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『夢の国のストレイキャット』2


      2


 陽光が顔に当たった気がした。いつの間にか、ぐっすりと眠っていたようだった。聞こえてくるのはタイヤの駆動音。見えるのは、どこまでも続く地平。

 アメリカ。オハイオ州郡区幹線道路タウンシップハイウェイ78――ホスフォード・ロード。そこを走る一台の車の助手席に七ツ森(ななつもり)麻來鴉(まきあ)はいた。


「よく寝てたな。こっちは夜通し運転だってのに」


 そうぼやいたのは、運転席でハンドルを握る大柄の男である。二メートル近い、筋肉質の体躯をぴっちりと包む特注スーツ。トレードマークの山高帽は、今は後部座席に置かれている。顔には両の瞼と鼻筋の上を通る、十字架めいた古い火傷の跡がある。

 霊能コーディネーターの十文字(じゅうもんじ)浩太郎(こうたろう)である。

 十七歳の麻來鴉からすれば、十文字はそれなりに年上であるが、こんなぼやきは別に気にすることもない。


「国際免許持っているの十文字しかいないんだから、仕方ないでしょ。わたし、車運転できないんだし。ていうか、疲れている? 魔術かけたんだけど」

「ああ。おかげさまで深夜から慣れない道の運転だってのに、おめめはぱっちりだ。疲労軽減の魔術だっけ? 毎度かけてほしいくらいだよ」

「調子に乗らない。前にも言ったかもだけど、魔力を普段使いしていない人が、魔力に晒されるのは結構危ないんだから。今回は十文字用にチューニングしたからオッケーだけど、それでも二十四時間が限度。危なくなったらさっさと逃げて、助けを呼んでもらうためにかけたんだからね。無茶するためじゃないんだよ」

「へいへい。気を付けますよ。ま、しかし、盤石先生のご指名だ。俺も少しは気張らないとな」


 ごそごそ、と後部座席で物音がした。バックミラーに二人分の人影が映っていた。


「……十文字、逃げちゃうの?」


 金髪の、短い髪型の少年が眠そうな目を上目遣いにして言い、


「アタシたちを置いて、行っちゃうんだ……」


 ショートカットの、少し癖っ毛な少女が、悲しげに続いた。

 十文字は、そんな二人の芝居がかった調子にも慣れた様子で、


「行かない。頑張らなきゃって言ったんだ。オボロ、ヨミチ。喉渇いてないか。後ろに飲み物買ってあるぞ」

「「やったーーー!!」」


 途端、さっきの悲しげな雰囲気を吹き飛ばして、二人の少年少女は両手を挙げた。

 オボロとヨミチ。少年のほうがオボロで、少女がヨミチだ。人間の姿をしているが、二人は麻來鴉とは長い付き合いの、鴉の使い魔である。


「え、ちょっと、わたしのは」

「あるって。まあ、あんまり種類はないけどな。コーラ、レモネード、ルートビア……」

「あ、甘いのばっかり……」


 車は間もなくラヴェンナ・ロードへと差し掛かる。後部座席からルートビアの缶を受け取りながら、麻來鴉はここへくるまでの経緯を思い出していた。



『事態は急を要する。魔女殿』


 出発前の朝。都内某所にある寺の境内で、頭巾を被り、袈裟を纏った仏僧たちのひとりが、麻來鴉に言った。


『盤石大僧正が旧友の魔術師が、世に仇なす意思を示した。大僧正はすでに、かの地での悪しき魔力を感じ取っておられる』

『大僧正は異国にても活躍されている魔女殿に、ぜひともこの企てを食い止めてほしいと言っておられた』

『本来ならば我ら離雲寺の《金剛》部隊が出向くところだが、すでにほかの依頼のために出立しており――』

『わたしにお鉢が回ってきたってわけね』


 代わる代わる話す仏僧たちに、麻來鴉は頷いた。

 麻來鴉の仕事は、退魔屋と呼ばれる職業だ。悪しき怪物や、呪詛を撒き散らす呪術師などを相手にし、その撃滅や(はらい)を担う。麻來鴉は、《鴉の魔女》と呼ばれる名うての魔術師でもある。


 麻來鴉が盤石大僧正と知り合ったのは二年ほど前のことだ。以来、退魔屋としての活動が本格化してからは何かと助けてもらうこともあり、逆に麻來鴉が向こうの頼みを聞くこともある。


『いいよ。ムーサ・柴崎ビルの事件じゃ、盤石先生には助けられたし、ここで恩返しさせてもらうよ』

『ありがたい』


 仏僧のひとりが言い、


『大僧正もお喜びになられるだろう』

『手筈はすでに進めてあるゆえ、まずは十文字殿と合流されたし』


 そう言って、仏僧たちは同時に跳んだかと思うと、次の瞬間には姿を消していた。気配を追うこともできはしない。


(仏僧っていうか忍者だな……)


 ちらっと、そんなことを考えたが、麻來鴉はすぐに頭を切り替えて十文字に連絡した――



 そこから、手早く準備を進め、夕方には飛行機に乗り、オハイオ州のポート・コロンバス国際空港に到着したのが、十八時間後の夜中十時あたり。現地の協力者との合流、準備、食事、仮眠を経て十文字に魔術をかけて出発したのが午前三時。


 目指すレッドヘレンの町は、コロンバスからクリーブランドを経由し、そこからやや南下した場所にある。運転させっぱなしの十文字には悪いと思っているが、麻來鴉の仕事は町に着いてからだ。今は運転以外のことに気を配るしかない。


「しかし、盤石先生の旧友が相手だとはな」


 車を走らせながら、十文字が言った。


「フレッド・クレイヴン。資料によると、精神魔術の研究者だったか。あんまり武闘派って感じじゃなさそうだが」


 霊能コーディネーターである十文字は、通常、退魔屋と一般人を繋ぐ橋渡し役である。今回のように退魔屋の現場に同行することも多く、これまで麻來鴉とともに数々の困難な案件を解決してきた。


「うん。研究成果だけで第三階梯までいく人はなかなかいない。魔術師、呪術師ってだいたい戦闘の腕前ありきで階梯が決まるから」


《階梯》――簡単に言えば、術者たちの腕前を示すランク付けである。第一階梯から第十階梯まで存在し、階梯を持たぬ術者も世間には多くいる。魔術師、呪術師は古より反目し合うものだが、階梯については共通の基準を用いており、同じく術者という(くく)りとなる。同階梯の者は、およそ実力は拮抗しているとみてよい。


 多くの魔術師と呪術師は、ともに己が信じ仰ぐ神(これには邪悪な神も含まれる)の力を(もと)にした術を行使するため、階梯はその者の信仰とともに呼称されるのが一般的である。たとえば麻來鴉の場合、階梯は第七階梯に位置し、北欧神話の主神たるオーディンの力を基にした術を行使するため、『オーディン信仰第七階梯』と呼ばれる。


 麻來鴉自身が、信仰という言葉の意味ほどオーディンを心の拠りどころとしているかは、さておくとして。


「資料によれば、フレッド・クレイヴンに信仰している神はいない。そのうえ研究一筋で戦闘の腕もない様子だ。直接対決はしてこないだろう」


 運転をしながら、十文字は話を続ける。

 一本道とはいえ、慣れないアメリカの道路で運転をしながら器用なものだと、内心麻來鴉は思う。


「懸念は、やはり――」

「そうだね」


 麻來鴉は手元の資料をめくった。フレッド・クレイヴンについては経歴や研究分野など、わかる範囲で詳細に書かれているが、次のページにある人物については、詳細な記述などない。

 わかっているのは名前と、ほんの少しの経歴。


「コンスタンス・クレイヴン」


 麻來鴉は、その名を口に出した。

 フレッド・クレイヴンの娘とのことだが、写真はない。当たり前か。コンスタンス・クレイヴンは別に魔術師として名が売れているわけでも、ましてや階梯持ちでもない。

 むしろ、資料に記されている内容は、痛ましいものだ。


「十年前に強盗事件で重傷。以来、屋敷からは一歩も出ていない……」

「でも盤石先生によれば、今回何かをしようとしているのはこのコニーって子のほうなんだろう。先生は日本でこの子の魔力を感じたっていうが……。麻來鴉、今はどうだ?」

「うーん……」


 麻來鴉は、少し窓を開けて風を受けた。

 神経を集中してみるが、何も引っかかるものはない。

 もう間もなく、目的地のはずだが……。


「魔力、全然感じないんだよね。何もなさすぎっていうか」

「ボクが飛んで調べてこようか? 麻來鴉」


 後部座席から、オボロが言った。


「もうすぐ目的地でしょ」


 確かに、鴉の使い魔であるオボロとヨミチなら空から偵察は可能である。これまでも何度も同じようなことはしてもらった。

 だが。


「……いや、それはやめよう。何があるかわからないし。今回二人にはなるべく十文字を守ってもらいたいから」

「俺の安全を考えてくれるのは嬉しいが、優先すべきはクレイヴン親子の企てとやらの阻止だ。そのための情報収集なら、やるべきだ。麻來鴉」

「駄目だよ。十文字に何かあったら、帰りの車を運転できる人がいなくなっちゃう」


 十文字が一瞬、何とも言えない顔を見せたが、麻來鴉は眉を上げただけでそれに応え、資料を仕舞った。

 看板が見えた。『ようこそ、レッドヘレンへ』。それから、数軒の建物が何キロか先にも。


「やれやれ、ようやく到着か」


 十文字が疲れたように言った。



 レッドヘレンは、それほど大きな町ではない。住宅街のほかはスーパーマーケットやドラッグストア、それにいくつかの公共施設がある程度だ。


 現地時間七月一日。午前八時七分。


 麻來鴉たち一行は車を降り、町の中に足を踏み入れた。

 人口は、およそ八〇〇〇人と資料にあった。だが、往来に人影はない。物音といえば、風に吹かれてゴミが散らばったり、風見鶏がくるくると回って軋んだ音を立てたりといったくらいのものだ。

 さながら、ゴーストタウンのような有り様だった。


 帽子の位置を直し、麻來鴉は辺りを見回す。麻來鴉と同じような黒マントを纏ったオボロとヨミチは、十文字の近くにいて警戒を怠らない。


「誰もいないな。すでに企ては始まっているってわけだ」


 緊張した様子で、十文字は言った。トレードマークの山高帽を被り、手には古びた鞄を持っている。その鞄の中には、麻來鴉が十文字に渡した物や、十文字自身が今回のために揃えた対魔術、呪術用の物品が詰め込まれている。


「どうする。ひとまず町の中心まで行ってみるか」


 十文字の問いに、麻來鴉は頷いた。どのみち、留まっていても手がかりは得られない。

 道路には、乗用車が何台か停まったままになっていたが、どの車にも誰も乗ってはいなかった。建物は全体的にどれも古いが綺麗にされており、町が住民によって大切にされていることが見て取れた。集積所にゴミ袋が溜まっているところを見ると、収集は行われていないようだった。店という店はどこも照明がついておらず、まるで町そのものが眠りに落ちてしまったかのようだった。


「町の人は、どこに行ったんだ?」


 ショーウィンドウから店の中を覗き込みつつ、十文字が言う。


「フレッド・クレイヴンは盤石先生に、『人々には夢の中の蝶になってもらう』と言っていたって……」


 麻來鴉は、あらかじめ聞いていた話を思い出す。


「……夢」


 眠っている間に見る、束の間の幻。

 魔術師的な考えでいえば、夢は一種の異界であるという見解がある。眠っている間に見る夢は、じつは魂が見た異界の様であり、睡眠時に人間が本来持っている霊感が鋭くなって、自身にとって未来の啓示となり得るものを引き寄せているのだという。


 ないわけではない、と麻來鴉は思う。実際、夢のコントロールによって未来を占ったり、未知なる力を得ようとする術者はいる。夢そのものを修練の場とする秘儀もあるとかないとか……。詳しいわけではない。麻來鴉の魔術や技術は戦闘ベースであり、眠りながら戦うことはまずないからだ。


「麻來鴉、ルーンを使ってみるのはどうだ。探索のルーンなら何かわかるんじゃないか」


 十文字の提案に、麻來鴉は一瞬考えた。誕生、発覚、再発見の意味を持つペオースのルーンは、確かに探索用に使えるルーンだ。だが……


「どうだろうね。魔力は感じないけど、もし相手が別の手段でこっちを見ていたら――」


 視界の隅に、何かがいた気がした。

 はっとなって、麻來鴉はそちらに急いで目をやる。オリーブのような美しい色の瞳と視線が合う。


 猫、だ。

 全身真っ黒な毛並みの黒猫が、麻來鴉たちを見ていた。野良猫だろうと思った。首輪をしていない。

 猫。

 夢。


 頭の中で符号するものがある。猫といえば、言うまでもない。

 魔女の使い魔――


「麻來鴉、あっち! 人が倒れている」


 ヨミチの言葉を拍子に、黒猫が姿を消した。

 麻來鴉にも見えた。通りの物影に、男の人が倒れていた。すぐそばに、スマートフォンが落ちている。


「大丈夫ですか!」


 十文字が急いで駆け寄り、麻來鴉もそれに続く。

 若い男性だった。目を閉じているが、息はある。うわ言か何かを呻き、苦しそうに眉根を寄せている。


「……眠っている?」

「そうみたいだね」


 言いながら、麻來鴉は落ちていたスマートフォンを拾う。

 おそらくは、この男性のものだろうが、ちょうどSNSでメッセージを送信したところらしかった。


『I don’t want to sleep』


 ――眠りたくない。


 がらん、と。

 鐘の音のような、金属のぶつかる音がした。

 否が応でも、身体が反応する。戦士としての直感――


「オボロ、ヨミチ、十文字を守って!」


 オボロが咄嗟に十文字の襟首を掴んで跳び、ヨミチがかばうようにその前に出る。黒い影が麻來鴉の前に迫っていた。縮小して持っていた槍を咄嗟に普段の大きさにし、唸りを上げて迫る一撃を迎え撃つ。

 身体が、浮いた。強烈な一撃に腕が痺れている。吹っ飛ばされながらも宙で一回転して体勢を取り、アスファルトの地面を滑る。

 まるで、大きな棍棒でも振るわれたかのような一撃。

 でも、あれは違う。麻來鴉は今の一撃を知っている。


「おや――」


 突如として、麻來鴉たちの前に現れたその人物はゆらりと身を起こしながら、紫の瞳をこちらに向けた。左側から右側にかけてカーブを描くようにアンバランスに切りそろえられた黒髪。両腕を剥き出しにし、へそまで見せた場にそぐわぬ軽装。艶やかささえ漂う褐色の肌。


「おやおやおやおや。鳥小屋の臭いがするかと思ったら、あんたがいるとはねえ。鴉の(・・)


 すらっとした背丈は麻來鴉より頭二つ分は高く、発達した広背筋や三角筋は歴戦のアスリートのような印象を見る者に与えるだろう。少女、というにはあまりにも大人びているが、麻來鴉は、相手が同い年の魔術師であることを知っている。


「何で、あんたがここに……」


 槍を、構える。最初の一撃を受けた腕にまだ痺れが残っている。魔力を巡らせ、筋肉を癒す。自然と、麻來鴉の瞳もターコイズブルーに染まった。


「あたしは仕事だよ。でもあんたがいるってことは、退魔屋連中にも嗅ぎつけたってわけだね。たく、面倒くさい」


 言いながらも、軽装の魔術師の少女は笑っている。


 その手が持つのは、黒い巨大な物体――さながら針の頭のような縦長の大きな金属の枠に、鬼の金棒のような柄があり、枠の中には細い金属の棒が三本通っている。細い棒にもまた金輪のような黒い金属のパーツがついていて、一本につき三個、合計九個で、動くたびにがらがらと音を立てる。枠の頂点部分は加工されていて、漫画のような黒猫の顔になっていた。


 シストラム。古代エジプトにおいて儀式に使われた打楽器。あるいは、赤子をあやすためのがらがら(・・・・)。だが、あれはそんな生易しいものではない。漆黒に染まった金属の塊ではあるあれは、確実に相手の頭を叩き割るためのもの――



「麻來鴉、彼女は……」

「賞金稼ぎ――」


 相手から目を逸らさぬまま、麻來鴉は言う。


「魔術師、それに盗掘屋――」


 紫の瞳の少女が、凶悪な笑みを浮かべる。


「ファリーザ。ファリーザ・ブバスティス……」


 久方ぶりに相まみえた宿敵の名を、麻來鴉は口にする。


「――猫の魔女」

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