第1話 揺れる心
日本の高度経済成長を支えた石炭。未曽有の事故が炭鉱夫たちを襲う。彼らは待った、必ず助けが来ると信じ。
登場人物
利根
舞台となる町で生まれ育った炭鉱夫。
民子
利根の妻。
一郎
利根の息子。小学生。
羽黒
利根と同じ炭鉱で働く男。
熊野
炭鉱会社の社長。
鈴谷
炭鉱会社の副社長。
ガタガタという音を立て、埃をまき散らし、時には泥水をはねながら、トラックが町中を走っている。
そして、その荷台には多くの家財道具が積まれている。
炭鉱鉄道の駅では、この町を出て都会へ移り住む者たちが列車に乗り込んでいく。
「東京に行っても元気でね。」
「必ず手紙を書くからね。」
子どもたちは思い思いに別れの挨拶をかわしているが、大人たちの表情はいたって暗い。
この町でずっと暮らしていけると思っていたであろうに、時代の流れの中でその願いも叶わなくなってしまった。
ここは、とある炭鉱町。
この町には、かつては多くの炭鉱が存在し、今とは比べ物にならないほど賑やかであったらしい。しかし、海外から低価格の石炭が輸入され、さらには石炭から石油へというエネルギー革命がとどめを刺した。
櫛の歯が抜けるように炭鉱が閉山し、そのたびに多くの炭鉱夫とその家族がこの町を去っていく。
しかし、時代は高度経済成長のまっただ中であり、都会の建設現場や工場では大量の労働者が必要とされ、機械や電気技術を持つ炭鉱労働者は引く手あまたであった。
閉山の噂が流れると、都会へ労働者を斡旋することを生業とする者たちが炭鉱労働者の家を訪ね歩いた。いつからか、彼らは「人買い」と呼ばれた。
「東京へ行けば、今よりも高い給料をもらえる。子どもの教育環境だってここよりいい。」
「石炭にしがみついても未来はない。いずれは、すべての炭鉱がつぶれる。」
人買いの話はどれも現実的であり、時には魅力さえ感じさせた。
しかし、「一山一家」という、炭鉱で働く者どうしは家族同然という社会で生きてきた者たちが、見知らぬ都会へ移り住むことを簡単に受け入れることはできなかった。
炭鉱会社が管理する炭鉱住宅、いわゆる「炭住」は、そこへ引かれている水道や電気も炭鉱会社の設備であり、住人は無料もしくは安価でこれを使うことができた。
買い物も、炭鉱会社指定の商店から購入し、その分は給料から天引きされる。現金を持ち歩かなくてもある程度の用を足すことができるのだ。
石炭が採れなければ見向きもされないような山奥に多くの人たちが住む理由なのだが、裏を返せば、石炭が採れなければ誰も住もうとは思わない土地だ。
「黒ダイヤ」とも呼ばれる石炭を求めて、山奥へ鉄道が敷かれ、住宅が建ち並び、学校や病院が建設され、ひとつの町がつくられた。
人間は執着する生き物であり、たとえ斜陽に差し掛かったものであっても、何とかこれを守ろうとしてしまうものだ。
多くの石炭を都会へ送り出していたように、自分自身も都会へ送り出されることを受け入れていれば、未来はまったく違ったものになっていたのかもしれない。
「利根さんはどうするよ?」
同僚の炭鉱夫からこう聞かれた利根は、身の振り方を決めかねていた。
炭鉱会社は町内にある中小の炭鉱を閉山し、生産性の高い大規模炭鉱へと集約することで再起を図ろうとしているのである。
国からの補助を受け最新式の設備を導入した新炭鉱は、この町の復活の切り札ともなるべき存在であり、この新炭鉱の運営が軌道に乗ることができれば、多くの炭鉱労働者は都会に出ることなく、町に残ることができる。
新炭鉱で働くことを希望する者を募集する旨の告知も出されていた。
しかし、石炭産業自体が先細りになる中、誰もがそう簡単に決められるものではなかった。
「迷ってる。そう簡単には決められなくて。家族と相談してみるよ。」
利根はそう答えると、家路についた。
家では、妻の民子と小学生の息子である一郎が利根の帰りを待っていた。
「一郎、もし父さんが東京に行くことになったらどうする。」
「父さんが行くなら、一緒に行く。転校していった友達もたくさんいるけど、仕方ないよ。」
「そうか。一郎はこの町が好きか?」
「大好きだよ。ずっとこの町にいたい。」
「そうだよな…。」
利根もこの町が好きだった。
彼の父もこの町の炭鉱夫であった。この町は利根自身の故郷でもあり、ずっとこの町にいたいという一郎の気持ちは痛いほどにわかる。
隣近所みな家族みたいなものであり、物心ついた時から、そのような環境に慣れ親しんできた。
この町からほとんど出たことのない自分のような者が、親戚も友人もいない東京へ行ったところで生活できるのであろうか。それに、東京の工場で働いたとして、歳をとるまで雇い続けてもらえるのだろうか。
過去に何度も、この町を人買いが訪ねてきた。
閉山で職を失った炭鉱夫だけではない、中学を出たばかりの子どもたちまでもが人買いの話に魅了され、仕事を求めて東京や大阪へ出ていった。
学校を卒業したばかりの子どもたちは「金の卵」とまで言われていた。
しかし、現実はそんなに甘いものではなく、いつの間にかこの町に戻って来た者もいた。
豪華なまかないの食事が出て、休みの日には映画を見たり、ダンスホールに行ったり、都会の夢のような生活が待っていると信じていた。
しかし、夢は夢でしかなかったようだ。
朝早くから晩遅くまで低賃金でこき使われ、まかないの食事も、ただ腹が満たされればよいという程度のものでしかなかったという。
中には、身を持ち崩して罪を犯してしまった者もいたと聞く。
何も知らない田舎者を食い物にしているとさえ言う者もいた。
まさに人買いだ。
見知らぬ土地で、先の見えない仕事に就くよりは、この町で頑張った方が家族のためになるのではないか。
炭鉱しか知らない自分は、ここで生きていくしかないのではないか。
一郎の寝顔を見ながら、利根はそんなことを考えていた。




