22.ファントム
「…………」
神崎――ファントムは答えなかった。重そうに手を持ち上げ、自分の髪をぐしゃりと掴む。
「…………」
次の行動が読めない。星羅は自身の周りに薄くバリアを張って、ファントムの行動を待つ。
「……言いたいことは、たくさんある」
長い沈黙の末、ファントムはそう言った。
「匠と千景……君の両親を殺したこと。神崎刑事を殺したこと。君の親代わりになろうとしたこと。……上手に守れなかったこと」
髪を掴んでいた手がだらりと落ちる。ファントムの顔がゆっくりと上がる。
「嘘を……重ねていたこと」
口角が引き攣る。笑おうとしているのに、泣き出しそうな顔だった。
「ごめんね……もう、嘘をつけない」
顔の周りが歪む。まるで靄がかかったかのように認識できなくなる。
「ねえ、星羅ちゃん」
瞬きの後、星羅は目を見開いた。
「僕のこと、覚えてる?」
「…………」
そこにいたのは、中年の痩せた男だった。くたびれた髪。少しこけた頬。剃り残った無精ひげ。なにより、泣きそうに細められた目に、見覚えがあった。
「……やだ」
頭から血の気が引く。拒絶が口を突いて出る。前に出ようとしていた足が後ろに引かれる。
罠だ。これは違う。頭でそう言い聞かせようとしても、散らばっていたパズルのピースがどんどん組み上がる。
十年前、両親の死と同時に消えてしまった人。目の前で両親を殺した人。血塗られたナイフを持った人。目が合って、驚いて、そして悲しそうに笑って、いなくなってしまった人。
恐怖に竦んで布団から出られなかった自分を、何度恨んだことか。あのまま飛び出していき、両親だったものにつまずきながらでも引き留めていれば、なにかが変わっただろうか。
「違う……偽物だ」
「残念ながら、本物なんだ。これが素顔なんだよ」
神崎と全く違う声音。声まで変えられる能力のポテンシャルに舌を巻く余裕はなかった。
可能性を考えなかったわけではない。ただ嘘だと思いたかった。
だって、これが真実だとしたら、あまりにもむごい。
「……明人、おじさん」
痛む喉から絞り出された声は、情けないくらい涙声だった。
ファントムの目が柔らかく緩む。
「懐かしいな。その名前、憶えていてくれたんだ」
「忘れるわけないでしょ⁉ 全国に指名手配されてるんだよ?」
当時五歳の星羅の記憶を基に作成されたモンタージュ。本来はフルネームでなければいけなかったが、星羅が下の名前しか覚えていなかったことから「あきひと」の名前だけで登録された。のちにアルバムを引っ繰り返してフルネームと漢字を探し当て、重要参考人として指名手配に至っている。当時は全国ニュースにも取り上げられた。
事件以降、ずっと会えなかった。ファントムに殺されたと思っていた。
明人と同一人物なんて、思いたくなかった。
どうして、ファントムの素顔が明人なのか。
「なんで……なんでなの⁉」
大鎌を持つ手が震える。
なんで両親を殺した。なんで姿を消した。なんで他人に化けて現れた。なんで自分だけ殺さなかった。
十年分の「なんで」が溢れて止まらない。感情が、想いが胸を締め付けて、それ以上の言葉になってくれない。
「家族になりたかった」
ファントムが静かに答えた。
「君たちのような家族になりたかったんだ」
星羅をまっすぐに見つめる目は、一点の曇りもない。だからこそ、星羅もその言葉に嘘はないと確信できてしまった。
「……そんなの、いくらでも別の方法があったじゃん」
両親から人を紹介してもらう。なにかしらのコミュニティに属してみる。結婚相談所だってある。
人間不信の星羅ですら、こんな選択肢がすぐに浮かぶ。それをぜんぶすっ飛ばして、ファントムは凶行に走った。
ファントムが首を横に振る。
「ダメだよ。ダメだったんだ。……人並みの生活が、僕には想像できなかったんだよ」
笑いながら。泣きそうになりながら。ファントムは自分の胸を掴む。
「ねえ……生まれた時から人を殺すための教育を受けていて、普通の生活が想像できると思う?」
喉に石が詰まったようになった。
「誕生日プレゼントはナイフや銃。本物の人間を使って、どこまで出血すれば人間は死ぬのか、実践も実験もやらされた。定期的に〝選抜試験〟なんて言って、仲間同士で殺し合いもした。……わかる? 殺しが日常の中で、殺しのない生活なんて描けなかったんだ」
「……なら、」
腹に力を込めて、星羅は言葉を吐き出す。
「お父さんとお母さんに、なんで出会ったのよ」
ファントムの目が見開かれる。
「出会わなきゃよかったじゃない! このままずっと殺し屋として生きていたら、こんなことにはならなかったじゃない!」
もしもが頭から離れない。それまで抑圧されていた想いが、どんどん噴火する。
「なんで……なんで! お父さんとお母さんを殺して、あたしを手に入れて、願いが叶って! それであんたは満足だったの? 幸せだったの⁉」
「…………それは」
言葉に詰まる。
即答してほしかった。それで星羅も少しは救われた。
だけど、続かない言葉が証明してしまった。
幸せでなかったと。
「……星羅ちゃん?」
星羅の後ろから、呼びかけられた。
「その人……誰?」
ハッとした二人がそちらを見れば、現場検証に駆けつけていた矢代たちが立っていた。橋本をはじめとした教師も何人か見える。
水を差された思考が止まる。
いち早く復帰したのは、ファントムの方だった。
「動くな」
ぐるん、と体が反転した。黒塗りのナイフが星羅の首筋に添えられる。空いた手は星羅の両手ごと大鎌を押さえつける。
流れるように人質を取られて、大人たちは息を呑んだ。
「僕はファントム。あるいは空木明人と呼ばれている」
警察が一気に殺気立つ。十年間、姿をくらませていた殺し屋が目の前にいる。しかも指名手配していた人間と同一人物。
何人かが腰のホルスターに手を伸ばした。自分たちは対能力者犯罪のための部署に属している。荒事は得意だった。
人質さえいなければ。
「感動の再会を邪魔されて、今僕は機嫌が悪いんだ。そのまま大人しくしてもらえる?」
にこやかにファントムは笑いかける。少しでも妙な真似をすれば、星羅の喉を掻っ切る。一切の隙も躊躇いも無い姿に、矢代たちは動けなくなった。
「……あ、あき、ひと、おじさん……」
出来るだけ動かないようにしながら、星羅は懸命に舌を動かす。
後ろに回られているせいで顔が見えない。首に当てられたナイフの冷たさが体温と溶け合う。
「……今度はちゃんと、ゆっくり話し合おう」
「え」
手が滑るように離れる。握りしめた大鎌が、星羅の意思に反して小さくなる。
「あっ、え?」
手の中から大鎌の感触が消える。ファントムが握りしめた拳の中にあると気付いて、だけどナイフのせいで大きく動けない。
「またね」
ナイフが首から離れる。同時に力強く突き飛ばされ、星羅は地面に倒れ込んだ。
「柳内!」
「ま、待て!」
バサッ、と羽ばたきの音。起き上がったら、矢代たちが拳銃を構えるのが見えた。
振り返ると、大きな鳥――鷹か、トンビか――が翼を広げて急上昇するところだった。
「あ、ま、待って……!」
「柳内、ダメだ!」
立ち上がろうとした星羅を橋本が抱きしめる。
それでも星羅は、必死に手を伸ばした。
「待って、やだ、置いてかないで……!」
また、一人になっちゃう。
呼びたかった名前は、声にならなかった。
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