第4話 生きている
「ガスが出ただと。すぐに状況を報告しろ。それと、救援隊を送るんだ。近隣の炭鉱にも応援を要請しろ!」
会社事務所では社長をはじめ幹部たちの絶叫が響いていた。
近隣の炭鉱からも応援が駆けつけるとともに、役場から町長も飛んできた。
「社長、被害の状況はどうなんだ。」
挨拶もそこそこに町長は社長に問いかけた。
「ガスが出たようです。約800名が入坑していたのですが、自力で脱出できた者も多かったようで。ただ、数十名が奥に取り残されており、救援隊が向かっています。」
その頃、坑口からは全身が粉塵で真っ黒になった炭鉱夫たちが続々と姿を現していた。自力で脱出できた者たちだ。
彼らの顔は真っ黒であり、誰が誰だか判別がつかない。安否を確認しようと駆け付けた者たちが生存者の顔を手拭いで拭いていく。
愛する者の生存を願ってひとりひとりの顔を確かめる女たちの服も、粉塵にまみれ真っ黒だ。
夫や父を見つけ出した家族であろうか、抱きついて涙を流している。
生きて出てくることができた者たちは、その多くが無口であり何も話さない。
地獄から這い出ることができた安堵感であろうか、死んでいった仲間たちへの思いであろうか。
何も話さない男に抱きつき泣き叫んでいる妻や子どもたち。
自力で脱出できた者たちが落ち着きを取り戻し始めたころ、坑内へ突入した救援隊が戻り始めていた。
幸運にも救援隊によって救い出された者もいたが、それはごく少数だった。
隊員たちは担架を手に持ち、そこには毛布を掛けられた炭鉱夫が横たわっている。
次から次へと運ばれてくる担架に駆け寄り、毛布をめくって顔を拭う者たち。そして、夫や父の顔を見つけて泣き叫ぶ家族たち。
喜びの涙と悲しみの涙という、あまりにも対照的なものが織り成す異様な光景だ。
そこへは、利根と羽黒の妻や子どもらも駆け付けていた。
「利根です。主人を見ませんでしたか。」
民子は生存者たちに夫の安否を聞いてまわっていたが、利根の消息を知る者は見当たらなかった。
「お父さんは大丈夫だよね。」
息子の一郎が不安げな顔をしている。
「大丈夫、お父さんは絶対に生きてるよ。」
民子は、気丈にもかすかに笑みを浮かべて一郎を励ますとともに、涙を流し狼狽している羽黒の妻に声をかけた。
「羽黒さん、子どもたちのためにも、私たちがしっかりしなければ。お父さんたちはきっと生きてるから。大丈夫だから。そう信じましょう。」
それを聞いた羽黒の妻は手拭いで涙を拭き、何度もうなずいていた。
「あの人は生きている。絶対に生きている。死ぬはずなんかない。」
民子は自分に言い聞かせるように、何度も何度も心の中でつぶやいていた。
その頃、地下の坑内奥深くでは、利根たちが救援隊を今や遅しと待ち続けていた。
「救援隊はいつになったら来るのだろうか。」
「火災や爆発が起きていなければ、じきに来るとは思うが。」
利根も羽黒も、これまでにも同じような事故を経験していた。
炭鉱では落盤事故、ガス突出、坑内火災などは珍しくはなく、小さな事故などは誰もが経験していることだった。
これまでも助かったように、今回も助かる、きっと助かる。そう思うことでしか、精神の安定を保つことができなかった。
羽黒が妙なことを言い出した。
「何だか熱くなってきていないか。」
言われてみれば確かに気温が上昇しているようだ。汗もにじみ出ている。
しかも、どこからともなく煙までもが漂ってきた。
「坑内火災だ。どこかでガスに火がついてしまったんだ。」
その瞬間、坑内の明かりが消え、坑内電話も使えなくなってしまった。
火災により配線が焼き切れてしまったのだろう。しかし、鉄の配管を通って空気だけは送られている。もしこの空気までもが止まってしまったら。
「俺たちが生きていることを何とか知らせることはできないのか。」
「そうだ、鉄の配管を叩くんだ。」
坑道内には地表からいくつもの配管が巡らされている。空気や水を送るための配管もあれば、何本もの電気配線を収納した配管もある。
列車が近づいてくると、遠く離れた場所でもレールに振動が伝わるように、配管を叩くことで振動が地表へ伝わるかもしれない。
カン!、カン!、カン!、カン!
「頼むから気づいてくれ。俺たちはまだ生きている、生きているんだ!」
利根は祈るような気持ちで、鉄の配管を工具で叩き続けた。
坑内火災による煙は坑口へ向かって流れており、火災の発生に気づいた救援隊は、これ以上の突入は危険と判断し、地表へと引き返さざるを得なかった。
隊員たちの顔には、なかば諦めのような表情が浮かんでいる。
「もう、誰も生きてはいないのではないか。」
「絶対に希望を捨てるな。まだ可能性はあるはずだ。」
その時だった、配管からかすかに音がすると言い出す者がいた。
全員が押し黙り、じっと耳を傾けた。
…カン…、…カン…。
「ウォー!!」
隊員たちが歓喜の叫び声をあげた。
火がまわっていない場所で生きている者がいる証拠だ。
今にも消え入りそうな音だったが、それは生存者の心臓の鼓動とでもいうべき、生きる執念に満ちた力強い音であった。
すかさず、隊員も配管を叩き返す。それに呼応して生存者から振動が返ってくる。
「やったぞ!、俺たちが生きていることに気づいてくれたぞ!」
真っ暗な坑内に生存者たちの歓声が響いた。
「民子、一郎、お父さんは生きてるぞ、生きてるぞ!」
利根は涙を流しながら、何度も何度も配管を叩き続けた。
「社長!、まだ生きている者がいます!」
それを聞いた社長は幹部たちに檄を飛ばした。
「何としても、生存者を救出するんだ。彼らを見殺しにすることは絶対にまかりならん。それと、家族たちにも生存者がいることを知らせるんだ。」
生存者の知らせを受けた家族たちは喜びの声を上げた。
「あの人が生きている!、生きている!」
この時、民子は初めて涙を流した。
息子一郎や羽黒の家族たちが泣いている中、民子だけは必死に涙をこらえていた。
自分まで泣き出すわけにはいかない。誰かが気丈に振舞うことで、みなに希望を与えなければならない。
その一心でこらえてきた涙が、生存者の知らせにより、堰を切ったようにあふれ出した。