21.違和感、証拠、確信
「……ねえ星羅。なんでジャージ?」
「……新しく着替えるの、気が引けたから」
寮の部屋で着替えた星羅は、待ち構えていた奏の問いにそう答えた。
のろのろと膝をつき、ゆっくりと伏せる。
「ん? え? 星羅?」
「ごめん、せっかく選んでくれたのに、駄目にしちゃって」
「待って待って待って! なんで土下座⁉」
「顔上げてよ、立って!」
奏たちが慌てふためきながら、星羅を強引に立たせる。
「星羅が無事だったらそれでいいよ。服はまた買えばいいんだし」
奏が星羅の背中をぽんぽんと叩いて言えば、牧子たちも頷く。
「そうだよ、本当に、生きててよかった……」
「私らの方こそごめんね。真っ先に逃げ出して」
「……いや、当然の反応だから」
星羅は目を逸らし、小声で呟く。
「それより、警察の人とか呼んでなかった?」
「あ、うん。着替え終わったら来てほしいって」
女子の言葉に頷いて、星羅は足早に外へ向かう。それを見送って、彼女らは一斉に奏へと駆け寄った。
「奏、本当に怪我とかなかったの⁉」
「河原とかあの大きい変なのに潰されてたんでしょ⁉」
「どうやって退治したの⁉」
「ちょちょちょ、落ち着いて」
ぐいぐい詰め寄られて奏が及び腰になる。
「河原も無事だったから! 念のため病院に行ったけど、たぶん大丈夫だって先生たちは言ってたよ」
その言葉に何人かがほっと溜息をつく。
「で、どうやったの?」
「それが……。あれが殺し屋? の能力なのは一発でわかったんだけど、足元に河原がいたから迂闊に動けなかったのよ。踏み潰されたりしそうで怖くて」
うつ伏せに倒れたまま動かない河原の姿は、生きているのか死んでいるのかわからなかった。彼が小さく指を動かしてくれなければ、不安と恐怖で奏が錯乱していたかもしれない。
「橋本先生の能力は?」
「使う前に人質に取られちゃって。すぐ解放されたんだけど、あの狼? に睨まれたら、ちょっと動くだけで河原が死んじゃいそうで……」
背骨から凍っていくような感覚を思い出して、奏はぎゅっと自分を抱きしめた。
「……河原が、能力を使ってなかったら、私たち、動けなかった」
河原の能力は、影による支配。
いつどんなタイミングであの獣が動き、自分たちを食い殺すかわからなかった。
その獣の下にいることを利用し、河原が獣の動きを止める。橋本と神崎がそれに気付いて二手に分かれ、神崎が星羅の元へ駆け付けるだけの隙を作った。
奏に出来たのは、獣を刺激しないように息を殺したこと。そして、橋本が持つ強制解除能力で消滅させた獣の下から、河原を仰向けにして意識の確認をしたことだった。
「そっか、うん。そっか」
穂香が奏の背中を優しく撫でた。
「頑張ったね、奏」
雫が一つ、床に落ちた。
「神崎さん、ちょっといい?」
殺し屋がパトカーに連行され、河原が病院に搬送され、あらかたの事情聴取が終わった後。
星羅は神崎を手招きした。
「どうした?」
「こっち。ちょっと来て」
そう言って先を歩く。転校して一ヶ月と少し。道のりもだいぶ覚えた。
向かった先は高等部の校舎。そのさらに奥。
「へえ、こんな奥まった場所があるんだ」
工事中を示すカラーコーンと、黄色と黒のバーで囲まれたアリーナ。いまだ改修工事中のそこの前で、星羅は鎖を外す。
「で? 急にどうし――」
振り返ると同時に大鎌を振るった。
「ったぁ⁉」
神崎が後ろへ大きく仰け反って回避する。前髪が数ミリ切れた。腹筋に力を入れて起き上がれば、星羅が第二撃を入れるために振りかぶった後だった。
「って、ちょっ、うぉいっ⁉」
横へ転がるようにして逃げる。さっきまで神崎がいた場所に、大鎌が深々と刺さっていた。
「いきなりなんだ⁉ 僕がなにかしたか⁉」
声が裏返っているのを自覚しながらも叫ぶ。星羅が突然こんなことをするなんておかしい。さっきの殺し屋の仲間が操っているのか?
いつでも同僚たちを呼べるよう、通話の直前までスマートフォンを操作する。
大鎌を引き抜いた星羅が、ゆっくりとこちらを見た。
「――――」
息を呑む。
神崎は仕事柄、能力で操られた者を見たことがある。
意思のない濁った目。
星羅は違う。
中学校で縁を切った者たちに向けていたものと同じ。
強い敵意に満ちた目だった。
「……僕が、なにか、したか」
星羅がゆっくりと神崎の言葉を繰り返す。
「……まず一つ。あんたは時々、自分を指す言葉が『俺』から『僕』になる」
神崎が自分の口元を抑える。無意識だったのだろうそれに、しかし星羅の視線は冷たい。
「二つ。あたしを呼ぶ時、呼び捨てとちゃん付けが混ざる」
「……昔のクセが時々出るだけだ」
「かもしれないね」
心臓がやかましい。
「三つ目。あんたが教えてくれた護身術。あれ、相手を最速で無力化できるようになっていた」
おかしいと思ったのは、橋本と手合わせした時。いくら様々な格闘技を習っていたとはいえ、体育の教科担当をしている成人男性に圧勝してしまった。さらに先ほどの殺し屋の言葉。同業者と戦っていると錯覚しているような物言いが引っかかった。
「そして四つ目。……あんた、非能力者なのに、なんでこれに触れた?」
神崎の目が大きく見開かれる。
〝アーツ〟には意志が宿ると言われている。自身の所有を認めた者以外にも、心を許す者、あるいは次の持ち主として見定めた者は、拒絶されない。
しかし基本的に、一度適合者が現れた〝アーツ〟はその人しか触れない。仮に触れたとしても、重すぎて持ち上げられない。だから〝アーツ〟の運搬には非接触で運べる能力者が重宝される。非能力者ならば尚更、強い静電気のような拒否反応で弾かれて終わりだ。
だけど神崎は触れた。大鎌を小さくするように促すため、それを軽く叩いた。
非能力者である彼が、拒絶されなかった。
前提が大きく崩れる。
「答えろ」
大鎌の先端を向け、星羅は問う。
「なぜ神崎さんに化けた? あたしに近付いて、なにをしようとしていた?」
神崎の視線が揺れる。星羅の視線から逃れようと、泳いで、泳いで、地面と目が合う。
「答えろ」
努めて冷静に。怒りのマグマを喉の奥に押し込んで。
星羅は呼んだ。
「ファントム」
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