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エピローグ

 玄関を開けた匠の喉に、ナイフを突き立てる。

 殺しは静かに。体に染みついた教えがこんなところで役に立つと思いたくなかった。

「ごめん、匠」

 溢れる血で窒息する彼に謝罪し、ナイフを回す。抉ると同時に首の骨も折った。

 力を失くした体を静かに壁にもたれさせる。

「あなたー? どうしたの?」

 千景の声がする。足音を立てず、素早くそちらへ向かう。

「え、あきひ――」

 驚いて、恐怖に顔を強張らせる彼女の喉を、匠と同じように突く。勢いに任せて床に叩き付ければ、首の骨を折る手応えを感じた。

「――、――……」

 千景の手が、視線が、暗がりの方へ向かう。なにかを掴もうとして、途中でぱたりと落ちた。

 そちらに視線を向けて、驚いた。

 星羅と目が合う。とっくに寝ている時間だと思っていたが、布団の中で目を見開き、息を殺していた。

 ゆっくりと立ち上がる。どうしたらいいのだろうか。殺すつもりはない。知らないでいてくれたら、まだ大手を振って会いに行けただろうに。

「……ごめんね」

 声にちゃんと出ていただろうか。

「またね」

 血を払い、ナイフを隠して外に出る。

 あのまま連れ去っていたら、たとえ憎まれていても少しは一緒にいられただろうか。余計な傷を負わせずに済んだだろうか。

 十年間繰り返した自問自答は、いつも同じ答えに辿り着く。

 家族みんなと一緒にいたかったから、殺した。


◆   ◆    ◆


「神崎さんの遺体、見つかりましたよ」

 事務机を挟んで向かい合った矢代が、げっそりした顔で言った。

「あんたが言った通り、隣町の山中から。……おかげで二警察署での合同捜査になりましたけど?」

「それが目的だったりしたからね」

 矢代の正面に座る男――ファントム、あるいは空木明人と呼ばれた彼は、けろりと言ってのけた。

「しかし、一日で見つかるとはさすがだね。こちらも一日がかりで必死に掘って埋めたんだけど」

「警察の人海戦術ばかぢから舐めないでください。あと、あんたの処遇についてですけど」

 矢代はA4の紙を一枚、男に差し出す。

「戸籍のないあんたを裁くことは、法律上できない。仮に戸籍を取得できたとしても、裁けるのはせいぜい柳内夫妻と神崎さんの殺害の件くらいです。警察としては、正直に言うと手続きに費やす時間の方が膨大過ぎてあまり動きたくありません」

 そこで矢代は一息つく。

「……で、ここからはこっちの提案。あんたに、いわゆる闇組織の摘発や殲滅のための駒として動いてもらいます」

「へえ? これ、外しちゃっていいの?」

 男が驚いたように自分の両手を上げる。しっかりと繋がっているそれは、能力者を封じる専用の手錠だ。

「一時的にですよ。あと、これに了承するなら体にGPSを埋める手術とかするみたいなんで、どうあがいても逃げられませんよ」

「なるほど。うん、いいよ」

「まあ考える時間くらいは……はっ?」

 即答されたことを理解できず、矢代は目の前の男を凝視した。男はにこりと笑って答える。

「だから、いいよ。昔の潜入任務で覚えた敵対組織のこと、まだ頭に入っているし」

 十年前のものだから、どこまで通用するかわからないけど。などと笑っているが、その十年前の記憶で何度も闇組織の摘発、殲滅をおこなった実績がある。神崎に化けていた頃、「秘密の情報ルート」と称して決して教えなかったものだ。上層部もその記憶力と情報量、何より誰にでも成りすまして潜り込める能力をみすみす手放したくなかった。誠に遺憾だが、警察を十年も騙してくれたのでその実力は折り紙付きである。

 矢代はあっけらかんと言い放つ男を見つめ、疲れたように項垂れた。

「……じゃあ、この書類にサインして。手術の日程が決まったら、また教えますから」

「わかった」

 ボールペンを渡され、書類の一番下にサイン――しようとして、固まった。

「そういえば、名前はどうすればいい?」

「好きにしてください」

 矢代は投げやりに答えた。男は少し考えて、「空木明人」と書く。自分を縛る書類だが、そこに自分が考えた名前を書けるのが、なんだか嬉しかった。

「うん、書けたよ」

「はい、じゃあ拘置所に戻しますよ」

 見張りの警察官が入ってきて、男は拘置所へと移送された。


◆   ◆    ◆


 フライパンの中を覗き込む自分が、硝子のふたに反射する。

「……長いね」

「ホットケーキはねえ、地味に長いのよ」

「待つ時間も楽しみだけどね」

 奏と穂香が笑う。

 調理実習室では、お菓子や総菜の試作に余念がない調理部のほかに、星羅と奏、穂香、そして牧子の四人がいる。調理部はてきぱきとあれやこれやを作っているが、こちらは調理台を一つ借りてホットケーキを焼いている。黄色い生地が少しずつ膨らんでいくのを、星羅は興味深そうに眺めていた。

 事の発端は、それぞれ秘蔵のお菓子を持ち寄って開催された女子会でのこと。元は星羅が無事に橋本の養子となったお祝いだった。話題が二転三転した末に、なぜかホットケーキのトッピングに話が飛んだのだ。

「メープルシロップとバターは鉄板よね」

「そこにバニラアイスを載せると……」

「ああ~! 罪の味~!」

「ねえ、星羅はどんなのが好き?」

 話を振られた星羅が、どぎまぎしながら一言。

「……ほっとけーき、ってなに?」

 次の休みがホットケーキの材料の買い出しになったのは言うまでもない。卵や牛乳などは、少量であれば寮や食堂のおばちゃんたちから貰えたので、ミックス粉とケーキシロップだけで済んだ。

「まさかずっとコンビニ弁当だけだったとはね……」

「調理をするって発想がなかったから……」

「うーん、闇が深い」

「調理実習の時はどうだったのよ?」

「最初はロッカーに閉じ込められてた。二回目以降は仮病で休んだ」

「う……ごめん」

「なんで謝るの?」

 そうこうしているうちに、水分が程よく抜けて気泡の痕が目立ってくる。

「わー、ブツブツ」

「引っ繰り返せば消えるから大丈夫だよ。ほら、こんな風に」

 奏が隣のフライパンで手本を見せ、フライ返しを星羅に渡す。

 持つのも初めてなのだろう、おっかなびっくりとフライパンと生地の間にそれを差し込み、見よう見まねでえいやと返す。

「おおー!」

「すごいじゃん! 一発成功!」

「やっぱり運動神経がいいから?」

「知らない……」

 四人できゃあきゃあはしゃぎながら、焼き上がったホットケーキを皿に移す。さらにもう二枚焼いて、四人分ができあがった。

「ではシンプルに」

 調理部からもらったバターを落として、ケーキシロップをかける。

「「「「いただきます」」」」

 食前の挨拶をして、思い思いにナイフとフォークで切り分ける。

 未知の弾力にこれまたビビりながら、星羅は小さく切った一切れを口に入れる。

「……ふわふわ。甘い」

「甘いのに甘いのをかける、これ正義よ」

 穂香がどや顔で胸を張る。

「お惣菜系も意外と侮れないけどね」

 牧子が口を出す。

「あ~、甘いとしょっぱいの無限ループ……」

 奏が頭を抱える。

 女子トーク特有のころころ変わる話題を聞きながら、噛み締めるようにホットケーキを食べ進めていく。

「おーい、柳内さんいるー?」

 調理実習室のドアが開いて、河原が顔を覗かせた。

「なにー?」

「例のやつができたんだけど」

「待ってました!」

 と言ったのは星羅ではなく奏。早く来い、と手招きされて、河原は女子率が圧倒的に高い場所へおずおずと入ってきた。

「はい、これ」

 手渡されたのは、きれいに包装された小物。それをべりべりと開けてみると、見覚えのあるものが転がり出た。

「……バレッタ。直ったんだ」

「金具を丸ごと付け替えなきゃいけないから、ちょっと苦労したけど。どうにかなったよ」

 すべてが終わって一段落した頃、河原が星羅にバレッタを預からせてほしいと頼んできたのだ。

「絶対に壊さないから! 直すから! お願い!」

 と拝み倒して約束を取り付けた様は、傍から見たら彼女の機嫌を取る彼氏に見えなくもない。しばらくは何事かと話題になっていた。

「すごいね。ちょっと綺麗になってる?」

 バレッタを覗き込んだ奏が言うと、河原は頷いた。

「軽く研磨して、透明なアクリル塗料で保護したんだ。持っているやつがいたから、ちょっと借りた」

 言われてみれば、なるほど。以前と少しだけ手触りが違う。

(お母さんが買った時、こんな色だったのかな)

 天の川を閉じ込めたようなグリッター。幼い頃、自分にもつけてほしいとねだったもの。両親との思い出が残る、唯一の品。

「ね、つけてみせて」

 奏にせがまれ、星羅は頷く。

 両サイドの長い髪を後ろでまとめ、金具を留める。

「……どう?」

 奏たちが後ろに回る。プロレス技をかけられる、後ろから首を絞められる、と首筋が粟立つ。

「綺麗にまとまってるよ」

「うん、サイドを下ろしてるよりこっちの方が似合うね」

「やるねー、河原」

「お、俺は別に、直しただけで……!」

 牧子に褒められた河原が、なぜか顔を真っ赤にしている。

 予測していたものが来なくて、星羅は詰めていた息をこっそり吐きだした。

(……そういえば)

 この学校に来てから、あの上級生たち以降、まったく攻撃や嫌がらせを受けていない。

 なにかと口の悪かった渡会は、星羅の脱走事件以降は完全無視を決め込んでいる。なぜか怯えているようだが、あちらから接触してこない限り、星羅も彼と関わるつもりはない。〝縁切り〟をするまでもないことだった。

「星羅? どうしたの?」

 奏が覗き込んでくる。

「……ううん、なんでもない」

(幸せだと思うのは、もうちょっと先でもいいかな)

 小さな思いを飲み込んで、星羅は笑った。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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次回作の執筆の励みになります。

よろしくお願いします。

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