第5話 苦悩
救援本部の置かれた会社事務所では、生存者の知らせを受け一同が歓喜に沸いたのだが、それも一時のことでしかなかった。
火が収まらないことには、救援隊の突入は不可能だからだ。
坑内火災はその勢いを弱めることはなく、とりあえず坑口を密閉したものの、鎮火する気配はまったく見られなかった。
坑口を密閉したといっても、生存者のため配管をつうじて空気の供給だけは続けられていた。
今となっては、この空気だけが生きる望みであった。
真っ暗な坑内は、火がまわっていない場所であっても気温が極端に上がっており、もはや利根たちにも限界が近づきつつあった。
ガスが出てから2日以上も経っており、入坑の時に持ってきた弁当を食べたきりだ。
しかも、灼熱地獄の中で全身の水分が汗となり、最後は自分の小便を飲んで耐えてきたが、今となっては身体を起こすことすらできなくなってしまった。
カンテラの電池も切れ、闇の世界は彼らの気力をさらにそぎ落とした。
「利根さん、俺はもう駄目みたいだ…。のども乾いて、腹も減って、おまけにこの熱さだ。」
「羽黒さん、しっかりしろ。これまでも一緒に頑張って来たじゃないか。」
「今までは運がよかったんだ。でも、ここまでなんだろうな。」
「救援隊も何か対策を立てているはずだ。それを信じるんだ。」
利根はそう言いながらも、この状況でいったいどんな策があるのか、もはや万策尽きているのではなかろうかと思ったが、決してそれを口に出すことはなかった。
口に出したら最後、自身の生きる気力までもが崩壊してしまうような気がしたからだ。
「お国のために石炭を掘ってきたのに、最後はみじめなもんだ…。女房と子どもにもう一度会いたかった…。」
「羽黒さん、ねむっちゃいかん!」
「外の…、外の空気を吸いたい…。」
「羽黒さん、羽黒さん!!」
羽黒の目が開くことも、口が開くことも二度となかった。
日本の発展のため、家族のため、地の底で石炭を掘り続けた勇士が、地の底深くで命の灯を消した。
羽黒の死を前にして、利根の心に様々な思いがよぎった。
日本で暮らす多くの者たちは、太陽の光を浴びて、月を眺めて毎日を過ごしているのだろう。
しかし、俺たちはもう太陽も月も見ることはないだろう。
日本という国にとって、国民にとって、俺たち炭鉱夫という存在はいったい何だったのか。
俺には学がない、勉強はできなかった。だから、炭鉱夫になって命を張らなければならないのは自業自得だと言う者もいるだろう。
しかし、それぞれの者が、それぞれの立場で、社会のために必死に働いてきたことは紛れもない事実だ。職業に貴賤はないはずだ。
ちくしょう、それなのに、それなのに…。
「もはや、坑内に川の水を流し込み、水没させることでしか鎮火の方法はありません。このまま放っておけば、火災がさらに広がり、炭鉱の復旧も遺体の回収も不可能になります。」
副社長である鈴谷によるその言葉を聞いた熊野社長は烈火のごとく怒った。
「君、遺体とはなんだ!、まだ生きているかもしれないんだぞ!」
「助けを待っている者たちを溺れさせるのか、見殺しにするのか!」
しかし、鈴谷は静かでありながらも、しっかりとした言葉で社長に告げた。
「ガスが出てから5日も経っており、しかも、火災による坑内温度から判断して、もはや、人間が生きられる環境ではありません。それに、配管を叩く音も途絶えて久しくなります。」
社長をはじめ、その場にいた幹部連中や町長にいたるまで、副社長の話を黙って聞くしかなかった。
「少しでも綺麗な形で遺体を家族のもとへ返すのです。そのためにも、社長には決断していただくしかないのです。」
社長は悩んだ。
ひとりの人間としてなら絶対に受け入れることはできない。
しかし、残された家族の生活や町の未来を考えると、少しでも被害を抑えて炭鉱を復旧しなければならない。仮に復旧できなかったとしても、家族への補償のための体力を会社に残さなければならない。
責任ある立場の者として、残された家族のため、町のためにも決断するしかなかった。
「わかりました。行方不明者の家族を集めてください。」
その日の夜、町民会館に行方不明者の家族が集められた。
集まった者たちは、みな殺気立っているのだが、どこか諦めにも似た表情を浮かべていた。これからどういうことが説明されるのか、なかば覚悟していたのかもしれない。
副社長である鈴谷が、同席させた医者や学者とともに、客観的なデータを示して状況を説明した。
そして、最後にこう付け加えた。
「ここにいたって、生存者がいる可能性はありません。坑内を水没させることで鎮火した後、ポンプで水をくみ上げ、ご遺体をご家族のもとへお返ししたいと思います。」
一瞬の間をおいて、叫び声と怒鳴り声が飛び交った。
「ウワー!」
「人の命を何だと思っているんだ!」
「お前が中に入れ!」
「ひと殺し!、お前も一緒に溺れ死ね!」
もはや炭鉱会社の者にこの場をおさめることができるはずもなく、町長が何とかみなを落ち着かせようと必死にマイクを握った。
「みなさん、落ち着いてください。みなさんの悔しい気持ちはよくわかる。私も悔しい。ですが、今はこれしか残されていないのです。」
しかし、町長に対しても怒声が飛んだ。
「お前に何がわかる!」
「一度でも、坑内にもぐったことがあるのか!」
泣き声、叫び声、怒鳴り声。
それらが入り交じり、説明用に配られた書類を投げつける者までいる。
ひとりの老人が社長につかみかかった。
「今、こうしている間にもな、俺の息子は真っ暗闇の中で助けを待っているんだ!」
「そんなところへ水を流し込んだら、どうなるか分かってるのか!」
熊野社長は老人の両手をつかみ、目をそらさず彼の顔を見据えていた。
そして、こう言うのだった。
「お命を…、お命を頂戴したい!!」




