を睨んだ。
「友達にしなくて正解だったみたい」
麻來鴉は立ち上がり、構えを取る。
大鴉の槍まで距離ができた。しかし武器を取りに行くには、新手である使い魔が厄介そうだ。
「自分の性格を知りなよ、コニー」
口の端の血を拭い、麻來鴉は言った。
「出会ってすぐの子と、友達になれるようなタイプじゃないでしょ」




