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第3話 忍び寄る影

「ガス濃度が少し高いな。本当に大丈夫なのか。」


 利根たち炭鉱夫はガス検知器を見ながら、不安を感じていた。


 地底深く掘り進めた坑道こうどうは危険が高くなる。

 地圧で坑道が押しつぶされたり、石炭層にたまったガスが噴出したり、さらには、このガスに引火して坑内火災や爆発が起こる場合もある。

 そのため、坑道がつぶれないように頑丈な鉄材などで支えるとともに、石炭層からのガス抜きも行っている。

 坑道内のガス濃度は常に計測されており、危険濃度に達した場合は警報が出され、全員が直ちに作業を中断し、地上へ避難することとなっていた。


 危険濃度をどの程度に設定するのか、すなわち、どの程度の濃度に達するまで採炭を続けさせるのか、炭鉱夫に無理をさせるのか。

 それは、末端の炭鉱夫自身が決められるものではなかった。


「少しのガスが出たくらいで作業を中止していたら、国が示した増産目標にまったく届かない。」


「採炭量を増やすためにも、危険濃度の基準値を若干じゃっかん上げるしかないな。」


 炭鉱会社では協議の結果、基準値を上げることが決められた。

 ガス中毒や坑内火災の危険性は増してしまうが、その危険性と国からの増産要求を天秤てんびんにかけ出された答えがこれだ。

 もともとの基準値は安全性に配慮して低めに設定されていたので、少しくらい上げたところで危険性が大幅に増すものではないだろうと考えたのかもしれない。

 しかし、炭鉱夫たちがそのような経緯を知るはずもなく、そして、増した危険性は炭鉱夫たちに降りかかってくることになるのである。

 少しずつではあるが死の影が忍び寄ってきていることに、利根をはじめとした炭鉱夫たちは気づいていたのかもしれないが、やっと手に入れた働き口を失いたくない、家族を路頭ろとうに迷わせたくない、そのような思いから彼らは口を閉ざしていた。


「あなた、はい、お弁当。」


 妻の民子が利根に弁当を渡していた。


「ありがとう。それじゃ、行ってくるよ。」


 今日の利根は一番方いちばんかたなので、朝飯を食べてから炭鉱へ向かう。

 地下の坑道へもぐってしまえば、仕事が終わるまで地上に出ることはないので、坑道内で弁当を食べて用も足す。

 これまで何度も見てきた出勤の風景であり、民子は普段と変わらぬ利根の後姿をながめていた。


「利根さん、おはよう。」


「よう、羽黒さん、おはよう。」


 羽黒も同じ一番方であり、ともに作業服へ着替え、装備を身につけ地底へ向かう鉱車に乗り込んだ。

 レールが敷かれてある終点で鉱車を降り、そこから切羽きりはと呼ばれる石炭の掘削面くっさくめんへ向かう。

 坑道は枝分かれしており、いくつかの切羽で採炭が行われている

 ここで削岩機さくがんきを用いて石炭層をくだき、取り出された石炭をベルトコンベアやロッカーショベルで鉱車へ積み込み地上へと搬出する。

 坑道内は照明が設置されているとはいえ薄暗く、ヘルメットにつけたカンテラと呼ばれるライトだけが頼りだ。

 毎日繰り返される作業であり、利根も羽黒も慣れた手つきで機械をあやつっていた。


 そんな時だった、突然、警報音が鳴ったのは。


 ビー!!、ビー!!


「ガスだ!、みんな走れ!」


 警報音が鳴りだした途端とたん、炭鉱夫たちは作業をやめ、工具や機械を放り出し、一斉に坑口へ向かって走り始めた。

 ガスが出たことは明らかだ。

 炭鉱事故において、生き残ることができるかどうかは時間との勝負だ。ガスが坑内に充満する前に、少しでも地表近くへ行かなければならない。ましてや、ガスに引火して爆発や火災が発生したならば、生きて地表へ出ることはほとんどかなわない。

 どこの切羽でガスが出たか、自分たちがありの巣のような坑道内のどこにいるのか、運も彼らの命を大きく左右する。

 まさに、「運命」だ。


 利根や羽黒をはじめ、すべての炭鉱夫が薄暗い坑内を必死に走った。

 しかし、一人また一人と足を止めたかと思うと倒れていく。

 ヘルメットにつけられたカンテラの明かりの中に映し出されるその光景は、まるでスローモーションのように利根の目に映っていた。

 利根の前を走っていた年配の炭鉱夫が倒れ込んだ。


「大丈夫か、しっかりしろ!」


 利根は倒れた炭鉱夫を助け起こそうとしたが、口から泡を吹いて白目をむいている。ガスを吸ったことによる酸欠状態になったのだ。

 何かを言おうと口がかすかに動いている。痙攣けいれんしているのか、それとも妻や子どもの名を呼ぼうとしているのか。

 

 利根自身も意識がもうろうとし始めた。


「もう助からない。」、そう思った瞬間、利根の身体を引きずる男がいた。

 羽黒だ。羽黒が利根を引きずり、近くにある避難用のビニールハウスと呼ばれる設備に引き入れた。

 ビニールハウスと呼ばれるこの設備には、耐火シートと配管が備えられており、炭鉱夫はその耐火シートをかぶり、配管から送られてくる空気を吸って救援隊を待つのだ。


「利根さん、大丈夫か。」


「羽黒さんか、ありがとう。」


「なんもだ。必ず救援隊が来る。それまでここで頑張るんだ。こんなところで死んでたまるか。」


 利根たちのほかにも、いくつかあるビニールハウスへ逃げ込んで、何とか命をつないでいる者たちがいる。

 しかし、死力を尽くして走ったにもかかわらず、ビニールハウスまでたどり着くことができなかった者たちが、あちこちに倒れている。


 備え付けられた坑内電話を使って、自分たちが生きていることを地上へ伝えた。

 やれることはやった。あとは、ただ待つしかない。

 

「一山一家」

 ヤマで生きる者は、絶対にヤマの仲間を見捨てない。

 その強い思いだけが、地底で助けを待つ者たちに残された最後の希望だった。


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