5.殺す気だった?
「すまない、河原。相手が悪かったな。ちょっと休め」
「はい……」
頷いた河原が深いため息をついて集団に戻っていく。
「ホントに手加減してねーのか?」
「チョー本気だったけど?」
「マジか」
男子の会話が女子にも届く。階段から落ちかけたり、物を落としそうになって助けてもらったことが少なからずある奏たちも驚いて顔を見合わせた。
ざわつく生徒たちを、橋本が咳払いをして視線を集める。
「――とまあ、見ての通り河原の〝影〟を簡単に破るくらいには強い。それでも相手したい奴はいるか? もちろん一対一で」
橋本がそう訊ねると、男子の中からちらほらと手が上がった。さすがに女性を嬉々として殴ろうとは思わないだろう。だが好奇心は抑えきれない。
「なら、まずは渡会がやってみろ。危なくなったらすぐに止めるからな」
「はい」
頷いた男子が一人、前に出てくる。
「柳内、渡会はいわゆるエスパーだ。念動力で遠くのものを動かせるし、相手を掴んで足止めもできる。後手に回ると厄介だがどうする?」
橋本の問いかけに、星羅は首を横に振って答えた。
「……死ぬときは、死ぬときです」
「そう簡単に死ぬとか言うな。危なくなったら助けるからな。命の危機を感じたらお前も全力で抵抗しろ」
「……はい」
頷いた星羅に、橋本は懐疑的な目を向けたまま。それでも切り替えて、向かい合った二人を見やる。
「準備はいいな? ……はじめっ!」
男子――渡会の右手が空中でなにかを掴む。
「っ!」
直後、星羅の息が詰まった。
「……っ、――」
平静さを保とうとした顔が歪んでいく。渡会が腕を上げれば、星羅の体も少しずつ上昇する。全員がほぼ同じタイミングで異常を察知した。
「やめろ渡会!」
橋本が叫ぶ。と同時に柏手が打たれ、星羅の体が重力に従って落下する。数センチしか足が離れていなかったが、地に足が着くとそのまま膝をついた。
「――っ、ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」
「柳内さん、大丈夫⁉」
「柳内、落ち着け、息をゆっくりと吐くんだ」
激しくせき込む星羅に奏が駆け寄り、橋本は指示を出すとすぐに渡会を睨んだ。
「渡会! 今、柳内の首を絞めたな? どういうつもりだ」
「どうって、普通に手合わせのつもりで……」
「手合わせでいきなり相手の首を絞めるのか? お前は。今までどういう教育を受けてきた!」
「ここにいるみんなと同じものを受けてきましたって! ちょっと手が滑っただけじゃないですか」
「そう思っているならなんですぐに手を離さなかった? 首を絞めたまま数センチ持ち上げただろうが。俺にはわざとやっているようにしか見えなかったぞ」
「いや……。あー、ハイハイ。そうですよ、俺が全部悪いんですよ」
「そうやって話を切り上げるな。自暴自棄になるな。何度も言っているだろう」
「じゃあセンセーは俺にどうしろって言うんですか」
「まず柳内に謝罪。その後の判断は彼女に任せる」
「なんで無能者に……あ」
渡会が慌てて口を塞ぐ。非能力者に対する差別用語は、今度こそ口が滑って出たようだった。
橋本は深いため息をついた。
「渡会……お前、後で職員室な」
そう言って、橋本は星羅の方を見やる。
「柳内、立てそうか?」
「……はい」
呼吸が落ち着いた星羅は、自分の膝を支えにして立ち上がる。
「ほら、渡会」
「…………すみませんでした」
橋本に促され、渡会はしぶしぶとそう言った。
「あんたねえ……」
奏が食って掛かろうとしたが、橋本に手で制される。それから彼は、渡会をじっと見つめる星羅に問うた。
「柳内、なにか一言あるか?」
「…………」
数秒、星羅は思案して口を開いた。
「……殺す気だった?」
「……は?」
あまりにも自然な声音に、聞き間違いかと渡会が問い返す。
星羅は顎を上げ、自分の首を指さした。
「絞めていたのは、ここ。息の根を止めるんだったら、もっと上。そうしたら気道がずっと狭くなって、血管も閉じれるからブラックアウトが早くなる。首の骨を折りたかったら、もうちょっと……」
「待て待て待て! 柳内ストップ!」
橋本がその手を掴んで止めに入った。
「なに殺し方をレクチャーしてんだ⁉ 本当に殺されたいのか⁉」
「……殺したいから殺すんですよね?」
星羅はこてんと首をかしげて訊き返した。なにを当たり前のことを聞いているのだろうかと、心底不思議そうな声だった。
「先生、放課後まで待とうかと思いましたけど、聞いていいですか?」
「……なにをだ?」
「先生はどうしてあたしを庇うんですか?」
「この中で一番弱いのは柳内だ。〝アーツ〟を満足に使いこなせていないお前を気にかけるのは当然だ」
「被害者の子どもですよ?」
「だからこそだ。ここは前の場所とは違う。襲われたら助けてと叫べ。死にたくなかったら全力で抵抗しろ。お前にはその権利がある」
橋本の言葉に、しかし星羅は首をかしげる。
「……やっぱり変です。先生も、ここの人たちも」
ざっと、怯えが混じった目をする生徒たちを見渡す。
「あたしは殺された人の子どもなのに。みんな殺せるだけの力があるのに、殺しに来ないなんて変です」
お前も後で職員室な。
橋本は疲れた声でそう言って、その後は星羅に見学を指示した。
星羅は特に意見しなかった。ただ無表情で「はい」と頷き、グラウンドの隅にちょこんと座っていた。体育の授業が終わって着替えた後も、表情筋は動いていない。
そこからさすがに、クラスメートたちも見る目が変わってきた。
「なあ、もしかして柳内って奴、思った以上にヤバい奴?」
「ファントムを殺すなんて息巻いてたけど、それってつまり自殺願望?」
「いや、たぶんあれいじめとか虐待とかで心を閉ざしているんだと思うよ?」
「あんまり大きな声では言いたくないんだけど……火傷の痕とかすごかったし……」
できるだけ星羅から離れて、ひそひそと小声でやりとりする。戦犯の渡会も彼女の態度にドン引きして、この話し合いに加わっている。
「殺された人の子どもって、つまり殺人事件の被害者だよな? 普通は庇われる側だよな? なんであんな思考回路になってんだ?」
「知らないわよ。……たぶん、守ってくれる人が誰もいなかったんじゃない?」
考えられるシナリオはそれくらいだ。誰も守ってくれなかったから、自分を守るために心を閉ざし、死の恐怖を麻痺させている。
彼女がここまで生きてこられたのは、ひとえに仇と目されるファントムへの執念だろう。
大人たちが隔離教育してくれたおかげで、幸いにも自分たちはそんな憂き目にあわずに済んでいる。だが、外からやってきた少女がそんな凄惨な人生を歩まざるを得ない世界なんて、なんと残酷なことか。
「……よし決めた」
奏は一つ頷く。
「私、やっぱり柳内さんの友達になる」
「っうぇええ⁉」
驚きのあまり変な声が出たのは牧子だ。他のクラスメートたちもギョッとした顔で奏を見る。
「ちょっと奏、本気⁉」
「さっきの今だぞ⁉」
「さっきの今だからこそよ。体育の時も近くで見てて感じたけど、なんか危なっかしいんだよね」
「いやだからって、奏が犠牲になることないよ」
「別に犠牲になるつもりはないよ。それに先生言ってたじゃん、手を出さなきゃ反撃されないって。だからまだ仲良くなる余地はあるよ」
「……もし、手遅れだったら?」
「その時はその時かなぁ」
肩をすくめて笑う奏に、女子の一人が額に手を当てて天井を仰ぐ。
「あんたのお人好しも大概だね」
「誉め言葉として受け取っておくよ、穂香」
穂香と呼んだ女子に笑い返す。
覚悟が出来たなら、あとは進むだけ。
奏は踵を返して星羅の席に向かい、
キーンコーンカーンコーン
「タイミングぅっ‼」
本鈴に邪魔された。
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