1.季節外れの転校生
「ねえ、さっき職員室を覗いてみたら、転校生っぽい子がいたよ」
樋口奏が興奮気味に口を開けば、能力者育成学園高等部一年の教室がどよめいた。
「どんな子だった?」
「男? 女?」
「女の子だったよ。頭の後ろで髪を留めててさ。こういう四角いバレッタ」
近くにいた男女からの質問に、身振りを交えて答える。女子は同性であることに喜び、男子は異性であることに嘆く。
「やったー、女の子!」
「ちぇー」
「まーたうるさくなるよ」
「うるさいのは男子もでしょー」
あはははは、と穏やかに笑い声が飛ぶ。
新緑の五月、ゴールデンウィークが明けた教室に爽やかな風が躍った。
「どんな子だった?」
「話し声とか聞こえた?」
「うーん……」
しかし、同級生からの問いに奏は一転して難しい顔を浮かべる。
「それが……ちょっと暗い? 怖い感じ?」
「うん?」
「え?」
話の雲行きが怪しくなる。それまでなんとなくグループで固まっていた生徒たちは、奏の周りにじわじわと集まってきた。
「どういうこと?」
「その子が話している声は聞こえなかったのよ。でも橋本先生が、なんか頭を抱えててさ。『頼むから大人しくしててくれ』みたいなことを言ってたのよね」
「え……」
生徒たちが顔を見合わせる。
自分たちの担任である橋本文彦は、このクラスを担当して一ヵ月ながら厚い信頼を寄せられている。そんな彼が「大人しくしててくれ」と頼むなんて、どんな問題児か。
「……み、見た目は普通だったんだよね?」
「うん」
ぎこちなく問うクラスメートに、奏は頷く。
「あ、でも、そうだ。なんか無表情だった」
「緊張とかじゃなくて?」
「うん。目が死んでる、っていうのかな? 心がここにないっていうか」
「えー……。ますますわからん」
だが、共通の印象として「怖い」イメージはついた。
奏たちは能力者として生まれ、この能力者育成学園で隔離教育を受けてきた。今まで外の世界をほとんど知らなかった自分たちにとって、初めて外から来る転校生。
いったいどんな能力者なのか。どういう性格をしているのか。
予鈴が鳴り響く中、どうか目を付けられませんようにと、祈らずにはいられなかった。
「柳内星羅。非能力者。ファントムを殺すためにここに来た。よろしく」
ホームルームの時間。
橋本と共に入ってきた少女は、教卓の横に立ってそう挨拶する。まるで鉄のように固く低い声だった。
着ているのは動きやすそうな紺色のジャージ。制服がないこの学園では服装こそ自由だが、ジャージ姿で出てくる人は初めてだった。
セミロングの髪は一部が後ろで束ねられている。おそらくバレッタで留めているのだろう。目つきが心なしキツく見えるのは、きっと奏からの前情報を聞いたせいだ。そうだと思いたい。
初っ端からとんでもない右ストレートを食らった奏たちは、総じて絶句する。
能力を持たない一般人であることも驚いたが、それ以上に驚いたのはファントムのことだ。
裏社会で暗躍する凄腕の殺し屋。その名は表社会にも轟いているのに、正体は謎に包まれ、素顔を見た者は誰もいない。表の社会でも未解決になっている事件のほとんどはファントムの仕業ではないかと言われているほどだ。
そのファントムを殺す。霧に向かって銃弾を放つようなものだった。
奏たちの反応は予想通りだったのか、橋本は頭を抱えながら口を開く。
「あー、柳内はこの前まで入院していたんだ。それでこんな変な時期の転入になったが、みんな避けずに話しかけるように。それと本人から許可が出ているから言っておくが、柳内は十年前、両親を亡くしている。犯人は他の人物かもしれないが、ファントムも有力視されている。双方ともまだ見つかっていない。本人の強い希望で、〝アーツ〟に適合したことからここに転入してきた」
そこまで言うと、橋本は教卓をわざと軽めに叩いて、生徒たちの目を覚まさせる。
「柳内は後見人の指導の下、あらゆる格闘技を覚えている。柔道、剣道、プロレス技、ボクシング、それに護身術……。挙げればキリがない。だから喧嘩を売るんじゃないぞ。数倍になって返ってくるし、攻撃されない限り彼女から手を出してくることはない。レッドリストに載りたくなかったら、無用な喧嘩を売らないことだ。以上」
橋本はそこで一息つき、少女――星羅に向けて告げる。
「柳内の席は、一番後ろ、左から二番目だ」
「はい」
星羅は一つ頷くと、迷いのない足取りで席に向かっていく。途中の強張った顔の生徒たちは、見えていないようだった。
彼女が席についたのを確認して、橋本は再び口を開く。
「それから、樋口」
「はい?」
「できれば休み時間中に、学園を案内してもらえるか? 俺は手が離せそうにない」
「え、な、なんで私?」
奏はどもりながら問う。奏の席は最前列。星羅とは席三つ分離れている。もっと近い生徒に頼めばいいはずだ。
「さっき職員室に来てただろ? お互いに少しでも顔を知っていればいいと思ってな」
橋本が答える。
そりゃあ、たしかに書類関係で職員室に顔を出した。しかし遠目に見ただけでまともに話をしたことがない。他のクラスメートに比べて毛ほどのアドバンテージしかないのだ。
「と、いうわけだ。昼休みにでも案内してやってくれ。お前らも遠巻きにせず、積極的に話しかけに行ってくれ」
じゃあ次の授業の準備があるから。
そう言って橋本はホームルームを終わらせた。
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