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17.縁切り

「雨宮衣梨朱。雨宮愛梨朱(ありす)の妹だ」

 一枚の写真とともに、神崎はそう言った。

 雨宮衣梨朱の襲撃から三週間。高等部の生徒が暮らす寮の多目的室は、一年だけでなく上級生たちも押しかけていた。珍しい〝アーツ〟の能力を発揮する場を目撃できるとなれば、無理もない。部屋に入り切れない生徒が、廊下からもこちらを覗き込もうと頑張っていた。

 遠巻きにする生徒たちをなるべく視界に入れないようにしながら、星羅はこめかみを抑える。

「あー……あれの妹か……」

「思い出した?」

「なんとなく。わりと主犯ポジションだったよね?」

「ポジションどころか主犯の中心人物だったんだけど」

「あのグループ、一塊で覚えていたから……」

「まあ、仕方ないか」

 なにしろ全校生徒と教職員が敵に回っているような学校生活だった。一人ひとりを覚えている方が難しい。というか、個人を認識しないようにして、星羅は身を守っていた節がある。それを蒸し返さないように、神崎は慎重に言葉を選んだ。

「〝縁切り〟の仕方は覚えている?」

「うん」

「こっちをやってもいいけど、この間の連中はどうする? まとめて切る?」

 神崎の問いに、星羅より周りが先に反応した。

 視線が一斉に廊下の一角に向く。そこには、転入初日に星羅を集団で暴行した生徒たちいた。

 謹慎が解かれた後、彼らは普通に学校生活を送れている。お礼参りに動こうとした者もいたらしいが、教師の見回りが増えて叶わないようだ。

「別にいい」

 星羅が答えた。そこにはなんの感情もない。

「謝る気がないならそれでいいし、これ以上ちょっかいかけてこないなら切るまでもないし」

「あれをちょっかいで済ませていいのか?」

 橋本が思わず突っ込みを入れた。

「遊ぶつもりだったんだからちょっかいの領域ですよ。殺意とか悪意とかありませんでしたし」

「あれ十分に殺意も悪意もあったからな? だからあいつら謝りに来ないんだぞ?」

「悪いと思っていないから謝りに来ないんです。だったら悪意ゼロ、ただの遊びですよ。彼らにとっては」

 あっけらかんと言い放つ星羅に、橋本が目を覆って天井を仰いだ。

 滅茶苦茶な理論だ。一体全体、どういう環境にいたらそういう思考になるのか。教師としてその一部を知っているとはいえ、想像以上の闇の深さに心が折れそうだった。

「……先生」

 奏が声をかけた。

「謝罪、ないんですか?」

 信じられない、と言外に語っている彼女へ、手を下ろした橋本が頷く。

「ああ、柳内が『心のこもっていない謝罪はいらない』って突っぱねたんだ。自分から謝りたいと言ってきたのは三人だ。逆に、新田をはじめとした残りの連中は謝っていない」

「うわ、サイテー」

 上級生の女子が直球で非難した。元より距離が開いていた七人から、さらに人が遠ざかる。

 その中の一人が声を荒らげた。

「んだよ、勝手に入ってきたそいつが悪いんだろ⁉」

「人質を取った上に下級生の女子を十人がかりでリンチしたやつがなにを言う」

 橋本が冷ややかな目を向けた。

「しかも〝アーツ〟を使って姿を消して襲い掛かろうとしたくせに、半分以上が返り討ち。能力を使わないとまともに手を出せなかったんだろ? 引っ込みがつかなくなったとはいえ、お前の雷撃で柳内が心停止したらどうするつもりだったんだ?」

「その時はその時ですよ、先生」

 上級生――新田の代わりに星羅が答えた。

「雷は初めてでしたけど、意識はありましたから。本当に殺すつもりなら、もっと手加減しませんよ。……ああでも、長くゆっくり楽しむんだったら、あれくらいが最適かな?」

 どう? と星羅が首をかしげる。

 ドン引きしていた。星羅以外の全員が。

 新田たちは別に星羅を殺すつもりはなかった。ただ、非能力者のくせに能力者面をする彼女が許せなくて、身の程を教えてやろうと思ったのだ。そういう言い訳で、殺傷能力が高く敬遠されがちな自分の価値を知らしめてやりたかった。

 でも星羅は、自分の死に頓着しない。自分の命がおもちゃのように扱われてもなんとも思っていない。そのくせ、(しか)るべき制裁はちゃんと与える。

 言っていることとやっていることが滅茶苦茶で、全員が答えに窮した。

「……星羅ちゃん」

 ようやく、神崎が口を開いた。

「あの子たちはいい子だ。間違いがちゃんとわかっている。君が〝縁切り〟をしたやつらとはまったく違う」

「……そうなの?」

「そうだ。だから怖がらせてはいけないよ」

「怖がらせるつもりはなかったんだけどなー」

 幼子へ言って聞かせるような優しい言葉に、星羅はしばらく奏たち生徒を見つめて、頷いた。

「うん、わかった」

 神崎がほうと息を吐く。橋本がちょっと同情の視線を向けた。

「……で、今回はどうする?」

 神崎が改めて写真を指さした。あらかじめ考えていたのだろう、星羅が答える。

「負担をぜんぶ向こうに押し付ける」

「……できるのか?」

「うん」

「わかった。無理をしないように」

 せっかくの楽しい休みを潰された怒りは相当なものらしい。正常な反応を見せられるようになった星羅にホッとしつつ、神崎たちも少し離れる。

 鎖から離した〝アーツ〟が大きくなる。大きさを自在に調整できるのか、奏たちが外で見た時よりもいくらか小さかった。奏たち一年と、初めて見た上級生たちとでため息の種類が別れる。

「おお……」

「すげー」

「あれが〝アーツ〟か」

 さざ波のような声を無視して、星羅は神経を集中させる。

「……因果干渉、開始」

 大鎌の刃に、波紋のような光が浮かぶ。

 世界から音が消えた。視界が黒く塗りつぶされる。代わりに、星羅の耳にはつんざくほどの耳鳴りがこだまする。明るい場所では見えなかった、色とりどりの糸が無数に浮かんでいた。


「えっ、星羅⁉」

 奏が思わず声を上げる。瞬きをした星羅の目が、白目すら黒く塗り潰されていた。わずかに蛍光灯の反射があるから、眼球がなくなったわけではない。だが一瞬で起こった異常に、主に女子から悲鳴が上がった。

「ああ、大丈夫、大丈夫」

 神崎が苦笑しつつもなだめた。

「あれが〝アーツ〟の〝縁切り〟を使っている時の状態だ。俺も初めて見た時はびっくりした」

「……縁切りって、いまだによくわからないんですけど」

 星羅と神崎を交互に見ながら、河原が顔を出す。

「物理的に縁を切るってできるんですか?」

「できるんだな、これが」

 神崎は答えた。

「反動で一ヵ月入院してたけど」


 星羅はテーブルがあった場所に意識を向ける。四角い紙が浮かび上がった。ぼんやりとそこに写る人の上半身を見つめていると、自分の胸から伸びる無数の糸のうち、一本がそれと繋がった。


「入院⁉ どういうことですか?」

「ストップ、ストップ! それ以上は入っちゃ駄目!」

 身を乗り出した奏を慌てて制止し、神崎は説明を続ける。

「縁を切るっていうのは文字通り、因果律に干渉して行うことだ。一度繋がった縁を完全に断ち切り、会うことはもちろんすれ違うことも許さない。因果を利用した絶対非接触領域の構築だ」

「……そんなこと、できちゃうんだ」

 呆然と誰かが呟く。

 人間、生きていれば名前の知らない人ともすれ違い、知り合い、別れる。それを〝アーツ〟の力によって強制的に遮断する。喧嘩別れしたら二度と謝れない。愛の告白も叶わない。それは、あまりにも荒唐無稽だった。

「だから今、近付かない方がいい。間違って縁を切られたら、二度と会えなくなるからね」

 生徒たちが大きく一歩下がった。


 糸の色は、赤紫と黒。まるでDNAのように螺旋を描いて繋がる糸。

 糸には感情が乗る。星羅から写真に向かって渦を巻く糸は赤紫。怒りの色。

 写真から星羅に向かって伸びる糸は黒。

 憎しみの色だった。


「ただし、無傷とは言えない。因果律に直接干渉するから、その反動はすさまじい」

 神崎は冷静に言葉を紡いだ。

「因果律は、本来人間にはどうしようもできないものだ。それを無理やりいじっているんだから、切断、再調整、修正をしている間の痛みは例えようがないものだと聞いた」

「……じゃあ、今も?」

 河原が星羅に目を向ける。大鎌がゆっくりと動いた。

「いや、まだだ。それに今回は負担を相手に全部押し付けるらしいから、こちらにダメージは来ない」

「……ちなみに、前回は誰と切ったんですか?」

 今度は奏が問う。星羅と神崎の言葉から、すでに経験済みだったことはなんとなく感じていた。

 神崎が視線を彷徨わせ、顔を引きつらせながら答える。

「……在籍していた中学校の同級生二百十三人と、教職員二十八人。合わせて二百四十一人分の縁を切った」


「因果切断、開始」

 ざくっ


「っぎゃ‼」

 自室でスマートフォンをいじっていた衣梨朱は、その激痛からスマートフォンを落とした。ベッドに仰向けていじっていたから顔面に落ちてきたが、その痛みとは比べ物にならないものが体の内側から襲い来る。

 まるで体の中から、巨人が腹を裂いて出てくるような痛み。

「――っ、ぃ、ぁ……!」

 痛みで息ができない。体の中に手を突っ込んで、痛みの根源を取り出したい。そう思って体を掻きむしるが、痛みは消えてくれない。

 息は吐き出すばかりで吸えない。酸素が足りない。頭が朦朧とする。

 体の外側に衝撃が走った。どうやらベッドから転げ落ちたらしいが、衣梨朱にそれを気にする余裕はなかった。

 視界が狭まる。かすんで、しぼんで、黒いなにかに侵食されていく。

「――――」

 たすけて。

 その一言は、ついぞ口から出ることはなかった。

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