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第1話 王子が平民の娘と恋に落ちた



 好きでもない男と結婚することは、シェルレニアにとって当たり前の事だった。国家と国家が結婚という形をとって平和を保つ。恋愛感情などいらない。隣国に嫁ぐことで無駄な争いがなくなるのなら、とても幸福なことで誇らしいとすら思っていた。


 しかもこの身は、ただの一国の王女ではない。

 精霊王の娘だ。

 精霊王とは精霊を統べる王を指し、体に精霊の力を宿している。精霊の言葉を人間に伝え、時には災いや飢饉から人間を守るのが精霊王の務め。信頼の証として精霊王は娘を花嫁として送り、花嫁を貰った国家はそれを丁重に扱わなければならない。年に一度の精霊祭では祈りを捧げ、踊り子を呼び、作物や魚介を感謝の意とともに精霊王に贈る。


 シェルレニアが嫁いだのは、ライゴン王国という「曰く付き」の国だった。

 二百年ほど前、ライゴン王国は精霊王の支援を断り、年に一度の精霊祭を中止。精霊王国との国交を断絶した。当時の国王が『人間至上主義』の思想の持ち主で、精霊を毛嫌いしていたのが原因とされている。

 しかしその年に、王国では未曽有の干ばつに襲われた。「精霊王国との国交を再開しろ」と国民の声が国中で膨らみ、国王は『人間至上主義』の主張を取り下げ、精霊王に謝罪。頃合いを見計らって援助を求めた。心優しい精霊王はライゴン王国に再び花嫁を送り、人々を災害や飢饉から守ったとされている。


 ライゴン王国に嫁いだ当時の花嫁は、ライゴン王国人のことをこう評していた。


『根底に精霊嫌いが見え透いている。またいつ、化けの皮が剝がれるか分からない』

 

 そんな風に言われていた国だから、嫁ぎ先の王子の性格に難があったとしても、シェルレニアはあまり気にしていなかった。

 物腰の柔らかい人だと思っていた彼が、王城(テリトリー)に入った瞬間、人相を変えて睨んできても。

 呼び方が「あなた」から「おまえ」に変わったとしても。

 王宮ではなく離れにある北の塔で暮らせと言われても。


 国のため。平和のためにと。

 そう割り切ることで、無益な殺生を好まないシェルレニアは、完璧な婚約者を演じ切ることが出来た。


 でもまさか。

 まさか、彼が白昼堂々浮気をするなんて、考えてもみなかった。


「レディーナ。愛している……」

「ノウス殿下……私も同じです。ずっと前からお慕いしておりました」


 人通りのない王宮の中庭。

 ノウス王子とレディーナと呼ばれる平民の娘が、互いに身を寄せ合っている。二人の瞳は熱を帯び、逢瀬を楽しんでいるように見えた。


(ノウス王子……)


 北の塔の最上階から、二人の様子はよく見える。

 もしかして、ここから王宮の中庭が見えることを二人は知らないのだろうか。

 

(どうしましょう、心が揺らいでいるわ)


 シェルレニアが自室として宛がわれたのは、豪奢な、それでいて鉄格子が嵌めこまれている北の塔。勝手な外出は許されず、衛兵を間に挟んでノウス王子に許可を得ないといけない。

 逃げたり危害を加えたりしないのに。

 ただ、話を聞いてほしいだけなのに。

 気持ちを分かってもらえず、悲しみに沈んだことが何度もあった。

 割り切ろう。割り切らなければ。

 そうやって我慢をしてきたのに二人の様子を見ると、シェルレニアは自分が惨めに思えた。


(王子。お願いです、愛など求めておりません。誠意を……どうか誠意をお見せください。でないとわたしは、祖国に帰りたくなってしまう……)


 自分の意思では帰れない。

 なぜならシェルレニアは国を背負っているのだから。


 『花嫁』という存在が両国にとってどれほど重要であるか、ノウス王子は分かっているのか。


(王子……)


 彼が改心して誠意を見せてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待が、このあとすぐに、最悪の形で打ち砕かれることになるなんて。

 この時のシェルレニアは思ってもいなかった。




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