第2話 裏切りの王子
「シェルレニア・ノーゼン。おまえに婚約破棄を言い渡す」
突然のノウス王子の言葉に、目の前が真っ暗になるのを感じた。精霊王の娘であるシェルレニアを突き返せば「あなたの国とは仲良くできません」と言っているのと同じ。偉大なる精霊王国との友好条約を結んでいるからこそ、小国であるライゴンは栄華を極め、他国から侵略されずに済んでいたのに。
結局、ノウス王子は《花嫁》の意味を深く理解出来ていなかったらしい。
シェルレニアは今まで何度となく、ノウス王子に態度を改めるように忠告していた。ある時は手紙で、ある時は面と向かって。
自分は精霊王の娘である。精霊王は慈悲深く賢い方だけれど、同族を深く愛しており娘がこんな扱いだと黙っていないと。
あの行為は全て無駄だった。
大きな絶望感に襲われながらも、シェルレニアは「無益な戦争を起こさないため」と少しばかり働いた理性を使い、ノウス王子に進言した。
「お考え直しください。私のことがお嫌いなのであれば、それでも結構です。しかしそんな事を言えば、偉大なる精霊王陛下は黙ってはいません。最悪、この国は侵略されてしまいますよ!」
「はぁ。……なぜ精霊の王ごときに我がライゴン王国が守られなければならない? 我々は人間だ。国王陛下は仰っていた、もともと精霊とは人間に使役されるだけの存在だと。なのに精霊が人間を守ってあげるだなんて、まるで精霊の方が格上の存在みたいじゃないか。虫唾が走る」
「え……」
聞く耳を持たない。
それどころか、父である精霊王や愛する臣下を蔑む発言まで。
(精霊と人の間にあるのは、主従関係ではないわ。信頼よ)
シェルレニアは、人間を格下の存在と思ったことはない。
人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが等しく尊いものだ。
「…………そう、ですか」
いよいよ心は冷め切って、シェルレニアの翡翠色の瞳に激しい怒りの感情が宿った。
精霊王とその血族は、怒りなどの激しい感情を瞳に宿す。
シェルレニアは愛らしく、淑やかな十七歳の王女だったので、今までそんな瞳を見せたことはなかった。
「ヒッ……。な、なんだその目は、気持ち悪い……ッ!」
「承知いたしました。その発言の一言一句、陛下にお伝え致しますがよろしいでしょうか?」
「は、はあ? そんなの、構わん。どんな相手が来ようとも、我がライゴン王国は盤石だ! 知っているか? 王国は優秀な魔術師軍団を持っているんだ」
「存じております。……そうですね、では最後に一つお聞きしたいのですが、婚約破棄したのは精霊に対する個人的な恨みによるものですか?」
「は? どういう意味だ?」
「ノウス王子と国王陛下だけが、わたしを始めとした精霊を嫌っているかどうかを聞いております」
「はっ、俺が個人的な恨みでおまえとの婚約を破棄したと思っているのなら、とんだ見当違いだな。違う、これは王国の議会で決められたことだ」
「なんと……」
男女間のもつれによる婚約破棄、なんて生易しいものではない。
国際問題だ。
精霊王国の精霊達は穏やかな性格をしているが、王族は違う。同胞である精霊を使役し戦う精霊術を用いて、より強い者が精霊王となり王国を守る。王族はそれを誇りに思っており、同族意識が強く、仲間が貶されたと分かれば黙ってはいない好戦家ばかり。
自分だけは例外だとシェルレニアは思っていたが、怒りの感情が収まらないところから、同じ穴の貉だと知る。
「それに、最後に冥土の土産として紹介してやろう。おまえの代わりに、新しい婚約者となった女性。未来の王妃となった娘レディーナだ」
「初めまして」
今さらかと思った。
北の塔の最上階から見ていたので、彼女の事はよく知っている。
この修羅場的展開でにこにこ笑顔を見せられると、怒りを通り越して感心してしまう。
(あなたと何度か目線が合っていましたよね。それなのに初めましてって)
心の中で愚痴りつつ、シェルレニアも笑顔で応対する。
「お綺麗な方ですね。でも失礼ながら、レディーナ様は貴族の方ではないとお見受けいたします。さすがに王子と釣り合わないのでは?」
「ほう、心配するのか。精霊が人間の真似事とは中々に面白いな。安心しろ、手は打っている。シェルレニアは酷い悪女のような精霊で、この俺ノウスを殺そうとした。そのとき傍にいた平民の娘レディーナが看病し、俺を助ける。ヒロインレディーナが聖女として、晴れて俺の婚約者となる筋書きだ」
(意外と狡猾なのね)
突拍子もない話だが、王政が本気を出せばでっちあげでも真実として民衆に広がるだろう。
「お似合いですわ」
「は、はあ!? もっとこう、悔しがる言葉などないのか!?」
「とんでもない。婚約破棄されましたのなら、この書面にサインを」
あくまで事務的に。
ここで怒って何かしてしまうのはよろしくない。
ライゴン王国から一方的に婚約破棄された、そういう体裁を保たなければ。
「これでよいだろう」
「確かにちょうだいいたしました。レディーナ様、承認者になってくださいますね」
「ええもちろん」
「ありがとうございます。では、……あぁそうですね。去る前にもう一つだけ、ノウス王子に教えてさし上げます。今しがた気付いた事なので、もう遅いかもしれないですが」
「な、なんだ?」
「レディーナ様、あなたに魅了の魔法をかけてますよ?」
「え……?」
「では、ごきげんよう」
ノウス王子の愕然とした表情を手土産に、シェルレニアはその場を去った。