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星屑の童話たち

水晶玉の中に見えたもの

作者: 鈴木りん

星屑による星屑のような童話。

お読みいただけるとうれしいです。

 夜の10時。

 子どもの頃から使い続けている勉強机に片(ひじ)を着いた孝文(たかふみ)は、右手でシャープペンシルを握りしめたまま、大きなため息をつきました。

 それも、そのはず――。

 数日前、なんとか乗り切ったと思っていた「大学入学共通テスト」の点数が、思ったより伸びてなくて、ちょっと落ち込んでいたからです。



 孝文は、19歳の大学受験生。

 動物のお医者さんになることを目指していますが、去年、入りたかった獣医(じゅうい)学部のある大学に落ちてしまい、浪人(ろうにん)生活を送っています。

 物心ついたときにはすでにお父さんは家にいなく、お母さんと二人の生活をずっと続けている孝文は、大学受験に失敗したとき、決して楽ではない家計を心配して「就職する」とお母さんに伝えたのでした。けれどお母さんは、「夢に向かって、もう一年頑張ってみたら」と、予備校に通うことを許してくれたのです。

 そのことを考えると、どうしてもため息が出てしまいます。

 昨年と同じ志望校の試験の本番まであと1か月ほどあるのですが、いまいち勉強に身が入らないのでした。



「……今日はもう、寝よう。明日、頑張(がんば)ればいいんだ」


 そう(つぶや)いた孝文の目線の先――。

 そこには、木製の写真立てに収まった一枚の写真がありました。

 孝文とお母さんの暮らすアパートの部屋のコタツでぬくぬくする、6頭の子どものパンダたち。色はとても「めでたい」感じの、ピンク色の紅白パンダです。あまりのコタツのあったかさに目をとろんとさせて眠たげなパンダたちを、とけてしまいそうなくらいのあったかい笑顔で小学三年生の孝文が見つめています。

 写真はお母さんが撮ってくれたものでした。


「あの子たちがここにやって来てから、もう10年たったんだ……。あっという間だったな」


 孝文は、気分が落ち込むことがあると、いつもこの写真を見て元気を出していました。この家にパンダたちがいたのは2年ほどの間だけでしたが、とてもとても楽しい毎日だったからです。

 ところが、すぐに孝文の顔はどんよりと曇りました。

 楽しくないことを思い出してしまったのです。


「でも、どうしてあの子たち突然いなくなっちゃったんだろう……本当の兄弟のように思ってたのにさ。いまだにどうしてか、わからないよ」


 不満げに口をまげ、机の電気を消そうとしたそのときでした。

 孝文が勉強部屋として使っている部屋の入り口のドアが、トントンと音を立てました。ノックされたのです。


「孝文……ちょっといい?」

「……母さん? いいよ」


 ドアが開くと、仕事から帰って来たばかりらしい、着替えもまだ済んでいないお母さんが入ってきました。


「孝文ごめんね、勉強中に。ちょっと大事な話があって。実は、母さん……今、お付き合いしてる男の人がいてね。ゆくゆくは結婚することも考えていて……。一度、孝文にも会って欲しいの」

「一度、僕が会う? 知らない男の人と!?」

「そう。こんな大切な時期にこんな話をするのもどうかと思ったんだけど、相手の方がすぐにでも会いたいって言うものだから……」


 あまりにも突然な出来事に、ただ目をぱちぱちと(しば)かせることしかできない孝文でしたが、やがてハッとしたような顔をすると、


「母さん、今、僕はとても大変な時期だってことわかってるよね? なんで急にそんなこと言うんだよ。絶対に会わないからな!」


 と言って、お母さんを部屋から押し出してドアをバタンと閉めてしまいました。


「……ごめんなさい、孝文。そうね、あなたの言うことの方が正しいわ。この話は、もう少し待ってもらうことにする」


 ドアの向こう側のお母さんの声は、少しさびしげでした。


  ☆


 次の日の朝になりました。

 お母さんとは目も合わさず、口の中に流し込むように朝ごはんを済ませた孝文は、歯磨きもそこそこにアパートを飛び出しました。

 普段なら、勉強するために『予備校』へと向かうはずの孝文。

 けれど、今日は違いました。昨日の夜の出来事で、とてもそんな気分ではなかったからです。


 孝文が向かうのは、いつもの最寄駅の方向とは全く逆の方向でした。

 どこに行きたいということもなく、ただやみくもに進んでいきます。するといつの間にか、孝文の知らない街が目の前に現れました。5分も歩けば終わってしまいそうな、小さな商店街でした。


「初めて見る、街だ……」


 更に進むと、案の定、すぐに商店街の外れにたどり着いてしまいました。

 その先にあったのは、空き地と古い家が目立つ、昔ながらの住宅街。引き返すかどうか迷っていると、古ぼけた小さな白い建物と『占い』と書かれた小さな看板を孝文は見つけたのでした。吸い込まれるようにして、孝文が店の中へ入っていきます。


「いらっしゃいませ」


 まるで孝文がここに来るのがわかっていたかのような落ち着きぶりを見せるその人物は、せまく、うす暗い部屋の奥にたたずんでいました。

 前へと進みながら様子を観察すると、『人物』というよりは、まるで雪だるまが紫色の布を被ったような、そんな姿かたちに思えました。顔の前に垂れ下がった布がベールとなって、その表情はよく見えません。


「お座りください……」


 すべてを見透かしたような、大人の女性のしっとりとした声。

 黙ってうなづくと、孝文は目の前にある椅子に腰を下ろしました。占い師は、透明な水晶玉の置かれた木製のテーブルをはさんで向こう側にいます。

 そのとき、孝文は気付きました。

 ベールの奥の占い師の瞳はつぶらでとても大きく、その周りがピンク色であることを。そして、占い師の服の袖から突き出た白い手には、黒く大きな肉球がついていることを――。


「あなた、見たところ学生さんよね? お代は、学生割引で2千円ということにしましょう。あ、ウチは何とかペイとかの電子マネーは扱っておりませんので、現金でお願いします」

「……はい」

「それで今日、占って欲しいのは何ですか?」

「実は、昨日の夜――」


 そこまで言いかけた孝文でしたが、占って欲しいことを変えることにしました。

 本当は、知らない男と付き合っていると言い出した母親に対してどのように振る舞えばいいのか、そして、どんな未来が自分の家庭に待ち受けているのかを聞きたかったのですが――。


「実は僕……子どもの頃、ピンク色の紅白パンダ6頭と一緒に住んでたことがあるんです」


 水晶玉に手をかざしていた占い師の肩が、ピクリと動きました。

 心なしか、鼻息も荒くなっています。


「ピンク? 紅白パンダ?」

「ええ、そうです。名前はパンダにンダパ、ンパダにダパン……」

「へ、へえ……そうなんですか。それで?」

「家にあるおやつとかお菓子、僕の分まで全部食べちゃってたくせに、それでもおやつが足らないとか、寝る場所がせまいとか、文句ばっかり言ってましたね……。要求をきかないと『バクハツ』するとか言って可愛くおどしてくる、そんな子たちでした」

「へえ……『バクハツ』とは穏やかではありませんね……」

「ところが――」


 孝文は、口をへの字に曲げて、目の前の占い師をにらみつけました。


「ある日突然、僕の家にやって来たパンダたちが、2年くらいたったある日、これまた突然いなくなったんです」

「子どものパンダたちだったんですよね‥…? 3、4歳にもなればパンダも大人ですから、巣立って行ったってことじゃないんですか? ママさんだって、6頭の食費も馬鹿にならなかったでしょうし……」

「ママさん!? そういえば、あの頃、パンダたちも母さんのことをママさんと呼んでいたっけ……」

「そ、それで何でしょうか。占って欲しいことは?」


 孝文は、ベールに隠れてよく見えない占い師の顔を覗き込むようにしながら、


「あのパンダたちが、今、どこでどうしているかを占って欲しいんです」


 と、言いました。

 すると占い師は、顔を見られまいとしたのか、さっと右斜め下に顔を向けると、急に鼻をつまんだような声で答えました。


「6頭のパンダたちの今ですか……。ならば念のため、あなたのお名前をお聞かせくださいますか? 水晶玉に教えなければなりませんので」

「そんなこと聞かなくても、本当はわかっているんでしょう? 孝文(たかふみ)だよ、パダン。そのおっとりした動きとていねいな言葉づかい、君は『パダン』にまちがいないよね!」

「ぱ、パダン? いったいなんなことでしょう……。ワタシは、一介の『占い師』です。まあ、それはそれとしまして、あなたの名前は『タカフミ』さん、ですね。では、そのパンダ6兄妹(きょうだい)たちのその後について、占ってみましょう」


 占い師が、うにゃむにゃ、何やら呪文(じゅもん)めいたものをつぶやきながら、肉球のついた手を水晶玉にかざしました。

 ぱっと太陽の光が射したかのように輝いた、水晶玉。


「今、そのパンダたちは『心の洗濯屋さん』の仕事を、それぞれしてますね」

「心の洗濯屋さん?」

「ええ、そうです。例えば、心を洗うランドリー屋さん、嫌な記憶の買い取り屋さん、いい思い出のないグッズの買い取り屋さん……」

「もしかして、兄弟姉妹の中には、心を洗濯する『占い師』もいるのかな?」

「さて……どうでしょうか。そこまでは、わかりかねます」


 肩をすくめた孝文が、小さくため息をつきました。


「まあ、いいや。とにかく、みんな無事でいてくれたんだね。しかも、ちゃんと仕事してたなんて、安心したよ。それに引きかえ、僕はまだ浪人生で――」


 自分を責めているのか、次第に声が小さくなる孝文の声をさえぎって、占い師は言いました。


「……でも、この水晶玉が言ってますよ。孝文さん、あなた本当は、もっとちがうことを占って欲しかったのでは?」

「おお、そこまでわかるんですか! そのとおりです。本当は……母が昨日、結婚を前提に付き合ってる男性と会って欲しいと突然言い出して。それで、僕はどうすべきか占って欲しかったのです」

「え? あの(・・)ママさんが、再婚するですって!? あ、いえ、なんでもありません……。でもそれなら、占うまでもありませんね。ぜひ、会ってあげたらいいじゃないですか。それで、相手がいい人だと思ったら、ママさん――いえ、お母さんを応援してあげたらいいのよ」


 孝文が納得がいかないとばかりに、テーブルをどん、とたたきました。


「無責任なこと言わないで! ずっと、母ひとり子ひとりで力を合わせて生きて来たんだ。今更、新しい父親なんて必要ないよ。母さんを幸せにするのは、この『僕』なんだ。立派な獣医になって、たくさんお金を(かせ)いで――」


 鼻息の荒くなった孝文と言い争いにならないよう、占い師はゆっくりとした口調で話し始めました。


「なるほど。どうやら、今一番必要なことは――孝文くん、あなたが大人になることみたいですね。かつてお宅にいたパンダたちがそうであったように。パンダは数年で大人になるというのに、人間は19年生きても大人になりきれないものなのですね……。

 それから、もうひとつ。ママさんの幸せは、ママさん自身のものよ。あなたが大人になることもママさんの幸せの一部だとは思うけれど、あなたにママさんの人生をどうにかして欲しいなんて、ママさんはちっとも思っていないと思う」

「そんなものかな」

「そんなものです」


 なんだか少し肩の力が抜けた様子の孝文。

 ふっと息をはくと、言いました。


「……それなら、来年の今頃、僕が何をしてるのか。そして、幸せになっているのか、占ってみてよ」

「わかりました。占ってみましょう……」


 占い師が肉球のついた両手をかざすと、透明だった水晶玉が七色(なないろ)に光りだし、しばらく複雑な組み合わせの色で輝き続けました。

 光がなくなり、元の透明な水晶玉に戻ると、占い師は肩をすくめながら言いました。


「あら、残念でした。水晶玉は、こう言ってる。『まだ、決まっていない』って。すべては、あなた次第だと。あなたが大人になれるかどうかにかかってる、と」

「ふうん……」

「孝文くん、これだけは言っておく。幸せとは、(みずか)らを正義と語る(うす)っぺらい人間とか、自らを救世主(きゅうせいしゅ)と名乗る怪しい他人によって(つく)ってもらうものなんかじゃないの。自らが(おのれ)の信念に従って己の幸せのために動き、考えること――これが大事なんだと思う。でも、利己(りこ)主義になってはいけないわ。だからまず、大人になりなさい。そうすれば、おのずと道は開ける」

「わかった。考えてみるよ、パダン。それにしても、とても難しいことを言うようになったものだなあ」

「すみません、ちょっとお説教みたいになってしまいましたね――って、私はパダンではありませんが。あ、それから、占いはできませんでしたから、お代は要りませんよ」

「そうですか、わかりました。では、帰ります」


 孝文は立ち上がると、部屋の出口へと向かいました。

 と、ふと足を止めた孝文が、振り返りました。すると、占い師は顔をおおっていたベールをはぎ取っていました。その姿は、まさにピンクの紅白パンダ。ただただやさしい目をして、かつての幼なじみの成長を喜んでいるかのように、ほほ笑んでいます。


「ほらね。やっぱり、パダンでしょ!」

「あらら、バレてしまいましたね」

「いやいや、だいぶ前からバレてたから。それから、さっきの水晶玉の中の画像だけど――僕には、はっきり見えてたよ。大学生っぽい僕が、アパートのリビングで知らないおじさんと母さん、3人で笑っている、そんな姿がね」

「さて、どうでしょうか。それはすべて、これからのあなた次第です」

「あくまでも、そう言い張るんだ……。まあいいや、わかった。この10年の積もる話もあるし、また来るよ」

「心の天気が曇ったら、いつでもどうぞ。なにせここは、『心の洗濯専門店 占い屋』ですから。あ、でも、次はお代を頂きますからね!」


 店の外に出た孝文は、もと来た道の方向へとゆっくり歩き始めました。

 ふと見上げるとそこには、冬には珍しい、濃い青色をした空がありました。今の孝文の心のように、澄み切った青空なのでした。



 おしまい


お読みいただき、ありがとうございました。

なんと、私が「副館長」を務めるひだまり童話館が、10周年!!

本当にありがとうございます。

今までいろいろな形で参加していただいた皆様のおかげです。

そして、これからもよろしくお願いします!


ひだまり童話館企画参加者の皆さんの作品は、下記のバナーからどうぞ!

過去の紅白パンダの話も、リンク張っておきます。

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