ボウ'S 断腸を下す
傷みを分かち合う…。
医師の上様にも断念するように言われた、石の上にも3年計画…
「やはり衛生上の問題を解決しなければ無理か…」
古今東西、修行には何故それらを選ぶのか理解不能なコトが多い。
例を挙げると一見するとただ座っていれば良いように思われる座禅だが実際問題は尿意との闘いでもある。
(人としての尊厳を取るか、尊厳すら捨て去り異臭を放ちながら悟りの道を辿るか…由々しき問題。だが焦りは禁物だ、かのゴトウ氏の言葉を思い出せ…)
元働かざるニートのゴトウ氏が3年間の猶予を与えられ自宅を卒業する際に何故か出家の道を選び、家族の猛反対を受けながらも家族を諭し、僅か数年で悟りを開いた後に残した言葉がある…
『見たこともない知らない人の話を夢の中で聞いていたら出来るような気がした。今ならやれると、後ではない今なら出来ると…ただそんな思いの下に早々にやり遂げました。そう、今思えばあの時の私の背中を押してくれたのはあの方でしょう『そうだ遊びの時間は終わりだ、そろそろ本気を見せてみろ。オマエなら出来る筈だ、そうだろう?』そう心の中で言われた気がします、そして私は僧に至りました』
本音を言えば意味はよく分からない、だが何か心に響いた…ような気がする、やるなら今だと。
「やれば出来る、やらねばそれまで、だから俺は歩みを止めない」
デコるデコらないは自由だ、本来ならデコるべきではない物に敢えてデコり、実用性を犠牲にし、汎用品を昇華させ、オンリーワンな存在に至る私用に。
そうトイレに籠れば全て解決する筈、石の上が衛生上の関係で駄目なら肥溜めであるトイレなら解決する、そう思い厠に赴くが全ての戸が閉ざされていた。
(っ無慈悲。神も仏もないとはこのことよ…)
急激な便意この原因は恐らくあの時の…明らかに傷み、見た目がグレたように変色したキノコ。
『人を見た目で判断せず本質を見抜け』
本来なら安全性を考慮し捨てるべきなのだろう、だが糧として食されずに破棄されるのは忍びないと慈悲心にて他の食材と共に煮込み、傷みも分かち合えば和らぐと見守っていたが、どうやら俺には先見の明はなかったようだその証拠に第二の反抗期を通り越し腸内戦場と化した。
(このまま待てばいずれは閉ざされた戸も開かれるだろう…だが恐らくニルバーナとは別の門が開かれる可能性が高い。考えろ俺、英断を…下す…前に)
別の意味で飯テロかなぁ…。いや違うか…。




