10.待ち人
誰もいない廊下を歩きながら、星羅は口を開く。
「ねえ神崎さん、なんで先生謝ったの?」
「先生たちがちゃんと警戒して見回りをしていれば、星羅がそんな大怪我をする必要はなかったからね。責任を感じているし、実際に怪我をさせちゃったのは先生たちの責任だ」
「責任ねえ……。それならあたしが悪いって話にならない?」
「ならない。何度も言うようだけれど、これが普通なんだ。星羅は悪くない」
「神崎さんはそう言うけどさあ……。やっぱまだ違和感がすごい。あんなに庇って守ろうとする大人、初めてだもん」
「俺は?」
「神崎さんは最初から味方だったから。殿堂入り」
「そりゃどうも」
校舎を出て、寮までの道を並んで歩く。五分とかからずに、マンションに似た寮が見えてきた。
「ん?」
男女で別れている寮の入り口で、二つの人影を認める。一つは立ったまま、もう一つはうずくまっている。
星羅たちが近付いてくると、立っていた方がうずくまっている方に声をかける。すると、がばっと顔を上げて立ち上がり、こちらに向けて駆け出した。
「柳内さん!」
走ってきた女子生徒に、神崎は小声で星羅に訊ねる。
「……知り合い?」
「……同じクラスの人」
星羅の答えを聞いて、改めて神崎は二人と向き直る。
「あ、あの、柳内さんのお父さんですか? 私、樋口奏って言います。同じクラスになったんです」
「同じく、河原伸治です」
「保護者の神崎です。星羅のことを待っていたのかな?」
人当たりの良い笑顔を浮かべて訊ねれば、奏は頷く。
「はい。……あの、これ、返しに」
握りしめていた手をほどき、さらにハンカチを広げる。その中にあるものを見て、星羅と神崎は小さく驚いた。
「あ」
「バレッタ。……君が預かっていたの?」
「はい。柳内さんが保健室に連れて行かれた後、アリーナに戻って回収していたんです。すぐ返したかったんですけど、保健室は誰も入れなくて……ずっと、待ってたんです」
「ずっと?」
神崎が思わず聞き返した。
昼頃に起きた事件からすでに五時間は経っている。生徒たちは一時より前に寮へ帰されているはずだ。そこから今まで、戻ってくるのを待っていたというのか。
奏は頷く。
「はい。……でも、金具が壊れちゃってて」
バレッタをひっくり返す。強引に引きちぎられたせいで、金具の根元が大きく歪んでいた。
「ごめんなさい、柳内さん」
奏が静かに頭を下げた。
「私が、もっと早く助けに入れてたら、こんなことにならなかったのに……」
「俺もごめん」
河原も頭を下げる。
「もっと早く通知に気付いていれば、もっと早く駆けつけて、止められた。本当にごめん」
「……なんで、謝るの?」
星羅がそっと神崎の後ろに隠れる。
「変」
奏と河原が絶句する。
いいよ、と。気にしていないよ、と言ってくれると思っていた。
だけど目の前の少女は怯えるように保護者の陰に隠れる。人見知りや恥ずかしがり屋の類ではない。他人というものを根源的に恐れ、怯え、警戒していた。
「星羅ちゃん」
神崎が首をひねって星羅を見た。
「二人とも、星羅ちゃんのことが心配だったんだよ。それに、年上の子たちに立ち向かおうって思ってくれた。バレッタだって、完全に壊れたわけじゃない。これ以上壊れないように守ってくれていたじゃないか。それだけ星羅ちゃんの力になりたいと思っていたんだ」
優しく語って聞かせるが、星羅は神崎の陰に隠れて首を横に振る。
「……違うよ。これは借り。借りを返すために、パシられる。タカられる。……奪われる」
星羅の暗い瞳が、バレッタに注がれた。
「それは、人質になっちゃった」
「「違うっ!」」
二人分の大声に星羅が飛び上がった。
「借りとか人質なんて考えもしなかった。ただ大事なものだと思ったの。持っているものを壊されるなんて、私だったら耐えられない。それをなんでそう思うのよ」
「樋口、ずっと心配してたんだ。寮に戻らないでずっと待ってるから、管理人さんも心配してて。俺たちが駆けつけるまでなにもできなかったって、証拠の動画を取るしかできなくて悔しかったって言ってたんだ。だからちゃんと話がしたいって、ここでずっと待ってたんだ」
「……そっか」
後ろに隠れた星羅の代わりに、神崎がそう呟く。
「ありがとう、星羅の心配をしてくれて」
奏と河原が神崎を見る。神崎は優しそうな笑顔を浮かべていた。
「この子はちょっと……いやかなり人のことが信じられない。今まで受けてきた仕打ちを常識と思い込んでいるんだ。きっとここでも困らせることはあると思う。それでも、どうか星羅と根気強く付き合ってもらえるかな?」
神崎の言葉を受け、二人はゆっくりと星羅を見る。彼の後ろに隠れている同い年の少女は、目を合わせてくれない。奏の脳裏に昼間の記憶が甦る。表面上に見えた無数の根性焼き。あれだけでなく、心の奥まで蝕まれていたのだとしたら。
いったい、どれほどの傷をその身に隠しているのか。
奏と河原の手に、ぎゅっと力が籠る。
「「……はいっ」」
力強く頷いた二人に、神崎も頷き返した。
「あ、そうだ。明日は星羅、ちょっとお休みするから。明後日からよろしくね」
「わかりました」
「え……もしかして、停学?」
「いやいや、相談実績を作りにね」
不安になる奏へ、神崎が手を振って答える。それに反応したのは河原の方だった。
「相談実績……警察に行くんですか?」
「お、詳しいね。もしかして将来は警察官?」
「はい」
「なら、将来の後輩になるかもね」
ん? と首をかしげる二人へ、神崎はスーツの内ポケットからある物を取り出す。
縦二つ折りの、黒い合皮の手帳。
「どうも、花折警察署の能力捜査課所属、神崎宏史刑事です」
非能力者だけどね、と神崎は笑う。
あんぐりと二人の口が開く。
(開いた口が塞がらないって、本当にあるんだなー)
神崎の後ろに隠れたまま、星羅はそんなことを思った。
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